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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュのイエスのくそ言葉

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『イエス』がくそではない。

イエスの『言葉』がくそ。


イエスの言葉、一節を持ち出し思想を押し付けようとする、牧師、福音派、原理主義者のアホども。

自分で何も考えようとしない連中がくそ。


例をあげます。


マタイ福音

10章34節
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。

10章35節
わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。


福音派のアホ野郎が、イエス様は剣をもたらすために来た。イエス様は、キリスト教に改宗させるために家族とさえ決別させる。。と仰っていました。


アホか?

文章読めますか?

ブラジルの皆さん聞こえますかー?


このマタイのイエスの言葉は、自分の後継者になる『弟子達』に放った厳しい教え。

家族を捨て、親の葬儀もせずイエス自身に付いてくるよう厳しく諭している。

イスラエルの団結の為に、働く余力ある人間が一人でも必要だったから。


また、イエスは対象となる人間が置かれている『立場』、『状況』により、教えを変えている。


1、自分の後継者になる『弟子達』には厳しく、律法を守りユダヤ人の手本になるよう教えている。

2、自分が神に認められているとする、『高慢なパリサイ人』には、形骸化した律法主義を指摘し、律法の本質である隣人愛の欠如を断罪している。

3、病に苦しむ者や嘆き悲しむ者。貧困ゆえに律法を守りたくても守れず苦しむ者。そういった人々に、「律法を守れ!」とイエスが迫る場面は、福音書には存在しない。

嘆き悲しむ者、自分の罪を悔い心が打ち砕かれている人間には、無償で病を治し、無償で罪を許している。


悲しみ、どん底に落ちて嘆き悲しんでいる人間に対し、『弟子達に対する厳しい教え』を突き刺す無能なアホな人間。

その教えが語られた『時代背景』、その教えが向けられた『対象となる人間』、その教えが『いつ』語られたものか、

理解してますか〜?



セコムしてますか〜?




















コメント(12)

アフォはお前だよw

イエス・キリストの言葉がクソなのではなく、

自称福音派(およびその解釈)がクソなだけだろw

この知ったかぶりがw
イエスの言葉、的をついた教えを


『無能な連中、読解力のない連中』

が、

『くそ言葉』にしている。


冬なのに、うるさい蚊がぶんぶん飛んでいる。


うざいな。。


蚊は文章理解できないよね。


蚊取り線香切れてるし

確かに最近、うるさい蚊が飛び回ってるなw

自分の考える聖書の読み方以外を認めない、一般書と同レベルの読み方しか出来ない蚊がw
最近はやめちゃったんですけど、ツイッターで、誰かが「聖書研究って翻訳の研究じゃないの?」と言っていました。
一つの聖句についてギリシャ語、英語、日本語で解説するというのも、時には必要かもしれませんが、説教の大半がその説明に終始ってのも困りますね。

一方で「聖書に解釈は不要です。解釈するから間違うのです。」と仰る人もいます。

さて、創世記を読む限り、「神はアダムを作って、その妻をエヴァを作って、その後に楽園追放された」ことは書いていますが、産んで増えて地に満ちた人類を、天国行きと地獄行きに分けたとは書いていません。どこの聖書に書いてあるのでしょうね。
>>[4]

申し訳ないけど疲れる。。。

創世記は、紀元前6世紀のバビロン捕囚の後、祭司達により編纂されたものです。

ツァドク系のサドカイ人でしょう。

バビロニアの神々より、イスラエルの神が優れているという権威付けのため創造物語を付け加えた。

実際、創世記2:4までの神の名は、『エロヒム』

それ以降に、『ヤハウェ』という名称が出てきます。

E資料(エロヒスト)

J資料(ヤハウィスト)

P資料(プリースト)

D資料(申命記)

四つの異なる資料のにより編纂された、というのが創世記の定説になっているようです。

また、旧約聖書、新約聖書ともに完全なオリジナルは存在しません。

イザヤ書でも、少なくとも三人の著者がいるのですから。

箴言も、ソロモンの物ではない。


新約聖書に至っては、6千以上の写本を学術的にオリジナルに近いであろうと言う文章を繋ぎ合わせたもの。

現代の聖書学では最高水準であるという事だけ。

ネストレアーラント(新約聖書底本)を翻訳したり、ギリシャ語の意味調べたり、ラジパンダリー・・・

バカらしいです。

>>[5]

とりあえず、一つだけ・・・

イザヤを三つに分割し始めたのは、ドイツ人のチュービンゲン学派であろう、とのことです。


所謂「牧師の息子たち」と呼ばれる、親の姿不確かな信仰を注視して育ったドイツの少年たちの成長した姿で、実は神は居ないと考え、自分たちの理論を「高等批評」と称し、あたかも優れたものであるかのように吹聴しますが、宗教に「科学」を持ち込んでる、と聞きました。

わたしも解釈を読みましたが、天文学を取り入れています。


信仰って何を信じるのでしょうか?

神って何者?

現代の宗教って、単なる現実逃避の手段や争いの元凶でしかない。

神の存在が当たり前だった時代とは違う。

少なくとも、聖書崇拝や宗教崇拝は止めたほうが良いと思います。

イエスの言葉はとても美しいものだと僕は思います。そしてできるなら自分も美しく、優しく、思いやり深い言葉を自然と語れるような人格を実現したいと思います。
聞いた人の心を乱したり、悲しませたりする言葉ではなく、いたわり、慈しむような言葉を平素、語れるような自分になりたいと思います。
>>[7]
ダニエルさん、今日は失礼します。

神が存在するか否かの思いは人それぞれの問題で、神は「ある」。

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