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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの旧約聖書と新約聖書の違い

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旧約時代、神は人間が罪を犯すごとに 殺せ

だったのに対して

イエスキリストを地上に送って

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)

もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう(マタイ6:14)

など、徹底的にゆるすように勧めています。

なんて自分勝手な!と思いますが、現実問題として

私のおじいさんは徳島に住んでいました。
四国八十八箇所の札所の近くなので、昔は誰でも無料で泊めていたそうです。
おじいさんが幼い頃に、泊まってた人が幼いおじいさん意外を全員惨殺したそうです。
(当時は凄いニュースになったそうです)
その呪いなのか、私の母の兄弟姉妹は長兄の莫大な遺産(子供はいない)を分捕る為に、私のいとこにあたる者を勝手に(私たちには相談さえなく)養子にして数億円の遺産を全て我が物にしてしまい、私の母や当然ながらその家族には一銭も回ってきません。

これは現実です。
それであっても、ゆるしなさいと聖書に書かれている以上、ゆるさなければならないのですか?
生きてられるだけでも、感謝しろと言われるかも知れません。
私は、生きている事の方が、地獄を味わっています。

なにゆえ生きているのか?と問われれば、死なないから、としか答えられません。
生きていても何も喜びがありません。(もちろん、普通に美味しい物を食べたら美味しいとか感じますけど)
私は事故に遭って障害者になりました。
生きてるだけで、辛いって気持ちが解りますか?
カウンセリングして欲しいのではないので、話を元に戻すと

こんな生き地獄の日々を送りながらも、犯人を親戚を元いとこをゆるさなければならないのですか?

コメント(43)

旧約と新約の違いは、
ヤベツの祈りと主の祈りの性格の違いに顕著に現れます。
(もっとも、僕は両方とも唱えたりしますが…)
クリスチャンの中には、「ヤベツの祈りはキリスト者の祈りじゃない」「聖書的な祈りじゃない」と言って否定する人もいますな。
もっとも、カルヴィンズムの国アメリカで流行した祈りでもあるんですけどね。

繰り返し唱える呪術性の濃い祈りだ、と批判する人は、やっぱり、東方正教会の「イエスの祈り」やカトリックの「ロザリオの祈り」「射祷」を否定したりするんでしょうなあ。
マントラ化していると言われれば完全に否定するのは確かに難しいが…

旧約の神が残虐に見えるのは、義と罪による応答を、その人一代の現世で完結させようとしたから、という、古代においては割りと画期的な考えが理想としてあって、
しかしそれが上手く行ってなかったことに起因するのでしょうな。
新約では、終末論でそれを補おうとしている形になってますし、そもそも新約聖書では、キリストを信じる人間に、現世での幸福を一切保証していない、という事をしばしば忘れがちになります。

自分の持つ原罪のせいで、直後に滅ぼされても仕方ないのに、神は愛してくれた、という、ゼロから出発が新約で転換されて提示された神学なので、
行動によってきっちりと報いと罰を与えることを前提にしている旧約をそのまま「素直に」受け取ると、
少し、厳しいでしょうね…
ゆるす、ゆるさない、、はおいといて、、

うらみ、、にくしみ、、という心でいると、ますます、そういうことを引き寄せてしまうように思いました。(これは、信じなくてもいいですけど。)

・・・。


その不機嫌を、周りで受けている人に、、

ごめんなさい?



(傷つけてしまいましたら、すいません。)




にもかかわらず、、

敵のために祈れるようになると、、
本当の喜び、人生の幸せ、がわかるのかもしれない、、と思いました。
(責任は持てませんけど。)

そのままでいいのか、
神的な生き方に変わるか。

いつやるの?

今、、ではない??



旧約は、アブラハム、、のあたりの話。
ダビデ、、のあたりの話を読むといいと思います。

にもかかわらず、、

(聖書の中にも、ひどい目にあった人はたくさん、いるみたいです。)
(その人たちなら、気持ちはわかってくれると思いました。)



ゆるさなくてもいいけど、
ゆるしたほうが、、楽になると思いますよ。
(?)
>>[11]

>マントラ化していると言われれば完全に否定するのは確かに難しいが…

カトリックには「諸聖人の連祷」(Ora Pro Nobis)もありまして、これもまぁプロテスタントから見ると呪術的に見えるかもしれません。(ひざまずいて祈るので、腰が痛いイタイ)

第2バチカン以前は、天使祝詞にしてもラテン語ですからマントラの最たるものですし、イエス直伝全教派共通使用の「主の祈り」も、般若心経に似た立ち位置かもしれませんね。

さて、旧約新約問わず、聖書は自力救済を全力で否定しています(「復讐するは我にあり」とか殺されたアベルの血が神の義に訴えるとか)

日本では、神の義がそもそも存在しないから、幽霊になって祟るか、代を継いで仇討ちをするかのどちらかになって、面倒といえば面倒です。

で、遺産問題については赦す赦さないのハナシではなく、弁護士に相談して司法に訴え出る話だと思います。



>>[15]

「神は自ら助くるものを助ける」とは言いますけどね。
環境と社会的現象に常に受身になって、社会的不適合者になるクリスチャンの話もちらほら…
それって、単に社会における自己疎外を積極的に推進しているだけで、キリスト者に与えられる自由の意味を理解してない。

ま、マクロレベルの経済政策の失敗や市場の報復や社会の悪化に伴う現象を、
何故か全部個人レベルの責任として批判する人もいますけど。
そういうのは確信犯なんでしょうなあ。
旧約は、アブラハムの子孫だけが、祝福を受けられる。
(もし、律法を守るなら。。だけでもないかもしれないけど。)

新約は、異邦人でも、祝福を受けられる。
(もし、信じるなら。)


現実と、真実(見えないけど、ある。)と、、

幻?(見えるけどない。。)

今の現実は、真実なんだろうか??
>>[16]

>単に社会における自己疎外を積極的に推進しているだけ

うまい表現ですね。
学生運動が流行っていたときは、「疎外だ疎外だ、疎外にカンパーイ」で仲良くしていたわけですが、この用語、今はどう言い換えるべきなのかなというのが最近のちょっとした関心ごとです。

>環境と社会的現象に常に受身

これに関して、逆の極端に走る人々もいて、だいたい対立関係にありますね。キリスト教に「中庸」はないから、解決がつかない。
トピ主さんの御体験は、非常に重いものなので、私にはとてもそのお気持ちは十分に察することもできないものだろうと思います。
本当につらかったですね。

ハロルド・クシュナーというユダヤ教のラビが書いた『天国に行くための八つの知恵』という本を以前読んで、その中で「許し」について、聖書の創世記などを引きながら、非常に深い考察がなされているのを読んだことがあります。

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE8%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%9F%A5%E6%81%B5-%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BBS-%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/4882741482

トピ主さんにも、ひょっとしたら参考になるのではないかと思い、紹介させていただきました。

旧約と新約については、もちろんキリストの福音の有無という違いもあるとは思いますが、旧約聖書も実は許しや和解が大きなテーマとなってこめられていると思います。
トピ主さんの御体験は、非常に重いものなので、私にはとてもそのお気持ちは十分に察することもできないものだろうと思います。
本当につらかったですね。

ハロルド・クシュナーというユダヤ教のラビが書いた『天国に行くための八つの知恵』という本を以前読んで、その中で「許し」について、聖書の創世記などを引きながら、非常に深い考察がなされているのを読んだことがあります。

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE8%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%9F%A5%E6%81%B5-%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BBS-%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/4882741482

トピ主さんにも、ひょっとしたら参考になるのではないかと思い、紹介させていただきました。

旧約と新約については、もちろんキリストの福音の有無という違いもあるとは思いますが、旧約聖書も実は許しや和解が大きなテーマとなってこめられていると思います。
そもそも論で言えば、社会は悪いに決まっている。
だって、人間がつくっているんだよ?
堕落した人間たちが、社会を形成している。
良い方向に引っ張り上げようというのが一般意思でない限り、皆思い思いに自分たちの利益を追求するに決まっています。
社会的制裁が怖いから法を守るだけで、その制裁が来ないという確信があったら、どう豹変するか。

鳩山由紀夫を見れば分かる。
日本有数の富豪の出で、日本国首相にまで上り詰めた男でも、機会があれば脱税するし、嘘しか言わない。
そんな日本社会が、デフォルトで良い社会なわけがない。

自己の環境を全て自己の責任とする議論は、まあその方が都合が良い側からの確信的な言論が、
あるいは弱者がそう言っていれば、単に自覚のない愚か者ですが、それはさておき、
内閣総理大臣ですら人格に全く信用のおけない人物が座る社会が、良いわけがない。

…ただ。

加害者が、自分への憎悪の為に、被害者が精神的にも身体的にも健康を損なっていると知ったら、
同情するどころか、喜ぶだけでしょう。
自分の為に、加害者を赦すというのも、選択肢として、否定されるべきではないでしょう。

ゆるしなさい。あなたがゆるされるためである。
敵のために祈りなさい。

他人には「聖書にはこう書いてる」って言えるけど、いざ自分が当事者になったら頭ではわかっていても難しいですね。

やりたい放題自分の好き勝手の人生を送って、死ぬ間際に悔い改めたら赦されるんでしょう。
が、自分が意図しない突然死(事故や暴漢に襲われたり等)で即死した場合、悔い改めてる余裕がありません。

まぁ聖書が示す罪で、罪を犯してても悔い改めて死ぬ人は、恵まれてるひとだろうけど、それでしか救われないのなら、イエス・キリスト効果は少ないですね?

事件で殺される場合、悔い改めてる余裕がある人は限られてるだろうし。
>>[26]

いや、あのな。
僕は近代憲法を理解せず、愚民化教育を自覚して行っていた自民党が一番嫌いなんだが。
あいつらケイジンアンと「小さな政府」主義の立場を派閥単位で使い分けるから、派閥政治が生きていた頃は本当に始末に負えなかった。
僕は元々民主党はキ○ガイレベルぐらいにしか思ってないって…
百歩譲って、冷戦時代の民社党あたりの立場がまだ近い(改憲・高福祉という立場)。

何か、あんたがコミュを追放される理由が分かるわ。
菊池寛の「ある抗議書」は非常に納得の行くものでした。許すことはできないし、しませんね。許した方がいいというアドバイスも余計なお世話と思います。

「もしも天国の存在が本当だとすれば、『加害者天国に在り、被害者地獄に在り』です。宗教の立場から云えば、現世的な法律的な区別は、どうでもいいのでしょうが、国家の司法当局が、その現世的な職務を忘れ、『加害者を天国に送る』事を奨励し、讃美するに至っては、私の如き被害者の遺族は、憤懣に堪えないのであります。」
結果的に加害者の味方になっちゃうのは疑問ですよ。
ものすごく加害者側に都合がいい。余計なお世話と余計でない必要なお世話には歴然と差があり、クリスチャンほどその差がわからないって経験はありますね。
よくも悪くも社会の価値観とは顛倒しているから、加害者には社会的制裁が加えられることが前提で、それを踏まえて、という論理になっているわけですな。
実際には、キリスト者共同体は社会の一部だし、加害者に社会的制裁が加えられるとは限らない。
自力救済(法に依らずに自分の手で報復)というのは、法治国家では違法。

ただ、あえて言うなら、クリスチャンが何を言おうが、聖書に何が書かれていようが、
赦す赦さないは個人の自由であって、加害者を死ぬまで憎むという選択を本人が自由意志で選ぶのなら、それはそれでやむを得ない話で、
僕なんか家族がそんな目に合おうものなら、その時は一時キリスト者であることを休止して行動するでしょうな
(この間ルターの卓上語録を読んでたら、強盗に襲われた時どうするのか、みたいな問いに、ルターが、
「そういう時はキリスト者であることを一時止めて戦う」と同じようなことを書いていて笑った)。
徹底的に赦したほうがいいのか、
徹底的に殺したほうがいいのか、

・・・。

殺したらいかんでしょ?

(だったら、、あなたも殺しちゃいかんでしょ?)
(それでも、徹底的に殺しますか?)
(殺される前に、何回もチャンスあったでしょ??)

(?)

たぶん、いろいろな話が混ざっているので、ややこしいですけど、、
ややこしい話ですね。
>>[33]

>そういう時はキリスト者であることを一時止めて戦う

ルター憎めない奴
クリスチャンの怖いところは、「迫害する者のために祈れ」を実践するべく、気に入らない人間に嫌味やら毒舌やら吐いたあと、「あなたのために祈っています。」などと言うところですな。

これは「呪ってやる」という意味に解釈しております。呪いに対しては「呪い返し」の方法もありますので。

某先輩、一人暮らしの孤独な婆さんを車ではねる事故を起こして、大怪我ではなかったのですが、当然人身扱いなので何度も何度もお詫びして、慰問に通って、賠償金も払ったけど許してくれない。

許してくれないのではなく、すっかり「可愛い息子」扱いされて、しばらく顔を出さないと「足がまだ痛む」とか言い出していかざるを得ない状況となり、お気の毒なことでした。

お詫びしても、「もう、そのことはいいんですよぅ」と言っているんだけど、しばらく顔を出さないと怒る。

というわけで、人身事故には気をつけましょう(?)
東洋では、「徳をもって怨みに報いる」というのもありますが、適用を間違えると「泥棒に追い銭」になります。

聖書にもこれによく似たパウロの訓戒がありますが、目的は敵のアタマの上に燃える薪を積むことのようなので、どっちにしろ許しにならない。

会社組織では、部下が一致団結して気に入らない上司の昇進妨害をしてウサ晴らしをするというのが可能なので、その点では面白いかも。
みんな、切腹して、打ち首獄門。。
さらし首の刑!!
火あぶり、
はりつけ、
のこひき?
ひきまわし。。

昔の法律だと、、そうなってたかもしれないけど、
民衆のレベルが上がってくると、
(時代が変わると、)法律も変わる。

自分勝手、、というよりも、神様中心か、自分中心か?
自己中、、という、犯罪。
(無視される系?)
>>[40]

>みんな、切腹して、打ち首獄門。。

切腹して最後に首を落とすのは「介錯」です。

小林正樹監督の「切腹」が、フランスで上映された時に、観ていたフランス人の女性が卒倒したというエピソードがありますが、そういうアンタたちは公開ギロチンがあるとお祭り騒ぎで広場に集まってきてるんじゃないかと思いました。

トピ本文にもどって

>私は事故に遭って障害者になりました。
>生きてるだけで、辛いって気持ちが解りますか?

わかりません。当事者ではないので。申し訳ないことです。

ウチの会社に北海道支社長で東京から来た超エリートさんが約束の期限を過ぎても東京に戻してもらえないのを苦にして、自殺なさいました。その方の気持ちもわかりません。

先日、松本清張原作で何度もテレビドラマ化されている「砂の器」の映画版を見ましたが、ハンセン氏病の父親役の加藤嘉の演技も素晴らしさもあって、乞食となって放浪を続けるシーンで思わず涙しました。

なにより一番わからないのは、クラシックのCDでオリコン上位の売上を出しているのが、全盲のピアニスト辻井伸行や、全聾の作曲家、佐村河内守であるということです。
どう聴いても素晴らしい演奏または作品とは思えないので。一体、何に感動してCD買っているのでしょうか。
加害者、被害者はおいといて、

関係ない6割の人に、ちゃんと接することができるように、

さばきを放棄する。


ということで、ちゃんと、礼拝に集中しましょう?
(それは旧約も新約も一緒、心を尽くし、思いを尽くし、、)

礼拝前にうらまれているなら、

m(_ _)m

>その呪いなのか、私の母の兄弟姉妹は長兄の莫大な遺産(子供はいない)を分捕る為に、私のいとこにあたる者を勝手に(私たちには相談さえなく)養子にして数億円の遺産を全て我が物にしてしまい、私の母や当然ながらその家族には一銭も回ってきません。

そもそも、長兄さんの同意さえあればいい話なんで、当事者間で整理がついているなら第三者に相談する必要ないぢゃんw

直系でもない親族の遺産をアテにしてること自体が問題で、「貰えたはずのもの」と憤るのは筋違い。

単なる逆恨みで赦す赦さない以前の問題だなw

自分が障害者になって苦しいのと従兄弟が養子縁組をして遺産を手にしたことは何の関係もないこと。
そのナガティブで自分本位の思考こそが自分自身を苦しめている。

他人を赦すことよりもまず、「信仰」「希望」「愛(慈愛)」を持つことが大事。
四則計算も出来ない人間が因数分解で悩んでるようなもんだ。

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