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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの自然選択によって進化する宇宙とその「目的」

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http://blog.livedoor.jp/dogon23/archives/26579493.html

「宇宙論的自然選択仮説(cosmological natural selection hypothesis)」は、宇宙全体における基本的なパラメータが原子・銀河・生命などが存在することのできるくらい「微調整」されているように見えることを説明するべく、1990年代に提唱された。

この仮説によれば、もし新しい宇宙がブラックホールのなかで誕生するのであれば、数ある可能な宇宙の「多宇宙」がダーウィンによって唱えられた「自然選択(自然陶冶)」にも似たプロセスで形作られ得るとしていて、結果「後続の世代の宇宙」においてはよりブラックホールがしっかり形成されるように「進化」していくという。

一匹の魚が水中を遊泳するように「デザイン」されているように見えるのと同じように、あるいは一羽の鳥が飛翔するように「設計」されているように思えるのと似たような原理で、私たちの暮らす宇宙は数々の自然法則が現在のように絶妙なバランスで成立できるよう自然選択によって「進化」してきたのではないか、とするラディカルな仮説だ。

今回、オックスフォード大学の進化理論学者であるAndy Gardner氏らは宇宙が自然選択によって進化していくプロセスや、ブラックホールがどのようにして形成されていくのかを説明するにあたって、進化遺伝学の分野において「プライスの定理(Price's theorem)」と呼ばれている基本方程式に依った。

モデル化するにあたっては、生物学の分野における『ダーウィンの適応理論』の根幹をなす数学的理論にも似た数学が使用された。ダーウィンの適応理論はもちろん、自然選択の力学こそが有機体の適応能力を最大化させるように設計し、有機体の誕生をもたらしたとする考えだ。

「この『宇宙論的な自然選択』という考えは論争を呼ぶ仮説で、この仮説が孕む様々な種類の問題がこれまで指摘されてきました。しかし私たちとしては、その基本的な進化のロジックが実際に機能するかどうかを確かめてみることに関心を抱いたのです」と論文の主著者である同大学動物学科所属のAndy Gardner氏は話している。

結果、「プライスの定理」の一般方程式は「自然選択」が遺伝や有機体のスケールにおいてのみならず、「複数の宇宙」という想像の範疇を超えるくらいに広大なスケールにおいても機能し得る、ということが示されたという。

Andy Gardner氏らは、宇宙の進化は動物の場合とは多くの点で非常に異なっていることを指摘していて、数ある可能な宇宙の「多宇宙」においては「時間にわたった変化」という概念がそもそも実在しないなどとしながらも、今回モデル化された「進化する宇宙」は、各世代が無性の細胞の「芽」から進化してきたバクテリアの進化モデルなどと、かなり似たものであるとしている。

研究はオンライン上のComplexityに発表されていて、PDFで入手可能。論文のタイトルは『宇宙論的自然選択と宇宙の目的(Cosmological Natural Selection and the Purpose of the Universe)』。

…だ、そうです。

こ、これはプロセス神学の裏づけの予感?!
ホワイトヘッド提唱の、キリスト教におけるプロセス神学は妥当なわけですな。

皆さんはどう思いますか。

コメント(30)

ホープ夫人物語より、はるかにプライスの定理の方が喧伝されそうですな。
プライスは、無神論者からキリスト者に転向(改宗)したわけで、目出度し目出度し。

素晴らしい話ですな。

まあ、同じようなキリスト教的宇宙論であるインテリジェントデザインと大して変わらないとかどうとか、
あるいは別に人間が存在しているのだから、人間が存在するように自然選択されて宇宙が形成されたに決まっているとかどうとか、
まあ、色々意見もありましょうが。

キリスト教にとって宇宙とは何か。
皆さんはどう思いますか。
>>[1]

>キリスト教にとって宇宙とは何か。

トピ趣旨そのものが難しくてよくわかりませんが、まぁブッダだったら「無記」であって考えもしないでしょうが、キリスト教にとって神は外在的なものですから、被造物であるとしか答え得ないと思われます。

昨今、ごく自然に「宇宙意識」のようなものが信仰対象になっているようなので、かつてローマ帝国が異民族の種々雑神をまとめあげるのにキリスト教を使ったように、現代の諸宗教統合に使えるかと思います。
>>[2]

宇宙そのものを神とみる汎神論、
自分の内部に神があるとする神秘主義、
宇宙とは隔絶している外在論、
宇宙の働きに神が宿る考え。

果たして、これからのキリスト教に相応しい宇宙観はなんだろうな、と思いまして。
>>[4]

最近ブルーノに多少興味ありまして、彼の提示した宇宙のモデルなんかもそうですが、
空間そのものの神格化って、良く考えたら、「場所を聖別する神」ヤハウェの原点みたいなものだと思いまして。
旧約聖書の後期に書かれた祭司文書では、もう意味不明な概念になっていて、全部「主の栄光」という言葉に置き換わってますけど
(お陰で、新約聖書じゃ、ただモーセの顔を光らせただけみたいな扱いになってますが)

汎神論的なものじゃなくて、宇宙を「満たしている」神って、後にロックとかも考えるんですけど、
これはこれで面白いかな…
宇宙自体を有機体と考えるのはプロセス神学もそうですし。

でも、形而上学的な神って、概念としては長生きしないんですよね。
人格的な神が生きるか、完全に死んでしまうか、どっちかになってしまう。
不思議なものです。
>>[10]

別トピでもありましたが、キリスト教の神信仰というのは、二つ系譜があって、
一つは、内在論。
神との合一とか、まあ神秘主義的な系譜。ルター以前で言えば、エックハルトやヨハネ系。

もう一つはアリストテレス哲学に端を発した、始動因としての神。
よーするに第一原因としての神、第二原因としての自然法則という、いわゆる「哲学者の神」。
まあ、外在論としての神ですな。

前者は敬虔主義になって、後者は理神論へ変化していきましたが、理神論は別トピで書いたように自然科学へと発展的解消し、有神論は前者へと吸収されていきました。
まあ、インテリジェント・デザインとか頑張っている連中はいますが。

ヨーロッパ大陸では、汎神論論争と無神論論争というのがあって、
十八世紀後半には、汎神論論争というのが当時の最高レベルの知識人を巻き込みました。

この時代には、スピノザは戯画化されていて、スピノザ主義を告白したレッシングを、ヤコービが啓蒙思想諸共批判したのが発端です。
つまり、ヤコービは、汎神論は合理主義的無神論になる、と主張したのですな。
日本の神道などを見ても分かる通り、必ずしもそうではないのですが、当時はそういう論争になった。

で、十八世紀末に無神論論争があって、フィヒテが無神論の咎でイエーナ大学の哲学講座から放逐されるに至った論争。
まあ、1940年代に、無神論者を公言したラッセルが、反道徳的だとして批判された論争と似てますが。

で、まあ論争そのものはさておき、この時、ヤコービがフィヒテに送った書簡で、ニヒリズムという概念が初めて哲学的に使われるわけですな。

つまり、
「…人間はそうした選択(二元論)の機会を持っている。
それは次のような単純な選択、つまり無か神か、というものである。
無を選ぶなら、人は自分自身を神にする。
すなわち、彼は一つの幻影を神にするのである。

なぜなら、もしいかなる神もいなければ、人と人を取り巻く全てが単なる幻影ではないとすることが不可能だから。
繰り返すが、<神が存在し、かつ私の外に存在し、生きた存在でありそれ自身で存在している>(注:理神論を指す)か、
それとも<私が神である>かである。
第三の道はない」

まー、つまりカントやフィヒテの観念論は、人間を神にするという危険を冒す、というもの。
危惧した通り、神の内在化というのは十九世紀に生きて、自由主義キリスト教と、イズムとしての科学「崇拝」の土壌になりました。
当時は定常宇宙論が常識となっていて、二十世紀に至っても、アインシュタインは「宇宙の始まり」という第一原因を想定させる考えを嫌って、膨張宇宙論を嫌ったとか
(まー、アインシュタインは宇宙項の導入とか、量子論の否定とか、割りと古典力学の枠内でしか考えられなかった人物なのですけど)。


で、結局、膨張宇宙にしろ何にせよ(まさかさんが言うように、ビッグバンの最初の提唱者はベルギーのカトリック司祭兼天文学者ですが)、
宇宙が変化するなら、終わりがどうであろうか、ということが話題になるわけで。

つーわけで、ビッグリップというモデルがありますな。
膨張を促すダークエネルギーの強さ次第だと、宇宙の膨張速度はどんどん加速し、銀河間の距離は発散し、計量は無限大になる。
それどころか銀河という形態さえ保てなくなり、終焉の一秒間で、分子や原子までが破壊されます。
いわゆる、時空の終局点を迎えるわけです。

で、宇宙の膨張速度は加速していることが分かっているわけですな。
ビッグクランチするかどうかは宇宙項の数値次第ですが、しかし、観測データとしては加速している以上、ビッグリップという形で宇宙が終わる可能性がある。

進化のプロセスは、大型化から奇形化して自滅、とか誰かが言ってましたな。
何だか嫌な未来予想図です。
だから、ビッグリップを終焉モデルとして予想するなら、
宇宙の「目的」は死。
しかも、素粒子さえ形成出来ないほどの、単一かつ一様な状態で時空の「果て」を迎えること。

地球で一番安定している環境というのは、砂漠なんですな。
一度砂漠になったら最後、緑化するより砂漠のままの方がよほど楽。

自然現象、特に進化や変化に「目的」や必然性を想定するのは、科学的にはご法度ですが、
しかし、敢えて後付で人間原理を想定し、かつ、その人間が、そういう未来を予測するなら。

そこにはニヒリズム以外の何物も無いとは思いませんかね?
>>[15]

しかし、観測者のいない宇宙なんて、どーでも良い事だと思いません?
「全可能世界実在論」というのを主張する人もいますが、
観測者が存在しない宇宙を、人間が実在していると考える理由が、少なくとも科学的にはない。

で、観測出来る宇宙の終焉は、割りと「何もかも無へ」が可能性として、決して低くない。
必死になって地球環境を保とうが、生命倫理を守ろうと努力しようが、待ち受けているのは、ただの無、というのは、心情的には空しい話ですなあ…
だから、これは実証は出来ないですが、定常宇宙論に拘った科学者たちは、
神や生命(魂)の永遠性を、宇宙の方へ心情的に寄託していた部分があるのではないか、とか思ったりします。
前者が仮説として肯定出来ないから、後者に思いを馳せた。
アインシュタインなんかまさにそんな気がしますね。
彼は自分の心情を制御していれば、恐らく世界で最初に膨張宇宙論を提示できた人物ですし。
私は前者のアリストテレス系です。

最近では佐藤勝彦先生とホーキンスの本、それと佐藤文隆先生の本を読んでます。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%8B%9D%E5%BD%A6_(%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%80%85)
勝彦先生はホーキンスの訳者ですしね。
まあ、宇宙生物が現れたときの人間の信仰の変化は現れたときで考えるとして
(ルターやメランヒトンなら、そんなことは考えるだけで火あぶりだとか言うかもしれませんが)、

仮に、人間のような、有機生物の進化の果てに信仰を獲得するような知的生命体だけではなく、
たとえば珪素なり何なり、違う原理で進化した知的生命体が生じても、
その生命体は、もちろん地球のそれではなくて、彼ら独自の、何らかの信仰を持つのでしょうか?
基本
「宇宙の始まりがあったのか、そして宇宙はいかに始まったかのか、という問題は、記憶に残る限り、歴史を通じてつねに議論されて来ました。・
基本てきには、二つの思想の流派がありました。あまたの古い伝承や、ユダヤ教、うリスト教、イスラム教といった宗教では、宇宙はかなり近い過去に創生されたものととらえられてました。・
一方、宇宙に始まりがあったとする考えを好まない、ギリシア哲学者アリストテレスのような人々もいました。始まりがあったとすれば、それは神の介入を暗示したからです。
そういう人々は、宇宙や人類は、過去も未来も、永遠に存在するという考え方を好みました。永遠なもの方が、創造されねばならないものよりも、より完璧だという訳です。」(「ホーキングの最新宇宙論」p52以下)
しかし、どちらをとっても宇宙は静的で不変であるという前提にあると続きます。
「静的で不変な宇宙にあっては、宇宙が永遠の昔から存在しているのか、それとも過去の有限な時点から創生されたのかの問題は確かに形而上学や宗教の問題でした。どちらの説を取っても、そのような宇宙は説明できます・
ところが、19世紀になると、地球も含め、宇宙のすべてのものが、実は時間と共に変わりつつある証拠が、次々に発見され始めました」
地質学者の地層の研究による化石の形成が数億から数十億かかるという発見と物理学者ポルツマンによる、熱力学の第二法則の発見が上げられます。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B3%95%E5%89%87

アリストテレスは創造の第一原因という用語を用いるが、創造自体は否定的ともとれる。
創造論を展開したのはキリスト教の護教学等
アリストテレスと聞くと、フランスの文学部を思い出しますね。みんなリセで学んで私だけが一人芸でパッパラパーを殺ってました(^^;。
メタフジカはラテン語だし。今は彼らもフランス語しか読めないようですが
プロテスタントはギリシアですが。なかなかありません。
アリストテレスはギリシア原典は下記のサイトに登録すれば読めます。今のところ変なメールも来ません。https://philpapers.org/rec/ARIATM-2
>>[27]
>聖書の神が創造神になったのは、バビロン捕囚の頃だとか。

モーセ5書の形成とのつながりが強く、バピロンにあった神話を利用しているところからバピロンの神学校ないし集会で話し合われたと思います。
最終的には残留していた人々と話し合い成立したと思います。
このあたりはHDSでオリエントとヘブライをやっている先生に聞かないと(^^;。
読んでいて、スジが通っていて面白いなというサイト見つけました。
あくまでも読み物ですが。
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-29/

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