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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの神の実在とキリスト教における奇蹟の認識

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基本中の基本の疑問かもしれませんが、神という超常的存在と、聖書やキリスト教史における奇蹟について、クリスチャンの方々は事実として認めているのでしょうか!?
それとも、聖書におけるイエスやモーセやエリヤやソロモンやダビデは、歴史的存在ではなく創作された人物なのか、聖書に記述された奇蹟も創作された、或いは比喩的に表現された事象と捉えているのでしょうか?
無神論者からは当然絵空事だとの指摘を受けるでしょうが、クリスチャンも内心は架空の事と考えているのでしょうか?



コメント(84)

>>[40]

いやあ、それは、どこぞの妖怪好き・民俗学好きの人の文章を読んだりしている内に、
潜在意識に刷り込まれた結果じゃないですかねw
>>[42]
主の平和!
おはようございます。

>イエスが洞窟か暗い屋内のようなところで書き物をしている

イエスの時代、ユダヤ教の一会派がガラリア湖の崖の洞窟を中心に活動しました。
私もイエスが湖を下に見下ろす洞窟で多少荒々しいグループと会食する夢を見ましたが。イエスは部屋があったかも。
熱心党です。メシア運動団体とか?
書きながら何かいわれませんでしたか。
これは「イエス福音書」とか?
主の平和!
書き込みありがとうございます。
啓示の書き込みは少なく感謝します。
洞窟に青い光ですか。
Wiki から
「洋の東西を問わず古代には青色は日常と異なった別世界の色とされる傾向があり、・・『旧約聖書』では翻訳による色彩用語の変遷が大きいものの[34]、神の足元もしくは玉座には青いサファイアがあった[35][36]」

主が書き物ですか。
字はアラム語だと思います。
しかし、イエスが書いたものは残ってません。
自分では重要なものは書かなかったか、書いたものが後の時代の教会に会わなかったかだと思います。
いずれにせよ、啓示、召しかも。
>>[51]

4人以外には見えない、って段階でダウトと言いたい話ですけど、
信じちゃいそうですか?

限界超常ファイルでとりあげたら、
ファティマ同様な扱いを受けそうなネタですが、
どの要素が「信じてしまいそう」なのか教えていただけますか?
>>[54]

ガラバンダルは、同様の集団幻覚の中でも、
わかりやすい「インチキ」に見えるので、
聞いてみました。

4人だけに見えるっていうのも、眉唾ものですし、
口から何かを出して見せるような、
「子供でもできる手品」をやっている時点で、
確信犯です。

もし本物の奇跡なら、
「常識的に不可能なこと」
真夏に雪を降らせるとか(もちろん気象的に可能な状態ではない上で)、
もっと極端に、海の魚を大量に降らせるとか、
そういった「まずできないこと」を予言とともにやって見せてからだと。
ちょっとした手品で「奇跡を演出する」のは、
それが本物の奇跡ではない証拠だと考えています。
>>[51]

カトリックの教義内での伝統的習慣(トリエント・ミサ時代の風習、祈り、断食、ゆるしの秘跡、聖体拝領など)という枠内のことを、顕現したとする絵画や聖画カードなどに描かれた姿かたちをした何者かは警告し、また、カトリックの信心行を求めますね(笑)

そして、お決まりのカタストロフィへの警告(笑)



>>[51]

ローマ教会的には奇跡だと思います。
教会の信仰を宣教しているし。


しかし、反共主義の聖母?
ヨセフスの証言の一部見たいに他教徒とかならわかりますが?
>>[58]

母マリアは革命的かと
ルカ福音書 口語訳
1:51主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
1:52 権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、
1:53 飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

まあ、4人は当時ならレッドバージだが。
イエスは勿論、革命的です。
ルカ福音書
4:18 「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、
4:19 主のめぐみの年を告げ知らせるのである」

エルサレム入城の前の食の夢を見たことがあります。
勿論、私は現代の日本人ですから参加はしなかったですが。
>>[60]
ルカの伝えるイエスのメッセージは当時では現代以上に反逆で、小菅ならす府中刑務所の囚人を解放、目の不自由な人は癒せないが、打ちひしがれる、被疑者を解放?
話を少し戻して、旧「自然神学」による神の存在証明について。
下記がまとまっていると思います。
https://information-station.xyz/7944.html

自然を神学する、自然を科学し神学する立場は、マクグラス先生の立場です。
確か似た考え方がサイトに?
かなり信仰的先入観が先立ちますが、下記。
https://information-station.xyz/7944.html
>>[63]

先に結論を述べて論証ではなく、最初に自然を科学して、その原因として結論するべきかと思いますが、結論は同じかと思います。
>>[63]
会社、宗教団体の報告としては良いと思いますがが
こういった神学からの回答もあるようです。
試し読み付
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A7%E3%82%82%E7%A5%9E%E3%81%AF%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B-%E2%80%95%E3%80%8C%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E3%80%8D%E3%82%92%E8%AA%BF%E3%81%B9%E3%81%9F%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-Big-Box-Little/dp/4264023564
>>[62]

神が神をしてご自身を啓示されない限り神については何も証明できないし、知り得ない。

罪ある人間の理性は決して神を見出し得ないし、まして見出し得ない神の実在を証明しえない。

また、それができるという人間は、哲学という言葉遊びや頭脳ゲームをしているだけであるとわたしは思いますけどね。

>>[67]
>神が神をしてご自身を啓示されない限り神については何も証明できないし、知り得ない。

「何も証明できないし」を除けば、私もその通りだと思います。
 
神が神をしてご自身を啓示されない限り神については知り得ない。
>>[69]

ローマのパラティーノの丘で発見された1世紀末?-3世紀ごろに書かれた「アレクサメノスの掻き絵」(Wikipediaにも出ています)なんかも神の子ではなく、神との記述ですね。

ユダヤ人の宗教(迷信)に対して、ローマ人たちはこの東方の蛮族は、その迷信の神殿でロバの頭を拝んでいたと考えていましたね。

タキトゥスの「同時代史」(「年代記」の方ではない)にそのは術はありますし、またキリスト教も同じ迷信を信じて居ると思われていたのはテルトゥリアヌスの「護教論」にも出て来ます。

「アレクサメノスの掻き絵」に出てくるロバの頭を持った十字架にかけられた神とそれを拝むアレクサメノス、そして絵の横には、「アレクサメノス、彼は神を拝んでいる」と書かれた掻き文字などは、ローマ人からキリスト教徒の拝む神は、あの奴隷や銃犯罪者の架かる十字架にかけられたユダヤの神と映っていたのでしょうね。

訂正

>にその術はありますし

にその記述はありますし

>あの奴隷や銃犯罪者の架かる

あの奴隷や重犯罪者の架かる

ヘレニズム世界だと、人間が神になる、つー概念は自然だから、
パウロみたいに、神と神の子を分けようとしたのが逆にヘブライ的過ぎるんでしょうな。
復習のために「奇蹟」をwikiから転載します。
まず、学問的な見解を書き、次に経験的な見解を述べたいと思います。
**
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E8%B7%A1
キリスト教における奇跡
聖書にはモーセやエリヤやイエスなどがさまざまな奇跡を行ったと記述されている。
キリスト教のうち、正教会、カトリック教会、さらに聖公会・プロテスタント内の福音主義は、福音書(『新約聖書』)に描かれていること、たとえばキリストの処女降誕、病者の治癒、死者の蘇生、キリストの肉体的復活などについて、キリストの生涯においては超自然的な出来事が起きたとする(イエスの奇跡も参照)。神自身が関わっているしるしとされ、人々を信仰へと導くものである。それに対し自由主義神学系の聖書学者は、それらを奇跡とは認めず、信仰上のイエス・キリストと史的イエスとを分離するアプローチを可としている。
人間にはできないことをするために聖霊が遣わされ、その人の救いのために必要な行い(すべきことやしてはならないことなど)を示す、との教えがある。カトリックでは使徒時代以降の聖人の身に起きたと伝えられる様々な不思議な出来事の一部について、神とのつながりのしるしと認めるものもあるが、近・現代の出来事については教会法に奇跡の真偽判定の厳格な手続きを定めており、滅多なことでは奇跡とは認めず、ほぼ全て留保または却下するという。各国の教区内での起きた 信仰に関わるような不思議な出来事について、奇跡認定のための申請がヴァチカンに多数提出されてきたが、定められた手続きによってほぼ全て 奇跡認定が留保・却下されたという。ただし19世紀にベルナデッタ・スビルーにおきた出来事(「聖母の出現」や泉での難病治癒)についてはアレクシス・カレル(ノーベル賞学者)などが何度も調査した結果などもふまえて奇跡と認定したという。
**
同じく、「イエスの奇蹟」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B7%A1
**
「イエスの奇蹟」に分類されているが、大きくは「自然奇蹟」と「癒し(神癒)」に分けられてきた。
最近では奇蹟は現象と信仰を分けて研究されている。
昔の僕は真面目だ…

五年前の自分の文章を読んでびっくり。

まさに奇跡。
>>[74]
.>たとえばキリストの処女降誕、病者の治癒、死者の蘇生、キリストの肉体的復活などについて、キリストの生涯においては超自然的な出来事が起きたとす
**
処女降誕、死者の蘇生、キリストの肉体的復活、水上歩行、水がワインにが自然奇蹟で、病者の治療が癒し
学問的には自由主義神学のいう通りです。誰にでもいつでも再現しない。

経験的には病者の治療、死者の蘇生、肉体的復活はありうると思いますが。
死者の蘇生は、例えば溺死者の蘇生(^^;、キリストの復活は霊肉二元的には(^^;
あと、神の実在、カトリック的には結婚の秘蹟の結婚

一番疑っているのは処女降誕
まあ、「近すぎて見えない奇蹟があるね〜」という杏里の歌もありますから、奇蹟は身近に
>>[75]
残念ながら、それは科学です。科学の事柄かと思います。
>>[83]
科学が進んだら、人類が作り出せないスーパーエネルギーが神だったとか、スーパーエネルギーが物質に転換したとかはありそうですが。

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