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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの天皇制・神道はサタン

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正しいプロテスタントの立場に立てば、天皇制・神道はサタンであり、日本はサタン国家です。
サタン国家日本を滅ぼし、福音日本を建国しましょう。

コメント(1000)

>>[960]

上流階層にその手の輩はまだいるらしいとは聞きますな。

平成時代、ある外務官僚の妻が家に天皇の写真を飾っていたとかどうとか。
真偽は知らない。
>>[951] 美智子は少なくとも公式にはカトリック教徒ではありません。美智子がアキヒトと結婚する際、カトリックの洗礼を受けているとすれば問題だという声もありましたが、受けていないということで問題なしとなりました。
ただしカトリックは秘密の洗礼を認めており、ヒロヒトも秘密の洗礼を受けたと主張する人もいます。

河信基『二人のプリンスと中国共産党 張作霖の直系孫が語る天皇裕人・張学良・習近平』(彩流社2015年)

>>[952] 国籍や民族が何であろうと、天皇制や神学について議論してはいけないわけがありません。
>>[962]

そうだ。

早い話、カトリックみたいな邪教に汚れず、
天皇以下全ての皇族がルター派に改宗し、
ルター派が日本の国教になれば解決。

田中上奏文みたいな偽書をトロツキーの人柄(笑)を理由に真実だというようなアカたちは、
東ドイツかソビエトみたいに教育刑かカウンセリングの対象だw
11月の「大嘗祭の問題を考える」チラシがきました。
片柳先生と高橋先生が担当で日基教団阿佐ヶ谷教会で開催のようです。私はチェスの試合ですので行けないと思います。
片柳先生は初期アウグスティヌスの研究者で、高橋先生はデリダの脱構築を呼んだことあります。

大嘗祭は人間宣言以後は意味があるのかと思いますが。神だけでなく、祭祀就任も?
天皇制度については、民主主義、共和主義がいきたわってからでないと新全体主義の可能性があり、暫定支持してます。
昭和天皇、戦争への「反省」表明望む 初代宮内庁長官「拝謁記」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190819-00000020-mai-pol

終戦後に初代宮内庁長官を務めた田島道治が在任中の昭和天皇とのやり取りを詳細に記した文書を残していたことが明らかになった。昭和天皇は戦争への強い反省の気持ちを1952年5月の独立回復式典で表明しようと考えていたほか、独立前後に再軍備や憲法改正の必要性に言及するなど象徴天皇となった後も政治的な意見を首相に伝えようとしていた。宮内庁が編さんした「昭和天皇実録」に含まれていない内容も多く、昭和史を考える貴重な資料となりそうだ。・・
・・・
>>[966]
反省会はいいのだが、「憲法改正」の建議?
象徴性の意味をご理解されてなかったようだ。
>>[967]

八月十五日革命とやらのフィクション性にトドメですなw
>>[968]

社会制度の問題でなく、天皇の意識の問題なので八月革命説には影響ないかと思えます。むしろ、その天皇の意思をとどめた新しい社会の仕組みを評価すべきかと思います。
>>[969]

別段、革命が起こったわけではないですなw
>>[972]
いわば、日本においてよくある「上からの」革命です。
>>[973]

ならば否定せねばならないのではw
>>[975]

不要だ。
嫌なら皇籍を離脱すれば良いのだし。
>>[977]

そんなのは、親族や家族の問題だ。
主権者たる国民の知ったことではない。
>>[979]

総理や有識者がいくら言っても、本人や家族の意向が固まってたら折れるしかないでしょうな。

所詮、家族の問題だ。
眞子が地位やカネを捨てて小室某と駆け落ちしたら、そりゃ本人の意思を尊重せざるを得まい。
>>[981]

駆け落ちされたら仕方あるまい。

>>[983]

日本の皇族は知らないが、
英にウィンザー公という人がいましてな。

この人は後にヒトラーの工作に乗って復位する気満々でしたが。
>>[965]
「象徴天皇制の哲学」(田中久文、青土社、2018)

大嘗祭は天皇の私的祭祀とされる。少し引用します。
kindle版、1641、以下
「天皇制の本質が祭祀にあるという考え方は 、水戸学以来根強く存在する 。事実 、戦後宮中祭祀はすべて天皇の私的な行事とされるようになったが 、今日でもそれは天皇の重要な務めとなっている 」。
「 近代の宮中祭祀は 、一九〇八 (明治四十一 )年に 「皇室祭祀令 」として法制化された 。しかし 、それによってすべてが国家儀礼とされたわけではない 。即位の礼 、大嘗祭 、大喪の礼以外は皇室内部の儀礼とされたとみることもできる ( 6 8 ) 。しかも 、近代の宮中祭祀のほとんどは明治になって作られたものであり 、しばしば 「創られた伝統 」であることが指摘されている 。ただし 近代の宮中祭祀は 、一九〇八 (明治四十一 )年に 「皇室祭祀令 」として法制化された 。しかし 、それによってすべてが国家儀礼とされたわけではない 。即位の礼 、大嘗祭 、大喪の礼以外は皇室内部の儀礼とされたとみることもできる ( 6 8 ) 。しかも 、近代の宮中祭祀のほとんどは明治になって作られたものであり 、しばしば 「創られた伝統 」であることが指摘されている 。ただし 、敗戦後はその 「皇室祭祀令 」も廃止され 、宮中祭祀はすべて天皇の私的な行事とされている 。したがって 、法的な裏付けは存在しないのであるが 、しかし 、いまだに天皇の本質を祭祀に求めようとする考え方は根強く存在する 。 、敗戦後はその 「皇室祭祀令 」も廃止され 、宮中祭祀はすべて天皇の私的な行事とされている 。したがって 、法的な裏付けは存在しないのであるが 、しかし 、いまだに天皇の本質を祭祀に求めようとする考え方は根強く存在する 。 」
「 天皇の本質が祭祀にあるとしたとき 、問題は何を祀るのかということにあるのではなかろうか 。宮中祭祀が行われる皇居内の宮中三殿をみてみると 、中央の 「賢所 」は最高の神殿とされ 、三種の神器のうちの一つである神鏡が祀られている 。神鏡はアマテラスを表すものとされ 、三種の神器のなかでも最も重んじられるものである 。向って左側の 「皇霊殿 」には歴代の天皇 、皇后 、皇妃 、皇親の霊が祀られている 。また右側の 「神殿 」には天神地八百万神を祀っている 。要するに近代の天皇が祀っているのは 、皇祖神 、皇族と日本の八百万の神々である 。」
>>[985]
コトバンク
知恵袋
天皇が即位後初めて行う新嘗(にいなめ)祭。新嘗祭は、収穫を祝い五穀豊穣(ほうじょう)を祈る式典で、その年の新穀を神に供えて天皇自らも食す行事。中世に一度途絶えたが、その後復活した。明治以後、新嘗祭の祭日は11月23日と定められ、1948年以後、現在の勤労感謝の日として受け継がれている。
大嘗祭は、旧皇室典範には記されていたが、47年に日本国憲法と同時に施行された現在の皇室典範には定めがない。また、宗教性の強い儀式であるとして、政教分離の観点から国費で行うことを疑問視する意見もある。90年の前回は、国から皇室の公的活動に支出される宮廷費約22億5000万円が使われた。法的根拠を持たない大嘗祭の実施に批判的な声も多く、日本弁護士連合会会長やキリスト教系大学の学長らによる声明や、国費の支出などを違憲とする訴訟が相次いだ。
今回は、2019年11月14日から15日に予定されており、政府は「極めて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」として宮廷費を支出する方針を決めている。これに対して、秋篠宮さまが、国費で行うべきではないとの考えを宮内庁長官らに伝えたが検討されなかったことを、18年の誕生日を前に行った会見で明らかにした。
(原田英美 ライター/2019年)
>>[985]
新嘗祭 コトバンク
「しんじょうさい,にいなめのまつりなどともいう。稲の収穫を祝い,翌年の豊穣を祈願する古くからの祭儀。天皇が新穀を天神,地祇にすすめ,その恩恵を謝し,また,みずからも食する。宮中のほか,伊勢神宮や出雲大社でも行う。古くは陰暦 11月の下の卯の日に行われたが,明治以降は 11月 23日に固定した。この日を現在は「勤労感謝の日」として国民の祝日に加えている。なお,天皇の即位後に初めて行う新嘗祭を大嘗祭という。しんじょうさい,にいなめのまつりなどともいう。稲の収穫を祝い,翌年の豊穣を祈願する古くからの祭儀。天皇が新穀を天神,地祇にすすめ,その恩恵を謝し,また,みずからも食する。宮中のほか,伊勢神宮や出雲大社でも行う。古くは陰暦 11月の下の卯の日に行われたが,明治以降は 11月 23日に固定した。この日を現在は「勤労感謝の日」として国民の祝日に加えている。なお,天皇の即位後に初めて行う新嘗祭を大嘗祭(おおにえのまつり、だじょうさい)という。」
身近には多く見て、私費で1000万くらいだろうという方も多いが、公費で22億かなりの額ではある。


>>[989]

そういやさ。

天皇がクリスチャンになって、
教会で偉い立場になって礼拝の司式をしたら、
それは私的なわけ? 公的なわけ?
>>[991]

僕は思ってますよ。
ただ、日本は近代国家だから、国家の中立性に異議をとなえないだけ。

日本が近代国家をやめるつもりなら、誰がそんな原則守るか。
>>[992]
公的です。天皇には宮中の毎日の私生活以外、私的領域はない。
残念なことだが、一信徒の牧師にも、牧師館の中の生活以外はすべて牧師生活と考える方も多い。
牧師は基本は聖書講解者だと私は思う。
献金は公演、発表のできいかん。
>>[995]

ほう。

ならば、天皇が宮中で祈った場合、それは私的な祈りになりますか?
「皇室神道は、一つの日本的宗教、キリスト教はもう一つの別の、普遍的宗教と言わなければなりません。二つは本質的に水と油で、本来両立しえません。したがって、皇室神道以外に宗教的選択肢のない天皇は、天皇である限り、聖書が示す三位一体の神とイエス・キリストによる救いを信じ告白して洗礼を受けるということは、決して許されず、ありえません。天皇はキリスト教徒となりうるか、という問いへの答えは、ノーです。」「天皇がキリスト教に改宗するように祈ることは、○が×になるように祈ることです。聖書的な祈りとは到底言えません。」『キリスト者への問い』pp.80

滝元明先生も生前、よく天皇のために祈ると言っていた。しかし、天皇皇族のために祈るというなら、天皇制が廃止されて、天皇皇族と日本の国が皇室神道とそれを通して働いているサタンの呪縛から解放されるように祈るべきなのだ。天皇皇族であるままで、クリスチャンになることは不可能なのである。

天皇が皇室神道の祭儀で日本のために祈るとき、キリストの御名にによって祈っているわけではないのだから、天皇は神ならぬ偶像と地獄の悪霊を崇拝しているのであり、天皇と天皇教徒たちの宗教行為によってもたらされるのは祝福ではなく呪いであり、日本の国と、天皇皇族という呪われた一族の束縛をさらに強化する罪を犯すことになるのだ。
『キリスト者への問い』によれば、退位した明仁の妻美智子の正田家の本家は実業家で議員もつとめた地方名士であり、一族で館林カトリック教会の会員であったが、美智子が明仁の妻になったとき、一族郎党で教会から離脱した。プロテスタントの見地からはすればローマ・カトリック教会に問題があるにしても、キリスト教には違いは無いのだから、正田家はキリスト教会から離れた背教の一族ということになる。彼らは天地を創造された永遠の神ではなく、天皇と称する日本の土着宗教の祭司王を選択したのである。


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