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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの創世記の二つの版について

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創世記1章1〜2章4節a:祭司資料(P)の中で、26節「神は言われた。我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うすべてを支配させよう。」『新共同訳聖書』


この箇所の【我々にかたどり、我々に似せて】は初めて読んだ時に唯一神である神が複数であることに疑問を感じました。


古代ヘブライ語で、神をエロヒームと記述し神聖なるものは複数形でうけるとも聞きました。


また、我々は唯一神と天使たちを合わせた意味という説もありますね。


もしや、聖書のこの記述は多神教的世界観が反映されているのではないかとも少し考えたのですが、もしそうならとっくの昔に【我々】という記述を改めるはずなので誤読であると思います。


みなさんは、どのように解釈されていますか?

コメント(15)

追記と訂正。


創世紀ではなく創世記ですね。失礼しました。


創世記2章4節b〜3章のヤハゥイスト資料(J)では、またヤハウェエロヒーム、つまり主なる神という記述に変わっていますね。
>ぼむさん


お答えありがとうございます。三人称単数の考え方でいけば確かに動詞で判断できますね。ヘブル語もこれから少しずつ勉強していきたいですね。


ちなみに、創世紀1章1〜2章4節a:祭司資料(P)と創世記2章4節b〜3章のヤハゥイスト資料(J)の二つの版ということで話を展開したかったのか、これも前もって僕の考えをうまく表現しなかったことに原因があります。すみません。


つまり、資料(P)と資料(J)の作者の違いによって表現方法が違っている。しかし、同じ唯一神で見解が一致していなければならないと思いました。


>それでも、「エロヒーム」という名詞自体が複数形じゃないか、と言われたら、その通りで、異教的・多神教的名残が何らかの形でヘブライ語・ユダヤ教に紛れ込んでいるのかもしれませんね。だからといって何か問題があるとは僕には思われませんが。


僕も個人的には異論ありません。聖書は神の霊感を受けて書かれたものであるという反面、不完全な人間の手による記述・編纂の過程で多神教世界観が混入してしまったのではないかと考えてもいます。


しかし、この点に関しては、ぼむさんの仰った三人称単数の概念が、的を得ているような気がしました。ありがとうございましたウインク
ぼむさんへ


>作者が違うから表現方法が違う、のではなくて逆です。読んでみて表現方法が違っているから作者が違うのではないかと推測できるわけです。


確かにそうですね。ここで、また疑問に思うのはなぜ旧約聖書編纂過程において、ヘブル語の神という言葉をどちらかに統一せずに繋げてしまったのかということですね。でも、そのおかげで作者が違うことが推測できるようになったのも事実ですね。


また、ミシャクジさんの読まれた本は考古学的観点から分析すると多神教的要素の混在が指摘され、こるべさんのいのちのことば社の本からはキリスト教的立場から書かれた本で多神教→唯一神教の流れは有り得ないと全く反対であるということですね。


個人的には、前述したように多神教が当初に混在していても、信仰の面では特に問題を感じませんが、考古学、歴史神学、歴史哲学が別個の研究分野であることによって、様々な見解に違いが生じるのは当然ともいえます。科学的探求の学問と宗教学的探求の学問は、やはり相容れないものなのかもしれませんね。
創世記1-26や3-22で神は我々という言葉を使い、6-2では神に子らがいらっしゃることが綴られている。
我々とは神やその子らも含めた神一族を表しているのでしょうか。
>>[13]は神が「我々」と言っているのは神やその子らを含めて言っているわけではなく、やっぱりあくまでも神お一人のことを言っているのであり、一人なのに我々なんていかにも矛盾しているようだが、そのまんま矛盾であっても呑み込めば構わないのだ、というお考えでしょうか。

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