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NHK大河ドラマ紀行「光る君へ」コミュの【鎌倉殿の13人】島根県

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【鎌倉殿の13人】にまつわる島根県の史跡写真館です。

コメント(4)

後鳥羽院行在所跡(源福寺跡・隠岐神社)(海士町)

源福寺はかつて大伽藍の寺院で、後鳥羽院の行在所が設置されたが、廃仏毀釈で1869年にすべてが焼かれ廃寺となった。島根県が1939年、紀元二千六百年記念事業で隠岐神社を創建した。
綱掛の松(海士町)

明治初期までこの地は海岸で、船はこの地にあった松につながれたと考えられる。そこで後鳥羽天皇を乗せた船も、この松につながれたと想像されることから「綱掛の松」と呼ばれた。現在は枯れて、切り株だけになっている。
後鳥羽天皇御火葬塚(海士町)

後鳥羽上皇は火葬され、上皇の宝飾品と遺灰と遺骨をそれぞれ3つの瓶に入れて埋め、目印に後鳥羽院神社が創建されたが、時が流れ、神社が創建された経緯はわからなくなっていった。
1874年、上皇の御霊を水無瀬神宮に奉遷したため、後鳥羽院神社は廃されることになった。土中の瓶が発掘され、1番上が上皇の宝飾品、2番目は誰かの遺灰、となると3番目は伝承のとおり上皇の遺骨だろうと思い、発掘者は3番目を開けずに3つの瓶を全部埋め戻した。こうして、後鳥羽院行在所跡にある神社跡は、後鳥羽上皇の火葬塚ということになり、現在は塀で囲われ宮内庁が管理しているが、ここは天皇陵ではない。後鳥羽天皇稜は、京都の大原にある。
村上助九郎邸(村上家資料館)(海士町)

村上氏はこの地の豪族で、代々助九郎を名乗った。後鳥羽上皇の世話と監視を命じられ、上皇没後は今日まで御火葬塚守部を続けている。

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