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ホメオパシー問題を考えるコミュの代替・統合医療に逆風

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先日の助産師の行き過ぎたホメオパシー偏向によって新生児が死亡したことに続き、

ホメオパシージャパンに捜査の手
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1335354&media_id=2

今まで代替・統合医療推進を掲げていた民主党副大臣も、
「統合医療と称する偽薬が普及し、国民の健康に大きな悪影響を与える蓋然(がいぜん)性が高まりつつある警鐘だと思っている。大変適切だ」
と変節の発言。

そもそも、科学的という見方が、限られた範疇のもの見方で、全体性の科学ではないのだが、ここのところの旧体制的な権力による裁断は、民主党の党首選での偏ったマスコミ報道、時期的に不可解な検察権力の介入と類似した、無辜のものを納得させようという教育傾向を表している。

この流れであれば、フラワーレメディにも捜査の手が入ってもおかしくあるまい。

以前、鳩山前首相がヒプノセラピーを保険適用にしたい、と語ったことが立ち消えになった。
西洋医療に比べて、ヒプノのどこに危険性があるというのか証明できずに反論する輩と同様、
怪しいと思う固定観念に囚われ、その部分に焦点を当てれば当然怪しいという視点でしか見なくなるものだ。

もっとも、ホメオパシージャパンの件は報道によると薬事法違反ということで、
「錠剤の説明書などに、特定の病気に効果があると誤解を与える表記が見つかり」
ということなので、それは当然のことである。

ホメオパシージャパンの経営体質や教育の質が問われるべきなのは、
疾患名はアロパシーの視点からの区分けであり、
ホメオパシーはそれとは全然別の視点からの区分けをしているはずなのだから、疾患名を記載すること自体がホメオパシーとは別のものになっているという点である。

それは、本来心理について知らないフラワーレメディの講師が、
片手間の心理療法やカウンセリングと並存させてフラワーレメディの使用を教えることとも同値の感がある。

統合医療に関するセミナーを開く側が、くだらない権威を持ちたがると、旧権力からのこのようなしっぺ返しで、古くて新しい可能性をつぶすことになってしまう。

元来ホメオパシーは、個人が自己責任で行うべきで、それゆえの手軽さであり、売薬と同じ扱いでアドバイザーの説明が必要という規定でよさそうである。

医療界からの政治支援をちらつかせた圧力により、医療の自由がなくなるのは残念である。

『薬事法は、同法で承認されていないものを医薬品であるかのように広告することを禁じている。都によると、この錠剤は「食品」に分類されるにもかかわらず・・・』
食品に分類されるのであれば、当然、アロパシーと共存して良いであろうが、ホメオパシーが権威を持つことは、既成の権力からは許されないであろう。

コメント(198)

>>149
> 科学哲学に踏み込むようなことを不用意に書いたところがあり、
> それが批判されたと理解していますが、
> ここでは、それを避けるような形で、
> 科学の内部の話に絞って話しているからです。
 いやいや、前半部分の、2005 The Lancet の解釈や
後半の心理学の実験デザインの話題などは
科学の外縁に関して発言してるじゃないの。
147:の後に149:が書ける神経が私には理解できない。

世の中にはいろいろな人がいるよね。
>>147(きょんきち)

すごい揚げ足取りですね。
「心理学一般の話については答えられない」と言ったつもりだし、
それについては今も変わりません。
その「心理学一般」というのが、「心理学のすべての実験」なのか、
「心理学のすべての事例」なのかそんなに重要でしょうか?
「事例」と言ったところで、「標本」という意味ではなく、
実験全体を事例と言っているのは自明だと思いますが、
そもそも、その違いが厳密に求められる文脈だったのか疑問です。

それから私が言っているのは、心理学が科学かどうかとは別です。
特に途中で詫びと訂正をした後については、心理学そのものの正当性を疑っていると
思われるような書き方は避けてきたと思います。念のため。
>ABYSSさん

えっと、kikulogの話を出している方は、
私にkikulogと合わせて整合性のある答えを求めているのでしょうか?
kikulogには、今では正しくなかったと思っている内容も書いていますし、
観点も違うので、整合性がないところもあると思います。
そのうち、どれがこの議論と矛盾せず、どの議論が矛盾するかを
一つ一つ検証するべきだとおっしゃるのなら、
(そうとう時間がかかる作業だと思いますが)検討します。

ただ、もし、「こいつは人格的に話す必要がない人間だ」と言われるのなら、
その方との対話は無理だと思うので引きます。
kikulogの話を出す方は、
どちらの立場で言われているのか明確にしていただければと思います。

ちなみに、議論としてはとりあえず保留になっていますが、
「実証できないことは、科学的に否定される」…(a)は、
絶対にありえません。
実証できなかったことが、
実験デザインを変えたり、新たな技術が開発されたことで、
科学的に示されるということは良くあります。
もし、これは正しいと思わてれいる分野があるというのなら、
非常に興味深いことですが、
それは単にその分野が特殊だというだけではないかと思います。

ただ、私としては、(a)のような常識的な話を講義してもおもしろくないので、
そこから補助的に出てきた議論の一つで、私としてもちょっと自信のない論点である、
「薬物療法の臨床研究における、
心理的効果は客観的に否定することも肯定することもできないので、極力排除される」…(b)
という考えについてうかがっていたところです。
こちらについては「常識的」とまで言うつもりはありませんが、
今のところ、皆さんの説明の中に(b)を否定する論拠はないと考えています。

(b)で言っていることは、
下図で(1)と(2)を分離できるかどうかという話です。

治療を受けたという自覚―(1)→本人の言動・自覚症状の変化→医師の診断の変化
           |              ↑              ↑
           (2)――――――――→内在的変化―――――――――        

これを客観的に分離できない以上、
(1)も(2)もまとめて排除するしかないというのが、
二重盲検の考え方だと理解しています。
もし、これができるのなら、客観的な水準で臨床応用可能な
プラセボ効果の使い方についての研究ができるでしょう。
そこで、もし、(1)と(2)を分離できるというな研究、方法論があるなら、
教えていただきたいと思っているのですが、あるのでしょうか?
>「実証できないことは、科学的に否定される」…(a)は、
> 絶対にありえません。
> 実証できなかったことが、
> 実験デザインを変えたり、新たな技術が開発されたことで、
> 科学的に示されるということは良くあります。
俺や(多分)Abyssさんが主張してるのは、
「もうこれ以上条件を変えても、実証されないだろうと
高い蓋然性を以って言える事は、科学的に否定されたと言える」
って事です。
それは科学の外縁問題ですから、内側から何か言える事ではなく
科学哲学の範疇です。
> のりねこ@autn. sysさん
なるほど、のりねこさんの文章から言いたいことを汲み取って差し上げられなかった私に問題かあるとおっしゃるわけですね。
言葉にいちいち厳密にならずに、もっと柔軟に文脈からのりねこさんのおっしゃりたいことを推測して欲しいと。
なるほど、まだ言葉に厳密になるのは難しいみたいですね。
私なりに対話の努力をしているつもりなんですけれど、なかなか難しいですね。

そして結局のところ、心理学全体(「一般」は多義的らしいので使いません)の話はできないということですね。
しかし一部については十分に語れると。
全体に通じる話はできないけれど一部についての話ができるというのがどういうことなのか、私には難しくてなかなか理解できません。
再度、これまでのコメントなどの文脈からのりねこさんの「当たり前」を探り、おっしゃりたいことを推測してみますが、それがお気に召さないものだと「揚げ足とり」と否定されてしまいますね。
> のりねこ@autn. sysさん
私の「心理学が科学を目指していないと思ってらしたんですね」というコメントは、「そうお考えだったなら今までの心理学研究に対する誤解に基づく論理展開も理解できますよ」という感想めいたものです。

科学を目指していない戯言を体系的に知る必要など感じられないし、何となくのイメージでも否定できると判断できると考えたくなりますよね。
重複しますが、そういう誤解は大変よくあることです。
そう感じてのねぎらいコメントだったのですが、お気にさわったようで失礼しました。

研究者であれば、自分の見識が不適切であれば適切な知識を求めたくなるのではないか、長谷川さんの論文はそれにうってつけではないかと思ったのですが、これは私の「当たり前」でしたね。
心理学が意外に小難しいとわかると距離を起きたくなるという反応もまた、初学者にはありがちです。

だんだん、のりねこさんの研究者としてのポジションが分かってきたような気がします。
> きょんきちさん

「心理学一般」について主張するつもりはないと言うことに、
まだ納得していただけないのでしょうか。
心理学のあり方について論じるような発言をしていたとしたら、
それについては撤回、お詫びしますし、
今後、そうした発言をしないように気をつけます。

ただ、>>162の最後で書いたような問題を考えるのに、
心理学全般の知識が必要なのでしょうか?
私は、心理学は、こうした問題を解決しないと
理解していましたが、
それが間違いだというのなら、ぜひ教えていただきたいです。

ご指摘の論文は、私の心理学についての言及の間違いが
分かるものだということですので、
話が落ち着いたら読んでみようと思っていますが、
取り急ぎ読む必要があるのか(読まなくても議論を続けて良いのか)は、
その論文が>>162の解決になるのかどうか次第だと思います。
> ご(゚∀゚)o彡゚ご〜さん

> 俺や(多分)Abyssさんが主張してるのは、
> 「もうこれ以上条件を変えても、実証されないだろうと
> 高い蓋然性を以って言える事は、科学的に否定されたと言える」
> って事です。

「実証されないだろうと高い蓋然性を以って言える」と言ったときの、
蓋然性の理解の仕方の違いだと思います。
そして、もし、そうだとしたら、おっしゃっていることも分かるような気がします。

ある種の科学では、「分からないこと」が広大な領域として残るので、
「科学ではそれは分からない」とせざるをえません。
こうした分野では、条件を探すことが、砂漠の中から宝物を探すようなものです。
たとえて言うなら、何トン分の砂を探して見つからなかったとしても、
それだけでは「宝物が存在しない」とは判断できないのと同じように、
いくら条件を変えても、実証されないという蓋然性を得られないのです。

(補足:ちなみに、特定の効果が「ない」(一定レベル以下)ことを実証できる場合はあります。
ホメオパシーの物質的効果はこちらに当てはまります。
「実証されない」「実証できない」というのは、
こういう問題とは別だということを確認しておきたいと思います。)

もちろん、「実証されないだろうと予想されることこと」はありますが、
この予想は科学的、実証的なものになりようがありません。
たとえば、ビッグバンは神によるものだという仮説や、
物理法則は神が作ったのだという仮説は、
将来にわたって実証的に肯定も否定もされないと予想されます(少なくとも私はそう思います)が、
実証されないという蓋然性そのものを科学的に判断できません。
将来、新しい理論が発見されるという可能性は科学的に否定できないので、
やはり科学的な問題になりえないわけです。

「確実に言えること」で閉じた体系を作っていこうというサイエンスでは、
「実証できないことは分からない」、たとえば神の存在は「分からない」ということになりますが、
「経験的に予想されること」で、「おそらく正しいこと」の体系を作っていこうという
サイエンスでは、
「どうやっても実証できないと予想されることは、否定される」と考えるのだと思います。
この当たりの立場の違いというのはあるでしょう。

つまり、冒頭の引用における「蓋然性」の解釈に2通りあり、
厳密に解釈する立場(ご(゚∀゚)o彡゚ご〜さん)と、
厳密に解釈する立場(私)があるということでしょう。
また、「科学」と言っても、実は2つあり、
「確実に正しいことの科学」と
「おそらく正しいことの科学」があるということだとも言えます。
ご(゚∀゚)o彡゚ご〜さんと私は、別の「科学」について議論していて、
そのために話がすれ違っていたと、
考えることができると思うのですが、いかがでしょうか。
のりねこ@autn. sysさま:

>そこで、もし、(1)と(2)を分離できるというな研究、方法論があるなら、
>教えていただきたいと思っているのですが、あるのでしょうか?

ABYSSさんも言われているように、生理学的指標を用いれば良いだけの話でしょう。

それとも、心理学研究では生理学的指標は用いないとでもお思いでしょうか?
>>167
> 別の「科学」について議論していて、
> そのために話がすれ違っていたと、
 君の言う所の蓋然性は、一般的な言葉の用い方としては
「必然性」とするべき。
科学の外縁問題を無視して、
君が一方的に自分の定義を正しいと主張していたからすれ違っていた、
いや、すれ違っていたというより、
君だけが明後日の方を向いて走って行ったというべきか。

それから、
> 実証されないという蓋然性そのものを科学的に判断できません。
 これも、蓋然性と必然性を混同している。
>162
>えっと、kikulogの話を出している方は、
>私にkikulogと合わせて整合性のある答えを求めているのでしょうか?

いいえ。あなたの論者としての資質を検証しています。
(詭弁を弄していないか、知っている事を知らないふりをしていないかなど)

既にWikipediaの二重盲検の記事について認識していながら、ここでその記事を踏まえた話(心理学に二重盲検が使われている)にならなかったのは何故なのかとか。

150と153に回答できますか?
それは、
>kikulogには、今では正しくなかったと思っている内容も書いていますし、
>観点も違うので、整合性がないところもあると思います。

じゃ全く説明が付かないんでね。
蓋然性
ある事柄が起こる確実性や、ある事柄が真実として認められる確実性の度合い。確からしさ。これを数量化したものが確率。(from Goo辞書)

どこの辞書引いたって、ほぼ同じことが書いてあるよ。
2つの意味なんてない。

日本語をまず勉強したほうがいいかも。
> のりねこさん

> 心理学一般」について主張するつもりはないと言うことに、
> まだ納得していただけないのでしょうか。

すでにコメントしたとおり、他者のコメントを否定する理由として「心理学だから」というものを持ってきたのに、心理学に関する議論に対して「心理学全体に関するコメントはできない」と応えるのはスマートではないと感じますが、今ののりねこさんのレベルを考えると仕方ないんだろうなと思います。
ですから、「納得」はしておりませんが無理してお返事は求めません。

私が一番最初にのりねこさんに質問した時は、てっきり、のりねこさんは心理学について一部とか一般とか全事例とかそういったことを問わずに議論できるだけの知識はお持ちなんだろうと勘違いしておりました。
誤解しておりましたことをお詫びいたします。
心理学に関する知識どころか科学の捉え方、さらには日本語まで共有の程度がここまで低いと、対話も難しいと思います。
大変でしたね。
無理なリクエストをしてしまって申し訳ありません。

> 心理学のあり方について論じるような発言をしていたとしたら、
> それについては撤回、お詫びしますし、
> 今後、そうした発言をしないように気をつけます。

無知ゆえですから仕方ないですよ。
私は、自分の「当たり前」に基づく発言を不適切だと指摘された際の対応として求められるのは、その「当たり前」を疑い、「客観的資料に当たって」発言を修正・補足することではないかと思うのですが、のりねこさんのご専門分野では違うみたいですから、それは要求しません。
現在問題となっているのは「心理学」のあり方ではなく「科学」のあり方ではないかというのも気なりますが、これものりねこさんが語れるレベルではないと理解いたしました。

> ご指摘の論文は、私の心理学についての言及の間違いが
> 分かるものだということですので、
> 話が落ち着いたら読んでみようと思っていますが、

いや、そんな気合を入れて読まないといけない難解なものではありませんよ。
難解なものをのりねこさんにお勧めするわけがないでしょう。
私だったら、自分のコメントに対する反論に関連しているものであれば思わず夜を徹して読んでしまいますが、「これは自分には必要ない」と切り捨てるのも一つの適応スタイルですね。
研究者としての成長は抜きにして、メンタルヘルスの保持には大切でしょう。

今の私ののりねこさんへのメッセージは、「色々買いかぶって難しい質問をしてしまってごめんなさい。大変でしたね。いつか私のお伝えしたかったことが伝わるといいなと思います。でも無理は申しません。ゆっくりお休みください。」ということです。
「心理学だけでなく科学全般について語るには不十分でした。これから勉強したいという気持ちだけはありますのでよろしくお願いします。」とまとめたら楽になるのになあと思いますが、今はとんがって暴れたくなる時期でいらっしゃるようなので、無理は申しません。

色々書いても「専門が違うからあなたの話はわからないし私の話はあなたに通じない」となっちゃうんでしょうねえ。
>169(ご(゚∀゚)o彡゚ご〜さん)

あなたの言う「蓋然性」の方が一般的ではないと思います。
ただ、そういう使い方もあるかもしれないので、
とりあえず、そういうものとして受け入れるという意味で言いました。

蓋然性について、網羅的な列挙というわけではありませんが、
ハードサイエンスの分野での蓋然性の例として少なくとも以下のようなものが挙げられます。

1 統計的蓋然性→統計的に確からしいということ
2.説明的蓋然性→ある理論や理論上の存在を想定することで観察が説明できたり、予測できたりすること。
(波動関数、クオーク、エーテル、フロギストン)
3.操作的蓋然性→理論上の存在に対して、操作可能であることによる蓋然性
(電子、電磁気、遺伝子、温度)

これに対して、あなたの言う蓋然性は、

4. 実証できないと思われることは否定されるという蓋然性

ということですね。
ハードサイエンスでは、4を含めなくても科学の体系が成り立つので、
普通は4を蓋然性に含めません。
普通に考えたら蓋然性に入れても良さそうな4を入れないことで、
ストイックに「確実に言えることだけを言う」というところにハードサイエンスの特徴があると思います。

もちろん、科学者が個人的な生き方の中で、4を踏まえている場合はあるし、
その一線を越えた発言をする科学者もいることはいますが、
それは、科学そのものと区別されているのが普通です。
「神が存在しない」ということは科学論文にはならないわけです。

ただ、ご(゚∀゚)o彡゚ご〜さんの言うように、
4を含めた「広い意味での蓋然性」を踏まえて広義の「科学」と言うこともできるでしょう。

そこで質問なのですが、心理学では、
4を含めないと、体系が成り立たないような理由があるのでしょうか?
あるいは、4を含めない(ハードサイエンス的な)蓋然性だけでも、
学問上は問題ないが、
別の理由で4を蓋然性として採用するのでしょうか?

差し支えなければうかがえると幸いです。
>>170(ABYSSさん)

> 既にWikipediaの二重盲検の記事について認識していながら、
> ここでその記事を踏まえた話(心理学に二重盲検が使われている)にならなかったのは何故なのかとか。

質問には答えませんが、話の流れの確認をします。

元々の話は、薬物療法の心理的効果は、二重盲検で説明できない(のではないか)という話です。
これは本来、心理学の実験で二重盲検が使われているかどうかと無関係の話です。

ところが、この説明をするのに、「心理<学>的効果」と書いてしまったり、(>>67)
薬物療法の臨床試験の実験デザインにおいて、
心理的効果を調べる実験を無理やり組もうとすると、ラフなデザインにせざるをえないということを言うために、
不適切に「心理学の実験」という言葉を使ったり(>>76)したことが批判されているのだと思います。
これは、おっしゃる通り、心理学に対する誤解に基づくものでしたので、
お詫び申し上げます。
ただ、いずれにせよこれは本題とは無関係なはずです。
訂正したことをいつまでも引っ張ることにどれだけ意味があるでしょう。

> いいえ。あなたの論者としての資質を検証しています。

もちろん、「論者としての資質を検証」するのはご自由だし、
「心理学について間違った理解をしている人間と話す価値はない」と思われるのなら、仕方ありません。
ただ、私としてはそのための面接を受けるつもりはありません。
資質の判断は、すでにあるコメントでしていただき、
結果だけ教えていただけると幸いです。

>>171
> 蓋然性

「実証できないことは否定される」も蓋然性の範疇だと辞書に書いてあるでしょうか?
蓋然性については>>173で書いたので、そちらをご覧ください。
>>174 のりねこ@autn. sys さん
「蓋然性」の意味は、「確からしさ」だということみたいです。
純粋な日本語の意味としては、それ以上でもそれ以下でもなさそうです。

「実証できないことは否定される」というのはたぶん蓋然性と絡んだ話ではなくて、
科学のルール上の話である気がします。

>>167
> ある種の科学では、「分からないこと」が広大な領域として残るので、
> 「科学ではそれは分からない」とせざるをえません。
こういう気持ちもわかるのですが、だからといって、
糞も味噌も一緒にしちゃだめじゃないの? というのが、
科学と関係ない私のような一般人の願いです。

科学的に厳密でなくていいから、糞と味噌くらいは区別したい。
>「心理学について間違った理解をしている人間と話す価値はない」と思われるのなら、

誰がそんな話をしているのか。

>質問には答えませんが、話の流れの確認をします。

こういう「都合の悪いことには答えない」という姿勢が問題だと言ってるんですがね。
>>173
良いから本屋行って辞書買ってこい。
そして蓋然性と引け。
三度読め。
>>175( あつしさん)

全て賛成です。

> 「実証できないことは否定される」というのはたぶん蓋然性と絡んだ話ではなくて、
> 科学のルール上の話である気がします。

ほんと、その通りです。
それで、科学のルールのうち「蓋然性」と言えそうなものを>>173に挙げました。
だから、一般用語の「蓋然性」(辞書に書いてある蓋然性)と比べても
意味がないわけです。

> こういう気持ちもわかるのですが、だからといって、
> 糞も味噌も一緒にしちゃだめじゃないの? というのが、
> 科学と関係ない私のような一般人の願いです。

これもそう思います。大賛成です。
私の主張は、

「実証できないことは科学そのものでは肯定も否定もされない。
しかし、実証できないことは無数にあり、そんなものにいちいちかかわっていたらきりがないので、
社会的には否定される」…(*)

ということです。このような形で「味噌とクソ」は分離されるので、
科学そのもので、「実証できないことは否定される」と言う必要がないという話です。
これに対して、ABYSSさんが、「科学そのもので否定される」と主張し、
議論が始まったのです。
なので、「一般人」から見ると、どちらが正しくても結果は同じです。
いずれにせよ、ホメオパシーは良くないわけで、
その理由が違うということです。

たしかに、物理学や生物学と言ったハードサイエンスにおける科学内部のルールとして、
「実証できないことは否定される」というルールがないことは、
「一般の感覚と反している」という形で批判されます。
ただ、「ルールとしてない」ことには変わらないのです。
それは、(*)のような形で補って理解する必要があります。
>>176

遠回しに言っても分からないみたいなので、はっきり言いますが、
訂正・撤回した内容について、「なぜ、間違った発言をしたのか?」と言う質問は、
議論そのものに何の役にも立たず、時間の無駄だと言うことです。
これは、ごく普通の議論のマナーだと思います。
少なくとも、学術的な議論の場で、そういう質問を聞いたことはありません。

「あなたの論者としての資質を検証しています(>>170)」ということですが、
私はその検証について、何も弁護しようとは思いません。
今までのコメントで「資質がない」と判断されたのなら、
私にとっても議論を続ける価値がないし、
「資質がある」と判断されたのなら、議論を続けます。それだけのことです。
「都合が悪い」からではなく、「あなたのおっしゃる通り」だから答えないのです。
むしろ、最大限に都合が悪いようにご自由に想像してくださいということです。
>>178
> それで、科学のルールのうち「蓋然性」と言えそうなものを>>173に挙げました。
> だから、一般用語の「蓋然性」(辞書に書いてある蓋然性)と比べても
> 意味がないわけです。
 って俺が決めたんだからお前ら従えって話?
そうやって延々と続けるんならチラシの裏か日記でやってろって事なんだが。

 ある事象が「ない」ことを直接的に実証するのは不可能な場合が殆ど。
これは恐らくこの話題に絡んで発言している人の間でも
社会一般でも共通認識でしょう。
で、俺は今まで>>173
> 4. 実証できないと思われることは否定されるという蓋然性
こんなことは微塵も言ってないのよ。
これだから辞書持ってないヤツはな。
俺の主張は

「高い蓋然性を以て「なさそうだ」と予測される事象があり
その蓋然性が科学で担保されるのであれば
事象Aは科学的に否定されたと言っても宜しい」

という事。
この主張は科学の外縁に関する意見・立場なので、
科学そのものでこの主張の正誤を決める事は出来ない。
勿論、他の立場も尊重する。

もう一つここで俺の主張をはっきりさせておくと

「君の思うところの科学の外縁は十分理解出来てるんで、
『僕の科学が正しい科学なんです』って繰り返すだけなら
目障りだから黙っててくんないかな?」

って事ね。
勿論、君の示す科学の外縁が「なぜ正しいのか」
俺の(恐らくABYSSさんの)思うところの科学の外縁よりも
何か優れたところがあるのか説明してくれるなら
「ホメオパシー問題を考える」というコミュの目的にも適った話題と思われるので
歓迎するがね。

 ところで、>>178内の>>175の解釈は「何その曲解?」って印象を持ちましたが
あつしさんご本人から見てどうなんですか?
> ご(゚∀゚)o彡゚ご〜さん

誤解はお詫びしますが、結果としてあなたの主張は以下の通りですね。

> 「高い蓋然性を以て「なさそうだ」と予測される事象があり
> その蓋然性が科学で担保されるのであれば
> 事象Aは科学的に否定されたと言っても宜しい」

では、これから、

a. ホメオパシーには、あらゆる実験条件の下で効果がない
b. 神は存在しない

と言うとき、どういう蓋然性が元になっているのでしょうか?
少なくとも>>173の1,2,3からは導かれないので、
何らかの形で新たな4番が必要だと思います。
このときの4番は、「何となく」にしかならなず、
「狭い意味での科学」の方法論にはなりえないと思います。
もちろん、「何となく」も「広い意味での科学」に含めるというのならおっしゃっる通りですので、
批判するつもりはないのですが、この違いは重要だと思います。

ちなみに…というか、こちらの方が本質的ですが、以下の論点に移ります。

> この主張は科学の外縁に関する意見・立場なので、
> 科学そのものでこの主張の正誤を決める事は出来ない。
> 勿論、他の立場も尊重する。

そうだとしたら、やはり意見の相違はないんじゃないですか?
経験的に正誤を決める考え方もあるだろうし、
それも広い意味での科学って言えるかもしれないと言うのが、>>173です。
上のaやbは(狭い意味での)科学の内側では判断できないけれど、
「広い意味での科学」としては間違っていると言えると言うのが>>173ですが、
何が違うのでしょうか?

> 「君の思うところの科学の外縁は十分理解出来てるんで、
> 『僕の科学が正しい科学なんです』って繰り返すだけなら
> 目障りだから黙っててくんないかな?」

> 勿論、君の示す科学の外縁が「なぜ正しいのか」
> 俺の(恐らくABYSSさんの)思うところの科学の外縁よりも
> 何か優れたところがあるのか説明してくれるなら

>>173は科学に二つのとらえ方があると言う話ですね。
そして、少なくともハードサイエンスと言われる分野は、
「狭い意味での科学」をストイックに追究することで成り立っていると言っているだけです。
どちらが正しいとか、優れているということはなく、
そうした問いはナンセンスではないかと思います。
実際あなた自身、「この主張の正誤を決める事は出来ない。勿論、他の立場も尊重する」と
言っているので、議論はそれで終わりではないでしょうか?

私にはどう考えても「意見の相違がない」と感じられるのですが、まだ議論を続けたいのでしょうか?
私は議論の目標は「意見の一致をみる」ことだと思っているので、
これ以上言うことはありません。
むしろ、「科学そのものでこの主張の正誤を決める事は出来ない」ということを、
ABYSSさんに説明していただけると幸いです。
のりねこ@autn. sysさま:

まだ「蓋然性」というものを理解されていないようですね。

「蓋然性」というのは明治時代に作られた、'probability'の単なる訳語ですよ。ゆえに多くの場合、「確率」と言い換えてもさしつかえない訳です。

だから、ご(゚∀゚)o彡゚ご〜さんの言われているのは、単に

> 「高い確率を以て「なさそうだ」と予測される事象があり
> その確率が科学で担保されるのであれば
> 事象Aは科学的に否定されたと言っても宜しい」

ということですよ。
> 182

>>173の1しか認めないということですね。
そういう蓋然性という言葉の使い方はありえると思いますが、
それは、ご(゚∀゚)o彡゚ご〜さん の用語と真っ向から対立します。
そのまま適用すると、

a. ホメオパシーには、あらゆる実験条件の下で効果がない
b. 神は存在しない

とは言えないということになります。これは、確率の問題ではありませんので。
また、「電子が存在する」「分子が存在する」と考える蓋然性はないということになります。
確率の問題としては確かめられませんから。

実際には、バラライカ宮崎さんとご(゚∀゚)o彡゚ご〜さんは、
どちらが間違っているというわけではなく、
狭義の蓋然性(確率的正しさ)と、広義の蓋然性(経験的正しさ)
という用語の違いの問題と言えると思います。

まさかとは思いますが、「神の存在確率」が求められるとお考えではないですよね?
もしそうだとしたら、確率の初歩を学び直された方が良いということになります。
もちろん、パラライカ宮崎さんは心理学にはお詳しいようですので、
さすがに確率の基本は理解されていると思っています。
むしろ、「用語の違い」に気づかれていなかった可能性の方が高いと予想しています。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1344235848

まぁ、↑が一般人の確率に対する理解の現状なのだと思うと、
科学というのはつくづく理解されていないと思いますが…。

ちなみに、他の方で、もし「神の存在確率なんて、ゼロに決まっている」と思う方がいたら、
なるべく早く教えてください。
これは私からのお願いです。
(ちなみに、少なくともご〜さんがそうじゃないとは理解しています)。
神は存在するか否かを扱うのはどこの何て科学でしたでしょうか?
>>181
俺には>>173の1〜4が日本語として理解出来んのだよ。
俺もバラライカ宮崎さん同様、蓋然性を君が理解出来ていないのだとしか思えん。
坊や、良いから辞書買って蓋然性って引いて三度読め。
そして、折角の日曜だし昼寝しろ。
で、落ち着いてからもう一回おいで。
>>185

このコミュの一部の方にとっては、神は科学で扱える「蓋然性」の問題のようです(笑)。

そういう人たちに科学とは何かを説明するのは大変です。
>>187
> このコミュの一部の方にとっては、神は科学で扱える「蓋然性」の問題のようです(笑)。
大丈夫かよ?
君の耳の中の小人以外に、誰がそんな事言ったの?
>「電子が存在する」「分子が存在する」と考える蓋然性

「蓋し考えるであろう」って考えるのは誰でそう言ってるのは誰なの?
>187
ワタシへんな外人日本語へたくそでもアナタもっとへたくそね。
ずいぶん進んじまったな。
順に片づけるか。

>179
>これは、ごく普通の議論のマナーだと思います。
>少なくとも、学術的な議論の場で、そういう質問を聞いたことはありません。

学術的な議論の場で、既に知られている内容について知らんぷりをしたりする人を見たことないですからねぇ。

>むしろ、最大限に都合が悪いようにご自由に想像してくださいということです。

では私は、

のりねこ@autn. sysはkikulogで議論していた時点で、既に心理学に二重盲検が使われていることを知っていたが、それだと都合が悪いし、ここにはkikulogの議論を見ていた人はいないだろうとタカをくくって、二重盲検は心理学では使われていないという詭弁を展開した。

と理解し、そういう人という前提でツッコミを入れることにします。
異論はありませんよね。
>174
>「実証できないことは否定される」も蓋然性の範疇だと辞書に書いてあるでしょうか?

「実証できないことは否定される」の「実証できない」にはいろいろ混ざってるね。
わざとかもしれないが。

(a)「反証可能性のないもの」は否定される
 これは反証可能性がない故に否定されるのであって、蓋然性(確からしさ)は関係ない。
 否定されるというより、あらかじめ否定されている領域と考えたほうが良い。

(b)実証試験で実証できず、仮説を守るためには反証可能性がない仮説を立てるしかないなら、その仮説は否定される。

(c)実証試験で失敗した内容により、その仮説の蓋然性(確からしさ)が非常に低いと判断されるなら、その仮説は否定される。

反証可能性の話と、蓋然性の話を混ぜてはいけない。

神の否定の話。
まず、神って何?
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の神なのか、仏教の神(仏)なのか、神道なのか、いわゆる理神論の神なのか、否定のための条件は違う。

聖書の通りの神がいるというのなら、地質学により聖書の記述が間違っている事を立証すればおしまいだ。

ビッグバンに点火したのは神であって、それ以降神は全くこの世界に関与していない、理論上観測不可能な存在、という事なら、それは「反証不可能性」により否定される。
ついこの間、ホーキング博士が否定してたように。

これは蓋然性とは全然関係ない話。
> 「高い確率を以て「なさそうだ」と予測される事象があり
> その確率が科学で担保されるのであれば
> 事象Aは科学的に否定されたと言っても宜しい」

この書き方だと、揚げ足を取るだろうなと予測していたら、やっぱりとっていたw。
数学的な確率だけが確率じゃないし。

お馬鹿さんにも分かりやすいように、やさしく言えば、

科学的な検証により、「なさそうだ」とする方が自然で、圧倒的に確からしいのであれば、それは否定される。

蓋然性=確からしさ

ってこと。数値化できるできないは関係ない。

日経新聞にもホメパチ否定の記事載りましたね。

現代医学を否定する危険 科学的根拠なしに独り歩き 背景に偽薬効果と自然志向
http://www.nikkei.com/life/health/article/g=96958A96889DE3E6E5E5E2EAE1E2E3E4E2EBE0E2E3E2979EE382E2E3;p=9694E0E4E3E0E0E2E2EBE1E3E2E3

今までの経緯を踏まえて、かなり詳細な記事になってます。
プラセボ効果についても詳しい。
>> 180
> ご(゚∀゚)o彡゚ご〜 さん

> ところで、>>178内の>>175の解釈は「何その曲解?」って印象を持ちましたが
> あつしさんご本人から見てどうなんですか?
遅くなりました。_o_

> > 「実証できないことは否定される」というのはたぶん蓋然性と絡んだ話ではなくて、
>> 科学のルール上の話である気がします。
>
> ほんと、その通りです。
> それで、科学のルールのうち「蓋然性」と言えそうなものを>>173に挙げました。
> だから、一般用語の「蓋然性」(辞書に書いてある蓋然性)と比べても
> 意味がないわけです。
ここのところはどういう解釈をしてどういう意味でこう書いたのかちょっとわからないのですが、
私が書いたのは、

「実証できないことは否定される」というのは
(たぶん蓋然性と絡んだ話ではなくて、)科学のルール上の話である気がします。

ということで「蓋然性とは関係ない」といっているのに、
> それで、科学のルールのうち「蓋然性」と言えそうなものを>>173に挙げました。
どうして、こういう発言が出てくるのかはちょっと理解できませんでした。

---
> 「実証できないことは科学そのものでは肯定も否定もされない。
> しかし、実証できないことは無数にあり、そんなものにいちいちかかわっていたらきりがないので、
> 社会的には否定される」…(*)
という気持ちはわかるのですが、
実際、社会的に否定されるところまでいっていないまさにホメオパシーのような問題があるわけです。

私なんかは「蓋然性」というのは「確率」の問題じゃなくて、
これまでの科学の知見をどれだけ覆さないと成り立たないのか? という
「可能性」の問題かなと思ってます。

パラダイムシフトみたいなことはありうるだろうから
厳密に科学的に否定することはできないのかも知れませんが、
科学者が「蓋然性」がどの程度かを判断してくれずに、
「科学では否定出来ないから社会の方で糞と味噌を勝手に分けてね」といわれちゃうと、
「なんのための科学者ですか?」ともいいたくなります。

実証できない無数にあるもののうち、
社会的に簡単に肯定/否定できてしまうもの以外くらいは、
科学者にあれこれいってほしい気がします。
もう少しだけ。

「実証できないことは否定される」というのは
(たぶん蓋然性と絡んだ話ではなくて、)科学のルール上の話である気がします。

こう書いたのは、まさに、
>>178
> しかし、実証できないことは無数にあり、そんなものにいちいちかかわっていたらきりがないので、
なので、当然科学の土俵で相手にされない。

それをもってとりあえずは「科学的に否定される」といっていいかどうかという話で、
私は言っていいんじゃないの? ということを言いたかったわけです。

そこに蓋然性は関係なくて、次のステージとして、
科学では門前払いされたわけだけれども、じゃあほんとにそれはどのくらいあり得そうな話なのか?
ということを科学的知見から判断するということをやってほしいと一般人である私は思っているわけです。

この、「どのくらいあり得そうなのか?」というのを私は「蓋然性」と呼ぶわけですが、
それはきっと普通の日本語の「蓋然性」で、何か科学の世界では違うというのにはどうも納得できないです。

そしてそこでも、
今の科学を根底からドンガラガッシャンしないと成り立たない蓋然性が極めて低いものは、
「科学的に否定される」といっちゃっていいんじゃないの? ということを言いたかったわけです。

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