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高木 竜馬:RYOMA TAKAGIコミュの高木竜馬「協奏曲の夕べ」(1/26千葉市文化センター)

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コンサートを聴かせて頂き、その夜私の日記に書き込んだ感想です。他に御投稿がないようですので転記させていただきます。


わが国におけるロシアピアニズム、イグームノフ楽派の希望の星である高木竜馬。7歳よりウラディーミル・アシュケナージの妹エレーナ・アシュケナージ女史に師事して今に至ります。その14歳の天才ピアニスト高木竜馬がオーケストラピアノ版による2曲のピアノ協奏曲に挑みます。

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日時:2007年1月26日(金)19:30開演
会場:千葉市文化センターアートホール
演奏:高木竜馬(ソロピアノ)
   塩地亜希子(オーケストラピアノ)
曲目:ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」
   リスト「ピアノ協奏曲第1番」

主催:財団法人 千葉市文化振興財団
助成:独立行政法人 日本芸術文化振興会
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だと思って行ってみましたら、ナンとまだあったのでした。コンチェルトを二曲弾いて尚、まだ弾き足りないといった感じです。凄いことになりました。

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プロコフィエフ:10の小品集op.12より第7曲《前奏曲》
リスト:巡礼の年・第2年より《タランテラ》
ラフマニノフ:幻想的小品集より第2曲《前奏曲》op.3-2
ショパン:練習曲集op.10より《革命》
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これはアンコールではなく正規のプログラムです。プログラムノートの曲目解説も高木竜馬みずからの執筆です。それがまた内容の濃い解説になっているのでした。その文は詩的ですらあります。

ステージに登場した高木竜馬は、数ヶ月前に会った時よりかなり身長が伸びていました。どこまで伸びるのだろうか。ズボン丈を演奏会のたびに調整しなければならないことでしょう。きっと手もいっそう大きく伸びているはずです。

その大きな手から紡ぎだされたラフマニノフ「第2協奏曲」の響きの、輝かしく深く強いこと!テンポが早めでしたから終楽章の成り行きが若干心配でしたが、それも何とかクリアーしていました。私の杞憂に終わったようです。それにしても、あのテンポでも弾ききってしまうのですから唖然とするばかりです。これならば次回はさらにじっくりとしたテンポで聴いてみたいものです。

休憩を挟んでリスト「第1番」。ラフマニノフを聴きながら、彼のリストはきっと凄いだろうなぁと思い浮かべていました。まさにその予想をも超えたリストでした。第1楽章の豪放磊落と評するしかないスケール感は、これが14歳の少年なのかと訝しくさえ思いました。響きの深さと透明感は尋常でなく、さらに終楽章は痛快。爽快なリズム感は聴く者を快感に導きます。「天馬空を往くが如き」とはこのことです。しかしこの凄腕ピアニストは、R15指定の「愛ルケ」もまだ観られないのですよね!彼の前では歳だけとる自分が恥ずかしくなります。(笑)

リストが終わるとすぐにオーケストラピアノが片付けられて、ソロが始まりました。プロコフィエフ、リスト、ショパンが見事な出来であろうことはご想像の通りです。特にリストの捌き方は凄かった。どのように込み入ったフレージングでも響きが濁ることが無いのです。またショパンでは鋭角的に斬り込む所でも、音色には温もりがあるのです。不思議なことです。ところがラフマニノフの前奏曲嬰ハ短調。彼がその屈折した叙情を澄みきった響きで深々と表現するさまを聴いたとき、この少年の音楽表現力の多彩さに徒ならぬものを感じました。日本人ピアニストにこのように優れた才能が出てきたことを、率直に喜びたいと思います。

高木竜馬も人の子です。この季節柄、風邪にやられて寝込み、練習再開できたのはつい先日とのことです。これからもいろいろな不測の事態が出来することでしょう。しかし優れた才能は必ず世に顕れるものです。

[付記1]
「千葉市文化センター・アートホール」は癖のない素直な音響のホールでした。コンサート専用ホールと、多目的ホールの妥協点をコンサートホール向きに振った設計なのでしょう。三鷹の「風のホール」や「紀尾井ホール」など中小のコンサート専用ホールに有り勝ちな、独特の癖のある響きではありません。トッパンホールがその点では理想的な音響ですが、ここも悪くないと思いました。優れたピアノリサイタルや室内楽演奏会にもっと使われて良いホールだと思いました。

[付記2]
竜馬さんのラフマニノフ演奏には二つの相貌が現れていたように思います。彼がラフマニノフ作品に強い共感を感じていること。特にそれは「前奏曲」の深く屈折した叙情性を見事に表現していたことからも明らかです。あのような表現は、彼のような少年がどんなに練習してもできることではないと思うのです。ピアニズムの技術的な習熟だけでは如何ともし難い領域かもしれません。しかし竜馬さんには持って生まれたラフマニノフへの「適性」があるのでしょう。自然に引き合う「親和力」のような何かが。

もうひとつの相貌は、ラフマニノフの音色感です。第2協奏曲での輝かしくスケール豊かな響きはそれ自体は文句を言えた義理など無い立派なものです。ところがこの曲の音色に潜む、というより本質的に切り離せないのが「哀しみ」という特性です。その「哀しみ」を表現する音色という点ではこの日の竜馬さんにはやや欠けていたと私は思うのです。(もし竜馬さんがそれを排して表現したかったということでしたら、私のこの指摘はお門違いですから謝ります。)

このラフマニノフ作品の「哀しみ」は「切なさ」でもあります。こうした情感をまだ14歳の竜馬さんに求めるのが場違いであることは承知の上での指摘です。しかしいずれは望めるでしょうし、望まなくてはならないとも思っています。ラヴェルの「左手協奏曲」のグロテスクを突き抜けた果ての向こうに潜む不条理な「哀しみ」とも違う、健康的で高貴な情感です。その両方の「哀しみ」を表現するピアニストは世界でも数は少ないけれど、しかし名の有る無しに拘わらず確実に存在するものです。私の身近では小川典子がその代表的な一人です。ピアニズムはその表現をする為の一手段にすぎません。

コメント(3)

書き込み有り難う御座います。
これからも、応援していきたいと思っております。
 たくさんのご示唆を頂戴し、本当に有難うございます。

 『「哀しみ」は「切なさ」でもある。』。『グロテスクを突き抜けた
果ての向こうに潜む不条理な「哀しみ」とそれとは違う健康的で
高貴な情感(としての「哀しみ」)』。そして『ピアニズムは
その表現をする為の一手段にすぎない。』
 昨晩本人は、真剣な表情で何度も読み返しておりました。

 技術としてではなく、哀しみや切なさを感じる心で、
音楽と真正面から向き合っていく人生を歩んでくれたらと、
切望しております。

 28日の小川典子さんのコンサートは、息子も千葉で小さな
コンサートがあって行けませんでした。貴重な機会だったのに
残念でした。
 カンタータさんが、自ら管理されている
「ピアニスト小川典子」さんのコミュニティです。
必見です !!
 
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=303568

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