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高木 竜馬:RYOMA TAKAGIコミュの“ ウィーンからの風 ” 高木竜馬 ピアノリサイタル Bチクルス 楽曲解説

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             “ ウィーンからの風 ”
            高木 竜馬 ピアノリサイタル
       〜 江副浩正氏の天に昇り逝く魂魄に捧げます 〜
 
 B チクルス 2013年 2月16日(土)/ 17日(日)/ 23日(土) 午後2時 開演

              プログラム
       フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
         アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII-6
       ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
         ピアノソナタ 第31番 変イ長調 作品110
       フリデリク・フランチシェク・ショパン
         「子守歌」変ニ長調 作品57
       フランツ・リスト
         「愛の夢」〜 3つのノクターンより 第3番 変イ長調 S.541-3
       フリデリク・フランチシェク・ショパン
         ピアノソナタ 第3番 ロ短調 作品58

           Ken クラシックライブハウス
       千葉市若葉区西都賀5-11-7 / 090-6191-5888

               

              楽曲 解説
                             高木 竜馬

    フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732 オーストリア ローラウ 〜 1809 ウィーン)   
           アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII-6
 この変奏曲は、ハイドンにとって極めて重要な二人の人物の死を、悼んだ作品です。その一人はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト。もう一人はマリア・アンナ・フォン・ゲンツィンガー夫人です。多くの「交響曲」と「弦楽四重奏曲」を作曲し、『交響曲の父』や『弦楽四重奏曲の父』と尊称されるハイドン。ピアノ音楽においても、「ソナタ」やこの「変奏曲」を始めとして珠玉のピアノ作品群が、綺羅星の如く各々の美を競い合います。1766年から90年まで、名門エステルハージ家の宮廷楽長の座にあり、初の英国演奏を大成功で終えるなど、ヨーロッパ中から作曲と客演の委嘱が絶えない、高名な音楽家でした。この頃、ウィーンでその偉大な音楽の人生を歩み始めたベートーヴェンも、ハイドンに教えを請い、最初の3つのピアノソナタを、ハイドンに献呈しています。

 最もハイドンを敬愛したのはモーツァルトであり、『パパ・ハイドン』と呼び、私淑します。1780年代初頭から始まった二人の交流は、対照的な性格ゆえに、音楽歴史上稀に見るほど美しいものでした。ハイドンの「6つの弦楽四重奏曲 − ロシア四重奏曲作品33」に、感銘を受けたモーツァルトは、それに応え『ハイドンセット』と呼ばれる「6つの弦楽四重奏曲」を、ハイドンに献呈しています。『高名にして最愛なる友よ、ご覧下さい。ここに私の6人の子供達をお送りいたします』と書き添えて。しかし、英国演奏の栄光の1年後に、突然モーツァルトの訃報を受け取ります。その死に心を痛めたハイドンは、この作品を書き上げ、その筆写譜を『敬愛するバルバラ・フォン・プロイアー夫人の傷心を慰めるために』と書き添えた上で、モーツァルトの高弟であったこの夫人に贈ります。

 もう一人のゲンツィンガー夫人とは、1789年に出会います。残念ながら、「悪妻」という名のカノンを書くほど、妻には恵まれなかったハイドン。女性としての理想像を、具現化したようなゲンツィンガー夫人の魅力は、ハイドンの心を、捕らえて離しませんでした。しかし、その愛は結実することはなく、夫人の早過ぎる死によって、終わりを告げます。誰に対しても朗らかで、常に微笑を忘れなかったハイドンも、密かな心は孤独の哀しみに引き裂かれていました。光の裏に隠された影。微笑みつつ、そっと流す一筋の泪のようなこの作品には、儚くも気高い「美」が、宿っています。

 この作品は、「ヘ短調の主題」と「ヘ長調の主題」との、異なる2つの「主題」で構成される「二重変奏曲」です。A−B−A’−B’−A”−B”−A−コーダ の形式で、それぞれの「主題」の「変奏」が進むにつれ、楽音の量が増えていきます。「ヘ短調の主題」及びその「変奏」は、二人の死を悼み、深い悲しみを抱きつつも、その魂が天へ昇るさまを、見上げているかのようであり、「ヘ長調の主題」は、それぞれとの幸福な想い出を述懐するかのようです。最後は、ハイドン自身の打ちひしがれた魂の叫びを、そのまま音に移した激しい「コーダ」を経て、再びヘ長調に転じ、二人が逝ってしまった運命を受け入れ、すべてを天に委ねたかの如くに終わります。ハイドンは、この箇所にラテン語で『laus Deo(神からの祝福)』と、そっと書き込みます。天に昇った二人の魂魄が、神に祝福された姿を、確かに見届けたかのように。

      ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770 ボン 〜 1827 ウィーン)
            ピアノソナタ 第31番 変イ長調 作品110
 ベートーヴェン51歳の1821年に完成したこの円熟のソナタは、数少ない後期作品の中核をなし、「第30番 ホ長調」「第32番 ハ短調」と併せ、『ベートーヴェン後期ピアノソナタ三部作』と畏敬の念をもって呼ばれています。この「三部作」以降、かの有名な 「ニ短調 交響曲 第9番《合唱》を完成させるや、ベートーヴェンの筆は、もっぱら晩期の「弦楽 四重奏曲」の孤高へと向います。

 この曲が作られた前年から、ベートーヴェンは聴力を完全に失ないます。6年後にベートーヴェンの命を奪った肝臓病の症状である黄疸も発症し始めるなど、健康状態も思わしくありません。しかし、この時期にベートーヴェンの描いた音楽は、全く厭世的なものでないどころか、その多くが、希望や歓びや温かさをもって、曲を終えています。この作品においても同じです。あたかも私たちそれぞれが心に抱く希望の歌を、私たちに代わって、天に届けてくれるかのような主和音で、華やかに曲は結ばれます。ベートーヴェンが自ら生涯を懸けて、紡ぎ続けた音楽の軌跡によって生まれた曲たちが、後世の人々にとって歓喜の記念碑的作品になることを、信じて疑わなかったかのように。     

 22歳の若き青春の日に、ハイドンの導きにより、生まれ故郷ボンのワルトシュタイン伯爵の助力を得て、ボン宮廷から奨学金でウィーンに移りました。そして、ウィーンの象徴であるシュテファン寺院の楽長 ヨハン・ゲオルグ・アルブレヒツベルガーから、「厳格対位法」と「多重フーガの技法」を、徹底的に学びます。それから30年の永き時を経て、遥かに人知を超えるまでに進化した『ベートーヴェンの対位法とフーガ』は、この作品を鮮やかに織りなします。晩期、「厳格対位法」と「フーガ」の研究と更なる発展に、挑戦し続けたベートーヴェンの偉大なる軌跡は、特に「フーガ」において、この作品の第3楽章に、見事に結実します。全楽章を通じて、高度な書法と至高の音楽性に包まれたこのソナタは、眩いばかりの輝きを、人類に向かって放ち続けています。

  第1楽章 / Moderato cantabile molto espressivo ソナタ形式 変イ長調  ベートーヴェンのピアノソナタ中、唯一 モデラートの「第1主題」を持つこの楽章には、ピアノソナタ第28番のようなとても美しいメロディが与えられています。冒頭4小節には、「序奏的主題」が置かれていますが、これは第1楽章のみならず、全曲を支配している極めて重要な「主題動機」です。そして5小節目から主部が始まり、「第1主題」が奏でられます。まるで積極的で明るい性格の全てを、包含したようなこの主題からは、ベートーヴェンの天賦の旋律性が、尽きることのない泉のように溢れ出ています。その後、下降音形の32分音符のアルペジオ動機により推移部に入りますが、この動機もまたその後の発展につながる重要なものです。「第2主題」は、半音階を交えたオクターブ進行により、左右両手が呼応しながら進んでいきます。展開部では、序奏的主題の形が崩されることなく、「第2主題」から引用された地の底を這い回るような左手に支えられながら、巧みに移調しつつ再現部へと向かいます。再現部では、右手が「序奏的主題」を、左手が32分音符のアルペジオを用いて、2つの「主題動機」を見事に融合し再現します。「コーダ」は、32分音符のアルペジオが提示部と同じ主調でクレシェンドされつつ奏され、その後 subito p で「序奏的主題」と「第2主題」が、感動的な再会を果たし、曲は閉じられます。

 第2楽章 / Allegro molto ヘ短調  主題は、4小節×2で構成されていて、第1グループが p で不気味に「順次進行」していくのに対して、第2グループは、「跳躍進行」を含む f で、決然と力強く提示されます。「不気味さ」と「決然」は、その後の展開でも、代わる代わるに登場します。中間部では、右手は下降音形で、左手は、単音による上昇音形をとって ff と p で、行きつ戻りつ奏されますが、決定打を得られないまま、消え入るように、「主部」の「再現」へと向かいます。「主部」が「再現」され「コーダ」に入ると、ヘ短調の和音が力強く奏されますが、突然のヘ長調の救済により、第3楽章へと向かいます。

  第3楽章 / Adagio ma non troppo - Fuga. Allegro ma non troppo フーガ 変イ長調  後期ベートーヴェンの真髄とも言えるこの3楽章は、「哀しみの歌」を中心とする Adagio の第1部と、偉大な「フーガ」が展開される「歓びの歌」の第2部とに分かれます。第1部は、自由な形式をとった「過去への郷愁」であり、第2部は、綿密に計算され尽くした神性さえ帯びるが如き厳格な「フーガ形式」を誇る「未来への希望」です。極めて自由な形で書かれている第1部は、レスタティーボを取り入れるなど、自己の内面に深く問いかけるかのように曲が進んでいきます。変イ短調による「哀しみの歌」は、晩年のベートーヴェンの苦悩と哀しみが歌われています。この歌が終わるや否や、微かな希望の光が差し込み、いよいよ変イ長調による偉大なるフーガが始まります。3声部の「フーガ」は、堂々と顔を挙げ胸を張り、静かにゆっくりとですが、着実に希望の地へと私たちを導きます。しかし、盛り上がりを見せたところで、苦悩がとり憑いて離れないかのように、再度「哀しみの歌」がト短調で奏されます。その中にあっても、装飾音符を巧みに扱い、哀しみの中だからこそ光る美しさが表出されます。「哀しみの歌」が終わると、ト長調の主和音が『神々のコラール』のように響き渡り、ふっと霧が晴れるかのように、「フーガ」の主題の逆行形が登場します。拡大と縮小を自在に繰り返し、徐々に推進力を増して、全曲は、ついに『希望の変イ長調』で、天の祝福を受けます。

  フリデリク・フランチシェク・ショパン(1810 ポーランド ワルシャワ近郊 〜 1849 パリ)
            「子守歌」変ニ長調 作品57
 『ショパンの子守歌』の名で知られる、溢れるばかりの美しさに満ちたこの名曲は、1844年に作曲されます。この時代、ショパンは『パリ社交界の華』であった男装の女流作家ジョルジュ・サンドと生活を共にし、夏は、サンドの領地であるフランス中部のノアンに滞在するのを常としていました。サンドとはリストの紹介で知り合い、38年冬には、彼女の庇護のもと『マジョルカ島の冬の大豊作』を迎えます。「ソナタ2番」「プレリュード」の数曲、「バラード第2番」の改定稿、「軍隊ポロネーズ」「スケルツォ第3番」などを書き上げるなど、『創作のミューズ』はショパンとともにありました。更に、その豊作期をも凌駕する日々が、この『ノアン黄金期』です。39年からの「ノアンの館」での生活に安らぎを覚え、幾つもの「ワルツ」「マズルカ」「即興曲」などの珠玉の小品を初め、「英雄ポロネーズ 」2つのバラード「第3・4番」「幻想曲」などの代表的作品を、次々に書き上げていきます。その『ノアンの円熟期』の作品が、この「子守歌」と「ソナタ第3番」です。44年には、ポーランド独立運動の『音楽の戦士』として祖国を旅立って以来初めて、姉のルドヴィカとも再会を果たします。ショパンは、その絶頂期をサンドとともに、ノアンで迎えるのです。

 「子守歌」という標題は、初演に先立つ試演の際に、改訂された時に付けられました。元々の題名は「変奏曲」でした。「変奏曲」とはいっても、冒頭の2小節で提示される左手は、曲を通してほぼ同じ形、変ニ長調の基音である変ニ音を軸に、�鵯度から�鶩度で半終止する音型で奏されます。このように、左手に和声機能をもたせずに、オスティナートとし右手が展開させる手法は、バロック時代に多くの作曲家が用いた「パッサカリア形式」と、捉えることが出来ます。対蹠的に、右手のメロディは変化に富んでいます。左手の2小節の独奏の後、4小節で「主題」が提示されます。その後、ショパンの「変奏」の技法と、達人的な「即興演奏」の技術による『天才の閃き』が、全曲の随所に散りばめられていきます。4小節の「主題」から展開される、それらの「変奏」は、変幻自在に姿を変えながらも、全曲は「ゆりかご」の中の優しさに、包まれたままです。『安らかな絢爛に彩られた』、数々の「変奏」を経ると、分散和音による緩やかな下降音型を通過し、曲は、やがて帰るべき安息の地である「主題」へと向かい、眠るようにして、曲は閉じられます。

      フランツ・リスト(1811 ハンガリー ライディング 〜 1886 バイロイト)
       「愛の夢」〜 3つのノクターンより 第3番 変イ長調 S.541-3 
 クラシック作品中、最も有名な曲の一つである、このリストの「愛の夢」は、元々はソプラノ及びテノールのための独唱歌曲として、1843年に作曲されたものです。その歌詞は、ドイツの詩人フェルディナント・フライリヒラートの19歳の時の詩集「愛しうる限り愛せよ ― O lieb, so lang du lieben kannst」に基づいています。この詩は、実はフライリヒラートの父が死去した際に書かれたものであり、男女の愛ではなく、広義の人間愛を、謳ったものです。

 50年には、リスト本人の手により、3つのピアノ独奏版に編曲されます。歌曲版を作曲した頃のリストには、マリー・ダグー伯爵夫人との蜜月が終わろうとしていたゆえにか、厭世的な無力感さえ感じられます。しかし、その7年後のこのピアノ独奏曲版は、すでに偉大なるピアニストとしてヨーロッパにその名を轟かせた後の作品です。しかも、48年にはその『華麗なる演奏活動』さえも休止し、ヴァイマール宮廷楽長に就任して、作曲に専念します。この『リストの作曲黄金期』がもつ、格段の華やかさと、劇的なまでにドラマティックな効果が、この曲全体を、艶やかに彩っています。

 曲は、「三部形式」で書かれています。全体を通して、この上もなく美しいメロディとそれに花を添えるかのような内声の分散和音とが、優しく奏されます。冒頭には、Con affetto(優しく、愛情を込めて)、dolce cantando(甘美に、歌うように)と指示されており、そこからはもう、優美な曲想が聴こえ始めます。「呈示部」の「第1部」では曲想が示され、カデンツァ風のパッセージを経て「中間部」であるロ長調の「第2部」へと移ります。幾分、動きと情熱を伴った楽想は、興奮を高めて行き、右手の音域は上がりオクターブへと変化し、左手の激しい下降アルペジオを経て、ホ長調の ff のドラマティックな場面を迎えます。この場面で、フライリヒラートの詩が『いかなる時も その人を悦ばし いかなる時も その人を嘆かせるなかれ』と高らかに謳われます。その後、エンハーニック転調が用いられ、変イ長調へと移っても興奮は引き継がれます。カデンツァ風のパッセージに入ると、ようやく徐々に落ち着きを取り戻し、『鐘』の音を加えた「再現部」の「第3部」に移ります。メロディと分散和音の内声とメロディの影のように鳴る『鐘』との、3つの響きの融合は、過去の甘く儚い記憶である「第1部」を、憧憬するかのように美しく響きます。緩やかな上昇アルペジオで始まる「コーダ」にも、リストの意匠が巧みに配置されており、その鋭敏なる美的感覚を誇っています。

            フリデリク・フランチシェク・ショパン
            ピアノソナタ 第3番 ロ短調 作品58
 1844年に作曲されたこのソナタは、ロマン派音楽のみならずクラシック音楽の最高傑作に数えられる、偉大な作品の一つです。39年にマジョルカ島で作曲された「ソナタ第2番」では、「葬送行進曲」を中心に据えるという破天荒な構成が用いられました。しかし、この『ノアン黄金期』に書かれたこの「ソナタ第3番」は、古典的な構成美や、確信に満ちた伝統的書法により、各楽章は、強い関連を保ちながらも、それぞれに美しき個性の豊穣を、誇っています。あの偉大なる「ベートーヴェンの後期ソナタ」からの、『眩いばかりの高貴の光』の重圧を背負いながら、祖国亡国に憂うショパンが成し遂げた、この『偉大なる魂の叫び』の賦は、まさに人類の金字塔です。

 しかし、人の栄盛の絶頂は短く、作曲の翌年にはジョルジュ・サンドと決定的な衝突が起こり、やがて7年にわたる二人の関係は、清算されます。その人生の晩期を迎えたショパンは、あの「舟歌」「幻想ポロネーズ」の『憂愁の深淵』を経ると、その39年の短い生涯を、足早に終えるのです。

  第1楽章 / Allegro maestoso ソナタ形式 ロ短調  決然と始まる「主題呈示部」の「第1主題」は、その後のポリフォニックな書法や対位法的書法を、淀みなくはっきりと呈示しています。伝統的手法通りの長い推移により「第2主題」へと入っていきますが、モティーフとなるその「動機」は、「第1主題」の断片で、かつ「第2主題」のメロディの一部を用いています。この手法で「第2主題」へ入った際の安堵感や落ち着きが演出されます。「第2主題」は、厳格な「第1主題」から一変し、ショパンの天才が発揮されたこの上もなく甘美なメロディです。「第2主題」の推移も同じように長いのですが、「動機」の共用と展開の仕方は見事です。「展開部」の推移は、今度は簡潔に書かれており、前半は「第1主題」、後半は「第2主題」により展開されます。しかし、その中での調性や雰囲気の変化は、変幻自在です。その後、和声的にポリフォニックで、複雑な場面が訪れますが、すぐに「第1主題」の終止部に移り、「再現部」が始まります。やがて、調性を変えて「第2主題」が再現されます。「コーダ」では勢いが増し、Maestoso で堂々と終わりを告げます。

  第2楽章 / Scherzo : Molto vivace 三部形式 変ホ長調  流麗で軽やかな「スケルツォ」と、緩やかな美しさをたたえる「トリオ」とが、対蹠的な「三部形式」です。「スケルツォ」の音列では、第1楽章の「第1主題」冒頭の5つの下降音型を基本として展開させることで、楽章間の結びつきを強くしています。そして、「トリオ」ですが、特筆すべきはロ長調という調性です。一見、変ホ長調の「スケルツォ」と脈絡のない調性で戸惑いますが、このロ長調は、ロ短調と共に、この曲の『心臓の調』なのです。「トリオ」をその調で奏でることにより、『全曲貫く構造美』が現出されます。更に、どちらの「スケルツォ」にも、最後に変ホ音のユニゾンが使われます。これは、曲が論理的かつ極めて自然に接続されるように、「トリオ」に移る際にも、第3楽章に移る際にも用いられる、エンハーモニック転調(異名同音を用いた転調。変ホ音:変ホ長調 = 嬰ニ音:ロ長調)です。これらこそ、知的な計算に基づいた「構造美」への、ショパンの意匠です。

  第3楽章 / Largo 三部形式 ロ長調  第2楽章からのエンハーモニック転調で、ほぼ「アタッカ」で始まります。「三部形式」による美しく、そして儚い楽章ですが、冒頭のオクターブのユニゾンと絶妙な転調を用いた和音により、激しい序奏が奏され、行き着く先はロ長調の安堵です。バスと和音によって支えられた右手のメロディは、ショパンの感性の豊潤さ、純粋さ、そして神々しさの表出です。「第1部」から、第1楽章「第1主題」冒頭の5つの音列を引用した、3連符による右手と左手のメロディの「第2部」への推移部分は、『芸術の神は、細部に宿る』かの如く見事なまでに自然な推移です。この音型は、「第2部」の中で3回にわたり用いられます。その3回の間には、あたかも瞑想をするような「楽句」が挿入されています。「再現部」では、「第2部」の要素を取り入れ、左手がアルペジオに変化してより柔軟な形で現れ、右手も装飾音を伴い、自由度は増しています。「コーダ」では、「第2部」の3連符を用いた右手の音型が左手に移り、やがて曲は静かに閉じられます。『微笑みながらも、人知れず流す一筋の泪のような美』が、ここにはあります。

  第4楽章 / Presto, non tanto - Agitato ロンド形式 ロ短調  序奏−A−B−A−C−A−コーダ の「ロンド形式」で書かれているこの楽章は、全体を通じて、息苦しいまでの緊張感に支配されていますが、それでいて華麗であり、この「ソナタ」のフィナーレを飾るに相応しい楽章です。オクターブのユニゾンによる「序奏」は、半音ずつ上昇していきますが、なかなか解決されません。やがて解決された先は、Agitato のロ短調「主題 A」ですが、メロディの下では内声と左手が、不気味に蠢きます。この「主題 A」を確保するために、メロディがオクターブになり、より広い響きが与えられます。「主題 A」は、その後2回訪れますが、毎回左手の蠢きの音の量は増え、曲が進むほどに影響力は増していきます。「主題 A」に挟まれた「主題 B」及び「主題 C」は、右手の下降音型と、それに対しての左手の確固たる和音が印象的です。その間も、目まぐるしく転調を重ね、一瞬たりとも曲に安息はありません。楽章を通して支配する『ショパンの魂にのしかかる、何かの圧力』は、ついに「コーダ」で爆発し、『燦然たる輝きへの変容』を遂げつつ、全曲はその大団円を迎えます。

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