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高木 竜馬:RYOMA TAKAGIコミュの“ ウィーンからの風 ” 高木竜馬 ピアノリサイタル Aチクルス 楽曲解説

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         “ ウィーンからの風 ” 高木 竜馬 ピアノ リサイタル
A チクルス 2013年 2月9日(土)/ 10日(日)/ 11日(月・建国記念日)午後2時 開 演

              楽曲 解説   高木 竜馬

 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン   
 アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII-6
 この変奏曲は、ハイドンにとって極めて重要な二人の人物の死を、悼んだ作品です。その一人はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト、もう一人はマリア・アンナ・フォン・ゲンツィンガー夫人です。多くの「交響曲」と「弦楽四重奏曲」を作曲し、『交響曲の父』や『弦楽四重奏曲の父』と尊称されるハイドン。しかし、ピアノ音楽においても、ソナタやこの変奏曲を始めとする珠玉のピアノ作品群が、綺羅星の如く、各々の美を競い合います。1766年から90年まで、名門エステルハージ家の宮廷楽長の座にあり、初の英国訪問を大成功で終えるなど、ヨーロッパ中から作曲と客演の依頼が絶えない、高名な音楽家でした。この頃、ウィーンでその偉大な音楽の人生を歩み始めたベートーヴェンも、ハイドンの教えを請い、最初の3つのピアノソナタをハイドンに献呈しています。
 最もハイドンを敬愛したのは、モーツァルトであり『パパ・ハイドン』と呼び、私淑します。1780年代初頭から始まった二人の交流は、対照的な性格ゆえに、音楽歴史上稀に見るほど美しいものでした。ハイドンの「6つの弦楽四重奏曲-ロシア四重奏曲作品33」に、感銘を受けたモーツァルトは、それに応え『ハイドンセット』と呼ばれる「6つの弦楽四重奏曲」を、ハイドンに献呈しています。『高名にして最愛なる友よ、ご覧下さい。ここに私の6人の子供達をお送りいたします』と書き添えて。しかし、英国訪問の栄光の1年後に、突然モーツァルトの訃報を受け取ります。その死に心を痛めたハイドンは、この作品を書き上げ、その筆写譜を『敬愛するバルバラ・フォン・プロイアー夫人の傷心を慰めるために』と書き添えた上で、モーツァルトの高弟であったこの夫人に贈ります。
 もう一人のゲンツィンガー夫人とは、1789年に出会います。残念ながら、「悪妻」という名のカノンを書くほど、妻には恵まれなかったハイドン。女性としての理想像を、具現化したようなゲンツィンガー夫人の魅力は、ハイドンの心を、捕らえて離しませんでした。しかし、その愛は結実することはなく、夫人の早過ぎる死によって、終わりを告げます。誰に対しても朗らかで、常に微笑を忘れなかったハイドンも、密かな心は孤独の哀しみに引き裂かれていました。光の裏に隠された影。微笑みながらも、人知れずそっと流す一筋の泪のようなこの作品には、崇高の美が、宿っています。
 この作品は、「ヘ短調の主題」と「ヘ長調の主題」との、異なる2つの主題で構成される「二重変奏曲」です。A−B−A’−B’−A”−B”−A−コーダの形式で、それぞれの「主題」の「変奏」が進むにつれ、音符の量が増えていきます。「ヘ短調の主題」及びその「変奏」は、二人の死を悼み、深い悲しみを抱きつつも、その魂が天へ昇るのを見上げているかのようであり、「ヘ長調の主題」は、それぞれとの幸福な想い出を述懐するかのようです。最後は、ハイドン自身の魂の叫びを、そのまま音に移したような激しい「コーダ」を経て、ヘ長調に転じて、天国へ昇るように終わります。ハイドンは、この箇所にラテン語で『laus Deo(神からの祝福)』と、そっと書き込みます。二人の魂魄が天へ昇り、そして神に祝福される姿を見届けるかのように。

 ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
 ピアノソナタ 第31番 変イ長調 作品110
  ベートーヴェン51歳の1821年に完成したこの円熟のソナタは、数少ない後期作品の中核をなし、「第30番 ホ長調」「第32番 ハ短調」と併せ、『ベートーヴェン後期ピアノソナタ三部作』と畏敬の念をもって呼ばれています。この「三部作」以降、かの有名な 「ニ短調 交響曲 第9番《合唱》」を完成させるや、ベートーヴェンの筆は、もっぱら晩期の「弦楽 四重奏曲」の孤独へと向います。
 この曲が作曲された前年度から、ベートーヴェンの聴覚は全く失われており、その後、死の原因となった肝臓病の前駆症状である黄疸も発症し始めるなど、健康状態は思わしくなく、死はゆっくりと彼の足もとへと近づいていました。しかし、ベートーヴェンの描いた音楽は、決して絶望的なもの
ではなく、むしろこの曲においても、全力で希望を歌い上げるかのように主和音で終結します。晩年の作品は、多くが希望や喜びを持って、曲が閉じられるのです。死の気配を感じながらも、自分の多大なる労力と、その人生をかけて紡いできた音の軌跡によって書かれた曲たちが、後世、世界中で歓喜の記念碑的な作品になることを、信じて疑わなかったものと考えられます。
 22歳の若き青春の日に、ハイドンの導きにより、生まれ故郷ボンのワルトシュタイン伯爵の助力を得て、ボン宮廷から奨学金でウィーンに移りました。そして、ウィーンの象徴であるシュテファン寺院の楽長 ヨハン・ゲオルグ・アルブレヒツベルガーから、「厳格対位法」と「多重フーガの技法」を、徹底的に学びます。それから30年の永き時を経て、遥かに人知を超えるまでに進化した『ベートーヴェンの対位法とフーガ』は、この作品を鮮やかに織りなします。晩期、「厳格対位法」と「フーガ」の研究と更なる発展に、挑戦し続けたベートーヴェンの偉大なる軌跡は、特に「フーガ」において、この作品の第3楽章に、見事に結実しています。全楽章を通じて、高度な書法と至高の音楽性に包まれたこのソナタは、眩いばかりの輝きを、人類に向かって放ち続けています。
 第1楽章 / Moderato cantabile molto espressivo ソナタ形式 変イ長調  ベートーヴェンのピアノソナタ中、唯一 モデラートの「第1主題」を持つこの楽章には、ピアノソナタ第28番のようなとても美しいメロディが与えられています。冒頭4小節には、序奏的な主題が置かれていますが、これは1楽章のみならず、全曲を支配している極めて重要な「主題動機」です。そして5小節目から主部が始まり、「第1主題」が奏でられます。まるで積極的で明るい性格の全てを、包含したようなこの主題からは、ベートーヴェンの天賦の旋律性が、尽きることのない泉のように溢れ出ています。その後、下降音形の32分音符のアルペジオ動機により推移部に入りますが、この動機もまたその後の発展につながる重要なものです。「第2主題」は、半音階を交えたオクターブ進行により、左右両手が呼応しながら進んでいきます。展開部では、序奏的主題の形が崩されることなく、「第2主題」から引用された地の底を這い回るような左手に支えられながら、巧みに移調しつつ再現部へと向かいます。再現部では、右手が序奏的主題を、左手が32分音符のアルペジオを用いて、2つの「主題動機」を見事に融合し再現します。コーダは、32分音符のアルペジオが提示部と同じ主調でクレシェンドされつつ奏され、その後 subito p で序奏的主題と「第2主題」が感動的な再会を果たし、曲が閉じられます。
  第2楽章 / Allegro molto ヘ短調  主題は、4小節×2で構成されていて、第1グループが p で不気味に「順次進行」していくのに対して、第2グループは「跳躍進行」を含む f で決然と力強く提示されます。「不気味さ」と「決然」は、その後の展開でも、代わる代わるに登場します。中間部では、右手は下降音形で、左手は単音による上昇音形をとって ff と p で行きつ戻りつ奏されますが、決定打を得られないまま、消え入るように主部の再現へと向かいます。主部が再現されコーダに入ると、ヘ短調の和音が力強く奏されますが、突然のヘ長調の救済により、第3楽章へと向かいます。
  第3楽章 / Adagio ma non troppo - Fuga. Allegro ma non troppo フーガ 変イ長調  後期ベートーヴェンの真髄とも言えるこの3楽章は、「哀しみの歌」を中心とする Adagio の第1部と、偉大なフーガが展開される「歓びの歌」の第2部とに分かれます。第1部は、自由な形式をとった「過去への郷愁」であり、第2部は、綿密に計算され尽くした神性さえ帯びるが如き厳格なフーガ形式を誇る「未来への希望」です。極めて自由な形で書かれている第1部は、レスタティーボを取り入れるなど、自己の内面に深く問いかけるかのように曲が進んでいきます。変イ短調による「哀しみの歌」は、晩年のベートーヴェンの苦悩と哀しみが歌われています。この歌が終わるや否や、微かな希望の光が差し込み、いよいよ変イ長調による偉大なるフーガが始まります。3声部のフーガは、堂々と顔を挙げ胸を張り、静かにゆっくりとですが、着実に希望の地へと私たちを導きます。しかし、盛り上がりを見せたところで、苦悩がとり憑いて離れないかのように、再度「哀しみの歌」がト短調で奏されます。その中にあっても、装飾音符を巧みに扱い、哀しみの中だからこそ光る美しさが表出されます。「哀しみの歌」が終わると、ト長調の主和音が『神々のコラール』のように響き渡り、ふっと霧が晴れるかのように、フーガの主題の逆行形が登場します。拡大と縮小を自在に繰り返し、徐々に推進力を増して、全曲はついに希望の変イ長調で締めくくられます。

 セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ
 「幻想小品集」作品3より 第1曲 エレジー ― 悲 歌
 「エレジー」は「悲歌」と訳されますが、その語感の通りに、重苦しい左手の分散和音と、悲しみと嘆きを象徴するかのような右手の「悲しみの主題」が、曲全体を支配しています。曲は3部形式で、中間部では、左手に「主題」が移り、幾筋かの希望の光が温かく差し込み始めます。そしてついにイ長調の「歓喜の叫び」を迎えますが、その喜びもすぐに急降下し、レスタティーヴォ風のパッセージが挿入され、「悲しみの主題」が ppp でささやくように再現されます。最後は、全ての音にアクセントが付く fff の中で、激しく曲は終わります。あたかもそれは、人生のすべての悲しみという悲しみを受け入れ、最後に残された力を振り絞って、天に向かって咆哮するかのようです。このラフマニノフの激痛に呻くかの如き表現手法は、作曲家の潜在意識を生涯にわたって支配し続けた、『時代の悲劇』の顕われなのでしょうか。

 ピヨトル・イリイチ・チャイコフフスキー
 「6つの小品」作品19より 第6曲 主題と変奏曲 
 ヘ長調による16小節の短い「主題」と11の「変奏曲」、そして「コーダ」という形式の作品です。「主題」/ 和かな美しさを称えるこの主題は、チャイコフスキーの感性の温かさに溢れています。この主題の動機は、曲の至るところに登場します。「第1変奏」/ 主題のエコーのように始まります。内声や左手が少しずつ動き始めます。「第2変奏」/ メロディは左手に移り、右手は細かい動きでそれに彩りを添えます。「第3変奏」/ メロディは左手が奏でますが、右手は前の変奏とは打って変わって、子供が無邪気に遊び回るように、元気に飛び跳ねます。「第4変奏」/ 16分の9拍子で、曲を通して連続した和音が高速に奏されます。技巧的で華やかな変奏です。「第5変奏」/ 世界は一変して、優美で甘い世界に誘われます。変ニ長調でアモローソ。まるで秘密の愛を囁くようです。「第6変奏」/ リズミカルな主題が、ポリフォニックに奏されます。ここでも、主題の動機は、至るところに顔を出します。「第7変奏」/ 闇の中の沈黙のように、暗い影がさす変奏曲です。不気味に曲は進み、次の変奏の爆発に繋がっていきます。「第8変奏」/ 打ち付けられる和音とバスは、あたかも大いなる怒りが爆発するかのようです。語気を荒めたまま、曲は激しく終わります。「第9変奏」/ 「マズルカ風に」と指示された愛らしい曲です。メロディとリズムを刻む伴奏の響きが優美です。途中には、風のようなカデンツァ風のパッセージが挿入されます。「第10変奏」/ 左でのメロディを右手が支えますが、その両者とも哀しみを抱いています。ヘ短調のこの変奏曲からは、嘆きの歌が聴こえてくるようです。「第11変奏」/「シューマン風に」と書かれた符点のリズムが印象的なこの曲は、シューマンの『謝肉祭』の終曲「フィリシテ人と闘う『ダヴィッド同盟』の行進」を連想させます。曲は、ヘ長調の属和音と主和音を力強く奏して、次の変奏に切れ目なく移ります。「第12変奏」/ 左手のヘ音による特徴的なリズムを用いて、前の変奏から連続して奏されるこの曲は、リズムを刻み続ける左手に対して右手の和音及び副声部が絡み合い、美しく響きます。最後はヘ長調に落ち着き、静かに「コーダ」へと入っていきます。「コーダ」/ 一転して流動的な「コーダ」は、魅惑的な変化に富むこの変奏曲を締めくくるに相応しく、スピーディーかつドラマティックです。そして全曲は、ヴィルティオーゾの華麗さの中、 堂々たるヘ長調の「主和音」で閉じられます。

 モデスト・ペトロヴィチ・ムソルグスキー
 組曲「展覧会の絵」ムソルグスキー原典版
 画家であり建築家でもあった畏友ヴィクトル・ガルトマンの急死に接したムソルグスキーの落胆は、常軌を逸するほどに深いものでした。残された手紙には『ガルトマンの体の異常に気付きながら、友人としてなすべきことをしていなかった』と書かれており、強い自責の念さえ伺えます。この二人の芸術家を保護した、芸術史家で評論家のヴラディーミル・スターソフは、ガルトマンの母校のペテルブルク美術アカデミーにおいて作品を400余点集め「ガルトマン展」を大々的に開催します。
 その展覧会から半年後の1874年、ムソルグスキーはまるで何かに取り憑かれたかのように、ガルトマンの作品に10の曲を付けます。更に前奏曲と間奏曲として5曲の「プロムナード」と「死者とともに死者の言葉で」を加えて、組曲「展覧会の絵」を完成させ、今は亡きガルトマンに捧げます。「カタコンベ」の自筆譜には、次の様に鉛筆で書き足されています。『亡きガルトマンの創造的な魂が、私を頭蓋骨へと導くのだ。私が呼び掛けると、やがて頭蓋骨たちは静かに光を放ち始めた』。
 この屈指の名曲は、ムソルグスキーの生前には、何故か出版はおろか公式な初演さえもされませんでした。そればかりか、この偉大な組曲を作曲した後は、まるで人生の坂を転げ落ちるように酒に溺れ始め7年後の42歳で、ムソルグスキーは没落した貴族の境涯のまま、この世を去るのです。 
 1.「プロムナード 1 ロシア風に」 / フランス語 5曲のプロムナードは、ムソルグスキーのそれぞれの場面での心の自画像であり、対応する絵画はありません。この冒頭の曲で、展覧会場を訪れたムソルグスキーは、ゆっくりと絵に向かって歩いて行きます。友の遺作に、今まさに接しようとする気持ちの高揚感と緊張感や、今は亡き畏友の遺作展が、かくも盛大に開催されたことへの誇りが感じられます。
 2.「グノームス」 / ラテン語。グノームスとは、ロシアの神話に出てくる「地底に住み、地の宝を守る小人の妖精」です。スターソフの手紙に『胡桃割人形のようなもの』と書かれていますが、ガルトマンの遺作展のカタログには『グノームス。子供の玩具のデッサン、クリスマスツリーの飾り』と書かれています。子供のように、仕切飾りから伸び上がってこちらを覗いている絵です。曲は、重々しく書かれていますが、グノームスはロシア民族に愛される、足を引きずるようにして歩く愛くるしいいたずら妖精です。
 3.「プロムナード 2」 友の絵画に囲まれ、冒頭の気持ちの高まりは落ち着き、ムソルグスキーは穏やかに、ガルトマンとの懐かしき日々を、回想します。
 4.「テェルノモールの古 城」 / イタリア語。ミハイル・グリンカのオペラ「ルスランとリュドミーラ」の舞台大道具のために描かれた、イタリアの「テェルノモールの古城」がモティーフです。スターソフは『在りし日の中世の城。その門前では、吟遊詩人が歌っている』と書いています。絵の左下には、インド密教の曼荼羅図が描かれていることから、これは想像上の古城です。今は、誰一人聴く者のいない古城の麓で、吟遊詩人は一人、この城とこの国の在りし日の栄華を、語りかつ歌います。
 5.「プロムナード 3」 古城の栄枯盛衰に、自らの幸福だった少年時代や近衛士官としての栄光の日々の想い出を、重ね合わせたかのような回顧から我に返ったムソルグスキーは、更に筆を進めます。
 6.「テュイルリーの庭 ― 遊びの後の子供たちの喧嘩」 / フランス語。ガルトマンは、パリの街角で、子供たちの絵を多く残していますが、この曲は、パリのテュイルリー公園で遊ぶ子供たちの喧噪を、モチーフにした作品です。自筆譜のファクシミリには、『遊び疲れた子供たちの喧嘩』という鉛筆書きが、残されています。
 7.「サンドミュシュのブィードウォ」 / ポーランド語。ブィードウォとは役牛の意。旧ソ連時代には、この曲はレーピンの「ヴォルガの船曵き」の影響を受けて、ガルトマンの絵にはない、重い牛車をポーランドの農民が苦労しながら押す様子を作曲したとされてきました。リムスキー = コルサコフ版のピアノ譜や、有名なラヴェル編曲のオーケストラ版では、牛車が近づいてきて遠ざかる様子を、クレシェンドとディミヌエンドにより、やや傍観者的に表現しています。しかし、原典版は激しいフォルテシモで始まっており、描く者と描かれる者の間に、距離感は全くありません。ブィードウォというポーランド語には「家畜のように虐げられた人々」との意味もあることから、当時のロシアの圧政に苦しむ、ポーランド民族の苦悩を表していると、近年では考えられています。スターソフに宛てた手紙の『勿論、題名には「牛車」とは書きません』という一文からも、教会の前に人々が集まり、これから絞首刑が執行される場面を描いたガルトマンの「ポーランドの反乱」がモティーフなのは、明らかです。この曲は、ゴルゴダの丘を登るイエスの如く、毅然と処刑台へ向かう、ポーランドの英雄に捧げる、葬送行進曲なのです。
 8.「プロムナード 4」 ブィードウォの陰鬱を受けて、かつてロシア近衛士官として、輝かしい青春期を送った、貴族出身のムソルグスキーの、祖国ロシアを愛する心との複雑な葛藤が、表現されています。
 9.「殻をつけたひなのバレエ」 / ロシア語。モティーフは、ペテルブルグでバレエ「トレルビ」のために描かれた衣装デザイン画です。卵の殻の衣装に子供達が入り、手足を動かしたり飛び跳ねたりする、コミカルなバレエです。ひな鳥が餌を求める鳴声と小刻みで愛らしい動きを、リアルに描写しています。
 10.「ザムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」 / ドイツ語。ガルトマンが、ポーランドでスケッチしたユダヤ人を描いた二幅の別々の絵がモティーフです。お金持ちで教条的な、ザムエル・ゴールデンベルクが力強く話し掛け、貧しく卑屈なシュムイレが、甲高い声で、懇願とも嘆きともとれる返事を繰り返します。ムソルグスキーは、当時世界中で激しく虐げられていたユダヤ人に対して、同情的な立場をとっています。「ヘブライの旋法」への造詣も深く、シュムイレのアルトの旋律には、現在でもシナゴーグで歌われているユダヤの聖歌が、使われています。この二幅の絵は、ムソルグスキーに献呈されています。
 11.「プロムナード 5」 冒頭の「プロムナード�鵯」の変奏曲として書かれた、完全な「インテルメッツォ ― 間奏曲」です。ムソルグスキーも幕間で、しばし憩います。 
 12.「リモージュ。市場 ― 大ニュース」 / フランス語。フランス中部の都市リモージュの賑やかな市場をモティーフとした明るい曲です。この街で描かれたガルトマンのスケッチは、数多く残されていますが、絵は特定出来ていません。自筆譜には『女たちが喧嘩をしている。激しく興奮してつかみかからんばかりに』との鉛筆書きがあり、市場で言い争いをしている女性たちの様子が、コメディカルに描かれています。しかし、突然 隣に展示された「カタコンベ」に目が移るや、ムソルグスキーの心境は一変します。
 13.「カタコンベ ― ローマ時代の墓」 / ラテン語。古代ローマ時代のキリスト教徒の墓です。迫害を受けていたキリスト教徒は、地上に墓を作ることが出来ず、地下に遺体を安置し白骨化した骨を、壁沿いに積み上げていきました。絵の「パリのカタコンベ」に描かれている人物は、ガルトマン本人と友人ケネスと墓守です。右側には、頭蓋骨がうず高く積み上げられています。この絵からムソルグスキーが受けた衝撃は大きく、やがて「展覧会の絵」の作曲へと、ムソルグスキーの魂を、激しく駆り立てていきます。
 14.「死者とともに、死者の言葉で」 / ラテン語。曲の構成上は、6番目のプロムナードですが、ガルトマンの「カタコンべ」の絵の前で、立ち尽くしているムソルグスキーの心の深い嗚咽です。しかし、やがてその悲しみは、死を受け入れる聖なる諦めに、そして創作の霊感へと、変容していくのです。
 15.「鶏の足の上に建つ小屋 ― バーバ・ヤガー」 / ロシア語。バーバ・ヤガーとは、ロシア神話に登場する伝説の妖婆です。深い森の奥にある、人骨の柵に囲まれた空き地に、鶏の足の上に建つ小屋があり、バーバ・ヤガーは、そこからウスに乗り、キネで漕ぎ、ホウキで跡を消しながら現れます。モティーフとなった絵は、バーバ・ヤガー自身は描かれていませんが、『バーバ・ヤガーの小屋』をイメージした「置き時計」のデザイン画です。激しく叩きつけるような動機で曲は始まり、巨大に膨れ上がったバーバ・ヤガーが、猛スピードで駆け巡るさまを、描いています。小屋の屋根の上から、獲物を狙うと伝えられる、バーバ・ヤガーの、いかがわしいまでのおぞましさが、リアルの表現され尽くしています。
 16.「ボガトゥィーリの門」 / ロシア語。9世紀半ばから13世紀中ごろまでは、キエフがロシア文化と政治の中心地でした。ロシアの国家の成立は遅く、それ以前は神代の時代。グノームスやバーバ・ヤガーが跳梁跋扈した時代です。この組曲の最後に、この2曲が続けて演奏されるように配置されているのは、自らの国の歴史を愛する心と、ロシア人の心象の原風景である『栄光の強きロシア、キエフ時代』を讃える心情とからです。その後、東方より突如来襲したチンギス汗の孫のバトゥによって成立したキプチャク汗国により、古き佳きキエフ・ロシア時代は終焉を迎え、250年間の永きにわたり、ロシアの文化と都市を蹂躙し破壊し尽した『タタールのくびき』が始まります。現在はウクライナの首都であるキエフで1869年に、最終的に実現こそしませんでしたが、キエフ時代の英雄的列侯を讃える凱旋門を、建設する計画が持ち上がりました。キエフ市が募集したコンペティションに、ガルトマンが提出したデザイン画が、この曲のモティーフです。東方ロシア正教会の特徴である、ネギ坊主型の屋根をもち、カリヨンが3基備えられた、壮麗かつ美しい凱旋門です。
 この終曲にだけ、作曲者の心象風景を描写するプロムナードの旋律が使われており、ムソルグスキーの響きによる心の自画像とガルトマンの絵画とが、遂に、この終曲で一つになったことが、象徴的に表現されます。鎮魂の「コラーレ」と「コーダ」は幾度も繰り返され、ロシア文化の象徴である巨大な鐘の荘厳な響きにのせて、畏友ガルトマンの魂は神の祝福を受け、天に昇ります。かつて、ガルトマンと共に語り、志した芸術の理想は、確かな響きとして描き尽くされて、この壮大な組曲は大団円を迎えます。

コメント(2)

昨日Aチクルスを聴きました。

楽曲解説も演奏もさらにパワーアップして
竜馬くんの熱意がよく伝わってくる演奏会でした。

ベートーヴェンの後期ソナタの深みがさらに増して
この若さでどうしたらこのような深みのある表現が
できるものかとひたすら驚きました。

すばらしい演奏をありがとうございました♪
 ○ 支配人さん

 ご来場頂き、有難うございました。美味しいお菓子まで頂戴して、
恐縮しております。また、お陰様で好天に恵まれ、寒中ながら暖かささえ
感じられる好日でした(拝)。

 昨日で、Aチクルスも何とか無事に終わり、早速、友人と飲み会で成田へ。
元気だけは、ますます健在のようです。

 今日からは、ショパンの毎日が始まります。ベートーヴェンも何度も
弾かせて頂けるので、何か少しでも掴んで欲しいと願っております。

 薫子も頑張っておりますので、最終日も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
ご主人様にも、くれぐれも宜しくお伝え下さいませ。

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