イオ様:
「この情報を伝えることが、あなたにとって抜き差しならない大切なことであるのか?」はイオ様ご自身の発言でしたが、ご自分の発言についても同じ質問(自問)をされていますか?と私はお伝えしたつもりです。話を簡単にすると「暗闇の飛躍」としてある「コミュニケーション」(交通/交換)の「非対称性」(例:教える vs 学ぶ)には「他者性」が重要である。「他者性を欠いたモノローグとしての哲学はすべて独我論だ」が『探求1・2』で書かれた概要ですが... では「最大の他者」とは何か?を著者は「自分に決まってるだろう」と答えています。私は、イオ様の間違った情報(柄谷氏のデモ参加履歴)を指摘し、CO2に関する時系列を無視した拡大解釈も批判しました。これらは単純に「自己批判」で乗り越えられる問題です。例えば「政治的に完全にニュートラルな学説などないのが悩ましい」=「政治的に完全にニュートラルな学説があって欲しい」と理解されるのが普通です。従って「ノンポリ」と批判させて頂いたのですが、そもそも、「政治的に完全にニュートラルな学説」等という比喩と柄谷行人氏は無縁だと思うのです。何故ならイオ様は「原発廃止を政策として決定した国はすでにあった」とも発言されていますが、柄谷行人氏が提示しているビジョンは基本的に「国家を棄揚」することだからです。私を「他者」としてお感じになられるのは光栄ですが、それ以前にご自身の他者性にもお気づきになって肩の力を抜かれるといいと思います。少なくともこう書くことで私はイオ様と真正面から向き合っているつもりです。