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志布志を歩くコミュの飯盛山古墳

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JR大隅夏井駅から歩いて15分、夏井海岸からほど近いダグリ岬の頂上に「ボルベリアダグリ」という国民宿舎がある。
ここからは近景に志布志湾、中景にビロウ島、そして遠景に大隅半島の山並みが一望でき、眺めがとても良い。
ホテル内には天然温泉などもあり、なかなかの賑わいをみせている。

ほとんど知る人もないだろうが、かつてここのエントランスホールの一角に小さな土器と勾玉の、おそらくレプリカが展示されていた。
この稿を書くにあたって、それが今も展示されているのか気になり、先日機会があって訪ねてみたが、今はない。

この国民宿舎が建設される前、ここには飯盛山古墳という名の前方後円墳があった。
それも、ただの古墳ではない。鹿児島県内でも最古・最大級の古墳だった。

ここで言う古墳とは、土を高く盛り上げて造る高塚墳と呼ばれるもので、当時の豪族が、権力を示すために造らせたものだと考えられている。

円墳や方墳などいろいろある高塚墳の中でも、前方後円墳は、古墳時代の代表的な墓であり、大型の墓が,近畿地方を中心に盛んに造られた。そのため畿内型古墳とも呼ばれている。
つまり高塚墳とは大和朝廷との密接な関係の下に造られたものといえる。

大隅半島での古墳築造は5世紀前半に始まり、志布志湾の沿岸地域では、飯盛山古墳がまず最初に築かれた後、横瀬古墳、唐仁大塚古墳などの巨大な前方後円墳が築かれていった。

そして飯盛山古墳の特長として、埴輪の存在が挙げられる。これも畿内型古墳の特徴である。
実は鹿児島県内で埴輪を有したことが確認された古墳は、現在のところ飯盛山古墳と横瀬古墳のみである。 飯盛山古墳はよほど大和朝廷のつながりが深かったことが考えられ、後の大隅直につながる人物の始祖だった可能性さえある。

こんな由緒のある古墳をなぜ壊してしまったのかと憤りをおぼえつつも、せめて詳細なデータが知りたくて「前方後円墳集成 九州編」という本を国会図書館で閲覧してみた。

飯盛山古墳(ひょうたん塚古墳)
曽於郡志布志町夏井飯盛山
墳丘:全長約80m・後円径約30m・高さ約4m・頂径約8m
埴輪:壷形状の朝顔形 前方部のみに出土
副葬品:ガラス勾玉1・ガラス丸玉2・ガラス小玉2
その他:1963年秋、国民宿舎ダグリ荘建設で破壊(未調査)
乱掘 :1936年までに盗掘

乱掘と破壊のために、学術調査を受けることも無く、わずかな埴輪の破片と副葬品だけを残し、志布志のかけがえのない遺跡は失われてしまった。
鹿児島最古級の古墳を知る術は、今はない。

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