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幕末・明治の花魁コミュの花魁の姿 -錦絵・古写真・絵葉書-

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錦絵や古写真などに記録された、花魁の姿、容姿や衣装などに関しては
こちらのトピックで挙げたいと思います。


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(戦前の雑誌などの記事や画像は、すでに権利が切れているモノが多く
使いやすいと思います。でも例外もあるでしょう)

コメント(5)

珍しい写真をお借りできたので、アップいたします。花魁や突き出しや禿であるかは、
現在のところ、解かりません。

花魁道中の錦絵などを見ると、花魁の脇には、禿が居て、禿と言っても、もう
髷を結っている、たぶん11〜14歳くらいの少女のほうです。
彼女たちの頭には、人口の葉の飾り物が沢山並んでいて、それの写真を今まで
あまり見たことが無かったのですが、もしかしたら、これがそうかもしれません。

これがもし京都で出てきたなら、普通に「舞妓さんの古写真」で済むと思うのですが、
東京の芸者さんや花魁の写真とまじって出てきました。

裏書きの名前と思われる字が、達筆すぎてまだ私には読めません。

詳しくないのに、以下、書きますが、
東京では、たぶん「舞妓」の概念は無く、芸者さんと、あと小芸者と呼ばれる女性達が
吉原細見の巻末のほうに名前の一覧が記載されていることが多いです。
ただ、芸者さんは、小さい子もいるけれど、たいていはシンプルな着物で頭の飾りも
おとなしめなモノが多く、この写真は芸者さんでは無く、花魁の禿の可能性もあるかな、
と思っています。

あとで、参考に錦絵のほうもアップします。

撮影時期は、明治一桁から、どんなに新しくても明治十年代前半だと思います。
手元にある錦絵を、ガシガシ撮っていたら、いつの間にか深夜になってしまいました。
通常の大判錦絵が入るスキャナが欲しいなー。
(ここ数ヶ月、わけあって目を非常に大事にしてきたのですが、久々に酷使してしまい
ました。目がしょぼしょぼするー。)

この錦絵、はじめての公開になると思います。
あくまで、私が改印を解読してだした年代ですが、慶応元年11月に発行されたと思われる、
稲本屋小稲の錦絵です。時期を考えると、三代右近小稲の引退間近の姿と考えられます。
髪型の本などで、時々紹介されている「遊女下げ髪」と呼ばれる髷ですね。
(当時、本当にこの髷をどう呼称していたのかは、私には解りません)

この錦絵、絵師は二代国貞ですから、明治元年の「生写美人鏡 新吉原角町稲本楼うち 小稲」
と同じ作者ということになります。
最初にさっと見た時は、四代小稲の可能性があると思い、四代が下げ髪系の髷を結った、
唯一の錦絵かっ?と興奮したのですが、改印を見ると、どうも慶応元年のようです。
かなりガックシきました。
本当に四代小稲の錦絵は、丸髷か立て兵庫ばかりで、下げ髪系がありません。
たぶん、四代左近小稲さんは、下げ髪系が自分にあまり似合わない、ということを
知っていたんじゃないでしょうか。だから、由一の花魁図は、下げ兵庫が
いまいち似合ってない!。

逆に、三代右近小稲は、非常に下げ髪系の髷が多いです。確率で言えば、たぶん
歴代の小稲で一番、下げ髪系で描かれています。この辺りのお話は、また別の場所で。

で、本題は、この向かって左下に描かれている禿のほうです。
下駄が一尺もあるから、花魁が巨大なのはしょうがないとしても、ずいぶん小さく
描かれてしまっています。
この頭に載っているのが、よく花魁道中の脇に描かれている、連れの禿の髪飾りです。

書籍名は忘れましたが、幕末か明治に日本にやってきた外国人が、吉原で花魁道中を
見た記録にも、連れの少女たちが、頭に植物の大きな飾りを付けていることを
書き残していました。


↑上の錦絵は、ちゃんと禿の名前も明記されていて、私には正確には読めないのですが、
たぶん「小字」か「小宇」だと思うのですが、全然違うかもしれません。
前者ですと、読みは「こあざ」でしょうか。

[1]の写真は、ネットオークションなどで出品されていたモノでは無く、例の小稲の
裏書がある古写真を出した古書店さんが、同時に市場で入手されたモノです。
売りに出される前に、個人的に売ってもらいました。(上で、借りている、というのは
この写真に関しては間違いです。この古写真は私のモノです)
芸者さんがほとんど(もしくは遊女・花魁の私服)で、花魁とはっきり解るのは
たった2枚だけでしたが、ほかの写真も全部見せてもらって、可能性がありそうなのが
この禿っぽいヤツです。
本当に花魁系の少女の姿だと、いいな、と思います。

スキャナで撮り込む際に、多少コントラスト等を調整していますが、非常に
不鮮明で、保存状態はあまり良いとは言えません。

撮影年代は、私のこれまで古写真を見てきた推測では、明治一桁の中ごろ、
明治3年〜9年くらいかな、と考えています。
明治十年代に入ると、もう少し台紙の様式が違う気がするのです。


話は変わって、ネットオークションなどを時々覗いてみると、「花魁」と
タイトルを付けて出品されている絵葉書があったりしますが、
けっこう間違いで、意外と京都の太夫さんだったりすると、私は思っています。

ちゃんとハガキのほうに「新吉原」とか入っていれば問題ないのですが、
題名の刷られて無いハガキは、出品者さんが適当に書いている場合が多いので、
皆さん、オークション等では気を付けてください。

大正3年の花魁道中は、題名が印刷されているモノが多いので、割と安心して見れます。
なにより、連れの禿が、各楼でいつも一緒ですから、あの子たちが写っていれば、
「あ、これ大正三年の道中だな。それも○○楼の。」なんてすぐに解るわけです。

あと、あくまでも私の勘というか、独自の鑑識なのですが、遊女の頭の飾りの様式で
なんとなく、東京の花魁か、京都の太夫か、が解るような気がします。
頭の前側に、なんとなく四角っぽい大きな飾りがあるのが、京の太夫さんで、
(あとブラブラ前の左右にぶら下がっている系、も太夫さんが多いです)
花魁は、錦絵のように、櫛とコウガイを組み合わせて、比較的シンプルに派手、な
感じがします(言葉に矛盾があるな)。

こればっかりは、自分の目がたよりなので、人にうまく説明できないのですが、
こういうの見分けるのは、子供の頃からとても得意だった気がします。

基本は錦絵(浮世絵)で描かれている頭の飾りを良く見ることだな、と思います。
もちろん、絵だけに、かなり大きさとかオーバーに描かれていますけどね。
ごめんなさい。書き間違えです。寝ぼけてて凡ミスでした。

〔3〕

>本当に四代小稲の錦絵は、丸髷か立て兵庫ばかりで、下げ髪系がありません。

丸髷じゃなくて、島田髷です。すいません。

まぁ、本当のところは、なんと呼んでいたのかは、解からないのですが、
現在用いられている分類で言えば、島田か立兵庫の系列の髷ばかりを小稲は
錦絵ではしています。ということです。

同じ島田、同じ立て兵庫、という呼称の髷でも、時期によってもバリエーションは
色々で、非常に相対的なモノだな、と思います。

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