ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

詩歌全般・日本古代史・たべものコミュのちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとはー17−

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは    在原業平朝臣

 
<二条の后(きさき)の 東宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川の紅葉流れたる形をかけりけるを題にて詠める 『古今集』・巻五・秋下>
・・・・・・・・
(不思議なことが多かったという)神代の昔でさえも聞いたことがない

竜田川が(紅葉を散り流して)紅色に水を絞り染めにしているなどとは
・・・・・・・

ちはやぶる;「神」の枕詞。

神代もきかず; 神代を、古事記などが伝えるような不思議なことの多い代と考えた。
「も」は同じ趣の事柄の一つをあげていう係助詞。
「ず」は打消しの助動詞終止形。
以上で二句切。

竜田川; 奈良県生駒郡斑鳩町竜田神社の西を流れる川。下流は大和川。水くくるの主語。

からくれなゐに 水くくるとは;
「からくれなゐ」は濃い紅色。唐伝来のと特にほめていう。
「に」は動作の目標を示す格助詞。
「水くくる」は水を括り染めにする意。
「くくる」は動詞終止形。見立ての表現。
「と」は引用を示す格助詞。
「は」は係助詞。 倒置法。

* 「ちはやぶる神代もきかず」は、竜田は上代から著名な神の山、御室の山のあるところなので、その縁からもさほど大仰な感じは持たれなかったろう。また関わりの「屏風絵」を題に詠まれたらしく、その装飾性は、業平の多くの歌からこの一首を色紙に選ぶという選者の意図に適合したものであったろう。

◇ちはやぶる 「神」にかかる枕詞。「勢いはげしい」ほどの意が響く。万葉集では「千磐破」の字が宛てられている例があり、千の岩も破る意で解されていたか。後世、「千早振」などの宛字が多く見られるようになる。
◇神世 神々が地上世界を跋扈(ばっこ)し、摩訶不思議な現象が日常的に発生していたと考えられていた時代。「神世もきかず」は「神代の昔語りにも聞いた覚えがない」ということだが、一種比喩的な言い方であり、この魅惑的な情景に対する驚嘆を強調しているのである。
◇唐紅(からくれなゐ) 美しい深紅色。もともとは「大陸渡来の紅」の意。
◇水くくる 「括る」は括(くく)り染めにする意。布を所々糸でくくり、まだら模様に色を染め出す染色法を言う。「くぐる」と濁ってよめば、川一面を覆い尽くした紅葉の下を水が潜り流れる意となる。定家編著『顕註密勘抄』では「水くゝるとは、紅の木のはを水のくゝりてなかると云歟」と顕昭の説が踏襲されており、定家は「水潜る」説を取っていたと見る説があるが、定家が新勅撰集に選んだ雅経作「秋はけふくれなゐくくる龍田河ゆくせの波も色かはるらん」など、新古今歌人による本歌取りでは明らかに「括り染めにする」意で用いている例もある(下記【主な派生歌】参照)。当時から両様の解釈があり、定家自身、どちらとも決めかねていた、と言うより仮名表記に由る多義性を認めるという意味でどちらの解釈も可としていたのではないだろうか。(千人万首)
・・・・・・・・

以下<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に]>から転載。

竜田川の水の面まるで紅のしぼり染め、紅葉の錦の唐くれない、神代にもこんな美しさがあったとは聞いたこともない。なんとみごとな美しさ。

「もみじ葉の 流れてとまる みなとには 紅ふかき 波やたつらむ」 
 素性法師

のあとに並んでいるから、清和帝皇后・高子の屏風絵によせて詠んだ歌とわかる。
素性法師の「紅ふかき波」と想像するのもおもしろいが、「神代もきかず」「からくれなゐに水くくる」と飛躍して染色法を持ち出したのは自由奔放な発想だ。

『古今集』の仮名序で、紀貫之が「在原業平は、その心あまりて、ことば足らず」と評したが、最もな評言で、「神代もきかず」は「心あまりて」情感があふれすぎ「からくれなゐに」は「ことば足らず」表現が不十分であるというわけだ。しかし、人の意表に出て、鮮烈な美的世界に誘い込む力は抜群である。

『伊勢物語』は「在五中将物語」とも「在五の物語」とも呼ばれて、在原業平を主人公に、その一生を語ったものだとみられているが、先に出た河原左大臣の「陸奥のしのぶもじずりたれゆゑに乱れそめにし我ならなくに」が『伊勢物語』初段で引き合いに出されている。

業平が初段で詠んだことになる中心の歌。

「春日野の 若紫の すりごろも しのぶの乱れ 限り知られず」

の意図を説くのに左大臣の歌を引いているのである。そして物語の作者は業平の行為を「かくいちはやきみやびをなむしける」こんな荒っぽい風流、恋の歌を贈るのに乱暴なしかたでと伝えるのだが、それは業平がある女性を見初めて、着ていた狩衣の裾を切り取ってそれにこの歌を書いて贈ったという話である。

作者が乱暴だというのは、かえって業平の行為が業平の切迫した真率な気持ちの表れだと賞賛しているのである。紀貫之の評言は歌に即したことばだったが、行為にもあてはまる点すぐれた眼識であった。

百人一首は定家が撰んだ、ということは前にも述べたが、その選考基準というのがよくがわからない。例えば業平の歌は、ここにあげたものより、もっといい歌がたくさんある。何故これを撰んだのか。しかし、これも前にいったO氏のパズルのくさりに必要だったという。

在原業平は、東国へ下って放浪している。在原一家は漂泊の宿命を担っていたとみえ、定家はそれ故に、ほかの業平の名歌は置いて、紅葉が川に流れる歌を採って、さすらいを暗示したのであろう。

いったい、百人一首を定家が撰ぶ機縁となったのは、その晩年近く、嵯峨の小倉山の山荘にいたとき、息子為家の妻の父である宇都宮入道に「広間のふすまに貼りたいので色紙に和歌を書いて欲しい」と頼まれ、それに応じたものといわれている。

定家はその撰歌にあたって、和歌のプロらしく、活殺自在に古今の名歌、秀歌、伝承歌から拉致し来て百首を選んだが、その一首ごとの詩句の関連から、後鳥羽院と式子内親王への真情が示唆される効果をねらっているというのがO氏の説明である。この説はたいそう魅力的で説得力があると思う。

この業平は、美男の代表として伝承されているが『伊勢物語』の「むかし男・・・」は業平を指すことになっている。

その「むかし男」が一世一代の恋をしたのは、先の屏風の持ち主、二条に后、藤原高子だった。これは学者諸氏の説では、歴史的事実ではないという人もいるけれど、九世紀に生きた美男歌人のロマンスを、日本人は長く愛してきたのであるから、その伝承は伝承として、我々はいとしんで後代へまた言い伝えたらいいと思う。

藤原一族はその姫、高子を清和天皇の後宮に入れようと画策していた。、しかしその前に、三十一・二の業平とまだ十五・六の高子姫は恋し合っていた。裂かれれば裂かれるほど、恋人たちは燃えあがる。ついに業平は深窓の姫の高子を盗み出して背に負って逃げてくる。野にはいちめんの露がきらきらして、姫は「あれは何なの」というのである。無邪気な姫である。

それから、蔵のようなところへ姫を入れて警戒し守っていると、鬼がお姫様を食べてしまった。これが鬼のひとくちの話ですが、鬼というのは、追っ手の、姫の兄君たちのことをいう、と『伊勢物語』には書いてありまする。

なお、中納言行平は、業平の異母兄、父は平城天皇の皇子阿保親王(あぼしんのう)であるから、行平の歌の次に業平の歌を並べたのは順当な配置だろう。『百人秀歌』では、九番、十番と並んだ。


【作者】
在原業平朝臣、天長二年(825)平城天皇の第三皇子の第五子として生まれた。母は、桓武天皇の皇女伊登内親王(いとないしんのう)。天長三年に兄弟ととも在原朝臣姓を賜った。在五中将・在中将と後人のいうのは、在原氏の五男で近衛中将で亡くなったからである。

『三代実録』元慶四年(880)五月二十八日の記事に略伝がのっている。この日、業平は五十六歳で没した記事には「業平、体貌閑麗、放縦にして抱はらず、ほぼ才学無きも和歌を善くす。貞観四年三月、従五位を授けられ、五年二月左近権少将に遷り、尋いで右馬頭に遷り、累加して従四位下に至る。元慶元年、遷りて右近衛中将となり、明年相模権守をかね、後に遷りて、美濃権守を兼ぬ。卒する時、年五十六」とある。

『伊勢物語』はこの『古今集』所収の業平の歌を業平の生涯を語る骨子として、詞書とともに配列した冒頭の元服の折に遭遇した恋の歌、

「春日野の 若紫の すりころも しのぶの乱れ 限りしられず」『業平集』

に、始まって、最後百二十五段の臨終の時世の歌。

「つひにゆく 道とはかねて ききしかど このふけふとは 思はざりしを」『古今集』

に、終わる全編を貫く思想は、ひとつに絞れば「みやび」な行動を理想とすることである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下<[千人万首]より転載。>

【他の代表歌】
 世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし  (古今集)
 月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身一つは もとの身にして  (〃)
 名にしおはば いざ事とはむ 宮こどり わが思ふ人は ありやなしやと  (〃)

【主な派生歌】
あやなしや 恋すてふ名は 立田河 袖をぞくくる 紅の波  
 (藤原俊成)
神無月 みむろの山の 山颪に くれなゐくくる 龍田川かな
 (式子内親王)
霞たつ 峯の桜の 朝ぼらけ くれなゐくくる 天の川波
 (藤原定家)
龍田姫 てぞめの露の 紅に 神世もきかぬ 峯の色かな
 (〃)
立田河 いはねのつつじ かげ見えて なほ水くくる 春のくれなゐ
 (〃)
龍田川 神代も聞かで ふりにけり 唐紅の 瀬々のうき浪
 (〃)
夕暮は 山かげすずし 竜田川 みどりの影を くくる白浪
 (〃)
立田山 神代も秋の 木のまより 紅くぐる 月やいでけん
 (藤原家隆)
春の池の みぎはの梅の さきしより 紅くくる さざ波ぞたつ
 (藤原良経)
これも又 神代は聞かず 龍田河 月のこほりに 水くぐるとは
 (〃「新拾遺」)
秋はけふ くれなゐくくる 龍田河 ゆくせの波も 色かはるらん
 (藤原雅経「新勅撰」)
秋はけふ くれなゐくくる 龍田川 神代もしらず すぐる月かは
 (後鳥羽院)
立田河 くれなゐくぐる 秋の水 色もながれも 袖の外かは
 (藤原道家「新後撰」)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・


<出典・転載等>
[北極星は北の空から〜ブログの中に] ・[千人万首]等より。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

詩歌全般・日本古代史・たべもの 更新情報

詩歌全般・日本古代史・たべもののメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング