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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき

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チガヤ(茅)イネ科 別名:ツバナ (摘花菜;茅花)
 花期:春
5 月頃,銀白色の動物の尻尾のような花穂を出します。それをツバナ (摘花菜;茅花)と呼び,噛むと甘い味がします。<[植物園へようこそ!]より転載>
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ー39−

浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき       参議等 ( さんぎのひとし )
<人につかはしける 『後撰集』・巻九・恋一>

まばらで小さな茅(ちがや)の生えている野の篠原の「しも」ではないが

わたしは思い忍んでいるけれども

どうにもたえきれなくて

どうして あなたがこれほど恋しく思えるのであろうか

本歌(大方の定説);古今集・恋一・読人知らず 
浅茅生の 小野の篠原 しのぶとも 人知るらめや 言う人なしに
(私があの人を恋い慕っていることを、あの人は知らないだろう。そのことを伝えてくれる人はいないのだから)
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浅茅生の 小野の篠原;

音の類似から「しのぶれ」の序詞とする。
「浅茅生」は、茅のまばらに生えている所。または低い茅の生えている所。
「浅茅生の」は「小野」の枕詞。
「小野」は野原。
「小」は語調を整える接頭語。
「篠原」は細く小さい竹の篠の生えている野原。
「しの」と同音の動詞「しのぶ」を導く。

しのぶれど、あまりてなどか 人の恋しき;

「しのぶれ」は上二段活用動詞「しのぶ」の已然形。心にこらえる意。
「ど」は逆接の接続助詞。
「あまり」は四段活用動詞「あまる」の連用形で、しのぶにあまる、たえきれない意。
「「て」は順接の接続助詞。
「など」は疑問の副詞。・・・ドウシテ
「か」は疑問の係助詞で、結びは形容詞「恋し」の連体形「恋しき」。
「人の」の「の」は主語を表し、述語は「恋しき」。
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「人」は女。「浅茅生の小野の篠原」は、「しのぶ」をいいたいための序であって、「しの」という言葉が必要なところから持ち出されたのであるが、何となく広漠とした原野が想像され、荒野に立つ心ぼそさと、忍ぶ恋の辛さが貼りついていて、中々いいムードである。

「私があの人に恋をしていることを、あの人は知ってくれているだろうか、いや、知らないだろうなあ、あの人に告げ知らせてくれる人はいないんだもの」というような意味だが、かなり古い歌らしく、万葉調の味がある。等はそれをうまく、王朝風な言いまわしに、すげかえて成功している。

小野の篠原、というのは、特定の場所ではなく「小」は接頭語である。王朝の昔は、ちょっと都を出はずれると(いやどうかすると都のうちでさえも)浅茅の野や、篠原を目にすることが、おおかったのであろう。この浅茅というのは古典によく出てくる。

『古事記』の昔から、よく歌にうたわれているので、国文好きの方にはおなじみの名詞であろう。上田秋成の『雨月物語』にも「浅茅が宿」という桂品がある。秋成のイメージにある「浅茅が宿」はこんな風である。

「簾垣朽ち崩れたる間より、萩ススキ高く生い出でて、朝霧うちこぼるるに、袖湿ぢてしぼるばかりなり。壁には蔦葛延ひかかり、庭は葎に埋もれて、秋ならねども野らなる宿なりけり」『源氏物語』で浅茅がさかんに出てくるのは、これはもう、いうまでもなく、常陸宮の姫君、末摘花の邸である。

「浅茅は庭の面もみえず、しげき蓬は軒をあらそひて生ひのぼる」というような荒れた邸に姫君は心変わりもせずに住んでいるのであった。この浅茅「浅」は、丈が低いとか、まばらに生えている、という意味で、ほんとうは茅という。いま、チガヤというが、これさえ、町ものには目にすることが少ない。

私は学校の遠足で野原へ行き、そのつぼみを抜いて噛んだ思い出がある。町育ちの子供たちに、誰かが教えたのであろう。かすかな甘味があったが、それを「つばな」といい『万葉集』のころから食べられていたらしい。巻八に紀女郎(きのいらつめ)の歌がある。

「戯奴がため 吾手もすまに 春の野に 抜ける茅花ぞ 食して 肥えませ」(巻八・一四六○)

あなたのためにあたし、手をかいがいしく動かして春の野でつばなを抜いたのよ、さあ、これを召し上がってもっとお太りになってよ。・・・この歌を贈られた大伴家持は、同じくたわむれてこう返している。

「吾が君に 戯奴は恋ふらし 給りたる 茅花を喫めど いや痩せに痩せす」(巻八・一四六二)

・・・私は君に恋しているらしいぜ、もらったつばなを食べたが、物思いにいよいよ痩せるばかりさ・・・・・・万葉人はジョーク好きなので、あるいは家持という人は、恰幅のいい、ほどよきほどに太り肉の男だったのかもしれない。

ところで国文好きの人には、古典に歌われている植物についての知識がほしいところであるが、幸い私は田舎の祖母の家で過ごし牛の世話もしたことがあるのでほとんどの植物は知っているが、もう段々に忘れてきている、分からないときは図書館で植物図鑑で調べている。私はこの等の歌が好きなので、浅茅に興味を持つが図鑑でも確認している。

作者の源等(みなもとのひとし)は、どの本でも二、三行で片付けられている影の薄い人である。嵯峨天皇の曾孫、天暦元年(947)に参議となり、四年後に死ぬ。伝記は不詳。『後撰集』に三首のこるのみで、無名に近い。

少なくとも、百人一首を王朝詞花集とするならば、源等よりもっとほかに有名な歌人はたくさんあり、採るべき名歌かじゅうも少なくない。「名誉ノ人、秀逸の詠、皆コレヲ漏ス。用捨心ニ在リ」と『百人秀歌』の奥書に定家が書くとおりである。

私も少年のころは、意味もわからずに札を暗記してカルタ取りに興じ「浅茅生の小野の篠原」のは札は、調子がいいので取りやすかった、中学高学年になると恋の歌などの意味も調べたりはしたが身に付かなかった。

国文に興味を持ったのは、高校の時国文の美人女教師をからかって強面の体育教師にこっぴどく絞られてそれから少しまじめに取り組んだせいである。何せ男子生徒はいうに及ばず、男性独身教師も鵜の目鷹の目であったので全校のマドンナ的美人の先生であった。

そんな先生をからかい授業中騒いだのだから落ちる雷も普段の何十倍ものものであった。だから同窓会には必ずいわれるし今となっては冷や汗の限りである。しかしその先生は結婚後わずか5年で世を去ったと聞いている、まさに桂人薄命とはこのことである・・・合掌
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【主な派生歌】
霜うづむ 小野の篠原 しのぶとて しばしもおかぬ 秋のかたみを  (藤原定家)
夕ぐれは 小野の篠原 しのばれぬ 秋きにけると うづらなくなり  (〃)
あさぢふの をののしらつゆ 袖のうへに あまる涙の ふかさくらべよ  (〃)
なほざりの をののあさぢに おく露も 草葉にあまる 秋の夕暮  (〃「続後撰」)
浅茅生の 小野のしのはら 霜枯れて いづくを秋の 形見とか見む  (藤原俊成女)
浅茅生の 小野の篠原 なく虫の 涙にあまる 秋の夕露  (藤原為理「続後拾遺」)
浅茅生の 小野の篠原 風そよぎ 人しるらめや 秋たちぬとは  (宗良親王「新葉」)
夕されば 玉ゐる蓮の 広葉にも あまりてなどか 露のこぼるる  (木下長嘯子)


【作者】
参議等、本名源等(みなもとのひとし)、中納言源希(みなもとのまれ)の子。勅撰集入集歌三首のみ。
その他伝記不詳。

出典
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に]・小倉百人一首 注釈>他。 


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