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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの西郷の死が生んだ新しい世界史・7世紀には倭と日本が対立していた

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≪リンク先の記事・表題等転載≫

歴史徒然:日本の誕生・日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都
日本の建国&日本人のルーツ及び日本語のルーツについて
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

西郷の死が生んだ新しい世界史
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/50571317.html

☆ 転載

出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    31〜32頁

 「1章 なぜ日本の涯の田舎娘が大御臺所にまで」

 その西郷が自決したときに話を戻すと、私の祖父も、攻撃側の政府軍に旧家臣が多いので、その説得に当たったが、政府軍の軍人という責任感のほうが強くて説得は成功しなかった。それでは西郷と行動を共にしようと随行し、結局多勢に無勢で追い戻されて、鹿児島まで戻り、最期の城山避難まで同行していたが、朝敵として捕縛されて生き恥を晒すよりは自決した方がいいと衆議一決したのだ。行を共にしていた旧家臣たちは相談し、我が家へ焼酎を取りに戻るという口実で市中に出て相談、手筈を決めて戻って、祖父に強い焼酎を飲ませて酔い潰し、眠っているうちに船に乗せて、種子島の平山へ運んだ。祖父が気がついたときにはもうどうすることもできず、生き残ってしまった。そのため祖母とも離婚して、鬱々と生活していたが、フィリピンの革命家・ホセ・リサールが独立を戦っていると知り、同志を募って船を準備し、渡比して援助を続けた。ついに独立を達成させて今のフィリピン共和国建国のあと、帰国してフィリピンで観察した豚の養殖事業を平山で始めた。今度は西南の役で知り合った宮崎滔天が、孫文を助けてくれと言って訪ねてきたので、大蔵大臣などになっている旧家臣たちに命じて、秘密裡に援助させた。
 孫文は革命が成功して南京で新政府を発足させたとき、直ちに当時、中国で最高の宝器とされていた古代の青銅器「兕觥」を、特使を立てて届けて来た。
 種子島で晩年を送った祖父は私の誕生を祝って大阪へ移ったが、やはり島暮らしがいいと平山へ戻り、島の豪族・笹川満尭らに看とられて永眠した。

 『参考』

 小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 シュメル−人類最古の文明
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 ウワイト(倭人)ウバイド
 http://matmkanehara-momo.blogspot.com/

 歴史回廊(遷都)
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/

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語源:7世紀には倭と日本が対立していた
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/49352231.html

☆ 抜粋転載
出典:加治木義博・言語復原史学会:大学講義録9:11〜12頁

 しかしまだまだもっと重要なことまで、この<魚>と共通の<国名>と<姓>が解いてしまった。それは<魚>を<トーテム>にした<卑弥呼>たち<倭人>が、どういうルーツをもった人たちだったかという日本の古代史の核心をっく問題の答えなのだ。<卑弥呼>はどういうルーツをもった女性だったか?…。<魚>と同じ<姓>をもつ皆さんは一体?どんな先祖をもっているのか?…。それがもうすでに全部、すっかり謎のベールを脱いでしまったのである。これまでは「倭人」といえば、「日本人にきまっているじゃないか」と、深く考えられない人が多かった。それはその人の罪ではなく、日本の歴史教育の程度が余りにも低かったせいで、文部省の担当公務員の責任である。だからここで、はっきり知っておいて戴きたい。『旧唐書』には当時の日本列島には「大国の倭国」と「小さな日本国」とが記録されている。そして次の『新唐書』になると、もう倭国は消えてしまって日本だけになる。その理由も『旧唐書』に次のように書いてある。
 *日本国は倭国の別の種族の国である。その国名は「倭という名が下品で悪いので、 国が世界の東の端にあって日が出るところに近いから、
その意味をこめた良い名前の『日本』に変えたのです」というが、別の使者の説明では、「日本はもとは小国だったが、倭国の領土を合併して大国なったので、国号が日本ひとつになったのです」ともいう。どうも日本からやってくる使者たちは、みんな態度がでかくて威張りかえり、何を尋ねても本当のことをいわないから、中国政府はこの二つの説明のうち、どちらが本当なのかと疑っている*中国は少し離れてはいるが隣国であり、遣唐使もひんばんに訪れていた時代である。ことにこの『旧唐書』に記録された時代は、孝徳天皇当時で、『日本書紀』もその変動を「大化改新」として記録に残している。ただしそれが、<大国倭国>が<小国日本>に負けて、領土を取られてしまい、倭国政権が消滅してしまった大革命だっことを中国に知られると、その弱体につけこんで、
どんな難題を吹き掛けてこないとも限らないという懸念から、日本政府派遣の外交官は、真相をボカして、ただ国名を変えただけだと説明したことがみてとれる。また『日本書紀』は、日本語でなく中国語で書かれている。それは国民に読ませる記録ではなくて、中国人に読ませるのが目的の対外宣伝文書だから、そこに大化革命の真相を書くわけにはいかない。これが大化改新として史実が大きく歪められた理由である。だからそんな作文を史実として盲信していては、日本の本当の建国史などわかるわけがない。まず大化以前には、「倭国と日本国」が実在していたことから、はっきり認識しておく必要がある。

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 「トーテム」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%86%...

 「旧唐書」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%94%90%E6%9B%B8

 「日本書紀」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%...

 「乙巳の変」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E5%B7%B3%E3%81%AE%...

 「大化の改新」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E5%B7%B3%E3%81%AE%...

 「645年」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/645%E5%B9%B4


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(マイ ブログ);http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08
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