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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュのこのたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

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このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに  菅家  

<古今集・巻九・旅に前書きとして「朱雀院の奈良におはしましける時に手向山にて詠める」とあるのが出典。>
・・・・・・・・・・・・
このたびの旅は

あわただしく立ちましたので

幣の用意も出来ませんでした

今峠の紅葉は

錦と見まちがうほどの美しさ

どうか私の捧げる幣として

御心のままにお受けとりくださいませ
・・・・・・・・・・・・・

菅家は菅原道真。
「朱雀院」宇多上皇が昌泰元年(898)十月、吉野の宮滝を御覧に行幸の際
お供して手向山で詠んだ、というのであるが、「手向山」がどこにあるのかというには、諸説があり、大和から山城へ越える奈良山の峠だといわれているが定かではない。
道真はまたこの旅で『宮滝御幸記略』を書き、そのなかで詩を作り

不定前途何処宿 白雲紅樹旅人家
満山紅葉破小磯 況浮雲遇足下飛
寒樹不知何処去 雨中衣錦故郷帰 とある。

行くあてもないどこに宿ろう。
白雲のかかる紅葉の樹下が宿だ。
全山の紅葉にはびっくりした。
白雲が足下を飛び去るのは仙界にある思いだ。
みすぼらしく枯れた木々は何処へ行ってしまったか、
折から降り出す雨のなかを
全山紅葉の錦衣をまとって昔懐かしい、里べに帰ってくる。・・・・・
という意味。

まことに自由闊達な筆致だ。
それに比べ、歌の方は調べがつたなく、驚きをあらわに出してしまって、
詠み収められない感じさえする。
しかし、そういうところが、かえって作者の素朴さを出したといわれる。

ちなみに道真この時五十四歳、権大納言・右大将、翌年には右大臣に任ぜ
られるのであるが、その絶頂期にあっての、神にも対した詠歌であった。

道真の祖父は、野見宿爾といわれるが、曽祖父は、菅原古人その四男が清公、その次男が是善、
三代ひとしく大学頭兼文章博士で道真は是善(これよし)の三男。
母は大伴氏の出で和歌に優れ
道真元服の折には、学業の成功を期待して

「久かたの 月の桂も 折るばかり 家の風をも 吹かせてしがな」
『拾遺集』と詠んだ。

「月の桂を折る」とは、官吏登用試験に及第すること
「家の風」とは、学者の家としての名誉である。
道真は、承和十二年(845)に生まれ延喜三年(903)に死去した。
幼児から文才卓抜で
『菅家文藻』は、十一歳の昨から収める。

「月夜見梅花」(月夜に梅花を見る)と題して、

月耀如春雪 梅花似照星  月の耀くは春雪の如し、梅花は照る星に似たり
可憐金鏡転 庭上玉房馨  あわれむべし金鏡転じて、庭に玉房の馨れるを

と、漢詩を詠んだ。
三・四句などの斡旋は少年のものではないだろうと言われるくらいである。

十八歳、文章生となり、
二十六歳、方略試(官吏登用試験)及第、以後、玄藩、少内記、兵部
少輔、民部少輔、式部少輔、
三十三歳、文章博士、
四十二歳、讃岐守に任じ、蔵人頭、宇多天 持読、
五十二歳、長女えん子入内女御、
五十三歳、権大納言兼右大将。

この年寛平九年(897)宇多天皇譲位、
醍醐天皇が十二歳で即位、道真は中宮太夫を兼ね、よく
昌泰元年には、右大将のままで右大臣に任じた。
ときの左大臣は二十九歳の藤原時平、道真とは
二十七歳の年齢差があって、感情的に反発するところがあろう。

藤原氏が代々繰り返してきた、他氏排斥の実行が水面下で着々と進んでいた。昌泰三年天皇は宇多上皇と図って、道真を関白とする詔を下したが、道真はそれを固辞する。

時平はこれを道真が現天皇を廃して、御弟斉世親王をを立てる企てがあるのだと非難し朝廷はその非難を受け入れて、道真を処断し、
延喜元年(901)正月二十五日、道真を太宰権師に左遷した。

道真の死去は、その翌々年で順風満帆の生涯と見えたであろうに、思いがけない最晩年二年余りの悲運のおとずれであったのはいたましいと、歴史物語『大鏡』は道真の左遷について語る。

「こち吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と

庭前の梅の花を見て詠んだ話は、今もって有名である。

道真は、学者として異例の出世の後に政界に出たが、たちまち藤原氏の排斥にあって惨敗した。

本領はやはり学問にあって『類聚国史』『三代実録』編集の功と共に自選の『菅家文草』
『菅家公集』『菅家集』の編集などは、日本漢文学史上忘れることの出来ない業績であった。
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このたびは;

「こ」は指示代名詞。
「の」は格助詞、連体修飾語を示す。
「たび」は「度」と「旅」との掛詞。

幣もとりあへず;

御幸のお供として、あわただしいお召しで出立」したので、幣の準備も十分に出来なかったことをいう。
「ぬさ」は、小さく切った絹布・紙で作って神にささげるもの。ここは旅の道中の神に供えるもの。
「とりあえず」は(用意を)十分しきれないで(動詞未然形「とりあへ」+助動詞連用形「「ず」)と、さしあたって(副詞「とりあへず」)の意の掛詞。副詞の方は第五句を修飾。
「手向山」は道中の峠で道の神に幣帛を「手向け」た(ささげた)ことからそこを手向山とよんだ。ここは奈良坂であろう。

紅葉の錦 神のまにまに;

「もみぢのにしき」は紅葉・黄葉を錦織りに見立てた比喩表現。
「にしき」は金・銀糸などで模様を織り出した織物。
「まにまに」は、・・のままにの意の副詞。
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このたびの旅は
(御幸のお供をするあわただしさで)
お供えする幣帛も用意できませず
それでさしあたって
この手向山のもみじの美しい錦織りのようなのを
神の御心のままにおまかせします(から)
(幣帛としてお受け取りください)
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出典・転載元;
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に]・小倉百人一首 注釈(千人万首) >等より。


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