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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花

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心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花    凡河内躬恒 
<白菊の花をよめる>『古今集』・巻五・秋下

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手折るならあて推量で折ってもみようかな

初霜にまぎれてかくれんぼの白菊の花よ
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初霜でそこらじゅう真っ白になってしまった。
初霜の白さは晩秋の精の結晶のように新鮮で美しい。
その中に白菊の花がまぎれこんでしまった。
あて推量で、このへんかなあと折るならば折れるかもしれないが、 
この白いなかの白菊の花だからなあ。
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心あてに 折らばや折らむ;

「心あて」は、あて推量・おしはかりの意で、名詞。
◇心あてに あてずっぽうに。根拠もなく推し量って。「よく注意して」の意とする説もある。
「に」は方法・手段を示す格助詞。
「心あてに」は「折らむ」を修飾。
「折ら」は、四段活用動詞「折る」の未然形で、接続助詞「ば」を接して順接の仮定条件。
◇折らばや折らむ 折るならば、折ろうか。
「や」は疑問の係助詞で、結びの「む」は意志の助動詞「む」の連体形。
* 願望の終助詞「ばや」と混同要注意。
二句切。

はつ霜の 置きまどはせる 白菊の花;

(白い初霜が降り、初霜なのか、白菊なのかまぎらわしくてわからなくなっている白菊の花よ、の意で、擬人法。
「初霜の」と「おきまどはせる」は修飾句内主語・述語関係。
◇初霜の 初霜が。霜は空気中の水蒸気が地表などに触れて昇華し、氷片となったもの。古人は露が凍って出来ると考えたらしい。
「おきまどはせ」は四段活用動詞「おきまどはす」の已然形、命令形とも。
「る」は存続の助動詞「り」の連体形。・・・テイル。
「白菊の花」は「白菊の花を」の意にとると倒置法になるが、「白菊の花よ」と感動表現の体言止めとして理解するので、成分上は独立語。
◇おきまどはせる 霜が一面に置いて、その白さゆえ、どれが菊の花かと惑わせる。菊の花の凛然たる白さを印象づけるために誇張された、言わば超現実的な趣向である。なお、百人一首の歌として見る場合、「おき」に後鳥羽院の配流先「隠岐」を隠していると見る説がある(織田正吉氏)。
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菊;」 
上代に唐から薬用植物として輸入され、やがて鑑賞用に栽培されるようにもなった。当時は今見るような大輪のものはなく、小型の菊であったろうと言う。「日精」(太陽の象徴)とも「百草の王」とも称され、また菊酒などで延命長寿を祈ったことから「延命草」とも呼ばれた。
後鳥羽院はこの花を殊に愛し、刀や日用品に菊花紋を用いた。以後、代々の天皇に継承され、菊花紋は皇室の御紋となった。
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「折らばや折らむ」という語句が難解で、いろいろ説があるが、「折るならば折られもしょうが」「折るならば折ってみるよりほかはない」などと受け止められている。
こういう歌は難しく考えずにその機才・機知を面白がればいいのであるが、何しろ歌の神様の定家が選んだ名歌だと、中世以来みんなが信じこんていたので、この歌も恭しく奉ってきたのであった。
それが明治三十一年、正岡子規が『歌詠みに与うる書』の中で、この白菊の花の歌をこっぱみじんにやっつけてから、人々の目から鱗が落ちたように、この歌をかえりみなくなってしまった。

子規は言う。
「この躬恒の歌・百人一首にあれば誰も口ずさみ候えども一文半のねうちもこれなき駄歌に御座候。
この歌は嘘の趣向なり。初霜が置いたくらいで白菊の花が見えなくなる気遣いこれなく候趣向嘘なれば赴きも糸瓜もこれあり申さず、けだしそれはつまらぬ嘘うそなるがゆえにつまらぬにて、上手な嘘は面白く候」

ここで子規は、前の家持の「かささぎの・・・」の歌を誉めている。

「躬恒のは些細なことをやたらに仰山に述べたのみなれば無趣味なれども家持のは全くないことを空想で現してみせたたりゆえ面白く感ぜられ候。・・・今朝は霜がふって白菊が見えんなどと真面目らしく人を欺く仰山的の嘘はきわめて殺風景に御座候。・・・小さきことを大きくいう嘘が和歌腐敗の一大原因と相見え申し候」(原文は旧仮名遣いである)

歌の評価はその時代時代の背景により幾重にも変遷してゆくものであろう。
現代感覚からみると、この白菊の花の軽さはかえって面白い。
躬恒の歌は軽快さと機知を特徴とする。この歌は『古今集』巻五・秋下に「白菊のはなをよめる」として載せられているが、春の歌で同じく躬恒の、

「月夜には それとも見へず 梅の花 香をたづねてぞ 知るべかりける」 という同功の歌があり
これはしらじらとした月光のもと、同じく白い梅の花がよく見えない、梅の高い香りをめあてに、ありかを知ることができるというような趣向である。

『古今集』の序には「目に見えぬ鬼神もあはれと思わはせ」と歌の徳を讃えているが、鬼神も破顔するウイットも盛られているのである。

この躬恒という人は、『古今集』の撰者の一人という名誉に輝く歌人だが、身分は低く生没年もその父祖の名もわからない。しかし即興歌人というのか、あるとき天皇から、月の異名を「弓張」というのはいかなるゆえか、というご下問を受けてすぐさま歌でお答えした。

「照る月を 弓張としも いふことは 山の端さして いればなりけり」

[射る]と[入る]をかけたシャレである。天皇は大いに賞でられて、ほうびに白絹の衣をたまわった。慣例として禄(お祝儀)をいただくときには肩にかけることになっている。躬恒はそれを肩にかけ、ふたたび即興で

「白雲の このかたにしも おりゐるは あまつ風こそ 吹きてきぬらし」 と、詠んだ。

白雲がこちらのわたくしの肩におりているのは、空から吹きおろす風が吹きつけて来たのであろう。白絹はあたかも雲、ありがたき思し召しは天つ風、その意を込めての即妙の歌である。躬恒の機智機才を垣間見る話ではないだろうか。 『大鏡』にはそう書かれている。

こういう歌は一般に、男しか詠めないと思う人も多くいるだろう。しかし『徒然草』にある話であるが、延政門院という内親王がまだ童女のころ、お父君の後嵯峨上皇に差しあげられたという、かわいいクイズ和歌がある。

「ふたつ文字 牛の角もじ 直ぐな文字 ゆがみ文字とぞ 君はおぼゆる」
「こ・い・し・く」 の字を指しているという。中世では歌は日常的に、クイズにもパズルにも使われていたのである。
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【他の代表歌】
 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそみえね香やはかくるる(古今集)
 わが宿の花見がてらに来る人はちりなむのちぞ恋しかるべき(〃)
 夏と秋と行きかふ空のかよひ路はかたへすずしき風やふくらむ(〃)
 住の江の松を秋風ふくからに声うちそふる沖つ白波(〃)
 わが恋はゆくへもしらずはてもなし逢ふを限りとおもふばかりぞ(〃)

【主な派生歌】
かをらずは折りやまどはむ長月の月夜にあへる白菊の花(大中臣能宣)
いづれをかわきて折るべき月影に色みえまがふ白菊の花(大弐三位「新勅撰」)
月影に色もわかれぬ白菊は心あてにぞ折るべかりける(藤原公行「新勅撰」)
心あてにをらばやをらん夕づくひさすや小倉の峰のもみぢば(藤原家隆)
しらすげのまのの萩原あさなあさな置きまどはせる秋のはつ霜(〃)
心あてにわくともわかじ梅の花散りかふ里の春のあは雪(藤原定家)
白菊の籬の月の色ばかりうつろひ残る秋の初霜(〃)
霜を待つ籬の菊の宵の間におきまがふ色は山の端の月(宮内卿「新古今」)
心あてに誰かはをらむ山がつのかきほの萩の露のふかさを(藤原為家)
袖ふれてをらばやをらむ我妹子が裾ひく庭に匂ふ梅がえ(藤原為経「新千載」)
心あてにをらばや夜半の梅の花かをる軒ばの風を尋ねて(宗良親王)
袖かけてをらばやをらん榊ばのかをなつかしみ露をしるべに(正徹)
心あての色もかすみの吉野山我まどはすな花のしら雲(三条西実隆)
あともなき波の上ながら心あてにゆけばまどはぬ舟ぢなりけり(小沢蘆庵)
初霜はまだおきなれぬ宵々の月にうつろふ白菊の花(香川景樹)
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【作者】
凡河内躬恒 、生没年未詳。和泉大像。微官ながら歌に優れ『古今集』の代表的歌人・撰者であった。家集に『躬恒集』がある。勅撰集入集歌、百九十四首、三十六歌仙の一人。


出典・転載元;
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に]・小倉百人一首 注釈(千人万首) >等より。

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