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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの夏の夜は まだ宵ながら あけぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ

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夏の夜は まだ宵ながら あけぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ   清原深養父 
<古今集巻三(夏)「月のおもしろかりける夜、暁がたによめる 深養父」>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夏の短い夜の¥は

まだ宵のままであると思っているうちに

明けてしまったが

雲のどのあたりに

月は宿り隠れていたのだろうか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夏の夜は;

「夏」は陰暦四・五・六月で、夏の短夜、秋の夜長に対する。
「は」は係助詞。
第一句は第三句にかかるので七五調。

まだ宵ながら あけぬるを ;

「まだ」は副詞。
「宵ながら」は名詞「宵」と、継続の接続助詞「ながら」で、・・・ノママデ。また「ながら」を接尾語として、「宵ながら」を副詞とも。
「あけ」は下二段活用動詞「あく」の連用形。
「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形。
「を」は逆説の接続助詞。

雲のいづこに 月やどるらむ;

「「の」は連体修飾語を作る格助詞。
「いづこ」は不定称で場所を示す指示代名詞なので、連体形「らむ」(現在の推量の助動詞)で応じる。
「やどる」は終止形。
この二句は擬人法。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【主な派生歌】
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬとや ゆふつけ鳥の 暁のこゑ
 (慈円)
大和路や 都も遠き ひむろ山 まだ宵ながら 岩戸あくなり
 (藤原家隆)
夏の月は まだ宵の間と ながめつつ ぬるや河辺の しののめの空
 (藤原定家)
宵ながら 雲のいづこと をしまれし 月をながしと 恋ひつつぞぬる
 (〃)
折しもあれ 雲のいづくに 入る月の 空さへをしき しののめの途
 (〃)
山路行く 雲のいづこの 旅枕 ふすほどもなく 月ぞ明け行く
 (〃)
夕づくよ かたぶく空は よひながら 雲のいづくに ありあけの月
 (藤原忠良)
夏の夜は 雲のいづくに やどるとも わがおもかげに 月はのこさむ 
 (藤原良経)
郭公まだ宵ながら明くる夜の雲のいづくになきわたるらん(後鳥羽院)
郭公 雲のいづくに やすらひて 明がたちかき 月になくらん
 (〃「続拾遺」)
あかなくに 雲のいづくに やどりつつ はるればあくる 夏の夜の月 
 (〃)
月だにも 雲のいづくに 夏の夜の やみはあやなし 曙の空 
 (順徳院)
卯の花の 籬は雲の いづくとて あけぬる月の 影やどすらむ
 (藤原為家「続古今」)
暁の 空とはいはじ 夏の夜は まだ宵ながら 有明の月 
 (西園寺公相「続古今」)
久方の 雲のいづくの 影ならで 木のまあけ行く みじか夜の月
 (伏見院)
よひのまに 明けなば明けよ 天つ空 雲のいづくと 月はたどらじ
 (正徹)

【作者・配列】 作者は豊前介房則の子(または房則の祖父備後守通雄の子とも)。
後撰集の撰者となる42元輔の祖父、62清少納言の曾祖父にあたり、歌の家の祖と言える。因みに清原氏は天武天皇の皇子舎人親王の末裔である。
 内匠允・内蔵大允などを経て、延長八年(930)、従五位下に至る。晩年は、洛北の北岩倉に補陀落寺を建てて住んだとの伝がある。
 寛平御時中宮歌合・宇多院歌合に出詠するなど、歌人として活躍。35紀貫之・27藤原兼輔らと親交があった。古今集に十七首を取られ、醍醐朝の代表的歌人の一人であるが、公任撰の三十六歌仙には漏れ、中古三十六歌仙に掬われた。家集『深養父集』がある。
 百人秀歌では33番目に置かれ、次の貞信公「小倉山峰のもみぢ葉…」と合される。夏の月と晩秋の紅葉、それぞれに時の流れ去る早さを惜しむ組合せか。

【他の代表歌】
 冬ながら 空より花の ちりくるは 雲のあなたは 春にやあるらむ
 (古今集)
 光なき 谷には春も よそなれば さきてとくちる 物思ひもなし
 (古今集)

「まだ宵ながら明けぬる」は言葉としては矛盾で、誇張と言わざるを得ないが、夏の短か夜の実感をよく捉えた言い方であろう。
しかも当夜は雲が多かったのだろう、せっかくの「おもしろかりける」月を堪能できない心情を、機知あふれる詞遣いで詠んでいる。
まことに古今集の歌らしい風雅の一首。

清原深養父 きよはらのふかやぶ 生没年未詳
舎人親王の裔。豊前介房則の子(または房則の祖父備後守通雄の子とも)。後撰集の撰者元輔の祖父。清少納言の曾祖父。
延喜八年(908)、内匠允。延長元年(923)、内蔵大允。延長八年(930)、従五位下。晩年は、洛北の北岩倉に補陀落寺を建てて住んだとの伝がある。
寛平御時中宮歌合・宇多院歌合などに出詠。貫之・兼輔らと親交があった。古今集に十七首入集。勅撰入集四十二首。家集『深養父集』がある。中古三十六歌仙。小倉百人一首にも歌を採られている。

転載元」<千人万首>

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