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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの明けぬれば 暮るるものとは しりながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな

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ー52ー
 
明けぬれば 暮るるものとは しりながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな   藤原道信朝臣 

<後拾遺集巻十二(恋二)「女のもとより雪ふり侍りける日かへりてつかはしける 藤原道信」>
・・・・・・・・・・・・・・・・・
夜が明けてしまうと
いずれ日は暮れるもの
そして再びあなたと逢えるのだと
分かってはいるのだけれども
それでもやはり
恨みに思える朝ぼらけですよ
・・・・・・・・・・・・・・・・・
明けぬれば 暮るるものとは しりながら;

「あけ」は下二段活用動詞「あく」の連用形。夜が明ける意。
「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形で、順接の接続助詞「ば」が接して、恒常的関係を示す確定条件を示す。
「暮るる」は下二段活用動詞「暮る」の連体形。
「もの」は名詞。はけいようし
「と」は引用を示す格助詞。
「は」は強意の係助詞。
「「しり」は動詞連用形。
「ながら」は逆説の接続助詞。
「暮るるものとは」とは、再び逢えるその日の宵のことをいう。

なほ恨めしき 朝ぼらけかな;

「なほ」は副詞。それでもやはりの意。
「恨めしき」は形容詞「恨めし」の連体形。
「朝ぼらけ」は夜のほのぼのと明けるころ。
「かな」は詠嘆の終助詞。

◇明けぬれば暮るる; 夜が明けてしまえば、いずれ日は暮れる。
◇朝ぼらけ; 夜が明けてまだ物がぼんやり見える頃。恋人たちが別れる時刻。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
作者は太政大臣為光の三男。母は一条摂政伊尹女。すなわち45謙徳公の外孫。
右兵衛佐・左近少将・左近中将などを歴任。
正暦三年(992)六月、父為光が薨去し、多くの哀傷歌を詠む。
同五年正月、従四位下に叙されたが、同年七月十一日、二十三歳で夭折した。
51藤原実方・55公任と特に親しく、頻繁に歌の贈答をしている。拾遺集初出。勅撰入集四十八首。
家集『道信朝臣集』がある。中古三十六歌仙。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
【他の代表歌】
 限りあれば けふぬぎすてつ 藤衣 はてなきものは 涙なりけり
 (拾遺集)
 あさがほを 何はかなしと 思ひけん 人をも花は さこそみるらめ
 (拾遺集)

【主な派生歌】
ありし夜を 見はてぬ夢の 枕にも 猶うらめしき 鐘の音かな
 (源通親[新続古今])
明けぬれば くるるはやすく しぐるれど なほうらめしき 神無月かな
 (藤原家隆)
おほかたの 月もつれなき 鐘の音に 猶うらめしき 在明の空
 (藤原定家)
秋すぎて 猶うらめしき 朝ぼらけ 空行く雲も うち時雨れつつ 
 (〃)
花の色も くるるものとは しら雲の 嶺のわかれは 猶恨みつつ
 (藤原隆祐)
待ちかぬる さ夜のねざめの 床にさへ なほうらめしき 風の音かな 
 (後鳥羽院)
咲きぬれば かつちる花と 知りながら 猶うらめしき 春の山風
 (藤原忠家[続後撰])
(千人万首)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<転載記事>『§姥ざかり§』より。
http://blogs.yahoo.co.jp/gthjb326/47616389.html
☆52番

 「明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな」 
    (藤原道信朝臣)
 
 (夜明けになれば暮れる。
  それはわかっていることだけれども、
  やはり、明ければ帰らねばならぬ。
  その恨めしさ、恨めしい夜明けよ)

 やさしい「後朝(きぬぎぬ)」の歌。

 『後拾遺集』恋 
 「女のもとより 雪降り侍りける日 
  かへりてつかはしける」

 薄命の青年詩人であった。
 二十三歳の若さで、994年没。

 この年は、九州から流行してきた
 「天然痘」が猛威をふるった年で 
 道信もかかったのであろう。

 上流階級の人々さえバタバタ死んだのだから、
 一般の人々の死者はまして・・・

 道信は 太政大臣・為光の三男。
 彼の次兄が 藤原斉信(ただのぶ)

 斉信は『枕草子』にも登場し、
 男に点の辛い清少納言が
 「すてき!」と思わせたような美男。

 その弟・道信も美男であった。

 しかし、社会人になってこれから
 ・・・という時、父を亡くした。

 一年間“喪”に服し、忌明けに詠んだ歌

 ★「限りあればけふ脱ぎすてつ藤衣 はてなきものは涙なりけり」 
   −−−−−−−−−−−−−−−−−
 年若くして、父の庇護を失うと立身は難しい。

 しかし、見込まれたのか、
 内大臣・道兼(従兄にあたる)の養子になった。
 そして 道兼夫人の妹姫と結婚した。
   −−−−−−−−−−−−−−−
 道信には結婚より前か 後かわからないが、
 悲恋物語がある。
 十四歳で花山天皇の女御になられた婉子姫。
 有名な美人で、父は為平親王(村上帝皇子)、
 母は源高明(醍醐帝皇子)の娘という名門の姫君。

 ところが 花山さんは二年後譲位して
 仏門に入ってしまわれる。

 女御はお子もなく、
 十六歳であったが、宮中を出られた。

 この姫に言い寄ったのが、道信と実資。

 実資は道信より十五も年長で
 社会的地位もあり大金持ち。
 姫は実資夫人となった・・・・

 青年はうちひしがれて、
 今はせめてと姫のもとへ歌を贈った。

 ★「うれしきはいかばかりかはおもふらむ 憂きは身にしむ心地こそすれ」 

  (恋を得た人はどんなに嬉しいでしょうね。
   それにひきかえ、
   私の辛さは身にしむ心地がいたします)


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