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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュのさびしさに 宿をたちいでて ながむれば いづこもおなじ 秋の夕ぐれ

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さびしさに 宿をたちいでて ながむれば いづこもおなじ 秋の夕ぐれ    良暹法師

<題しらず 後拾遺集・秋上>

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僧庵の寂寥に耐えかねて
外に出てみたが
深々とせまるこの夕暮れは
見渡す限り分け隔てもない
まさに秋のものだなあ
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何とはない寂しさが、そぞろ、身を噛む秋の夕、たまらなくなって家を出てあたりを見れば、どこも同じひといろに、物さびしい秋の夕暮れである。

この良暹法師の歌は、かなり早くに作られている。『新古今集』時代の先駆けといってよい。
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三夕(さんせき)とは、下の句が「秋の夕暮れ」で終わる有名な三つの句のこと。

寂しさは  その色としも  なかりけり  槙立つ山の  秋の夕暮れ
 (寂蓮法師)

心なき  身にもあはれは  知られけり  鴫立つ沢の  秋の夕暮れ
 (西行法師)

見渡せば  花も紅葉も  なかりけり  浦の苫屋の  秋の夕暮れ
 (藤原定家)
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同じ百人一首の歌で

村雨の 露もまだひぬ 槇の葉に 霧立ち昇る 秋の夕暮れ   寂蓮法師 

があるが、寂蓮の作品としては、その具体性や、主観を押さえた点など、三夕の歌よりこの歌の方が優れていよう。
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さびしさに;

「さびしさ」は名詞(形容詞語幹「さびし」に名詞性接尾語「さ」で、みたされず心細いこと。
「に」は原因・理由を示す格助詞。

宿をたちいでて ながむれば; 

「宿」は草庵、住まい。
「を」は動作の起点を示す格助詞。
「たちいで」は下二段活用動詞「たちいづ」の連用形。
「たち」は接頭語。いたたまれず、か。
「て」は順接の接続助詞。
「ながむれ」は下二段活用動詞「ながむ」の已然形、
順接の条件を示す接続助詞「ば」を接して確定条件。

いづこもおなじ 秋の夕ぐれ; 

「いづこ」は不定称の指示代名詞。
「も」は強意の係助詞。
「おなじ」は形容詞の特殊活用で、
終止形とすれば四句切、連体形とすれば無句切。
秋の「夕ぐれ」は体言止めで、感動表現で独立語。
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【主な派生詩歌】

桜さく 奈良の都を みわたせば いづくも同じ 八重の白雲  
 (大江匡房[玉葉])

雁かへる 初瀬の花の いかなれや 月はいづくも おなじ春の夜  
 (後鳥羽院)

松風は いづくもおなじ 声なるを 高津の宮の 秋の夕暮 
 (慈円)

をしみかねて 花なき里を ながむれば いづくもおなじ 春の山風  
 (〃)

柴のいほに すみえて後ぞ 思ひしる いづくもおなじ 夕暮の空  
 (〃)

春やあらぬ 宿をかごとに 立出づれば いづこもおなじ かすむ夜の月
 (藤原定家)

さびしさは いづくも同じ ことわりに 思ひなされ ぬ秋の夕暮  
 (平長時[続古今])

とはばやな いづくも同じ ながめかと 高麗もろこしの 秋のゆふ暮 
 (大内政弘)

あしがちる 難波の里の 夕ぐれは いづくもおなじ 秋かぜぞふく  
 (賀茂真淵)

いかにせむ いづくも同じ さびしさと 聞きてもたへぬ 秋の夕暮  
 (本居宣長)

さびしさに 草の庵を 出でてみれば 稲葉おしなみ 秋風ぞ吹く  
 (良寛)

「ほととぎす なが鳴く里の あまたあれば なほ疎まれぬ 思ふものから」 
というのがある。

この歌は『伊勢物語』にもあって、これは男がほととぎすの絵に添えて女に贈った歌であった。

この「なが鳴く」は「汝が鳴く」である。・・・ほととぎすよ、お前が鳴く里が多いものだから、お前のことは愛しているのだが、やっぱり、いやになるときもあるよ・・・というような意味。

女の多情を、男が諷した歌である。

この「なが鳴く」を、良暹法師は「長鳴く」と思い込んでいたらしい。思い込みである、良暹法師はあるとき五月五日のほととぎすを詠んで、
「宿近く しばしながなけ ほととぎす 今日のあやめの 根にもくらべむ」
とやってしまった。
その席にいた懐円という坊さんが、
「へ〜え。ほととぎすは長鳴くのかねえ。ホトトーとひっぱってギースと鳴くのか」といった。
そして、「そりゃ『汝が鳴く』のまちがいだよ」と一座の爆笑を買ってしまった。
良暹法師もさんざんである。まあ、思いこみは誰にもあるとはいうものの、なんとなく感じとしてはこの人、正統的な基礎教養なしに、ユニークな歌人になったのだろう。
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良暹 りょうぜん(ろうぜん) 生没年未詳(990頃〜1060頃)
出自未詳。
母を藤原実方家の童女白菊とする伝がある(『後拾遺集勘物』)。
比叡山の天台僧。祇園別当となり、大原に隠棲。晩年は雲林院に住むか。

康平年間(1058-1065)頃、六十五歳前後で没したかという。
『十訓抄』『古今著聞集』などに説話が載る。『小倉百人一首』に歌を採られている。後拾遺集初出。勅撰入集32首。
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[§姥ざかり§ ]より抜粋転載。
http://blogs.yahoo.co.jp/gthjb326/48110429.html
良暹法師は
 後冷泉天皇(在位1045〜1068)時代の歌人らしい。 生没年不詳。

妹がいたらしい。

 『後拾遺集』秋に出ている、
 妹が男に捨てられて悲しんでいるのを見て 
 菊に寄せて詠んだ歌。

 ★「白菊のうつろひ行くぞあはれなる かくしつつこそ人も離れしか」
 
 これは『古今著聞集』にある
 “今様”の本歌だろうか。

 刑部卿敦兼は妻の心変わりを悲しんで、こんな“今様”を唄った。

 ★「ませの内なる白菊も 
   うつろふみるこそあはれなれ
   我らがかよひてみし人も 
   かつしつつこそ離れにしか」

 妻はこれに心ほだされて、
 以前より夫婦仲はこまやかになったという。

 良暹法師の歌は単純で素直。

 人々に愛され、日常身辺に親しまれた。

 『後拾遺集』に

 「津の国にくだりて侍りけるに 
  旅宿遠望の心よみ侍りける」

 としてある歌。

 ★「渡辺や大江の岸にやどりして 雲居にみゆる生駒山かな」 

 いまの大阪、ビルが林立しているので
 街の底を歩いていると生駒山は見えないが、
 渡辺橋、大江橋はまだある。

 古い地名が残っているので
 この歌は懐かしく親しく感じられる。

 『古今集』巻三・夏に

 ★「ほととぎすなが鳴く里のあまたあれば なほ疎まれぬ思ふものから」
 
 というのがある。

 この歌は『伊勢物語』にもあって、
 これは男がほととぎすの絵に添えて
 女に贈った歌であった。 

 (ほととぎすよ 
  お前が鳴く里が多いものだから、
  お前のことは愛しているんだけれど 
  やっぱり いやになるときもあるよ・・・)

 女の多情を男が諷した歌である。

 この「なが鳴く」を
 良暹法師は「長鳴く」と思い込んでいたらしい。

 思い込み人間の彼は、
 ある時、五月五日の“ほととぎす”を詠んで

 ★「宿近くしばしながなけほととぎす 今日のあやめの根にもくらべむ」
 
 その席にいた一人の坊さんが

 「へ〜え。ほととぎすは長鳴くのかねえ。
  ホトトーと引っ張って、
  ギースと鳴くのか?」

 と言った。

 良暹は典拠として『古今集』の歌を持ち出した。

 すると

 「そりゃあ 汝が鳴く の間違いだよ〜」

 と一座の笑いを買ってしまった。



 思い込みは誰にもあるというものの、
 この人、正統的な基礎教養なしに
 ユニークな歌人になったようである。
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