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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの斉彬のお庭番だった西郷隆盛

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≪リンク先の表題等転載≫

歴史徒然:日本の誕生・日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
スメル八千年
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/50410249.html
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斉彬のお庭番だった西郷隆盛
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/50526636.html
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出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ25〜26頁

 「1章 なぜ日本の涯の田舎娘が大御臺所にまで」
小姓というと、君側にいて太刀を捧げている少年のイメージが浮かぶが、嶋津藩の小姓は正式の役職名で、「藩主のお側勤め」を意味していた。

 ドラマで斉彬のそばにいた小松清猷(きよもと)も正式の役名は多少変わっても、小姓だった。
 だから成人の西郷は、お庭方という、庭の手入れや小鳥の世話などは名目で、常に斉彬のそばにいて、あらゆる用件を言いつかり処理する。
 難しい要職だった。
 それなら少年では無理で、28歳だったのは当然である。
 庭方というのは、ふだんは庭園の手入れをしていても、斉彬と直接話ができ、その密命を帯びて四方を飛び回ってあらゆる仕事をする。
 柳生十兵衛で有名な将軍家の「お庭番」と同じもの、忍者の方がなじみの深い、駿府でいう「黒鍬者(くろくわもの)」だったのである。
 だから西郷は、斉彬の側近にあって小鳥の餌を作りながら、斉彬が教える幕府の内情や世界情勢に耳を傾けて学んだ。
 西郷の維新と新政府樹立の優れた識見は、斉彬がみずから、手を取って教えた(英才教育」の賜物だったのだ。
 小松帯刀(こまつたてわき)は1835(天保6)年、喜入領主肝付家(きもつきけ)の三男として生まれ、20歳で吉利(よしとし)(日吉町)の領主小松家の養子となり、小松帯刀と名を改めました。
 子供の頃から学問や武芸にすぐれ、27歳で家老(かろう)となり、西郷隆盛や大久保利通などを重要な役目につけました。
 寺田屋事件、生麦事件、薩英戦争を乗りきり、薩長同盟を結ぶなど明治維新に向けて活躍しました。
 土佐の浪士坂本竜馬もこの屋敷に宿泊したことがあるといわれています。
 維新後も外交官など要職につきましたが、34歳で亡くなりました。

 『参考』

 小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 シュメル−人類最古の文明
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 ウワイト(倭人)ウバイド
 http://matmkanehara-momo.blogspot.com/

 歴史回廊(遷都)
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/


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