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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの笠島はいづこ五月のぬかり道

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ブログ[古代文化研究所] より
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp

笠島はいづこ?
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/138161.html


===歌枕笠島シリーズ?===
名句「笠島はいづこ五月のぬかり道」の意味するものとは、何か。誰も知らない「笠島は」の句の意味を探る。


◯5000字を越えたので、2回に分けた。ここはその2回目。

◯「笠島はいづこ五月のぬかり道」の句の初稿は、『猿蓑』にある、「笠島やいづこ五月のぬかり道」であることは間違いなかろう。「笠島やいづこ五月のぬかり道」の句と、「笠島はいづこ五月のぬかり道」の句とでは、大きな違いがある。

◯「笠島や」の『や』は係助詞であって、疑問・反語をあらわす。普通なら、ここで5文字であるから、切れ字になるところだ。しかし、この句では意味上、「いづこ」まで続く。「いづこ」と言う語は、名詞でもあり、副詞でもある。ここまで初句から続いているから、句としては破格になる。

◯「いづこ」の語自体に、すでに疑問の意が存在しているから、係助詞「や」とで、二重の疑問になるから、ほとんど反語とするのが普通だろう。「いづこ」の後にはもちろん「にある・ならん」の省略がある。ここまでが句の前半部である。

◯「笠島」と言う語は、万葉集以来の歌枕である。(詳しくは、「笠島道祖神の正体」参照。)実方中将の伝承もそれは含むし、西行法師の形見の薄も忘れることは出来ない。しかし、何より道祖神の鎮座が笠島の主題である。道祖神抜きに笠島を語ることは出来ない。

◯つまり、「笠島やいづこ」なら、「笠島は一体、どこに存在するのだろうか、どこにも存在しない。」となり、主語「笠島」と述語「いづこ」の間には強弱の差違はない。しかし、係助詞「や」や、省略などを考慮すれば、句の力点は、どう考えても、述語「いづこ」にあるとせざるを得なくなる。

◯それに対して、「笠島はいづこ」では、係助詞「は」は、他と区別する・取り立てて言う義であるから、純粋に「は」、「笠島」を強調・特記していることになる。ここでは述語「いづこ」はおとなしい。あくまで、歌枕「笠島」を尊重した表現が「笠島はいづこ」である。そして、それはここでは如何にも理に適ったものとなっている。

◯こう考えると、芭蕉は「笠島はいづこ」と表現することにより、歌枕「笠島」を取り立てて言おうとしたことが分かる。芭蕉が希求し、表現したかったのは、あくまで歌枕「笠島」にあった。彼がここで表現したかったのは、何よりも歌枕「笠島」であった。「笠島はいづこ」の表現は極めて的確な表現である。

◯このように、前半部「笠島はいづこ」は、歌枕「笠島」と、疑問詞「いづこ」を、最短の係助詞「は」で繋いだ、極めて簡素化された表現であることが分かる。

◯加えて、前半部「笠島はいづこ」に存在するのは、一種の戸惑いであり、芭蕉の嘆きである。江戸からここまで38日もかけて、はるばるとやってはきたものの、念願の笠島は、すぐ目の前にあるというのに、それを実視することさえ出来ない。何のためにここまでやってきたのか。芭蕉の嘆き・悲しみは、たとえようもないほどであったに違いない。

◯句の後半部でも、芭蕉は「五月のぬかり道」と一気呵成に後半部を果断している。前半部も3語であったが、後半部も3語である。つまり、この句は6語で素成され、係助詞「や」と格助詞「の」以外はすべて名詞の羅列となっている。この見事な語の素成は、この句に一種玄妙な緊迫感をもたらしている。

◯その中で、唯一「ぬかり道」の一語だけが、その緊迫感に欠ける語となっていることは、この句を読む誰もが感じることであろう。この句の中で、異様に「ぬかり道」の語は浮いてしまっている。芭蕉が自覚して「ぬかり道」と表現し、その効果を意識して表現していることは、もちろんのことである。。

◯この後、芭蕉は五月雨に関する、
  五月雨の降り残してや光堂
  五月雨を集めて早し最上川
の名句を残しているが、ここには「五月のぬかり道」のような緊迫感はない。

◯後半部「五月のぬかり道」の「五月」は、もちろん五月雨を指す。芭蕉がそれを五月雨と表現しないのは、句が「だれる」からである。五月と五月雨では全く語の緊迫感が違う。芭蕉にはそのことが十分に分かっている。

◯芭蕉が館腰あたりに到着した時、折からの梅雨の豪雨によって、奥州街道沿いの田畑は、すっかり水中に沈んでしまっていた。見渡す限り、一面水の中である。畦や田圃道だけが、わずかにその姿を見せてはいるが、それとても到底歩いて行ける様子ではない。田植えの季節で忙しい時期にもかかわらず、田を打つ百姓たちの姿さえない。降りしきる雨の中、呆然と奥州街道沿いにたたずむ芭蕉の姿が見える。

◯「万葉集」巻三、長忌寸奥麿の歌、
  苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに(265)
芭蕉が意識していたのは、この名歌の世界であったに違いない。そして、それはこの時代の誰もが共有していた世界であった。

◯それでも容赦なく雨は降り止まず、すでに日は落ちようとしているし、近くの海からは、潮風が絶え間なく吹きつけて止まない。ここから仙台まで、まだ15?もある。「先途ほど遠し」、やむぬやまれぬ芭蕉の気持ちがよく表現されている。

◯それでも芭蕉は俳人である。俳趣を入れることも忘れてはいない。この句で、唯一、異様に間抜けた「ぬかり道」の語に、その俳趣がよく出ている。「五月雨」の語感さえも忌み嫌った芭蕉に、「ぬかり道」なる表現など、我慢出来たはずはない。そこに芭蕉の俳趣がうかがえる。

◯「ぬかる」とは、「道などがどろどろになる」以外に「油断する・失敗する」の意がある。芭蕉は、嘆き悲しみながらも、自らのあやまちを「ぬかる」と表現しているのである。「オラは失敗してしまっただ」と、さりげなく表現しているところが、また小憎らしい。

◯芭蕉にとって、俳趣のない句など、無意味である。俳趣の感じられない句など、芭蕉には考えられない。俳諧の楽しみは、内面の充実にある。無何有の世界に遊ぶことが俳諧の楽しみである。そんな世界を希求しようとしない現代の旅人を、芭蕉はどんな気持ちで眺めているだろうか。

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