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ウッディー瓦版/コミュの●死小説=私小説/01●

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「死小説=私小説/01」

“感情とは挫折した衝動である”
(宇田珠樹「鬱のロックンロール」より)
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<イントロダクション>
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2006年2月11日が過ぎた。

うひー、ついに四十四だ。

“四”と言えば日本人が“死”にかこつけて忌み嫌い、ホテルの部屋番号なんかでは無条件にトバされたりする数字である。それが二つ並ぶ。

やべえー、しかし、こいつぁーいいゴロでもある。

“四=死”に掛けてここはいっちょ「“死”小説」ってな駄洒落たタイトルで長々と「“私”小説」でも書き散らしてやろーか。

てな感じで、この「“死”の“私”小説」はゆるりと始まる。
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■第1章/01-正夢
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「ハピバアスディ、オレ様!」

僕はこの、あまり記念すべきでもない人生四十四度目の“まつり”を、現在の彼女である“祭”と共に迎え、祝った。自分とほぼ同い歳の木造アパート在住、バツイチでお金も持っておらず、明日をも知れない痩せっぽっちの中年男にしては十分ハッピーな誕生日であると言えよう。

“祭”は現在25歳。若い頃に“お祭り男”と呼ばれていたらしい彼女の父親が、愛娘の誕生に際して「こいつが生まれたことこそがオレの人生最大の祭だ!だから名前も“祭”だ!」などと感極まって名付けたらしい。彼女の子供の頃の苦労は想像に余りあるが、いい話だし、いい名前である。

この日、僕らは仕事帰りに梅田で待ち合わせ、駅構内の専門店でオムライスを食べつつビールで乾杯してから阪急電車で京都まで帰り、東向日駅前のサティでビールやチキン、パーティー寿司、適当なケーキと小さなロウソクなどをどっさり買い込み、部屋に帰ってそれを全部ベッドの上に広げ、小さな丸いイチゴケーキに、まるでハリネズミのように44本のローソクをオッ立て、部屋を暗くして、そのうちの10本ほどに火をつけて僕がギターを掻き鳴らし、祭にバースディソングを歌ってもらったのだった。

ちょっとジーンと来たが、灯りを点けるとイマイチ盛り上がりに欠けることに気づき、最近中古で買ったスピッツの「スーベニア」を流しつつケーキやチキンを貪り食い、ビールをがぶ飲み。何曲目かに入っている「正夢」のイントロからエンディングまで、ずっと2人でくすくす笑いながらキスし続けた。「正夢のあいだずっとキスしつづけること〜」と提案したのは祭で、多分時間的には今までで一番長いキスだったはずだ。

ふと気づくと「正夢」でキスしているその間に僕が生まれた2月11日午前2時2分22秒は過ぎていた。すげえ。出来すぎた話だ。「正夢」だ。

祭がくれた誕生日プレゼントはジル・ドゥルーズの「感覚の理論」。御大お気に入りの画家、フランシス・ベーコン論である。やったね。いつか二人で梅田のブックオフに何時間も入り浸っていた時、僕が見つけて欲しがっていたのを覚えていてくれたらしい。しかし、この本結構高いよ。プーなんだし無理しなくても良かったのに、とは思ったがかなりうれしくて大喜びした。実は本は、他のどんなものよりも後々まで記念として残る(僕が死んだ後もたぶん残るのだろう)。

人間とは結局一片の肉塊に過ぎないことを思い出させてくれるベーコンの絵は、ベーコンというその名前とも相まって生々しい、ドロリとした、しかしどこかしら美味しそうなイメージを喚起する。そう言えばダリという名前も、絵のキャラクタである尖った杖やヒョロヒョロの象の足、本人のツンと上を向いたヒゲのイメージさせる韻律を持っている気がするし、ピカソという発音も文字面も、その絵に顕著な錯乱的でアンバランスな美を象徴しているかのようである。

次の日、昼過ぎ起床。祭がユニットバスに浸かりながら梅図かずおの「漂流教室」を読んでいる間に、僕は僕と同い歳の木造アパートがビリビリ震えるくらいの音響で、最新のアイドルであるリー・ペリーのダブを鳴り響かせ、ダボダボのトレーナーにジャージのまま、長くて太いビルマタバコを片手に、甘く乾いた煙を部屋いっぱいに燻らせながら、流し台の前でゆらり、ゆらり、ゆらり、ゆらりと踊った。巨大な超猿人(スーパーエイプ)が田舎町を練り歩くジャケットそのままに、随所にバキバキッと人や家並みを踏みつぶし、破壊するような炸裂があり、愉快なノイズが走る。そして、狂ったペリーの哄笑。

手にしたビルマタバコが20分近くかけてようやく燃え尽きると、僕は昨日の夜2人でテレビを観ながらソファ回りに散らかしたビールやチューハイの缶、中身のこぼれたポテトチップスの袋や吸い殻で一杯になった灰皿をゆるゆると片してからマッパになり、ガキを騙してロッカーから出てきたセキヤに、そのガキが思い切りブン殴られるシーンを読み耽っていた祭の後ろからスルリとバスタブに割り込んだと思いきや、うっすらと汗を浮かせた彼女の顔を見て欲情。ペリーのレコードが終わりプツンと針の上がる音を聴きながら、水面をたっぷんたっぷんと揺らし、アクロバティックなエロ行為に及んだ。

夕方から街へ出てメシを食う。

西院駅東側商店街入口のカプチョ。スパゲティ2皿にライスボール、サラダを注文し、誕生日続きなのでワインで乾杯。つまり、僕の誕生日祝いの続きである。祭のスパゲッティ好きにはあきれるが、フォークやスプーンが皿にカチャカチャと当たるあの性急な音は好きだ。ひたすらものを食おうとする旺盛な動作とその効果音。物語はあるのか?食べ終わったスパゲティ皿を被写体に選んだヒロミックスの慧眼。

店を出る時、祭は帰ろうと席を立った時に必ずテーブルのコップに手を伸ばして水を飲み干す僕の癖をいつものように笑った。

それから近くのゲーセンで、誕生日記念のプリクラを撮ることに。これは僕が言い出したことだ。プリクラなるものが一世を風靡し、当時台頭してきた女子高生必須のアイテムとなったのはおそらく10年程も前になろう。時すでに僕は三十路も半ばを超えており、その渦中にはいなかったが、電車などで女のコたちが小さな手帳にビッシリと貼り詰めたプリクラをお互いに見せ合う気持ちについては十分に理解出来ていた、と思う。

そこには可愛くパッケージされた、しかしながらフランシス・ベーコンの描くイメージのように絶対的実存に裏付けられた自分の破片がある。その“ちっぽけな鏡”には自分を巡る小さな世界観、宇宙が凝縮されていて、あくまでも自分中心に展開される現代の個人的な曼陀羅でさえあるようだ。

誰もが自分を鑑みれば一目瞭然だと思うが、自分というフェティッシュに勝るフェティッシュはない。

ビニールの幕で仕切られた小部屋の中で安っぽいコンピュータのキンキン声にせき立てられ(はいっ、○○○を選んでくださいね〜!はいっ、次は○○○のポーズでお願いね〜!etc)、次々と与えられ、要求され、中断され、カウントされ、自らの画像を自ら電子ペンで処理させられる尋常ではないこのスピード感と少しでも似たものを、僕は思い出すことができない。

そもそも、このスピードを生きる女のコに、僕がかなう訳がないではないか。

(ウッディー著/つづく)

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