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肥前・千々石一族コミュの千々石の昔むかし

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コメント(7)

「千々石灘の由来」

なぜ、千々石灘というのか?

(千々石町)
雲仙北串山にある諏訪ノ池の大蛇と、天草鬼ノ池の大蛇は仲が悪く、何かの恨みごとでにらみ合っていた。
やがて大格闘となって海の中で上になり下になり争っているうち、どちらも傷つき血が流れた。そのため海水が血に染められた。
それから「血々灘」といわれるようになり、転じて「千々石灘」の名になった。
因みに決闘の場所は千々石海岸。

(天草・五和町)
鬼池無田の大池には昔大蛇が棲んでいた。
ある日、雲仙岳の大蛇と早崎海峡で喧嘩をして噛み合いをしたが、無田の大蛇が負けて海の色が真っ赤に染まったと云う。
その後、その海を血々岩灘(千々岩灘)というようになった。
池の西方に「池の神」という祠があり、その神体は白蛇で、そのうろこは銀色に輝いている。・・・・らしい。
因みに、鬼池という地名は、昔、池田に大池がありそこに大蛇が棲んでいたことに由来する。大蛇=鬼の棲む池=鬼池である。

(天草・苓北町)
富岡城山の麓の袋池。ここには昔から女大蛇が棲んでいた。この女大蛇は気性が強く、鬼池の男大蛇とたびたび争いを起こし、とうとう鬼池の男大蛇が負けて、鬼池の池は水が涸れてしまった。
その頃、島原の池にも大蛇が棲んでいて、袋池の大蛇をうかがっていた。
機が熟して二匹の大蛇は島原と天草の海の真中で大格闘を演じ、その時双方が噛み合った体から血がほとばしり、海の色が真赤に染まった。
それから血血波灘というようになった。今では千々岩灘と表記する。
どの説が一番有力なの??

「千々石」って変わった名前だもんね、前から気になってたんだ。
でも、どれも「血」が関係してるんだ…冷や汗
肥前国風土記の高来の章にも由来が載ってますね人差し指
■>ゆみ 殿
>どの説が一番有力なの??

わかりません、てか、みんな同じのような気も。(笑)

新説
チワワは犬の中でも最も小さな種類であり、メキシコのチワワ地域が原産地である。
と、言われているが、真実は千々石が原産で、当時ミゲルのペットであったという・・・(爆)
■>-紅- 殿
>肥前国風土記の高来の章にも由来が載ってますね

おおおーー
『肥前国風土記』を知っている「-紅-」殿はすごい!!!わーい(嬉しい顔)

「浄土真宗本願寺派・瑞雲山専照寺」(明治8年(1874年))

豊臣家が滅びた年の元和元年(1615年)から雲仙市誕生までの400年間、
全国でもめずらしい一町一ヶ寺であった。

島原の乱の時、一部の千々石村民は蜂起したが、その時、専照寺は・・・


しかし、よく観るとちょっと違和感が、
現在も面影がありつつも山門が無いし、イチョウの木の位置など微妙に・・・たらーっ(汗)
『大正拾年度千々石村縣税戸数割等差表』
『大正拾壹年度千々石村縣税営業税雑種税賦課額等差表』

手元にある。(某所で見つけて購入した。)

『大正拾年度千々石村縣税戸数割等差表』
ほぼ全ての世帯の当主の名と等級の記載が・・・

一等、永田長作、橘常葉
二等、城代良治、城代二三郎、本多綱臣

この五人が「千々石の五有志」と呼ばれた実力者である。
本多綱臣氏、我が曽祖父が50年奉公したという主。 m(_ _)m ははー

三等、町田■■■、城戸■■■
四等、天野■■、山本■■■
五等、町田■■■

以下略
十等くらいまでの人名は昔の千々石の記録によく出てくる名前。
だいたい、何処の家の先祖か、想像がつくな〜

等級は三十五等まである。等級が下がると数も多い。
・・・・・一等と三十五等では630倍の納税額じゃん
おそらく、当時の千々石の全戸数があるようだ。
母親の実家、祖母の実家、親戚、近所、知った名前がボツボツ・・・

お!
我が曽祖父の名が・・・・二十二等?たらーっ(汗)
・・・・・・・まあ、妥当な納税額という位置かな?あせあせ

後日、ゆっくり調べるとしよう〜
しかし、千々石村があるのだから、他の町のもあるんだろうなー(ほしいウッシッシ)

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