海外現代文学コミュのふたたび翻訳について

『翻訳家の仕事』（岩波新書）を読みながら考えたこと：

　外国語で読むときは、外国語で考えるのが当たり前、へたにニホン語などを混じらせたりすると、手間ばかりがかかる。要は外国語に精通すること。はて、いまのニホンでそんなことを思うのは外国語エリートの戯言だろうか。国際化、という掛け声がかまびすしいなか、もうずいぶんと時間がたったことと思うが、じつはほとんど進行していないというのが、わたしのささやかな感慨。

　一方でニホンは翻訳大国としてつとに有名である（これも吟味しなくてはならないが）。すくなくともニホンでは翻訳者なるものがキャラクター化できる。海外ではときには、翻訳者の名さえ知られていないことがある。まあ、例外としてはボルヘスやらコルタサルなどが翻訳に励んだこともあるが。

　まず容易に思いつくのは、翻訳とは海外文学の大衆化のプロセスではないかということ。かつてフランス語がもっとも高尚な言語だとみなされていたころ、いわゆる国民文学なるものにフランス語が挿入されることが少なからずありえた。フランス語が教養人の世界共通のたしなみとみなされていたときには、想定される読者はフランス語を解するに相違ないという前提があり、したがって現地語（または国民語）に直される必要はなかったと思われる。

　その一方でニホンは一億総教養人と思い込んでいるところがあり、本を読むのはごく日常の活動、しかしながら専門教育のスキルまでには至っていない。とりわけ外国語が不得手な場合がすくなくない。（ここでも一億総教養人の真偽が問われなくてはならないが）
かくしてニホンでは翻訳なるものが珍重されるしだいとなった。

　さて、流れをかえて、横のものを縦にするとはどんな意味を持つのか。それはすこぶる文化論の領域に通じる。二つの言語のあいだには、論理の、感性の、そして社会のちがいがあるわけだから、それを考慮せずには翻訳なるものが成り立たない。つまりただ外国語に精通しているだけではうまくいかないのだ。

　ということで、いろいろ理屈をこねてきた。この本を読んでおおいに感心したのは、文体、話体のスタイルの作り方というテーマであった。いくら優れた翻訳者であっても、原作の語り手などがその翻訳者と異なった世界（世代とか）に住んでいるとしたら、そのヴォイスを写し取ることはほぼ不可能である。下訳というのは、ときに見苦しい存在であるが、下訳者によってはじめてそのヴォイスが引き継がれることがある。これはあまり気付かれない業であった。いわゆるイキのいい翻訳ということである。

とにもかくにも、これほど優れた翻訳者が一同に会するのだから、この本の迫力なるものは尋常にあらざるものなり。