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イタリア軍装研究会コミュのイタリア陸軍の装備品

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こちらでは、第二次世界大戦前から1945年5月の終戦までの北アフリカおよび欧州戦線における、イタリア陸軍部隊の一般装備または特殊装備について研究します。

コメント(23)

写真は、一般的に兵/下士官に使用されたM1912アンクルブーツ。靴紐も革製で、爪先に蹴り革が縫い付けられている(写真左)。

踵は、積層した革で作られており(写真中)、靴底には鉄製のネイルが規則的に打ち込まれています(写真右)。

また普段は、きなりの革のまま使われましたが、MVSNでは黒い靴墨を塗られ、黒染めで使用されています。

造り自体はしっかりしており、戦後も1960年代ぐらいまで引き続いて使用されています。下は50年代のイタリア陸軍歩兵。被服や装備は英軍式ですが、靴は大戦中のままです。
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000385.jpg
モーリーさん、このテントポールはイタリアのコレクターから直接買った物と見た目全く同じです。日本国内では中々入手出来ませんので海外オクですか?次はテントペグですね!
>モーリーさん
オリジナルのテントポールは、私も手許に無いので良く判りませんが、資料写真などを見る限りでは、そちらのポールと良く似ていますね。

以前。「UNIFORMI E ARMI」誌に掲載されていたM1939型背嚢に下げられた金属テントポールと木製ペグの写真を挙げておきます(写真左)。これはアルミ製の様に見えますが、鉄製もあったと思われます。

(写真中と右)の木製ぺグは、以前国内のサープラスショップでフランス軍用として紐付きで出ていたものですが、形状が良く似ているのでイタリア軍の代用としているものです。
一般個人装備のM39型雑嚢。真ん中の二つのループにアルミ製飯盒を連結させるループが付いています(写真左)。

ウェブ製で通常は肩掛け式として使用しますが、紐のシステムを変えると簡易背嚢としても使用する事が出来ます(写真中)。

中は二つに仕切られ、“パン袋”(tascapane)の名称が示す様に携帯食糧や個人の携行品、予備弾薬や手榴弾を収納していました。

蓋の裏側には名前用の白い布生地が縫い付けられており、また手榴弾を納めるボタン付きの小袋が二つ付いています(写真右)。
上のM39型雑嚢上には、カバーを掛けたアルミ飯盒を連結出来る(写真左)。右はその単体裏面。

野戦用アルミ飯盒とそのセット(写真中)。真ん中に見えるのは飲料カップで、左hアルミ製スプーンとフォーク。また迷彩カバーを掛けない右写真のようなグレーグリーン塗装のタイプも存在した。

(写真右)は、刻印関係。スプーン2つはメーカー違いながら、RE(王国陸軍)のマークや純粋アルミ製、どちらにも打たれていた。右は飯盒内部の刻印写真です。
左写真は、第二次大戦時の一般的な歩兵の腰回り装備です。グレーグリーン色に染めた革製のM1894型兵用ベルトに同色の革製で2個ポーチが連結したM1907型弾薬盒を1セットを通して身体の中心線に置きました。

これを同色の革製サスペンダーを首に回してベルト上の弾薬盒裏にあるD型リングに左右のフックを通しました。元々第一次大戦ではこの弾薬盒を2セット支給されていましたが、個人への弾薬支給数が減り第一次大戦後には1セット装備が標準となりました。

そのため、身体の中心線にあったベルトバックルを左右どちらかにオフセットして使用しており、当時写真で見ると実際には左側の率が多かった様です。

また、通常はベルト左側に装着したM1891銃剣(写真の現物は鞘のみ)と剣差しは、写真の様にベルトバックルに通すやり方も良く見られます。右の当時写真も参照。

写真中は、後期の7.65mm口径のカルカノ小銃用紙箱2種類。当時はカルカノ弾薬盒に必ず支給されたこの紙箱ごと入れるもので、現在残っているほとんどのカルカノポーチには弾頭が中で擦れた跡がありません。

下は紙箱を入れた状態で、この弾薬盒は蓋のストラップ根元に金属かしめが無い、第一次大戦型。グレーグリーンも少し明るいオリーブグリーンの色調です。

写真右は、M1907型弾薬盒の裏にあるD型リングでここにサスペンダーの左右フックを通して吊り下げます。裏のストラップ2本にベルトを通し、蓋のストラップは底の金具にスリットを通します。
第二次大戦時のイタリア軍アルミ製水筒は、通常グレーグリーン色ウールカバーでくるまれ、麻の平紐で肩から掛けられ右腰に回されました(写真左)。写真は1リットルサイズですが、山岳用2リットルサイズも存在します。

この水筒キャップには外さずに直接飲める栓の付いた吸い口があり、アルミ製チェーンでキャップと共に連結されています(写真中/左)が、時折栓を叩き込まれているものも見かけます。これは持ち主の兵士が栓から水が漏れる事を嫌がっての改造した物と思われます。

また(写真中/右)の様にベルトに直接吊り下げれる様、ドイツ軍の水筒金具を利用して改造したもの在りました。

(写真右)は戦前に北アフリカや東アフリカ戦で用いられたタイプで平紐で肩から吊るすのでは無く、先端に革が付いたウエブベルトが後ろから回り下の革ループを通って前に出る構造になっており、後ろのウエブベルト部分で直接腰の革ベルトに通して釣り下げる方式でした。

この戦前型水筒はRSI時代になると再び使用されるケースが多く見られ、ドイツ軍ベルトに付けられた写真も残っています。また、写真中右の水筒はブルーグレー色ウールカバーが付けられており、空軍部隊で使用されたもとの推測されます。

イタリア軍は自動小型拳銃や中型拳銃用ホルスターを数種類使用していました(写左)。

上段右から一般的に見られたダークグリーンに塗られたベレッタM34拳銃用ホルスター、茶革の将校用ベレッタM34拳銃用ホルスター、グレーのウエブ製で海軍で使用されたベレッタM34拳銃用ホルスター、下段右から茶革のベレッタM34も入る小型拳銃用ホルスター、末期の廃物利用のベレッタM34拳銃用ホルスター、ベレッタも共用出来る中型拳銃用ホルスター、同じく中型拳銃用ホルスター。ベレッタM34拳銃用ホルスターには黒革製も存在しました。

その裏面(写真中)。ダークグリーンに塗られた兵/下士官用ホルスターは脱着し易い様に金属ヘソに革ベルトを留める様な構図になっています。これは、後述の騎兵/拳銃バンダリアに着脱し易い構造にもなっています。

(写真右)は茶側の小型拳銃用ホルスターにベレッタのエアガンを入れた状態と通常型ベレッタホルスターの吊り下げループを外した状態。
イタリア軍も他国と同様に首から下げる金属製の認識票を使用していました。

(左写真/右)真鍮製でニッケルメッキの本体に金属チェーン付を漬けたイタリア軍認識票のデッドストックと支給時に配られる時に入れておく小袋。左は聖母子像が印刷された布製の小さな袋状の物で、首から下げます。

このおろし金状の認識票は2枚重ねで、上から認識番号、本人の姓名、父親の名前、母親の旧姓名、生まれ年、出身地が刻印され、死亡時には片側が持って行かれて部隊に報告される仕組みになっています。

この兵士は、Mario Puffaという名前でイタリアの公文書書式の慣例で日本と同じ様に姓を先に、名を後にして刻印され、父親はGiachintoという名前、母親の名前がGiuseppinaという名前で旧姓がGraner、1914年生まれでトリノ近郊のヴェルチェッリ出身だという事が判ります。ここでも出身を大事にするイタリアの伝統が判ります。

デッドストックなのでチェーンの先端ピンはハマっていませんが、一度ハメると抜けない仕組みなので、まさにドッグタグです(写真中)。

またそれ以前の認識票は二つに別れる平たいロケットペンダントスタイルで、この中に同様な兵士の個人情報が記載された用紙が入っていました。写真は、Rex Trye著「MUSSOLINI'S SOLDIERS」P94より(写真右)。

このタイプは第一次大戦で使用されています。
はじめまして。
はじめて書き込みます。
先日某所で拾ったこのイラストなのですが、この軍服はいつ頃使用されたものでしょうか?
多少アレンジを加えてあると思いますが、軍帽についてる羽かざりが素敵だなと思い気になりました。

いきなりの書き込みで失礼しました。
>14 蜜野さま

「Axis Powers ヘタリア」の日丸屋秀和氏が彼のサイト「キタユメ。」の四巻おまけコーナーで公開したアナザーバージョンのイタリアですね。蜜野さまが拾ったこのイラストは、ファンがそれを見て描いたものでしょう。

ご存知かと思いますが元々エスニックジョーク・軍事ジョークをゆるく扱った作品であることや、おそらく商業展開する都合上(現用ではないとはいえ)氏が軍装を忠実に描くことはまずないので、明確な年代をお教えすることはこのコミュニティのマニアの皆さんでも困難です。ちなみに私はまだまだ初心者で、マニアですらありません。

でも、このコミュニティのMVSNスレを覗けば、似たよう軍服は見つけることができます。また、帽子の房は当時の「上司」ムッソリーニの登場するニュース動画をyoutubeで検索すれば、房が動いてるところも見れてよいと思います。
この場合陸軍トピはスレ違いになってしまいますが……


蜜野さまの質問は個人的にはスレどころかコミュニティ違いだと思います。(ただしコミュニティ主の吉川さんは漫画・アニメやその周辺のオタク文化に大変理解のある方ですっていうかご本人がオタクです)

ただ、これを機会にリアルなイタリア軍に興味を持っていただければ、同じ漫画をきっかけにした者として大変嬉しいし心強いです。いまだネット上にはあまりロクな情報がないような状態ですが、このコミュニティが蜜野さまのこれからのイタリア軍理解の一助になれば幸いです。
日丸屋氏の「ヘタリア」も最近はグリセンティM1910やL3やサムライベストなど積極的に武器・軍装ネタを取り扱ってますので、元ネタを知るとよりいっそう楽しいですよ。

それでは。
http://www.ebay.de/itm/Original-4-Kegel-RSI-in-Geschenkbox-Signiert-G-Verginelli-1944-1945-DRGM-L15-/221120560781?pt=Plastiken_Skulpturen&hash=item337bcffe8d
RSIの従軍メダルの金型でしょうか?
「挨拶と雑談のトピック」[120]にて紹介された物と同じだと思いますが久しぶりにWW2物に手を出してみました。2Lの山岳用大型水筒、ブルーグレーのカバーやストラップの他、程度も良く値段も極めて安価でした。
同様にカバーの無い1Lの物も出ていましたので復元すればリエナクトやWW2サバゲなどの遊び用にもってこいかと思います。
管理人様
以前から気になっていたことでご存じの方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
所謂サムライベストが使用されだしたのは1942年頃からのようなのですが、それまでの間、正規の陸軍でもM1938Aサブマシンガンは使用されていたと思います。
正規陸軍ではどのようなマガジンポーチを使用していたのでしょうか?
それまではマガジンポーチは存在せず、バラ弾だけの支給で、スペアマガジンの支給も無かったと云う説もあるようですが、軍としてそのようなことがあるのか?と疑問に感じます。
>>[18]
返信が遅くなってスイマセン。

基本的に休戦以前の陸軍ではMAB38型短機関銃はアルピーニとベルサリエリの一部及び空挺部隊にしか配備されず、写真で見ても予備弾倉入れは携帯していません。おそらくカービン銃的な使い方で、フルオートで撃つのは緊急時のみの様です。

よって雑嚢にバラ弾か良くてスペア弾倉の1、2本を入れていたと考えられます。
>>[19]
ご回答ありがとうございます。
やはりマガジンポーチは無かったんですね。
マイミクさんのところに複製の為貸し出していたOTO−M35手榴弾が帰ってきました。
お礼に複製品を1個いただきましたが非常に良い雰囲気です。
左が実物、右が複製品です。
ヤフオクで、落札しました。
イタリア軍のモノらしいのですが、もしかしたら、山岳部隊用なのですか?

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