メッサーシュミットがあるならフォッケウルフもあっていいじゃないか、とおもいますた。
===以下のような方は、どうぞふるってご参加をば===
◎フォッケウルフが好きだ
◎Fw190もいいけど、Fw200もなにげにいい
◎あの無骨さがたまらない
◎あのセンスがたまらない
◎W・E・メッサーシュミット博士よりクルト・タンク博士の方が天才だ
◎翼の付け根から突き出る20mm機関砲に萌え
◎やっぱり質実剛健でしょ
◎「戦闘機(軍用機)はサラブレッドではなく軍馬でなくてはならない」と思う。
◎空冷も液冷もどちらもイイ感じ
◎実用一点張り!!!
◎万能機とか多用途機ってスバラシイ〜
◎スピナーの渦巻き塗装や赤白の縞々塗装が気になる
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話題は戦闘機に限りません。
ジェット機でも、計画機でも、試作機でも、偵察機でも。
アニメでも、小説でも、プラモデルでも、技術的な話でも、何でもOK!
↓ 参加表明等、あいさつはこちらから ↓
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以下のようなことはご遠慮ください。
参加者・閲覧者が不快になるような書き込み。
重複トピックの作成。
上記以外でしたら、ご自由にトピ立て等行ってください。
基本的に管理人は放置ぎみです(汗
ではヨロシクお願いします。
2006.10.4 登録者が200人を超えました。
2009.3.12 登録者が400人を超えました。
========フォッケウルフ社沿革========
1923年 10月、ハインリッヒ・フォッケ、ゲオルグ・ウルフ、ウェルナ・ノイマンにより、ブレーメンに ブレーマー航空機製造株式会社(Bremer Flugzeugbau AG)として設立、すぐにフォッケウルフ社に改名。(正式名称はフォッケウルフ航空機設計社)
1927年 9月、創設者の一人、ゲオルグ・ウルフがテスト飛行中に死亡。
1931年、フォッケウルフはベルリンのアルバトロス航空機製造所を吸収合併。
1934年、Fw 44を開発し、最初の商業的な成功作となる。
1935年、航空省から出された新戦闘機の競作にアラド、BFW、ハインケル、フォッケウルフが参加。
フォッケウルフは、この競作にパラソル翼のFw159で臨むも落選。その結果BFWのBf109が選ばれる。
1936年、Fw200設計開始。
同年、最初の実用的なヘリコプターFw61初飛行。
1937年、株主により社を追われたハインリッヒ・フォッケは、ゲルト・アハゲリスとともにヘリコプター製造に特化したフォッケアハゲリス社を設立。
同年7月、Fw200初飛行。後にルフトハンザの大西洋アメリカ路線に就航。
1938年、Fw190設計開始。
1939年6月、Fw190初飛行。1941年から実戦配備され1945年まで量産された。
Fw190は第二次世界大戦中後半のドイツ空軍の主力になったレシプロ単座戦闘機である。Fw190から発展したモデルは、クルト・タンクの名前からTa152の制式名になった。
ブレーメンにあったフォッケウルフ社は1940年から連合軍の戦略爆撃目標となり数次の爆撃を受ける。
1945年5月、ドイツ無条件降伏。
連合国による占領統治が始まり、フォッケウルフ社は航空機の製造を禁止される。
1951年、ドイツで限定的な航空機の製造が許可され、フォッケウルフ社はグライダーの製造を開始。
1955年、動力機の製造を再開し、練習機を製造。
1964年、ヴェーザー航空機製造有限会社(Weser Flugzeugbau GmbH)に吸収され、Vereinigte Flugtechnische Werke (VFW)になった。
1965年、VFWはハインケル社を吸収。
1980年、VFWは Messerschmitt-Bölkow-Blohm (MBB)に吸収された。
(MBBはメッサーシュミット社とベルコウ社、ブロームウントフォス社が合併した会社)
1989年、MBBはDASAに買収された。