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テクノロジーカフェコミュのgongon日記からの転載→議論継続!

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gongon-2007年01月20日22:39
「あるある納豆捏造事件?と不二家」

今日のmixiニュースに、納豆を売り切れにするまでに影響を与えた年初の「あるある大辞典」に5件の捏造があったという記事が出た。まだ詳細調査中だし、納豆の効果の全てが否定されたわけではないが、番組作成に捏造があったのは確からしい。

社会的に信頼され影響の大きい番組がその信頼性に傷をつけたことになるのだろう。不二家もそういう意味では同じ。社会的に影響が大きいということは、強い結びつきを持つステークホルダーが大量に存在するということ。ちょっとした過ちが大きな綻びにまで広がる状況にある事をこのような企業や事業は心得ておかなければならない、ということだろう。

自分だけの感覚で「大したことではない」と判断するのは、感じるべき主体(ステークホルダー)を認識していないことから来る。「技術が社会や自然に与える影響」を認識するという、JABEEの要求事項は、技術者教育にとって大切だ、ということがこれを見てもわかるのである。


→mixi staff?-2007年01月20日23:38

納豆ごはんダイエット☆
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1421941
管理人 モモマロママ
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=412005

納豆ダイエットに挑戦!!
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1719302
管理人 ☆まぁにゃん☆
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=8351388

納豆ダイエット!
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1723948
管理人 加害者
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=919062
副管理人 貔流蟻
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=4085671

納豆ダイエット
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1726002
管理人 みはる?
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→組込み系技術者さん-2007年01月20日23:58

 テレビ番組における健康情報など、芸能人や一般視聴者が実験台になって検証しています。
 しかし、サンプルは、たかだか5人くらいです。
 もっと多数のサンプルを試して統計的処理をしても、結論は「効果は否定しきれない」ぐらいの非常に控えめなものしか出ないはずなのに、5例くらいで一般化した結論を出すというのは、科学的な態度とはいえないと思います。

 この手の番組で、一つだけ評価できるのは、実験内容が公開されていることです。
 実験内容が公開されているため、番組の結論が正しいか正しくないかの判断が、一般視聴者にもある程度つけることができます。
 しかし、実験内容も捏造があると、茶飲み話にもならなくなります。

 さて、批判だけでは実りがないので、解決策も考えてみました。
 他局との競争形式にしたらどうでしょうか?
名づけて「究極vs至高プロジェクト(笑)」
 美味んぼの、東西新聞と帝国新聞みたいに、健康食品やダイエット方法の効果について、どちらがより効果的かをアピールしあうのです。
 相手チームの主張に対し、追試や論理的矛盾がないかの検討をして、互いにけん制すれば、今回のような捏造は、原理的になくなるでしょう。
 きっと矛盾点をつくようなスリリングな展開があれば、きっと視聴率は取れるでしょう。

 こんな提案どうでしょう?

→ROKUさん-2007年01月21日17:20

基本的にはダイエットって、
消費エネルギーと摂取エネルギーの差で決まるので、
特定の食品とか薬剤でやせるというのは、
原則的にはないと考えたほうがいいんでは。
これまでいろんなダイエットが流行ったけど、
結局無理がある。

車中心の社会で、
体を動かさなくなっているのが原因だよね。

この前もサイエンスカフェでも発言したけど、
もうマスコミのこういう騒ぎってやめてほしいね。

おそらく下請けに番組制作をさせて、
予算ぎりぎりでやらせる仕組みを変えない限りは、
こういうことはなくならないし、
テレビが信頼を回復する時代は来ないのではないかな。

コメント(12)

今回の関西テレビの謝罪を注意深く見ればわかるのですが、今回の「あるある」の納豆報道がまずかったのは、検証されていない仮説をあたかも検証されたかのように報道したこと、検証データを捏造したことにある。
であるから、「納豆が・・・ダイエットに効き目がある」という仮説自体は仮説のまま実は生き残っている、ということ。つまり検証されていない仮説として残っているのである。

今回の捏造事件を否定的に論じる余り、「納豆のダイエット効果」仮説まで根も葉もないものと結論するのは論理的に間違っています。まだ検証されていないに過ぎないのであって、反証が上がっているわけではない。

この辺りのことを関西テレビの謝罪放送では、実は注意深く取り扱っていた。つまり、「納豆にダイエット効果がある」という仮説自体は、三段論法的に3つの学説を組み合わせることにより導き出せる可能性があることを最初に述べていた。
その上で、その可能性を論証する上で時間がなかったために、捏造という手段であたかも検証されたかのように報じてしまった、ということが問題だ、とした。

それでも「あるある」批判報道の中にも、「ダイエット効果なんてあるわけない」と断じてしまう論理的誤りを犯す放送局も多かった。これも実は大問題ですよ!「納豆をあるあると心中させるな!」と言いたい。

私は「納豆にダイエット効果がある説」には、まだ検証の必要性が残っていると思っています。
ダイエット効果は確かに消費エネルギーと摂取エネルギーの差で決まるのですが、基礎代謝が上がれば消費エネルギーは上がるので、そういう食品があればダイエット効果は見込めるはずです。食品には体を温める種類のものや冷やすものもある。基礎代謝に食品が影響することは十分に可能性があるのです。
私は、この恐らく「納豆が品余りで安くなる」であろうこの時期に思いっきり納豆を食べて、自分でダイエット効果を確かめてみたいと思っている。そういう今はチャンスなんですよ!と私は思います。
納豆に罪は無いし、マスコミによるマスコミ叩きも「何だかなぁ」と思えてしまいます。

gongonさんも言われているように、これを機に納豆が安く出回るでしょうから、私は納豆を使った料理にでも色々チャレンジしようかなと思っています。

いっそのこと、「魯山人風納豆でダイエット」とかどうでしょう?2〜300回、かき回す必要があるので、毎日、頑張ってかき混ぜればちょっとした運動になるかもしれません。(ややアイロニカルですかね(^^;)

ピンチをチャンスに変える視点は、重要ですよね。
 データ捏造の動機を知りたいですね。

 番組制作費が足らないとデータ捏造するんでしょうか?
それとも、製作期間が足らないとデータ捏造するんでしょうか?

 データの妥当性を評価する指標が欲しくなります。

 ソフトウェアのテストの場合、
(1)テストの結果、バグ検出件数が少なかった
 →テスト項目の品質が低い
(2)テストの結果、バグ検出件数が多かった
 →ターゲットの品質が低い
...と、どう転んでも、結果が良いと信用してもらえなかったりします。

 同様に、あるあるの番組制作に関して
(1)短期間で、すばらしい結果が出た
 →どこかに誤りがあるに違いない
(2)時間をかけても、結果が出ない
 →仮説自体がダメダメなのでは?
というような評価の尺度が必要なんじゃないかなぁ?
 なんだったら、データの信頼度について、番組に参加する視聴者による投票でも、わりかし冷静なデータが集まる気がします。
「裏切られた」「捏造なんて許せない」。捏造というような行為が明らかになると、その動機に「悪意」を見てしまうのはある意味自然な成り行きなのですが、実のところこういう「墓穴」はまじめに取り組むことによって陥ってしまうことがあるように思います。

「発掘、あるある」のコンセプトを想像するに、まだ常識化していないが、信憑性のありそうな仮説(その説を提示した研究者にとっては真理と判断しているに違いない仮説)を見つけ出し、その裏づけ実験を行なった上で自らの責任で世に知らせる(知識財産として共有する)、ということではなかったろうか。番組の当初はあるいはもっと検証の敷居の低い知識(即ち、学会では常識だが世間では常識になっていない知識)を共有するものだったかもしれない。問題はこのような類の特に視聴者に役立つような知識がどこまで既に蓄積されており、また新たに生み出されるか?ということ。つまり、毎週1回の番組を継続的に成立させるためには、例えば1年間番組を継続使用とすれば、現在の対象知識の存在量+今後1年間の知識発生量が50件以上ないと続かない。また恐らくこのような知識は最初は敷居の低い(=学会常識度の高い)知識が多く、番組が検証の責任を負う度合いも低かっただろうが、だんだん敷居の低い知識は枯渇してきたのではないか。すると番組存続のためにはより敷居の低い(自ら検証責任を負う度合いの高い)知識に手を出すことになる。
今回の「納豆のダイエット効果」を導き出した三段論法は、3人の全く別個に提示された論文を番組スタッフが自ら繋げたものであり、相当敷居の高い知識にチャレンジしていたことが分かる。番組存続そのものがだんだん難しくなってきていたことが覗えるのではないだろうか。

しかし、それだけで捏造が起こるわけではない。そこには「実務担当者」の陥りがちな落とし穴が作用していると考えられる。技術者なら誰しも経験するのだが、ある仮説にたどり着き、それが素晴らしい結果をもたらす「ハズ」の内容の場合、その仮説に自ら陶酔してしまうことがある。自説への妄信である。技術者あるいは研究者として「確かにその説の検証はまだだ」とは分かっていても、自分の感触としては80%以上正しいと思ってしまう。こうなると、その正しさは検証されなくても80%正しいのだから、例え検証「作業」が不十分でも結論さえ間違っていなければいいのだから、検証の証拠を「検証される前に準備」しても、それが外れる可能性は20%しかないはず。であればそのリスクは自ら負える範囲だ、という発想になっても不思議ではない。またその裏には番組存続への圧力もある。失敗確立が20%しかなく、かつ番組存続に100%貢献できるのであれば、このリスクを取ることに何の躊躇がいるだろう!となったのではあるまいか。

研究開発担当者自らがこの陶酔の誤りに気づくことは困難かもしれない(特に、若い担当者の場合)。ではこれを防ぐのは誰か、と言えば、この場合は番組の(内容編成の?)責任者だろう。この番組責任者には、はじめのところで書いたこの番組の成立が次第に困難になっていく宿命と、その寿命を見極める力量が求められるはずだが、この担当者にはまた、高視聴率番組を継続させる期待が局の方から寄せられていたであろう。あるいはこの宿命に気づいていなかったのかもしれない。(勝手な推測なので、ご当人に失礼があるかもしれませんが、あくまで議論を進めるためなのでご容赦願いたい。)
局の上層部がこの番組の宿命を理解していたとしても、その限界が近いのかまだ先なのかは、番組責任者のみぞ知るであるから、この責任者の判断が一番重要になってくるのではないか。

ちょっと推論が過ぎたかもしれないけど、私がここで言いたかったのは、上述の推論の中では誰も「悪意」など抱いていないこと。誰もが陥る誤りによって今回の捏造が行なわれた可能性です。だから単純にそこに「悪意」を見るのは、少なくとも技術者(技術に関わる者)としては避けるべきではないか、ということです。

ここで書きませんでしたもうひとつの問題、即ちマスコミの論理性のレベルが低さについては、別途考えてみたいとおもいます。
今回は、テレビ業界の視聴率至上主義が道を誤らせたと思います。NHKでさえ、視聴率に踊らされている。
確かに、日曜日の21時台は激戦区である。他のテレビ局も、この問題は他人事であると思わずに、自らを戒めて欲しいと思う。
マスコミというか、テレビメディアに関わる人達のうち、人気番組を作っている一部の人達は、視聴率さえ稼げるならば、やっていることは全て認められると思っているのではないでしょうか。そうであるならば、人をバカにしすぎている。関西テレビも、番組制作を外注するとき、それを受け入れる「受け入れ検査」に当たる評価をしているのでしょうか? 社外から仕入れた番組が倫理的にも問題無いかなど、検査をすべきであり、それをやっていないとすれば、つまり、ざるであるならば、頭が悪すぎる。テレビ局の中で、報道以外に関わる部隊で、特にバラエティー系の人達には、倫理観の欠如が感じられるのですが、どうでしょうか。
そんなテレビ局に、不二家問題を扱う資格は無いと思いませんか? JR西日本の話しをしてもらいたいとはきっと誰も思いませんよ。報道系であろうと、バラエティー系であろうと、同じテレビ局の内部の人であれば、同じ倫理指針に従うはずであり、もしもそういったものを定めていないのであれば、報道機関としての関西テレビは報道機関としては失格でしょう。
しかし、朝ズバのみのもんた氏の批判は厳しいですね。同じテレビというメディアに出る人として、自らを戒めるような意味もあるのでしょうか。
倫理的に行動しようとする場合、まず倫理感が必要なのは当然ですが、その上でその業務や立場がどういう関係性(どんな人たちのどういう利害に影響するか)を考慮した上で、倫理要綱のような一般則が必要になる。技術士には技術士倫理要綱がある。放送界にも「放送倫理基本綱領」というものが1996年9月16日にNHKと民放連が共同で作られているらしい。
http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/rinri/sankou.htm
これを見て「余りに漠然としてる」と思われるかもしれないが、基本綱領とはそういうもの。放送に関する全ての行動の倫理性について考える時、一般則として役立たないといけないから、具体的に書かれていないわけです。この一般則だけでは恐らく倫理的行動に役立たないからH.Hideさんの言われるように「倫理指針」レベルのもう少し具体的にしたものを各放送局が整備することになると思う。関西テレビには「放送基準」というものが整備されている。
http://www.ktv.co.jp/ktv/standard/index.html
同社発表の「『発掘!あるある大辞典?』の打ち切りについて」にはこの「放送基準」の存在に言及されていないので、どこまで浸透しているか分からないし、ましてや下請けにどこまで徹底されているかちょっと疑問を持つが。

話は少しずれるが、「非倫理的」という言葉はどうも「半犯罪的」に近いイメージがあって、「悪意」まで行かなくてもちょっと重過ぎる表現のように思う。まじめにやっていても間違いを犯してしまう可能性については24日のカキコで述べたが、このような誤りを表現するのに「許されないだらしなさ」という言葉はどうだろう。「倫理的に脇が甘い」ようなイメージ。「だらしがない」とは、かの みのもんた氏の口からも良く出る言葉だ。

さて話を元に戻す。
倫理的に行動しようとする場合、一般則の「倫理綱領」とそれをある程度具体化した「倫理指針」だけで十分かと言えば、十分でないからこのような不祥事が起きた、とも言える。では何が足りないのか?
自分の行動を振り返ると、誰しも同じだと思うのだが、「この一線を越えると自分に責任が持てないこと・行動」について「そういう状況に近づかない・行動しない」ことを決めているのではないでしょうか。つまり自分だけの「べからず集」を作っている。
例えば、「人を殺傷してはいけない」という「綱領・指針」があるとすると、その背後には「その人も自分も、自分の身内や関係者も不幸になるから」という関係性の洞察があるのだが、それだけではなくて「カッとならないようにする」「カッとなった時にそれを人に向けないように『当たるなら自分の持ち物』と平素から意識付ける」「武器になるものを持たない・意識しない」という「べからず集」にまで落とし込んで初めて倫理的行動が保証される。「べからず集」にするということはつまり「脇を固める」ということ。こうすれば「許されないだらしなさ」レベルの「非倫理的行動」も防げる。

みのもんた氏が厳しく批判できるとすれば、それは「だらしがない」という言葉を口にできるくらい、自分で「倫理的に脇を固めている」からだと思う。

ところで、今朝の新聞に「番組データ捏造に学術会議『科学者規範守り制作を』」という記事があったので調べてみた。談話と「科学者の行動規範」はこちら。↓
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-d4.pdf
科学番組への科学者規範の適用を求めたものだが、科学放送に対してこれを求めるのはやっぱり必要でしょうね。
(この辺り、科学技術コミュにケーター養成教育ではどう扱われているのかな?)

最後は各人の「べからず集」にまで具体化されないとこれも力を持たないかと思いますので、関西テレビの今回事件の「調査委員会」でも、自らの「放送基準」と共に「科学者の行動規範」をプラスして、これらを一人ひとりにどう徹底するか(即ち「倫理的に脇を固めさせるか」)にまで検討されることを期待したいですね。

(あー、また「非論理性」にまで話が至らなかった。)
H.Hideさんworte:
>関西テレビも、番組制作を外注するとき、それを受け入れる「受け入れ検査」に当たる評価をしているのでしょうか?

 このプロセスがしっかりしていれば、下請けが、取材していないことを、公表してしまうリスクは減ると思います。
 番組そのもののチェック、背景となるエビデンスのチェック、実験に参加した一般視聴者へのインタビューなどを実施すれば、お粗末な改ざんは見抜けると思います。

 毎回実施するのにコストがかかるなら、年に数回、抜き打ちで実施しても同様の効果があると思います。
 常日頃、正直にエビデンスを残していないと、上記チェックの準備をするのは大変ですから。
「責任触れてない」関西テレビ報告を総務相が批判
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=157542&media_id=20
という読売新聞提供の記事がmixiニュースに掲載された。
その主な部分を以下に抜粋する。

「菅総務相は9日、閣議後の記者会見で、フジテレビ系の情報番組「発掘!あるある大事典2」の捏造(ねつぞう)問題で関西テレビが総務省に提出した報告書について、責任を孫請け会社に転嫁している内容を厳しく批判した。
 菅総務相は「経営全体の責任が全く書かれていない。孫請け会社が(捏造を)すべてやったことになっており、子会社や関西テレビ全体のチェック体制の責任に触れられていない」と述べた。
 さらに「事実をねじ曲げたか否かという、放送法上の観点からの検証が十分ではない。再発防止も具体的なものがなかった」と指摘したうえで、関西テレビに求める再報告の期限を月内とする方針を明らかにした。」

H.Hideさんと組込み系技術者さんのご指摘の通り、「受け入れ検査」が殆ど無かったということなのでしょう。しかも孫請けに責任を押し付けているようである。

同社ホームページでは1月29日に第三者による調査委員会を発足させたと氏名入りで公表されている。
http://www.ktv.co.jp/070129.html
今回の報告書はまだこのメンバーが深くは関与していないだろうから、今後に期待というところだが、そうは言っても経営陣は十分批判に値するでしょうね。脇の甘さの域を越え、既に犯罪的なレベルに達しているように思える。これは放送界全体にとっても重大事態ですぞ。たとえこれが同社だけで起こったことと仮定しても、一部にでもこのようなことが起こっているとすれば、放送界としての「関係性の洞察」の弱さ、不徹底が問題にされないといけない。
科学番組への「科学者の行動規範」適用についても、放送界として態度を明確にすべきじゃないかと思う。

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