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宗教的対話ー「三つのL」ーコミュのイエスは食べられて復活した―バイブルの精神分析・新約篇

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本書は2000年9月26日に社会評論社より出版されたものをスキャナでとったものです。

イエスは食べられて復活した
―バイブルの精神分析・新約篇

     目次

ブロローグ「人喰い」と「イエスの復活」
1 「人喰い」という者が「人喰い」
2 イエスは食べられ復活した!?

第一章 ユダヤ教とキリスト教とは何か
1 イエスは神か神の子か
2『旧約聖書』と『新約聖書』
3 超越神か自然神か?
4 イエスラルの由来
5 契約する神・審判する神
6 メシア信仰
7 メシアをとるかトーラーをとるか?

第二章  イエスの降誕
1 イエスの家系図
2 処女懐胎
3 イエスはべツレヘムで生まれたか

第三章 イエスの出家
1 セッフオリスのイエス
2 出家の動機をめぐって
3 バプテスマのヨハネ
4 聖霊が鳩のように降ってきた
5 荒れ野の誘惑

第四章 ガリラヤでの伝道
1 ガリラヤでの伝道の開始
2 貧しい人々は幸いである
3 トーラーの完成
4 腹を立ててはならない
5 姦淫する目は抉りだして捨てよ
6 離緑と誓いの禁止
7 敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ
8 明日のことを思い悩むな
9 狭き門より入れ

第五章 悪霊退散のパフォーマンス
1 悪霊役者の誕生
2 悪霊は豚の群れに飛び込んだ
3 人間をとる漁師に成れ
4 イエスの説得
5 悪霊役者の養成
6 罪人を招くために来た

第六章 メシアをとるかトーラーをとるか
1 メシアによる救い
2 人の子は安息日の主である
3 平和でなく剣を
4 足の埃を払い落とせ
5 家族はイ工スが気が触れたと心配
6 イエスブームの退潮

第七章 命のパンと教団大分裂
1 わたしが命のパンである
2 人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ
3 永遠の命の言葉
4 弟子たちの大離反

第八章  エルサレムへ
1 預言者はエルサレムで殺される
2 メシアは驢馬に乗って
3 神殿から商人を追い出す
4 天からか人からか
5 「ぶどう園と農夫」の話
6 カエサルのものはカエサルへ
7 死んだ者の神ではなく、生きている者の神
8 神への愛と隣人への愛
9 メシアはダビデの子か?
10 神殿の崩壊を予告する
11 終末の徴と苦難の予告と人の子の到来

第九章  最後の晩餐
1 貧しいやもめの献金
2 イエスを殺す計画
3 べタニアの香油とユダの裏切り
4 過越の食事をする
5 パンと赤ワインの聖餐

第十章  ゴルゴダへの道
1 今夜、鶏が鳴く前に三度
2 イエスはひどく恐れて悶えた
3 皆イエスを見捨てて逃げてしまった
4 最高法院でイエスはメシアを自認
5 ピラトとへロデに尋問される
6 イエスの死に対する責任
7 メシアイエスの処刑祭典
8 エリ、エリ、レマ、サバクタニ

第十一章 イエスの聖餐
1 イエスの埋葬
2 屠られた仔羊
3 神聖な儀式として聖餐

第十二章 イエスの復活
1 暴かれた墓
2 マグダラのマリアの全能幻想
3 エマオに現れたイエス
4 弟子たちに現れる
5 復活体験と世界宣教
6 パウロの復活体験

エピローグ「命のパン」における循環と共生の思想
1 梅原戯曲における「復活」
2 死して生きる「命のパン」の思想

あとがき

コメント(125)

---------------------8 神への愛と隣人への愛-----------------------------

□イエスの復活解釈については律法学者の中で感心した者もいたようです。イエスは律法学者たちをバプテスマのヨハネのしたようにファリサイ派として、ひとまとめにこき下ろしますが、真面目に神の義を追求していた人もたくさんいたのです。

□特にトーラーとトーラーが矛盾する場合、どのトーラーを優先すべきかが問題になり、全てのトーラーの基礎となるトーラーとは何かが、律法学者の中でも議論されていました。

「彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。『あらゆる捉のうちで、どれが第一でしようか。』

□イエスはお答えになった。『第一の捉は、これである。「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」第二の捉は、これである。「隣人を自分のように愛しなさい。」この二つにまさる捉はほかにない。(律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。ー「マタイ伝」)』

□律法学者はイエスに言った。『先生、おっしゃるとおりです。「神は唯一である。ほかに神はない」とおしゃったのは本当です。そして「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する」ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。』

□イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった」(「マルコ伝」第一二章28〜34節 〉

□この律法学者はイエスと同じ意見です。「神への愛」と「隣人への愛」に生きることで、たとえトーラーを字句通りに実行できなくても、全てのトーラーを成就していることになるのです。ではこの問題に関してイエスの思想に独創性はないのでしょうか。田川建三の『イエスという男』(三一書房刊、32〜34頁)では、次のようなユダヤ教の文献が紹介されています。

□「自分にとっていやなことは、隣人に対してもなさぬがよい。これが律法のすべてであり、他はすべてその解釈にすぎぬ。行って、このことを学ぶがよい。」(イエスより二、三十年前のラビヒレルの言葉)
「己の如く隣人を愛すべし。これこそ律法の中で最も重要で、かつ包括的な基本の戒めである。」(紀元後二世紀はじめのラビアキバの言葉)
「私は心をつくして主とすべての人々とを愛して来た。子らよ、汝らもそのようにせよ」(「イッカサルの遺言」、『十二族長の遺言』より)
「生命をつくして主を愛し、またまことの心をもって互いに愛しあえ」(「ダンの遺言」、『十二族長の遺言』より)

□それでこの二つの愛の教説はユダヤ教の共通認識だったのに、キリスト教が、これこそはキリスト教の専売特許のように言いふらすのはどうかと、田川はキリスト教の姿勢にクレームをつけています。田川の言う通りなのですが、それでも私は、次の点にイエスの独創性を認めたいと思います。

□イエスはこの二つの愛の教説に「律法全体と預言者」を包み込んでしまうことにより、「トーラーの呪い」から民衆を解放し、律法中心主義を超えて、「メシアによる救い」の立場を打ち出すことができたのです。

□つまりこの二つの愛の教説もトーラーとして捉えている限り、自らが救われるために愛することになり、そんなものは愛と言えなくなってしまうので、かえって神を欺く罪になってしまいます。ユダヤ教では、あくまで「トーラーの呪い」から抜けられなかったのではないでしょうか。イエスはそのことに気づきましたから、自分は「トーラーの呪い」から民衆を解き放っ原理を掴んだと確信したのです。

□「トーラーの呪い」からイスラエルを解放することで、二つの愛に生きる「神の国」が到来するのですから、この原理に気づいたイエスはメシアの自覚を抱いたのです。イエスは「二つの愛」の教説が自分の力だけで気づいたのではなく、そこに大いなる力が自分に働いて気づいたに違いないと思いました。それは聖霊が自分には宿っているからだと思われたのです。

□ではその聖霊は果していつ宿ったのでしょう。はじめて神殿に捧げられた時に聖霊が宿ったのか、バプテスマのヨハネに洗礼を受けた時に天から聖霊が降りたのか、荒れ野の修行でサタンを退けた時か、ともかくイエスは「二つの愛」の教説に気づいた時に自分の中に聖霊が宿っていることをはっきりと自覚したのです。

ーーーーーーーーーーー9 メシアはダビデの子か?ーーーーーーーーーーーー

□メシアはダビデの子つまりダビデの子孫であるということは、常識です。イエスがエルサレムに入城したときも「ダビデの子にホサナ」と歓迎されたのです。

□イエスがメシアであるのは、イエスがダビデ王の子孫であることを前提にしていました。ということはイエスがダビデ王の子孫ではないことが明白になれば、イエスはとんでもない偽メシアだということになりかねません。そこでファリサイ派やへロデ派もイエスの家系図を手に入れようとし、その信憑性を調査していたことと考えられます。

□福音書はキリスト教団が編纂したものですから、イエスにとってあまりにイメージダウンになることは書けません。この神殿での論争はイエスが圧倒的に優勢のように書かれていますが、「ぶどう園と農夫」の話は、独善的だと思った人も多かったでしょうし、「カエサルのものはカエサルへ」もメシアらしからぬ発言だと失望を与えました。「復活についての問答」は要領を得ません。「二つの愛」の教説では、律法学者と共感し合うばかりです。だからイエスの独創性がどこにあるのか分かりにくかった聴衆も多かったでしょう。

□いよいよイエスの家系が問題にされ、ダビデ王の子孫であるという証明を求められたのです。ところが「マタイ伝」と「ルカ伝」では家系図が違いますね。どちらが本当なんだか分かりません。そういう質問などがあったかもしれません。イエスはそういう質問に対して、無視を決め込んで、メシアはダビデの子ではないことを論証したのです。

□「イエスは言われた。『ではどうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。「主は、わたしの主にお告げになった。『わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足もとに屈服させるときまで』と。」このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。』これにはだれ一人、一言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった。」(「マタィ伝」第二二章43〜46節)

□この問答でも相手をギャフンと言わせたみたいに書かれていますが、民衆のイエスがメシアかもしれないという期待は、ダビデ王の子孫かどうか怪しいという印象を受けたことで、ずいぶんしば萎んでしまったでしょう。

□この「ダビデの子」問題で、イエスは、イエスの素性を追求した律法学者やファリサイ派の人々に腹を立てます。彼らが退席してから、彼らを口汚く罵ります。いわく、「有言不実行」「 人に重荷を背負わせて、自分は手を貸さない」「虚飾」「上席を取りたがる」「先生と呼ばれたがる」ないがし「偽善者」「ものの見えない案内人」「正義・慈悲・誠実を蔑ろにしている」「外側は正しいように見えながら、内側は偽善と不法に満ちている」「預言者を殺した者の子孫」「蛇よ、蝮の子らよ」等です。

□一般の地の群れ(アムハーレツ)と呼ばれた民衆は、ファリサイ派達の偽善者ぶりに憎悪を抱いていたことは事実でしょうが、イエスが演説をした場所は、聖都のエルサレム神殿の境内です。いわばサドカイ派やファリサイ派の牙城です。聴衆の中には純粋の地の群れでない人も多かったでしょう。

□もちろん良心的で、立派な祭司や律法学者もいます。それに祭司や律法学者は、わざとイエスにはていねいな言葉遣いで話します。それでイエスがあまりに口汚く罵りますと、ゴロツキにしか聞こえません。

□それにイエスはガリラヤ方言のなまりが強かったと思われますから、興奮しますと、つい河内弁でがなっているように柄が悪く聞こえたかもしれませんね。
-------------------10 神殿の崩壊を予告する------------------------------

□さんざん悪態をついた挙げ句、火曜日も終わりに近づき神殿を後にします。帰り際には聴衆の反応がかなり白けていたのでしょう。イエスはかなり自信をなくし、落ち込んでいます。それで神殿に不吉な呪いの言葉を投げつけます。

□「イエスが神殿の境内を出て行かれるときに、弟子の一人が言った。『先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。』イエスは言われた。『これらの大きい建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。』(「マルコ伝」第一 三章 1〜2節)

画像はフランチェスコ・アイエツ『エルサレム神殿の破壊』

□へロデ大王が改築したエルサレム神殿は、まだ真新しく大変豪壮な建築だったと言われています。イエスはエルサレム神殿こそ、たくさんの預言者を殺してきたと思っていますし、自分もその犠牲者になると思っていました。イエスにすれば、そんな神殿は呪われていますから、神がユダヤの敵の力を借りて、神殿を崩壊させるに違いないのです。

□イエスの処刑後四〇年で実際に、熱心党がユダヤ解放戦争を指導しましたが、エルサレムは陥落して、神殿は崩壊しました。イエスの予告は見事に当たったのです。それはイエスを退けたため、「愛の解放戦略」を実行することができず、やがてユダヤ解放戦争を主張する熱心党が台頭したからです。

□神殿崩壊のイメージは、イエスの潜在意識の中では、神に対する相反並存感情(アンビバレンツ)が作りだしています。神に捧げられたという原体験が、イエスのコンプレックスを形成しています。プラス面では神との合一感から全能意識が人並みはずれていますから、強い「神の子」幻想を与え、宗教家としての資質を高めました。しかしマイナス面では、神に捧げられてしまったという心の疵になり、家族との疎隔感情が生まれました。天の父が住んでいるとされる神殿の崩壊は、ナザレの大工の息子としての自分を取り戻したいという願望から生じたイメージでもあるのです。
-----------------11 終末の徴と苦難の予告と人の子の到来-----------------

□イエス一行は神殿を出て、水曜日からは城外のオリーブ山で夜を過ごします。そこで弟子たちに終末の徴について話しました。その話によりますと、イエスの再来と名乗る者が大勢現れ、終末を告げて皆を惑わします。戦争騒ぎが起こりますが、まだ世は終わりません。地震や飢饉が起こり、使徒たちは大変な弾圧を受け、聖霊に導かれて証をします。イエスから聖霊を受け継いでいるので、使徒ではなく、聖霊が話すのです。

□家族も分かれて殺し合うようになります。イエスの弟子だということで弟子たちはすべての人に僧まれますが、しかし最後まで耐え忍べば救われます。

画像は「裁きのキリスト」の図・終わりの日キリストは雲に乗って再臨する(システィナ礼拝堂壁画)

□そして憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら、山に逃げなさい、大変な苦難が来ます。天地がひっくりかえるぐらいの未曾有の苦難が来るというのです。そして偽メシァや偽預言者が現れますが、惑わされてはならないのです。

「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」(「マルコ伝」第一三章24〜27頁)

□終末のイメージは大戦争や天変地異が起こり、未曾有の苦難をなめ尽くした後で、終末になるということです。なぜなら多くの預言者や人の子を殺してきたので、その報いとして終末までにもかなりの苦難を耐えなければなりません。

□そして太陽、月、星、という天体までも揺り動かされた上で、人の子が雲に乗って再臨するというのです。イエスは自分が神に捧げられた「神の子」として、世を救う使命を宿命として果たそうとしたのです。それに対してサドカイ派、ファリサイ派、へロデ派などのユダヤ社会の既成権力だけでなく、結局民衆も彼を見捨てたわけですから、世を恨む心が強くなっていたのです。

□一般人が世に恨みを持ちましても、その反社会的行動は法規ゃ慣習・道徳を繊蹴する程度で済みますが、イエスのように自らを絶対者と一体化させて捉える「神の子」の場合は、審判が「ノアの洪水」「ソドム」といった絶滅イメージで捉えられがちです。

□人の子は殺されていますから、雲に乗って再臨するのなら、復活させられていることが前提です。その場合、地上で肉体を持ったままで復活すると考えられていたのでしょうか。でもイエスは聖霊の弟子への引き継ぎを考えていましたから、三日目の復活では弟子の中に聖霊としても復活することを考えていました。そして雲に乗って再臨する「人の子」はおそらく神の懐で復活させられたイエスを指しているのです。

ーーーーーーーーーーーーー第九章 最後の晩餐ーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーー1 貧しいやもめの献金ーーーーーーーーーーーー

□「ルカ伝」によりますとイエスは日中は神殿で境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされたことになっています。火曜日に「ダビデの子問答」の後、律法学者を非難してから、「やもめの献金」の話をしています。金持ちが大金を献金するのに対して、貧しいやもめが銅貨二枚を賽銭箱に入れました。

□「確かに言っておくが、この貧しいやもめはだれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである」(「ルカ伝」第二○章3〜4 節)

□生活費を全部入れてしまったら、貧しいやもめは生きていけませんね。財布からなけなしの金をはたいて献金したかもしれませんが、家には生活費ぐらいはあるのでしょう。イエスはあくまでも、見本として貧しいやもめの献金を取り上げているのです。

□本当に真剣な信仰ならば、神に全てを捧げる覚悟がなければならないというのです。ゆとりの一部を神に捧げて、保身をはかるのは神を自分の道具として扱っているのであり、真実の信仰とは言えないことになります。このことはとりもなおさず、イエスたちの信仰は自らの全てを投げ出した信仰であることをアピールしているのです。

□「神殿の崩壊」から後はオリーブ山で弟子に話されたことです。水曜日、木曜日に神殿で話された内容は伝わっていません。その理由は分かりませんが、イエスの話が何曜日に何が話されたかはっきりしていないので、二日間の話になってしまったと推察できます。あるいは水曜日、木曜日の話の時には、火曜日のイエスの説教が内容的に民衆のメシア待望に幻滅感を与えるものでしたので、民衆がほとんど集まらなかったのかもしれません。それで弟子たちにも強い印象を与えなかったとも想像できます。

--------------------------2 イエスを殺す計画----------------------------

「『 あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は十字架につけられるために引き渡される。』そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した。しかし彼らは『民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう』と言っていた。」(「マタイ伝」第二六章2 〜5節)

□過越祭はユダヤ暦ニサン月(およそ四月)一五日です。この過越祭は土曜日の夜です。つまり金曜日の昼の後にすぐ土曜日の夜に入るのが当時のユダヤ暦ですよ。日没から日没までが一日ですので、誤解のないようにしてください。

□この最後の晩餐は、その二十四時間前でしたから金曜日が始まったばかりのタ方六時からでした。安息日や過越祭の日に処刑しますと、祭りを汚したと民衆が騒ぐ恐れがありますので、逮捕・裁判・処刑は急がなければなりません。イエスもその事情は分かりますから、逮捕が間近に迫っていると察知していました。
ーーーーーーーーーー3 べタニアの香油とユダの裏切りーーーーーーーーーーー

□夜はオリーブ山にいたことになっていますが、「マタイ伝」とマルコ伝」ではその夜はべタニアの癩病の人シモンの家に行ったことになっています。距離的にそう離れていませんから、オリーブ山からべタニアに行ってもおかしくありません。

□そこで一人の女が極めて高価な香油をイエスの頭に注ぎかけたのです。これを見て、弟子たちがぜいたく咎めたのです。高く売って貧しい人に施すことができたのにと憤慨しました。そこでイエスは弟子たちにこう言われたのです。

「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(「マタイ伝」第二六章10〜13節)

□イエスを葬る準備のつもりで女が香油をかけたわけではないでしょう。普通は腐臭を防ぐために死んでからかけるものですから。生きているうちにかけますと緑起でもないということになります。それよりイエスに香油をかけてユダヤの王にふさわしい雰囲気を醸しだそうとしたはずです。

□ですからイエスが貧しい民衆の指導者だと考えていた弟子にすれば、香油の匂いのするイエスなんてナンセンスなのです。それでイエスが女を庇ったのは、イエスの貴族趣味のような気がしたんです。そういうわけでこの弟子はイエスに反感を持つことになります。

□「ヨハネ伝」にもべタニアの香油の話があります。しかしそれは過越祭の六日前です。それはラザロが居た家なんです。香油をかけた女はマグダラのマリアだったのです。

「マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっばいになった。」(「ヨハネ伝]第一二章3節)

□マグダラのマリアはイエスへの想いが深い女性でしたから、この情景からは艶めかしいものすら感じます。これに反感を感じた弟子は、性的なものを感じて腹をたてたのかもしれません。実は、マリアに憤慨したイエスの弟子は、「ヨハネ伝」ではイスカリオテのユダだったことになっています。

「弟子の一人で、後にイエスを裏切るイヌカリオテのユダが言った。『なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。』 彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。」(同上 4〜6節)

□これに対してイエスのマリア弁護はやはり葬りのためのものだからというものですが、「ヨハネ伝」では、葬儀の六日前ですから、理由になりません。ユダは金入れを預かっていただけに、財政難のおりから、マリアに腹を立てたのは無理もないことです。それをイエスまでも放漫な教団経営を助長するようなことを言うので頭に来たのです。これで頭に来たユダは、祭司長のところへ行き、銀貨三十枚を条件にイエスを引き渡すことを約束したのでしょう。

□しかし「ヨハネ伝」ではユダの裏切りはその直前にサタンが入ったことに理由を求めています。ユダの裏切りの決断をいつに求めるべきは、材料が乏しいので決定できませんが、べタニアの香油事件と神殿での説教の不評が重なった時点でイエスを見限ったと思われます。

□ただし、これまで師として慕ってきたわけですから、離反はしても、敵に身柄を引き渡すというところまでは簡単にいきません。おそらくべタニアの香油事件に関連して、ぜいたく論争から財政の問題に議論が移りました。それでユダが厳しい節約を求めたのに対して、イエスがユダの横領疑惑を口にしたのでしょう。そのことがユダの裏切りの決意に結びついたと考えられます。

□ユダはイエスを物神として崇拝していたのです。ところがイエスは物神としての威力を失い、しかも自分に金銭疑惑をかけてきましたから、イエスを神としての崇拝することができなくなりました。物神崇拝(フェティシズム)では、物神が威力を喪失しますと、それに対して破壊攻撃をかけるわけです。ユダもイエスの神性を否定するために、偶像破壊として敵に引き渡したのです。註

註―石塚正英・やすいゆたか共著『フェティシズム論のプティック』(論創社、一九九八年刊)参照。なお石塚正英は『歴史知とフェティシズム』(理想社、二〇〇〇年六月刊)所収の「Cultusー儀礼と農耕の社会思想史ー」でイエスに対して弟子たちが葬儀でカニバリズムを行ったことを展開している。

□ユダにすればイエスの神性を否定すれば気が済むわけでした。決してイエスを殺そうとは考えていなかったのです。それにユダは状況認識が甘くて、イエスが十字架刑になるとは思っていませんでした。イエスが貧しい民衆を救うために命を投げ出して頑張っていたことをユダは、痛いほど良く分かっていましたので、ユダは良心の呵責に耐えられなくなって、十字架刑が決まると、自殺しました。ユダを悪の権化のようにキリスト教徒は扱ってきましたが、悪の権化が良心の呵責で首を括るようなことは決してありません。
----------------------5 パンと赤ワインの聖餐--------------------------

□キリスト教の教会での中心儀式は「パンと赤ワインの聖餐」です。パンや赤ワインを食べてもそれがどうして聖なる食事と言えるのでしょう。そもそも聖なる食事とはどういう意味でしょう。

□それは聖なるものを食べることなのです。ではどうしてパンや赤ワインは聖なるものなのでしようか。それはパンがイエス・キリストの肉であり、赤ワインがイエス・キリストの血だからです。

□そんな馬鹿な、パンは小麦粉を加工した食品だから、イエスの肉ではありえないし、赤ワインはぶどうを発酵させた飲料だから、どう考えてもイエスの血ではありえません。イエスの肉かどうかは成分や味によって決まります。

□成分も味もパンのものなのに、それを無理にイエスと思えという方が無茶ですね。プラグマティズムの創始者パースもそう言って怒っていました。

□宗教のことだから「鰯の頭も信心から」という諺もあるので、科学的に論じても仕方ないとおっしゃる方もおられます。パンや赤ワインを飲食することで、イエスと合一できるなら、簡単だし、安上がりで万人向きでいいやと思われるかもしれません。

□でも、宗教ならその宗教には独自の一貫した論理があります。八百万の神々を信仰している日本の神道なら、鰯の頭を信心してもらっても差し支えありませんが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のような唯一神信仰を掲げている宗教が、仮にも鰯の頭を神だとするわけにはいかないはずです。

□パンや赤ワインという食品を神とすることは、やはり物神崇拝(フェティシズム)の一種ですから、それをイエス・キリストの肉や血等と言うことはとんでもない冒瀆行為なのです。でも当のイエス・キリスト自身がパンを自分の肉だといい、赤ワインを自分の血だと言ったのなら、キリスト教徒がそれを受け継ぐのに文句をつけても仕方ないじゃないかと思われますか。

では本当にイエスはパンを自分の肉だと言い、赤ワインを自分の血だと言ったのでしょうか。そんなこと言ったとしたら、よっぽどどうかしていたんでしょう。では問題の個所をじっくり検討しましょう。

□「時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。

『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。』

□そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。

□『これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。』それからイエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。

□『これがあなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』

□食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。

□『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。』 そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論を始めた。」(「ルカ伝」第二二章14〜23節)

□「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた」とあります。この最後の晩餐には、単に死の前日を記念する別れの食事というだけじゃない特別の意味があったのです。

□「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これがあなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』」さてこの文章を解釈してください。イエスはパンを自分の体と言っているでしょうか。たしかに「これがあなたがたのために与えられるわたしの体である」とは言っています。しかしパンはイエスの体ではありませんから、イエスがパンを自分の体であるという意味を汲み取る必要があります。

□特にクリスチャンの方でパンをイエスの肉だと思い込んでいる人は、一度白紙に戻して教会での聖餐式のことは忘れて考えてみてください。

□イエスは直ぐにでも逮捕され、裁判にかけられて殺される危険が迫っているのです。ところがイエスは逃げる気はさらさらなくて、やがて襲うだろう最悪のシナリオを受け入れるつもりでいます。そのイエスがパンを裂いて、これが私の体です。これをよく覚えておいて、このように食べなさい。と教えているわけです。

□つまり最後の晩餐ではパンを食べるのです。イエスの肉を食べるのではありません。でもパンはイエスの体のつもりで食べたのですから、そのように明日の本番の過越の食事には、本物のイエスの肉を食べなさいという意味なのです。

□「食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『 この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。』」これも同じように解釈しますと、赤ワインはイエスの血ではないのに、イエスの血だと言っているのですから、今晩は赤ワインをイエスの血のつもりで飲んで、そのことをよく覚えておいて、明日の本番の過越の食事にはイエスの血を飲みなさいという意味なのです。そういうように解釈しないと、なぜ最後の晩餐に始めて「パンとワインの聖餐」を行ったのか分かりません。

□少し冷静になって考えてみてください。イエスは後のキリスト教会のように、パンがパンのままでイエスがこれがわたしの体であると言えば、本当にイエスの体になると考えていたと思われますか。イエスにパンをパンの姿や味のままイエスの肉に変え、赤ワインを赤ワインのままイエスの血に変える力があると、イエス自身が考えていたでしょうか。そう考えていたらイエスはフェティシズムに陥っていたことになります。

□ですから、現在キリスト教会が「パンと赤ワインの聖餐」を行う際に、フェティシズムで行ってはいけないのです。あくまでも「最後の晩餐」の大切な思い出を記念し、再現する儀式として行うべきです。だからパンをイエスの肉に見立てて食べるのはよいのですが、あくまでパンを食べているのであり、イエスの肉は食べていないことをはっきり分かっていなければ、イエスの行った「最後の晩餐」を記念することにはならないのです。

□それではイエスの肉や血を体内に取り込んで、イエスと合一することができなくなるじゃないかと不満な方もおられるかもしれません。個体的にはパンとイエスの肉は全くの他者ですが、イエスは永遠の命である神に帰ったわけです。神を大いなる命と捉えれば、あらゆるものの中に永遠の命は生きて働いているのです。その意味でパンや赤ワインにもイエスの命が息づいていると言えます。

□だから永遠の命の循環と共生の中で捉える限り、パンや赤ワインをイエスの命に連なるものとして捉えてもよいことになります。ただし、それはキリスト教会の聖職者のお呪いでパンや赤ワインをイエスの命の現れにするのでは決してありません。

□それでは「パンと赤ワインの聖餐」があくる日の本番でイエスの肉と血を飲食するリハーサルだったとしたら、なぜ「明日の本番では私の肉と血を飲食しなさい」と明言しなかったのかと疑問に思われるかもしれません。明言したとしても「福音書」には書けなかったのです。書けばキリスト教徒たちは「人喰い集団」だと決めつけられ、皆殺しにされる危険性が高かったのです。

□おそらくイエスはスケジュールを示したと思われます。議員ヨセフには墓の世話を頼んでいたでしょうし、三日目の日曜日に墓を暴く手筈も整えていたはずです。そして翌日の聖餐の式場も安全な場所に確保していたと思われます。そうしたことはイエス教団がカニバリズムタブーを犯している教団として抹殺されるのを防ぐためには、絶対に秘密にしなければならなかったことなのです。
----------------------第十章 ゴルゴダへの道---------------------------

---------------------1 今夜、鶏が鳴く前に三度------------------------

□「そのとき、イエスは弟子たちに言われた。『今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう」と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活したのち、あなたがたより先にガリラヤへ行く。』するとペトロが、『たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません』と言った。イエスは言われた。『はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度私のことを知らないと言うだろう。』ペトロは 『たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません』と言った。弟子たちも皆、同じように言った。」(「マタイ伝」第二六章31〜35節)

画像 ベラスケス「サン・プラーシドのキリスト」

□イエスはイエス教団の中心です。イエスがいないイエス教団など考えられません。イエスがいなくなればイエス教団も崩壊してしまうのです。それにイエスが処刑されれば、イエスの仲間ということで、イエスの弟子たちにも同様の罪が着せられかねません。ですからエルサレムにいては危ないのです。

□そこでイエスは弟子たちに、処刑後三日目に墓を暴いてから、ガリラヤに戻るように指令していたのです。そのために今までは伝道に行くのに剣は持たなかったが、今はガリラヤに逃避行するのに剣を持って行くように命じます。

□イエスは、この時、復活をどのように捉えていたのでしょう。イエスは弟子たちに神殿の崩壊や偽メシアの登場、戦乱や飢謹、大地震そしてその中での使徒の受難、そして未曾有の大苦難を経て、その後で人の子(メシア)が雲に乗って来ると予告しています。そうなれば復活したメシアは審判を行い、地上を支配するのですが、それまでイエスはどうなっているのでしょうか。

□復活しても聖霊を弟子たちに与えるだけで、昇天してしまい、それ以降はイエスは活躍しないわけです。では復活してガリラヤに行くイエスはどのような存在なのでしょう。英雄的預言者モーセとエリヤが高い山に現れて、イエスと語るのをペトロ、ヤコブ、ヨハネが目撃する場面があります。モーセやエリヤは復活させられて生きているのですが、活動的な存在ではないのです。おそらくこれはブロッケン現象だったと思われます。

□ですから三日後の復活も、それと同様ならかなり幻想的で現実感のない形での復活を予想していたのかもしれません。でもイエスはイエスの聖餐による聖霊の引き継ぎを弟子に期待していましたから、弟子の中に聖霊が入ることによって、弟子自身が復活のキリストとなることを期待していたのです。

□三日後の復活も弟子たちの中での聖霊の活動再開を意味していると考えられます。その場合は弟子より先にガリラヤに行くというのは、理屈にあいません。おそらくガリラヤについてイエスが説教や悪霊退散を行った思い出の地に帰ると、聖霊が呼び覚まされて弟子たちが自分たちの中に復活のイエスを確認するという意味かもしれません。

□イエスは、最も信頼する弟子ペトロを含めて、皆イエスのことでつまずくと予告しました。「つまずく」というのは、イエスへの帰依を貫けないということなのです。ペトロにすれば、イエスに全身全霊をかけて帰依し、そのことを自らのいきがいにしてきましたから、自分だけはつまずくことはないという自信があったのです。

□しかしイエスは、ペトロが鶏が鳴くまでにイエスを三度知らないというだろうと、予告しました。これは見事に当たってしまいます。ペトロはイエスの身を案じて、最高法院が開かれた大祭司の屋敷の中庭に潜行しますが、女中や居合わせた人々に見つけられ問い詰められて、三度イエスを知らないと言います。そしてイエスの予告の言葉を思い出していきなり泣きだしてしまったのです。

□でももしペトロがここで捕まってしまえば、その後のペトロの活躍もできなかったかもしれません。イエスは、イエスを知らないと言わざるを得ないのは、必然的なことだからこだわらなくてもいいんだと言いたかったのでしょう。でもイエスの言い方だと、それを予告することで、ペトロに負い目を与えているように受け取られます。ペトロが泣きたくなるのも当然ですね。
-------------------2 イエスはひどく恐れて悶えた-----------------------

□イエスは神の子の自覚があり、三日目の復活を信じていましたから、処刑されるのは、それほど恐れなかったと思われますか。それがイエスも人の子ですね。やはり死ぬことは恐ろしかったのです。

□イエスの弟子たちはイエスに命懸けで帰依していたはずなのですが、やはりどこか他人事のような捉え方なのです。イエスの体からは、恐怖のあまり、汗が血がしたたるように滴り落ちたのです。イエスはもだえ悲しみ、神に祈っています。弟子たちに側にいて、一緒に祈って欲しかったのです。せめて目を覚ましていて欲しかったのです。でも、弟子たちはその間でも側で居眠りしているわけです。その弟子たちに自分の肉や血を与えるのですから、イエスにすれば情けない悔しい思いもあったでしょう。

□弟子たちは、本当にイエスの逮捕、処刑があるとは、理屈では分かっていても実感は薄かったのかもしれません。イエスを裏切ったユダにしてもまさか死刑にはなると思っていなかったので、死刑と決まると、自殺したほどです。

□神殿境内の民衆の反応は次第に白けてきたものの、ファリサイ派の律法学者もイエスを高く評価してくれました。激しくののしられたり、トラブルになったりはしていません。締め出されることはなかったわけです。それでつい気が緩んでいたのかもしれません。「最後の晩餐」の後でも、使徒たちは自分たちのだれが一番偉いか序列を議論していたのです。イエスがいつ捕まえられるか分からないという時にですよ。イエスの生死のことより、何と自分の地位のことを考えていたのですから、本当に不謹慎です。

□イエスと弟子たちの気持ちの落差には驚き呆れます。もちろんイエスが危険を承知で、ペトロの制止に対して「退け、サタン!」と言って、乗り込んだのですから、その結果を見届けてやるしかないという気持ちだったのでしょう。今更恐怖に震えられても、どうしようもないという思いがあったのかもしれません。

□でもイエスがいかにも神の子だから死ぬことなんか平気だという感じて平然と死を迎えたら、どうでしょう。あまり同情が起きませんね。それより人間らしく死を恐れ悲しみ、悶え苦しんだ方が、それを克服してゴルゴダ(しゃれこうべという意味の名の丘で処刑場)への道を選んだイエスへの思いも強くなります。
------------3 皆、イエスを見捨てて逃げてしまった--------------------

□ついにイエスを捕らえようと、ユダの先導で大勢の群衆が剣や棒を持ってやってきました。大祭司や民の長老たちに煽動された連中です。ユダの合図は、彼がイエスに接吻することです。「先生、こんばんわ」と軽く挨拶して接吻したのです。「友よ、どうして来たんだい」とイエスが言われました。するとすぐに闖入者たちがイエスを捕らえたのです。

□それでイエスの側にいたペトロが剣を抜いて大祭司の手下の右耳を切り落としたのです。これをイエスは制止します。

□「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」またそのとき、群衆に言われた。『まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえにきたのか。わたしは毎日神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。』このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。」(「マタイ伝」第ニ六章52〜56節)

□「剣を取る者は皆、剣で滅びる」という言葉は素晴らしい説得力のある言葉ですが、こんな修羅場でなかなか出る言葉ではありません。原本である「マルコ伝」にはありませんから、「マタイ伝」作者の創作だと思われます。「お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださる」というのも同じことです。でもイエスなら負け惜しみで言いそうですね。

□自分が都合の悪いことになると、決まって聖書の言葉が実現するためという屈理屈で言い訳します。イエスは群衆が神殿では納得したような顔をして聞いていたのに、まるで泥棒でも捕まえるように剣や棒を持ってきたことに不可解な思いをしています。まだ神殿の守備隊の連中やローマ帝国軍が来るのなら分かりますが、民衆が捕まえに来たのです。過去に預言者を殺したエルサレムの市民たちの子孫に相応しいかもしれません。また預言者を殺しに来たのですから、これも預言の実現です。

□多勢に無勢で、その上イエスに闘うことを制止されていますので、弟子たちが逃げだすのは当然です。これを何かユダ同様の裏切りとみなすのは間違っています。しかし弟子たちにすれば、イエスを置いて逃げてきたことによって、イエスの死に責任を感じ、神の子を殺した罪を自らの殉教によって贖おうとする動機を形成したとも解釈できます。
ーーーーーーー4 最高法院でイエスはメシアを自認したーーーーーーーーーー

□最高法院(サンへドリン)は、祭司長、長老、律法学者らで構成されているイスラエルの最高会議のようなものです。当然最高裁判所を兼ねているわけです。共観福音書では最高法院で裁判を受けたことになっていますが、「ヨハネ伝」では大祭司カイアファが個人的に尋問しています。しかし公開処刑に当たるような大事件ですし、ローマ帝国の総督に納得してもらうためには、やはり最高法院が緊急開催されたとみる方が妥当でしょう。

□彼らはイエスを死刑にするための証言を求めました。複数の証言を集め、それらに不一致があれば証拠として採用できないので、なかなかイエスを有罪にできません。そこでイエスが神殿の崩壊を預言したことがとりあげられました。エルサレム神殿の信仰が大変強く、神殿を冒瀆する者に対しては死刑に比較的し易かったのです。

□「マタイ伝」では、「神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる」と言ったという証言があったのですが、これについても証言が食い違います。「マルコ伝」では「わたしは人間の手で作ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば手で造らない別の神殿を建ててみせる」となっています。さらに「ヨハネ伝」では「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」です。「ヨハネ伝」では「この神殿を建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」とユダヤ人たちに言われています。この場合の神殿は、三日目に甦るご自分の体のことであったことがわかります。

□そこで埒が開かないので大祭司はずばり次のように尋問します。

□「大祭司は言った。『生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。』イエスは言われた。『それはあなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。』そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。『神を冒瀆した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒瀆の言葉を聞いた。どう思うか。』人々は、『死刑にすべきだ』と答えた。そしてイエスの顔に唾を吐きかけ、目隠ししてこぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、『メシア、お前を殴ったのはだれか言い当ててみろ』と言った。」(「マタイ伝」第二六章63〜68節)

□「マルコ伝」では「それはあなたが言ったことです」ではなく、「そうです」と素直に認めています。イエスはメシアの自覚は持っていますが、「メシア」に関する捉え方は人それぞれです。

□メシアは元々は神から油注がれた者という意味で、「ユダヤの王」として人々を救う救世主の意味です。メシアは「人の子」であり「神の子」ではないことを強調する人もいますし、「神の実子」ではなく「神の養子」であることを強調する人もいます。

□イエスは政治的な意味での王とは明言していませんから、相手のいう意味でのメシアとは認めないはずなので、「マタイ伝」では書き変えたのだと思われます。でも「あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」と言っています。これはイエスを処刑すれば、神がイエスを義と認めて復活させ、審判のために再臨させるということですので、やはりイエスをメンアだと認めていることになります。

□これが神を冒瀆しているかどうかは、イエスが本物のメシアか偽メシアかにかかっているのです。神殿権力としては、メシアが登場することはないという立場に立っていました。なぜならトーラーが既に十分与えられており、それを忠実に実行すれば救われるのですから、今更メシアは必要ないのです。メシア待望は民衆の間では非常に強かったので、次々メシアを自称する連中が現れますが、弾圧され、捕らえられてしまいます。でも神は救出しませんし、殺されても復活してくれば本物ですが、復活しなかったのです。

□バプテスマのヨハネはガリラヤの領主へロデに殺されますが、復活してはいません。だからヨハネもメシアではなかったことになります。イエスはひょっとしてメシアじゃないかとの期待が、エルサレムの群衆にはあったのです。それで連日神殿に話を聞き、奇跡を見に来ていたのです。既に説明しましたように、その期待は裏切られたと感じたのでしょう。月曜日と火曜日は境内を埋め尽くすようにいた群衆も、三日目以降はその十分の一以下になってしまったと思われます。

□そういう群衆の動向も神殿権力の方は観ていますし、イエスのトーラー秩序を軽んじる言動の調査やダビデ王の子孫だという身元家系の調査もしています。その結果、「トーラーを取るか、メシアを取るか」を迫り、トーラーによって守られてきたユダヤ社会を崩壊させようとする悪霊にとりつかれた男であるという疑いが濃厚だと見なされていたと推察できます。

□数々の安息日のトーラー違反、手を洗わないで食べる衛生のしきたり違反、「命のパン」の説教におけるカニバリズムタブーへの挑戦、不吉な神殿崩壊予告、そしてファリサイ派に対する独善的な悪罵、イエス教団の教化を受け入れない町に対するホロコーストの脅迫等は、後のキリスト教の基準からはまったく罪がないにしても、当時のユダヤ教の基準からは何度死刑にしてもしたりない位の極悪に当たったかもしれません。

□それでも彼の悪霊退散や奇跡治療のパフオーマンスが成功し、民衆の魂に届く説教が評判を得てイエス教団の拡大が進んでいれば、民衆に守られてなかなか逮捕できなかったでしょう。イエスはその面でもマンネリズムに陥り、あまり信用されなくなって、起死回生を狙ってエルサレムに乗り込んだのです。

□ところが、ガリラヤでの悪評などをファリサイ派に指摘されて、爆発的なブームを起こすまでにはいかなかったと思われます。

-------------------5 ピラトとへロデに尋問される。--------------------

□最高法院で死刑が決定されても、ローマ帝国支配下では、死刑の執行権はユダヤ側にはないのです。そこでイエスは総督ピラトに引き渡されます。総督ピラトが裁く場合は、ローマ法が適用されますから、神を冒瀆した罪で裁くわけにはいきません。そこで「ルカ伝」によりますと、民衆を惑わし、皇帝に税を納めることを禁じたこと、また、自分が王たるメシアだと言っていることを理由にあげて裁きを求めたのです。

□そこでピラトは「お前がユダヤ人の王なのか」とイエスに尋問しました。イエスは「それはあなたが言っていることです」と返答しました。「ヨハネ伝」では次のようなやりとりがなされています。

□「『わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし実際、わたしの国はこの世には属していない。』そこでピラトが、『それでは、やはり王なのか 』と言うと、イエスはお答えになった。『わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く』ピラトは言った。『真理とは何か。』」(「ヨハネ伝」第一八章36〜38節)

画像はピラトのイエスに対する尋問

□自分を王たるメシアと言い、しかも皇帝に税を納めるなと言っているとすれば、ユダヤのローマ帝国からの独立を企てる反逆者ですから、総督とすれば死刑にしなければなりません。しかし総督も最高法院のいうことを真に受けるわけにいきません。最高法院も本心ではローマ帝国からユダヤの解放を願っているのです。敵の敵は味方ということもありますから、うっかり口車に乗せられて、イエスを処刑してから、後で敵に塩を送ったことになったら困ります。

□イエスは総督に対して自らが非政治的な存在であることをアピールしています。ユダヤ人(ガリラヤやサマリアではないローマの直轄領になっているユダヤ地方の人)の政略にひっかからないように「わたしの国はこの世に属していない」と言ったのです。イエスは自分は真理について証するために来たといいます。「真理」とは何でしょう。おそらく「メシアによる救い」を信じ、「二つの愛」に生きることで、「神の国」が到来するという真理でしょう。その真理に生きる人にとっては、イエスは王なのです。

□「ルカ伝」ではピラトはイエスがガリラヤ人であることを知り、エルサレムにガリラヤ領主へロデが滞在しているので、イエスをへロデのもとに送ったのです。その狙いははっきりしませんが、へロデがイエスを救ってくれればよいと考えていたのかもしれません。へロデはイエスの噂はガリラヤで聞いていましたから、一度会ってみたいと思っていました。ひよっとしたらバプテスマのヨハネの霊が乗り移っているかもしれないと思っていましたし、イエスの超能力が観られる絶好のチャンスだと期待していたらしいのです。

□ところがイエスはへロデが嫌いです。だってバプテスマのヨハネをサロメの要求で殺した男ですから、ロもききたくありません。それでへロデの前では完全黙秘を貫いたのです。もしイエスに聖霊が宿っていて、ヨハネの仇をとりたいと思っていたとしますと、へロデを超能力で殺すか懲らしめたでしょう。ところが聖霊が弱っていたのか、宿っていなかったのか、黙っているだけでした。

□それに祭司長や律法学者たちもそこにいて、イエスの罪状を激しく訴えたのです。それでへロデも一緒になってイエスを嘲り、侮辱し、派手な衣を着せてピラトに送り返したのです。へロデは何もイエスの罪状を確認できませんでした。

□それでピラトは、この男はローマ帝国に対しては、死刑に当たるようなことは何もしていないので、死刑にしたくありませんでした。それで過越祭には民衆の希望する囚人を釈放することになっていましたので、ピラトは民衆に「メシアと呼ばれるイ工ス」の釈放を求めるかどうか尋ねました。すると民衆は暴動のとき殺人を犯した「バラバと呼ばれるイエス」の釈放を求めたのです。

□裁判中にピラトの妻からピラトに正しい人イエスには関係しないでほしい、夢でずいぶん苦しめられたと伝言があったのです。総督ピラトの妻にまでイエス教団の影響が浸透していたことが窺えますね。そして民衆は、それに対して「メシアと呼ばれるイエス」を十字架につけることをはげしく要求したのです。

 これを拒否しますと騒動が起こりそうだったので、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」と言って、民衆に「その血の責任は、われわれと子孫にある。」と認めさせたのです。
------------------------6 イエスの死に対する責任----------------------

□このような福音書の記述の特色は、イエスを十字架につけた責任は、ユダヤ人にありローマ帝国にはないというところにあります。ですから、その後の二千年近くキリスト教会はユダヤ人をイエスを殺したという理由で差別し、迫害し続けていました。それは第二次世界大戦の時にナチス政権がユダヤ人を根絶しようとしたホロコーストに対して、ローマ教会が非難しなかったところにまで及んでいます。

□そこで福音書がローマ帝国の免責を図ったのは、ローマ帝国全体にキリスト教を布教するためには、その方が抵抗感が少なくて済むことを配慮したからだという解釈もあります。つまり、あまりに独善的で激しいファリサイ派批判や総督免責記事は、後世の改竄や付け加えではないかという解釈をする人がいるのです。

□たしかに初期キリスト教団を取り巻く状況が、福音書をまとめる際に影を落とさざるを得ないと言えるでしょう。しかしローマ帝国内で布教をするためにはイエスの処刑についてローマ帝国の責任を無かったことにする方が良かったという事情から、だからピラト総督もイエスの処刑に積極的であったという結論を出すことはできません。

□イエス教団の存在はローマ帝国にとっては脅威ではありませんでしたし、ファリサイ派がトーラー中心主義でユダヤ民族主義に凝り固まっていましたから、その影響力が強くなりすぎますと、ローマ帝国の文化圏にユダヤを包み込むのが難しくなります。その意味でファリサイ派批判のイエス教団には好意的だったと思われます。それが総督ピラトの妻の助命嘆願の手紙や、ピラト総督のイエス羅護から分かります。

□福音書作成期の事情だけでなく、イエス処刑当時の事情とも照らし合わせても、イエスの処刑にピラト総督は積極的ではなかったというのは納得できるのです。

□では全責任はユダヤ教徒たちにあるのでしょうか。ユダヤ教徒たちは雪のように真っ白で全く罪のないイエスを、いわれなき罪を着せて十字架にかけたのでしょうか。実施当時の良識から考えて当然の処罰でも、後世の社会においては何ら責められるべきない場合もあり得ます。

□イエスは後世のキリスト教社会から観ますと、全く純白で罪がないのですが、当時のユダヤ社会から見ますと、トーラー秩序の根幹を脅かそうとする反社会的存在であるように思われたのです。ですからユダヤ人のイエス処刑は、現在では許しがたい行為だったとしても、当時においては不当とは言い切れない処置であったかもしれないのです。

□特に弟子たちを派遣して村や町で説教を行い、しるしを示しても、教化されない村や町に対して、ソドムより重い罰が下ると脅迫して回っているのですから、これは問題です。イエス教団は悪霊追放や奇跡治療で力を示しています。「ラザロの復活」は眉唾だとしても、死人を復活させる凄い業だって持っているという評判があったのですから、そういう脅かしは人々の不安をかき立てていたと考えられます。

□彼らの不思議な力は、ファリサイ派の悪宣伝の効果もありますが、聖霊の力でないのなら悪霊の力によるのかもしれないと怯えたのです。ですからユダヤ社会の自己防衛としてイエスの処刑が位置づけられていたのです。イエスの処刑を行ったのが、ユダヤ社会の自己防衛だったとしたら、イエスはそれが分かっていて、あえてトーラー社会をひっくりかえそうとしていたのですから、イエス自身は殺されるのを覚悟で挑戦していたことになります。だから、死に対してユダヤ教徒たちに責任を全部着せるわけにはいかないのです。
ーーーーーーーーーー7 メシア・イエスの処刑祭典ーーーーーーーーーーーー

□ピラト総督はイエスを死刑にするのは積極的ではなかったのですが、イエスを鞭打たせてから十字架につけさせています。これは大変残忍な行為です。皮紐の先端に鉛塊を鎖状につなぎ合わせてつけたものを使ったようです。皮膚が破れ、肉が飛び出し、骨が露出する程です。内臓が見えるまで打つ場合もあるようです。それだけで死んでもおかしくないほどの痛みを伴います。それでイエスはゴルゴダの丘に十字架を背負って登るだけの体力は既になく、シオンという名のキレ不人が無理に背負わされています。

□イエスの元々の職業は大工ですから、木材を運ぶのは少々重くても要領を心得ていたはずです。よほど体力が消耗しきっていたのでしょう。どうせ処刑されるのですから、せめて鞭打ちだけは容赦すべきでした。それがせめてもの情けでしょう。ピラト総督は、面倒をかけさせられた原因であるイエスに腹を立てていたのかもしれません。だったらとても自己中心主義者で冷血漢ですね。

□あるいは鞭打ちをして死にかかっているイエスは既に十分罰せられているのに、さらに十字架に釘付けにするという残虐を重ねさせることで、ユダヤ人たちの自己嫌悪を期待したという解釈も成り立ちます。

□J・ ブリンツラーは、『イエスの裁判』(新教出版社)で、「ヨハネ伝」では十字架刑の決定する前に鞭打ちをしていますから、ユダヤ人がこれ以上の刑罰を遠慮することを期待したからではないかと解釈しています。しかしユダヤ人はイエスを懲らしめることを期待していたのではないのです。イエスが生きていること自体が脅威なのですから、鞭打ちで満足などということは考えられません。

□ところでイエスのエルサレム入城は、わざわざ十字架上で死ぬためにやって来たという印象を受けます。ですから精神病理でいえばマゾヒズムに当たります。当然イエスを殺す側のサディズムを刺激します。その意味でイエスの処刑という苦痛と決楽の饗宴は、参加者の興奮を刺激し、ローマ帝国側もこの饗宴に参加したいという欲望を抑えきれなくなったのです。それが鞭打ちの心理的意味です。その意味では鞭打ち行為自体は大変罪深い行為であり、糾弾されるべきでしょう。

□メシアの処刑は、一種の祭典です。聖なるものを汚すこと、聖なるものを破壊することは、聖性の根源を自らの中に取り戻すことであり、ナルシシズムを満足させる快楽なのです。聖なるものとされていたものがその期待を裏切ったとき、その崇拝者たちによって破壊攻撃に曝されるのです。これこそまさしくフェティシズムの論理であり、イエスは民衆にとって一時のフェティシュ(物神)であったことになります。

□またメシアの処刑は、宗教的エナジーが衰退したメシアが死に直面して、奇跡的に聖的パワーを発揮することを期待されるチャンスでもあります。そのために人々はさまざまなメシアに対する挑発、悔辱、暴行を行い、聖性を取り戻すように働きかけたのです。

□「兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中にイエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨で冠を編んでかぶらせ、『ユダヤ人の王、万歳』と言って敬礼し始めた。また何度も葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして十字架につけるために外へ引き出した。」(「マルコ伝」第一五章16〜20節)

□この即位劇からイエスを道化王として解釈するのは無理があります。道化王というのは王のカリスマが衰えますと、一時的に退位させ、代わりに道化王が即位してハチャメチャな命令を出し、混乱させた上で、二三日から一週間で道化王を逮捕して処刑し、元の王を復位させるのです。こうして沈滞と惰性に陥った政治を道化王による混乱を経て、リフレッシュさせます。道化王は殺されますが、天国が保障されます。

□ガリラヤでしたら道化王も考えられますが、当時のユダヤはローマ帝国直轄領ですから王政ではなかったのです。罪状書に「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれました。祭司長は「自称した」を加えるようにピラトに要求しますが、ピラトは聞き入れません。ユダヤ人にとってはこの違いこそが重要なのですが、ピラトはそれをからかっているのです。

画像はミラノ・ドゥオモの正面扉ゴルゴダへの道の場面

□ピラトにすれば、ユダヤの王などいないのにというつもりでしょう。でもイスラエルの本来の支配者としての王は神ヤハウェ自身なのです。イエスを王座につけて処刑するのは、ヤハウェの身代わりにイエスを犠牲にしたことになります。

□十字架刑は手足を棒に釘で打ちつける残忍な刑でした。もちろんそれでは短時間では死にません。長時間かけて出血がひどくなり意識が薄れて死んでいくわけです。イエスは午前九時頃に十字架につけられ、絶命したのが午後三蒔でしたから六時間ほども激痛に耐えていたのです。

□普通なら六時間では死にません。鞭打ち刑の後で体力がなかったのが死を早めた原因なのです。イエスの左右に強盗が一緒に十字架刑になりますが、それは聖者を強盗と一緒に罰することで、陵辱しているのです。見物人はイエスが「神の子」なら何か奇跡が起こるかもしれないということを万分の一の可能性として期待しています。

□「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りてこい。』同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。『他人を救ったのに、自分を救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。「わたしは神の子だ」と言っていたのだから。』一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。」(「マタイ伝」第二七章39〜44節)

-------------------8 エリ、エリ、レマ、サバクタニ--------------------

□イエスは痛み止めの没薬(もつやく)入りのワインを少しなめただけで断りました。自ら進んで苦しみを受けなければと考えていたのです。さて昼の十二時頃に全地が暗くなり、それが三時まで続いていました。

□イエスは急に「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫んだのです。これは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。この言葉を聞いて、エリヤというただ一人天に昇った預言者を呼んでいるのではないかという者もいたんですが、結局、イエスは再び大声で叫んで息を引き取られたのです。

画像http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/072wagakami.htmより


□そうしたら神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたんです。「マタイ伝]ではさらに「地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」としていますが、これはいくらなんでも書き過ぎです。この絶命の時の言葉があまりに絶望的な言葉なので、イエスは復活を信じていたのだろうかと疑問になる人もいます。この言葉は実は『旧約聖書』の「詩篇」第二二章(ダビデ王の詩)の冒頭句なのです。

□冒頭句だけ読んで、全編の朗読に代えるというお題目みたいなお祈りの仕方もあるのです。そちらの解釈をしますと、イエスは、魂が体を得て復活する信仰を表明していることが分かります。

□ただ絶命の直前ですから、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉は、イエスのギリギリの気持ちを正直に吐露しているという解釈もできます。おそらくその両方でしょう。イエスのエルサレム入城は、起死回生を狙ったものですから、聖都の民衆に神の家である神殿で話をすれば、メシアとしての認知を民衆にしてもらえるかもしれないという、一縷の望みを抱いていたのですが、それが惨めな失敗に終わったのです。

□それで神に見捨てられたという気持ちになったのも無理はありません。しかしイエスは死を恐れ悲しんでいましたが、それ以上に聖霊の復活への望みが強かったのです。ですから、絶命の時に神に復活の望みを託した「詩篇」第二二章の冒頭句を叫んだのです。

□ただし「詩篇」第二二章における復活は、魂の輪廻転生のことのように受け取れます。同じ人格が生き返る事のようには書いていません。 『旧約聖書』には「復活」や「甦り」という言葉は出てこないのです。イエスの聖霊のつきもの信仰と結び付けて捉えますと、イエスの聖霊が聖餐によって、弟子たちの体の中に復活するという信仰を抱いていたとも解釈できます。最初の一連と最後の二連のみ引用しておきましょう。

□「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか。わたしの神よ、昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。ー中略ー地の果てまで、すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り、国々の民が御前にひれ伏しますように。王権は主にあり、主は国々を治められます。命に溢れてこの地に住む者はことごとく主にひれ伏し、塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。わたしの魂は必ず命を得、子孫は神に仕え、主のことを来るべき代に語り伝え、成し遂げてくださった恵みの御業を、民の末に告げ知らせるでしよう。」(「詩篇」第二二章より)
-----------------------第十一章 イエスの聖餐----------------------------

-------------------------1 イエスの埋葬-------------------------------

□イエスの遺体を引き取って埋葬したのは、最高法院の議員でアリマタヤ出身の金持ちであるヨセフという人でした。彼もイエスの弟子でしたが、「ヨハネ伝」によりますと、どうもそのことは隠していたらしいのです。彼は勇気を出して総督ピラトに遺体の引渡を願い出て、許可されています。意外に早く死んでいるので、ピラトは百人隊長にイエスの死を確認させてから、ヨセフに下げ渡しています。

□「ヨハネ伝」では、処刑のあった金曜日はタ方からは土曜日に変ります。安息日の上、過越祭の日になるのです。遺体をとり降ろすのは、その前でないと駄目なのです。そこで強盗はまだ生きていたので、足を折ってとり降ろしましたが、イエスの場合は既に死んでいましたので、足は折らなかったといいます。でも兵士の一人が槍で脇腹を刺したら血と水が流れ出たと言います。

□もし午後三時に本当に絶命していたら、午後五時頃では既に血は流れなかったはずです。それでイエスが本当に死んでいたのか、あるいは脇腹を槍で刺したのは本当か等の疑問が出て、イエスは十字架刑では死ななかったのではないかと言う人がいます。薬を飲ませて、仮死状態にしておけば救出できたということです。それで復活が説明できるわけですね。

□それではイエスの弟子たちはイエスが死から復活したのではないと知っていたことになります。その上で、死から復活したと言いふらして教団拡大に使ったということです。もちろんその可能性は皆無ではありません。しかしそれではイエスの復活を体験したことによって、殉教を恐れず布教するようになったことが説明できません。

□これまでのイエス教団の活動にも様々なトリックやお芝居がありました。でもあくまでイエスに宿っている聖霊への信仰を、イエスも弟子たちも持った上で行っていたのです。イエス復活後は信仰の最も根幹に、神から義と認められて復活したイエスに対する信仰が確固としてあったので、命懸けの布教ができたわけです。その意味では、イエスは死ななかったという立場で、説明するのはキリスト教団の宗教的真実、宗教的核心を見失うことになります。

□やはりイエスは本当に死に、そして弟子たちの前に復活して現れたはずなのです。死者の復活があり得ないのなら、少なくとも弟子たちが幻想であるにせよ、復活したイエスを見たと確信したのでなければならないのです。

□「ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことがあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。

□イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。」(「ヨハネ伝」第一九章38〜42節)

□この墓の所有者はヨセフだと「マタイ伝」には記されています。おそらくイエスはヨセフと以前からコンタクトを取っていて、この墓を確保しておいてもらったのだと思われます。そしてこの墓には外からよそ者には開けられないような仕掛けをしておいたと思われます。万が一、ローマ兵や神殿兵等に調べに来られたら困るからです。

□ここでどの福音書にも遺体を亜麻布で包んだことが明記されています。顔も包んだのです。この布を聖骸布(せいがいふ)と言いますが、それがトリノのサン・ジョバンニ聖堂に残っていて、そこにイエスの顔が写っているんです。最近鑑定しますと後世の偽造品であることが分かりました。註

註トリスタン・グレイ・ハリス『トリノの聖骸布』(主婦と生活社、一九九八年刊、参照)、画像は次のサイトより転載
http://yamaguchi-masumi.blogspot.com/2010/05/blog-post_14.html

□全身布で包んで墓に入れたのですから、途中ですり替えられていますと、墓に入れられたのが本物のイエスの遺体かどうか分かりません。遺体を運ぶための荷車のようなものを用意しておきますと、たとえ周囲の監視の目があっても、運ぶ途中で、荷車に仕掛けさえあれば、すり替えはそれほど高等なトリックではなかったでしょう。

□イエス教団は悪霊退散劇を演出するためにいろんな仕掛けを考案していたのです。特に悪霊が追い出される場面を演出するところが一番難しいので、人物のすり替えや突然現れたり、消えたりするように見えるトリック技術では、最先端を行っていたのです。

それでは十字架刑も薬物を使って仮死状態にして切り抜け、後で復活させることを考えたのではないかと思われるかもしれませんが、弟子たちが処刑場に近づけない状況でしたし、一人ではとても無理だったのでしょう。それよりもイエスは、追い詰められた状況で、自己保身を図るよりも、いかに自己を犠牲にして命を捧げることで打開を図れるかを考えるタイプだったのです。つまり自分は「神に捧げられた子]であるという「神の子」コンプレックスを抱いていたのです。

-------------------------------2 屠られた仔羊---------------------------------

□イエスが絶命した金曜日午後三時頃は、その夜の過越祭のためにユダヤ人の家庭では、犠牲の仔羊を屠(ほふ)っている頃です。「ヨハネ黙示録」でイエスは「屠られた仔羊」と呼ばれています。「ほふる」というのは、「殺す」という意味でも使われますが、「神に捧げるために殺す」場合に使われるのです。

□そして仔羊や牛のほふり方は決まっていまして、まず喉の辺りに刀を入れ、瞬時に殺して、一気に血抜きをするのです。それから仰向けのまま首から腹に刀を入れ、肉を捌くのです。

□十字架刑のイエスは、手と足を釘付けにされて、出血多量で死んだわけですから、その意味では刀で切り裂かれ、肉をさばかれていません。だから、「屠られた」というイメージではないわけです。ですから「屠られた仔羊」というより「磔にされたメシア」のイメージで語られるべきです。

□それがわざわざ「屠られた仔羊」のイメージにしているということは、イエスも「屠られた仔羊」のように金曜日過越祭の準備日に肉を捌かれ、それから四・五時間後に過越の食事で食べられたということを暗示しているのではないでしょうか。

□そのように考えますと最後の晩餐がリハーサルであったことがよく分かるのです。そうでないと、イエスは死ぬ前に、まだ食べられる前に食べられたということになってしまいます。しかも「命のパン」の説教で「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物」と言っていたのに、前の晩のパンがイエスのまことの肉であり、赤ワインがイエスのまことの血であって、イエスの遺体の肉はイエスのまことの肉ではなく、血はまことの血ではないことになります。

□それに二千年間、「パンと赤ワインの聖餐」がキリスト教会の中心儀式になってきた理由もこれではっきりします。もしイエスの肉を食べ、血を飲むという原行為をイエスの弟子たちがしていないのなら、パンがイエスの肉であり、赤ワインがイエスの血であるという素朴なフェティシズム(物神信仰)は、イエスに対する冒瀆として問題にされ、廃れていったでしょう。

□イエスの肉を食べ、血を飲むという原行為が、最も忌むべきカニバリズム・タブーにまともに抵触する行為であったので、それが聖なる行為であったことを無意識に主張しなければならなかったのです。それは精神分析学の常識では、原行為を繰り返すことによっておこなわれるのですが、イエスは歴史的身体としては、一度きりの存在ですから、代わりに最後の晩餐でイエスの肉とされたパンを食べ、イエスの血とされた赤ワインを飲んで、これで本物のイエスの肉を食べ、血を飲んでいることになることにしたのです。こうしてイエスの肉を食べた、血を飲んだ行為は、イエスとの合一であり、イエスに宿っていた聖霊を引き継ぐ神聖な行為であったことを無意識の内に主張しているのです。

□しかしこの原行為は伏せられ、忘れられていますから、それが無意識に作用することはありえないのではないかという批判も考えられます。無意識に作用するためには、原行為の記億が継承される必要があります。しかしカニバリズム・タブーが強烈な西洋社会では原行為はあくまで極秘にせざるをえなかったのです。

□この原行為の忘却を防ぐために「ヨハネ伝」に「命のパン」の教説が書かれ、そのせいで大部分の弟子が離反したことが説明されています。また「ヨハネ黙示録」には、「屠られた仔羊」という表現が盛り込まれています。そして「パンと赤ワイン」の聖餐を二千年間繰り返すこと自体が、原行為があったのではないかという疑惑を継承することになります。

□でも実際問題としてカニバリズムタブーの強烈だったユダヤ教文化の中で、イエスの遺体の肉を捌き、それを焼いて食べ、血を抜いて溜め、それにワインを混ぜて飲むという行為が現実に可能だったでしょうか。常識的に考えれば、そんなことはできっこないのです。とても喉を通りません。いったん胃に入っても、戻してしまうでしょう。それは人間が人間の限界を越えてしまうような行為であり、鬼や悪魔になるようなことだと考えられていました。

□それに血を飲めば、イスラエルの民から外され、審判の時にも復活の望みがなくなります。でもイエスは「命のパン」の説教で、永遠の生命を保障しているわけです。ですからイエスを神の子と信じるしかないのです。イエスを神の子と信じて、もしイエスが偽メシアなら身の破滅と承知で全てを捧げて信仰に生きるしかなかったのです。

□とはいえいかに篤(あつ)くイエスに帰依していても、人肉や血は生理的に体が拒否します。これは肉体が共食いを防ぐようにできているというのではないのです。あくまでも社会的に形成されたタブーでしかありません。それでも無意識的にタブーに触れる行為を回避させるように自我防衛機制が働くのです。
---------------------3 神聖な儀式としての聖餐--------------------------------

□キリスト教会の魅力は優れた儀式性にあります。聖句を唱和し、賛美歌を歌って、厳粛な雰囲気の中で聖餐の儀式が行われます。こうしてキリストの肉と血が信徒の肉と血と融合し、信徒は永遠の命であるキリストの体に繋がれるのだとされます。

□もちろんパンを神父が祝福したからといって、キリストの肉になると本気で信じている人はほとんどいないでしょう。それでも厳かな儀式の一環として行われますと、キリストとの融合が理屈抜きに実感できるように演出されているのです。

□イエスの肉を食べ、血を飲むという行為は、カニバリズム・タブーの強烈なユダヤ社会では、絶対にできっこないのですが、絶対にできっこないことをしないことには、イエス教団の絶体絶命の危機を克服することはできません。しかし危機意識で追い詰めてばかりいては、かえって恐ろしくなって、とても人肉を食べたり、血を飲んだりはできないのです。

□でもイエス教団には劇的に奇跡を構成するという演出能力があります。ペトロが中心になって聖餐式を見事に演出したのです。ペトロはこの成功によって、初期キリスー教団の初代教皇になっています。

□場所をどこに確保したのかは分かりません。最後の晩餐はエルサレムの街中で、わりに豪華な二階の広間を借りて行われたのですが、そんな目立つ場所は借りられません。オリーブ山の宿舎も調べに来られますから無理でしょう。市中に目立たない部屋を前もって議員ヨセフに確保してもらっていたとも考えられますし、それも危険でできなかったとしますと、べタニアのラザロのいたシモンの家が考えられます。エルサレムからべタニアまでは二ないし三キロメートルですから運ぶことはできたでしょう。

□部屋は純白の布を壁やテーブルに敷きつめたと思います。なぜ純白かと言いますと、まずイエスの無罪性を表現しています。それに血が飛び散りますと、白だと汚れが目立ちますね。ですから肉片や血が飛び散らないように細心の注意が必要になります。それで心を落ち着かせ、段取りよく、冷静に式を厳粛に進行させることになります。

□いきなり裸のイエスの遺体を出して、それに刀を入れて、内臓剥き出しみたいになればとても口に運べません。ギリシアの聖体拝領では、ばらばらに引き裂いて生のまま食べるのですが、イエスの聖餐は過越の食事の犠牲の仔羊を食べる形で行っていましたので、血抜きをよくしてから、布に巻いたままで少しずっ肉を切り取って焼いて食べたと思われます。

□ただ肉を食べ、血を飲めばいいというものではありませんから、式次第を作り、参加者に徹底しておきます。唱和すべき聖句や賛美歌なども予め決めておきます。そして厳かな式にするために、私語を厳禁し、声をあげて泣いたり、笑ったりを禁止します。イエスの肉を食べる時は緊張のあまり顔が強張ってしまいそうですね。神と合一する喜ばしい行為のはずですから、穏やかで優しい表清で食べるように指示しておきます。

□参加者は十一使徒とマグダラのマリア、イエスの弟ヤコブ、親類クレオパ、議員ヨセフなどに限られていますから、イエス教団で修行を積んでいて、そういう演技指導的なアドバイスにはみんなわりに素直に反応したでしょう。イエスに対する熱い思いがあって、みんなイエスの十字架刑や教団の行く末、自分たちの将来のことを思えば、胸が張り裂けそうで、とても冷静には対処できないところですが、そこをこの聖餐を成功させ、聖霊を引き継がせたいというイエスの願いに精一杯応えようと、穏やかな明るい表情で、立派にパフオーマンスをしたのです。

□それは天使たちの讃えの歌を聞きながら行っているかのようだったと想像されます。例えばイエスの肉を切り取る時には、「ヨハネ伝」から次の言葉が唱和されました。

□「わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

□そして更に一切れのパンを食べるときは「取って食べなさい。これはわたしの体である」という最後の晩餐の言葉を、司祭役のペトロが述べます。そしてみんなで次の言葉を唱和します。その言葉を聞きながら参加者は感謝の気持ちで「有り難うございます。命をいただきます」と応えて、顔を強張らせずに頂くのです。

□「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

□そして更に血を飲むときは「皆、この杯から飲みなさい。これは罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」という最後の晩餐の言葉を、司祭役のペトロが述べます。次に式次第の内容を推察してみましょう。

式次第
一、主の祈り
二、「ダビデの子にホサナ」の歌を斉唱
三、「イザヤ書]第五三章の朗読
四、「命のパン」の説教、「最後の晩餐」のイエスの言葉を唱和しながら、イエスの肉を食べ、血を飲む聖餐をペトロの司会で進行、一人ずつ順番に食べ、飲む
五、主イエスの聖餐が無事行われたことを感謝する祈り。

註 一、主の祈り
天にまします吾等の父よ、御名を聖となさしめたまへ、御国をきたらしめたまへ、御心を天におけるごとく地にも行なはしめたまへ、吾等に必要な日用の糧を今日も与へたまへ、人の罪を吾等許すごとく吾等の罪を許したまへ、吾等を試みにあはせず、悪より救い出したまへ。





ーーーーーーーーーーーーー第十二章 イエスの復活ーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーー1 暴かれた墓ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

□三日目の復活をイエスは予告していました。これは三日目であって、三日後ではありません。金曜日午後三時に絶命しました。それから三日目というのは金曜日も含めて、金曜日土曜日・日曜日ですから日曜日の朝に復活したのです。

□墓が暴かれているのが日曜日の朝に分かります。このことが起こらないかと、神殿権力側は警戒していたのです。イエスの弟子たちがイエスの墓から死体を盗み出して復活したと言いふらすのではないかと恐れたのです。

□それでピラトに墓の見張りをお願いしたわけです。ピラトはそんなことは神殿の番兵にさせろと言いました。それで神殿の番兵が土曜日の朝から見張りについたのです。

□彼らはとんまなことに番兵に行って、入れないように墓の石に封印しただけで、イエスの遺体があるかどうか墓に入っては確かめていないのです。わたしの勝手な推理ですが、番兵たちはそれほどとんまじゃなくて、一応墓に入って確かめようとしたと思いますが、墓は他人に暴かれないように上手に封印が既にされていたのでしょう。それで仕方なく、番兵たちは外で監視することにしたわけです。

画像「天使は女たちにイエスの復活を告げた」
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/059iesuno.htmより

□「さて安息日が終わって、週の始めの日の明け方に、マグダラのマリアともうひとりのマリアが墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。

□天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ遺体の置いてあった場所を見なさい。それから急いで行って弟子たちにこう告げなさい。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」確かにあなた方に伝えました。』婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。

□すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』 と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしは会うことになる。』」(「マタイ伝」第二八章 1〜10節)

□「マタイ伝」にはかなり書き変えがあるようです。より古い文献である「マルコ伝」は婦人たちが墓に着くともう石はわきに転がしてあったのです。墓の中に入ると白い長い衣を着た若者が右手に座っていたのです。天使とは書いていません。

□そしてガリラヤでの再会の伝言が伝えられますが、婦人たちは恐ろしさのあまり、逃げ去って震え上がり、正気を失って、だれにも何も言わなかったのです。それに帰途にはイエスに会っていませんでした。それにしても婦人たちが報告しなかったというのは不自然過ぎます。 「ルカ伝」では報告していますが、使徒たちは戯言だと思って信じません。でもペトロは墓に見にいって、亜麻布しかなかったので、びっくり仰天しました。

□天使がどうしたというのは論外として、墓を暴いたのはイエス側の人々だったことは確かです。番兵がいるので白い長い衣を着た若者を使って、いかにも天使がやってきたようにし、それで番兵たちが驚き怪しんでいる隙に、弟子たちが墓を暴こうとしたと推理できます。

□え?どうしてイエスの遺体がないと分かっている墓を、わざわざイエスの弟子たちが暴かなきゃならないのかと疑問ですか。それはもっともな疑問ですね。そのわけはイエスの墓を暴くことで、聖餐の事実を隠そうとしたからと思われます。わざわざ日曜日に墓を暴けば、それまでは墓にイエスの遺体があったことになりますから、土曜日の過越祭の聖餐はなかったことになります。

□彼らが最も恐れたのは、聖餐の事実が露見することです。ユダヤ教徒から見れば、イエス教団は人肉を食べ、人血を吸う悪魔的な存在だということになります。そういうことになりますと、イエス教団は皆殺しにすべきだということにもなりかねません。
----------------------2 マグダラのマリアの全能幻想---------------------------

□帰途でイエスに出会ったというのは「マタイ伝」が後から創作したものです。「マルコ伝」にも「ルカ伝」にもありません。「マルコ伝」と「ヨハネ伝」ではマグダラのマリアの前に最初にイエスが現れたことになっています。これは重要です。

□「イエスは週の初めの日の朝早く復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリアはイエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。」(「マルコ伝」第一六章 9から11節)

□マグダラのマリアは悪霊にとりつかれやすいと表現されているところから見ますと、熱にうかされやすい、我を忘れやすい性格の女性なのです。ですから、使徒たちにすれば、イエスを失った悲しみのあまり、正気を失って、別の人をイエスと思い違いしたのだろうと判断されたのです。

□「こう言いながら後ろを振り向くと、イエスが立っておられるのが見えた。しかしそれがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。

『婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜して婦いるのか。』

マリアは、園丁だと思っていた。

『あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。』

□イエスが、『マリア』 と言われると、彼女は振り向いて、へブライ語で『ラボニ』と言った。『先生』という意味である。イエスは言われた。

『わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとに上っていないのだから。』」(「ヨハネ伝」第二○章14〜17節)

画像マグダラのマリアに現われた復活イエス
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/john-circle3.htm

□マリアは、後でイエスと分かる男を、園丁だと思っていたのです。ところで聖餐があったとしますと、マリアもイエスが墓の中にいないことは分かっていたのです。でも園丁には、イエスの墓の中の遺体がなくなっていることを訴えないといけなかったのです。

□ところが話しているうちに、園丁が「マリア」と言ったように聞こえたのです。そしたら園丁が実はイエスだと分かったので、マリアは「ラボニ(先生)」と呼んだということです。

□イエスを園丁と見間違えていたのか、それとも園丁をイエスと見間違えたのか、はたしてどちらでしょう。どうしてイエスを園丁に見間違えていたのでしょう。それは簡単ですね、園丁の格好をしていたからです。しかし復活したてのイエスが、どうして園丁の格好をしていなければならないのでしょう。それはどう考えてもおかしいですから、園丁が途中でイエスに見え出したのだとして、その心理を分析しましょう。

□マグダラのマリアは大変情の激しい女性です。イエスに七つの悪霊を追い出して貰ったぐらいですから。それでイエスに帰依する気持ちも強く、イエスを失った悲しみも気も触れんばかりで、張り裂けそうな思いにかられていました。ですから時 々 「マリア」とイエスが呼ぶ幻聴が聞こえていたのです。それでこの時「マリア」と呼ぶ声がした時に園丁がいたので、園丁が「マリア」と呼んだように聞こえました。でも、マリアを呼ぶのはイエスのはずなので、今度は園丁がイエスに見えたということです。

□そんな簡単に人の姿が違って見えるのだったら、マリアの精神状態は正常とは言えません。しかし正常ではないということと病気とは別です。マリアはイエスの聖餐に加わっていたので、神の子との合一感から全能幻想が異常に高まっていました。

□イエスの声が聞きたいという気持ちから「マリア」という幻聴が聞こえるのです。ですから、「マリア」と呼ぶ人はイエスであるという自分の判断を、全能幻想の力で正しく見せるために、園丁の顔がイエスに見えてしまうわけです。

□そして園丁がイエスだと思い込んでしまいますと、園丁の話していることはすべてイエスが話していると思っているのですから、実際の園丁の話はほとんど違うように聞こえるのです。こういうマリアの話をマリアの気性をよく知っている弟子たちは、イエスを失った悲しみのあまり気がふれているのだろうと受け止めていたのです。

□聖餐に加わった使徒たちにすれば、イエスの復活は自分たちの魂の中で聖霊が活躍するという形で復活する筈だと思っていたのです。もう食べて無くなってしまったイエスが肉体を持って復活するのはどう考えても奇怪(おか)しいですから。
------------------------3 エマオに現れたイエス------------------------

□「ルカ伝」によりますと、そのことがあってからイエスの弟子が二人、所要でエルサレムの近くの町のエマオに向かっていました。その内一人はイエスの親類のクレオパです。二人はその朝からの不思議な出来事について語り合っていました。婦人たちが墓に行くと、墓は空で天使が現れ、イエスが生きていると言ったというのです。その報告を聞いて仲間が確かめに行きましたが、墓は空だったという話です。

□その話中に復活したイエスが近づいて来て、その不思議な話を聞いたのです。イエスと話をしていても「二人の目は遮(さえぎ)られていて」イエスとは分からなかったとしています。二人はしきりに不思議がっているものですから、イエスは、メシアはこういう苦しみを受けて栄光に入るはずだったじゃないかと諭しました。

□そしてエマオに着いたのが日が暮れる頃だったので、クレオパ達はイエスに、一緒にお泊まり下さいと引き止めました。そして食事の際、イエスがパンを裂いて弟子たちに渡した時に、二人の目が開けて、イエスだと分かったのです。でもその姿は見えなくなってしまいます。

画像 レンブラント画「エオマのキリスト」

□「ルカ伝」では、イエスが見知らぬ旅人に見えていたけれど、イエスのような気高い話をされ、パンを裂かれたときにイエスだと分かったことになっています。しかしそれは後からイエスだと分かったからですね。時間を追って見ますと、やはり見知らぬ旅人に、気高い話をされて感動させられ、その上で、食事でパンを裂くことで、最後の晩餐のイエスの姿が鮮やかにフラッシュ・バックしたので、その旅人がイエスに見えたということなのです。

□やはりクレオパたちも聖餐に加わっていたとしますと、神の子との合一感を抱いています。それで全能幻想を抱きやすいのです。このフラッシュバックで全能幻想が一気に高まりました。そうしますと、この旅人とイエスが重なって一つになるわけです。だってイエスの復活を渇望している上に、イエスのような話をし、イエスのようにパンを裂く人が現れたのですから、それはイエスの復活であって欲しいわけです。全能幻想が高まりますと希望が現実に瞬時に移行するのです。とはいえ、イエスと間違われた旅人は、困惑して立ち去りますから、イエスが消えてしまったということになったのです。
------------------------4 弟子たちに現れる------------------------------

□クレオパたちは、復活したイエスに会った報告をするためにすぐエルサレムにもどります。マグダラのマリアとクレオパたちの復活体験を聞いたので、それが弟子たちに復活への期待を高めます。ですからイエスの「最後の晩餐」の後での予告にも関わらず、ガリラヤで最初に復活後のイエスと再会したのではなく、エルサレムで再会したのです。

□「マタイ伝」だけがガリラヤでの再会に固執していますが、これは間違いです。「マタイ伝」より古く書かれたといわれる「使徒言行録」によりますと、エルサレムに復活のイエスが現れて、近く「聖霊による洗礼」があるので、エルサレムで待つように弟子たちに指令しているのです。ガリラヤでの復活は宙に浮いています。

□この「聖霊による洗礼」は既に終わっています。「聖餐による聖霊の引き継ぎ」が「聖霊による洗礼」なのです。でもそのことは絶対に露見してはならない秘儀です。

画像 聖霊による洗礼
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-704.html

□ユダヤ教から見ますと、イエスはあくまで人間です。唯一神論からは「神の子」は実子としてはあり得ないんですから。人の肉を食べ、人の血を飲んだということは、人の限界を越えて、悪魔のような存在になったということですから、イエス教団は皆殺しにすべきだということにもなりかねないのです。それで「聖霊による洗礼」はイエスの復活後に、いったんイエスが天に昇って、聖霊を神から頂戴して来てから行われたことにしたわけです。

□イエスは「マルコ伝」では食事中に現れます。おそらくパンを裂く時か、赤ワインを飲む時か、肉を食べる時でしょう。「最後の晩餐」や「過越の食事ーイエスの聖餐」がフラッシュ・バックしますから。

□「その後、十一人が食事をしているときイエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。

それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。』」(「マルコ伝」第一六章 14〜18節)

画像 弟子たちに現われたキリスト
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/kirinyu-4.htm

□マグダラのマリアの場合の園丁やクレオパたちの場合の見知らぬ旅人は、自分がイエスに見間違えられているという自覚があります。あくまでも復活を見る側の主観的な復活体験だったのです。ところが使徒たちの前に現れたイエスは、復活を信じなかったことを咎めています。「ルカ伝」では手足を見せたり、焼いた魚を食べたりして生きた肉体を備えた人間として復活していることをアピールします。つまり自分が復活のイエスだと思い込んでいるのです。

□自分が復活のイエスだと思い込めるのはだれでしょうか。それは食べられたイエスでしょうか。イエスの肉や血は食べた使徒たちの中で消化され三日目にはほとんど糞や尿や汗になって排泄されています。でも聖霊が宿っていたとすれば、聖霊は使徒たちの魂の中に宿っているのです。ですからイエスは使徒たちの外に現れるのは奇怪しいのです。

□聖霊は人格的にはイエスのような性格や個性を持っていると、弟子たちは思っていました。イエスが食べた人の心の中から話しかけてきます。自分の中からイエスの声がするのです。そうしますとイエスという人格は強烈ですから、各弟子たちの中で弟子たちの個性を圧倒するような気持ちになったのです。だってイエスの肉を食べ、血を飲んでいるのですから、イエスとの一体感は強くなっているからです。その上、神の子との一体感は全能幻想を異常に高めますから、自分が憧れのイエスに成りたいという思いを一挙に実現してしまうのです。それでいわゆる二重人格的症状に陥ります。

□ただし、そのことで元々の自分の個性を見失い、イエスに成っている時の自分は、後で自分の個性に戻った時には決して思い出せないのです。もちろん聖餐に加わった人がみんなイエスになるわけではありません。誰かがイエスに成りきっている間は、自分の中のイエスは眠っています。そしてイエスに成りきっている人を見ますと、彼らは全能幻想が異常に高まっていますから、その人が復活のイエスに見えるのです。元の人格に戻りますと、自分がイエスに成っていたことは完全に忘れているのです。

□イエスは四十日間も現れたと言いますから、ずっと同じ人ではなかったと想像されます。一番、イエスの復活だと皆が確信したのは、容貌が似ていたとされるイエスの弟ヤコブがイエスとして振る舞った時だったと思われます。

□ただ弟ヤコブがどの時点から使徒たちと一緒に行動するようになったか、明確ではありません。初期キリスト教団ではペトロの次に教皇になっているのです。それだけ中心的存在に成るということは、彼の言行がイエスを髣髴とさせたからです。もしイエスの聖餐に加わっていて、三日目にエルサレムにいたのなら、弟ヤコブにイエスの聖霊が憑依したという実感が強まり、無意識のうちに復活のイエスに成りきって行動したことは大いにあり得ることです。

ーーーーーーーーーーー5 復活体験と世界宣教ーーーーーーーーーーーーーー

□イエスの復活は三日目だけではなく、少々オーバーでしょうが、四○日間も継続したとされます。それだけエルサレム入城から神殿での説教、奇跡、論戦、最後の晩餐、イエスの裁判、十字架刑、〈イエスの聖餐〉、暴かれた墓、三日目の復活という一連のホーリーウィーク(実際には八日間ですが)の衝撃が大きく、その余韻からなかなか抜けきれなかったのです。未だに世界にはその余韻に浸っている人々がたくさんいるのです。

□これらの衝撃は結局イエス・キリストの復活体験にまとめられますから、復活を疑ったり、否定したり、声だけの復活に止めたり、精神的な事件に止めたりする人々は、とんでもない不信心の罰当たりだといわれます。ですから、すべてイエスを冒瀆するものとして排斥されます。イエスの復活を認めるか、認めないかです。「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」のです。

□イエスの復活については、復活したイエスを見たという当事者の確信が非常に強いところに特徴があります。そしてそれは彼らの自分たちの心の中に聖霊として復活するという予想を越えて、眼前に肉体を持って復活したものですから、その宗教的信念は不動のものになり、死を賭しても布教すべきものだと思われたのです。

□なぜならイエスが死を克服して復活しているのですから、死はもはや恐ろしいものではないからです。彼らが死を賭して布教するのですから、どんな障害もこれを妨げることはできません。ですから、それは必然的に世界布教ということになります。

□世界中の人々が、主イエス・キリストの復活を認め、イエスキリストへの帰依によって救われることを信じるかどうかが迫られるわけです。そのことを認めないと審判で滅ぼされてしまうという脅迫が込められています。

□しかし本来は、そんな問題ではなかったはずですね。トーラーによって救われると信じて、そのためにトーラーを守ったら、かえってトーラーに反することになるのではないかという、「トーラーの呪(のろ)い」をどう解決すべきかという問題でした。

□イエス・キリストの復活という奇跡を認めろと言われても、何を根拠にということになります。信じたい人は信じればよいわけで、信じられない人まで信じなくてもいいわけです。それを信じないと滅ぼされるぞと脅迫するのは問題です。

□信じないと滅ぼされるぞという脅迫は、異教徒への蔑視が含まれかねないからです。つまり信じない人はどうせ神から滅ぼされるだけの値打ちしかないのだから、自分たちの利害を守るためには、異教徒の人権を無視してもよい、殺してもよいということになりかねないのです。
-----------------------6 パウロの復活体験----------------------------

□ところでイエスが聖餐によって復活したという仮説は、サウロ(パウロとも呼ばれていた)の体験には当てはまりません。ですから「聖餐による復活」仮説だけですべてのイエスの復活体験を説明できるわけではないのです。

□ではどうしてサウロは復活したイエスを体験したのでしょうか。彼は熱心なファリサイ派で、キリスト教徒の弾圧に情熱を注いでいました。

□「さてサウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それはこの道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。

□ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル(サウロのこと)、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。

□『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。
□『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。』

□同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。

□人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目も見えず、食べも飲みもしなかった。」(「使徒言行録」第九章1〜9節)

□サウロはキリスト教徒を激しく弾圧したのです。拷問を加えたり、殺害したりして迫害したのです。サウロはキリスト教徒をトーラーを軽視し、神殿を悔辱する連中と考えていましたから、神の義を守るためには、キリスト教を撲滅しなければならないと決意していたのです。

□ところがキリスト教の弾圧は、キリスト教徒の愛の解放戦略によって、大変やりにくいものになっていました。なぜなら、キリスト教徒たちは自分達を憎み、迫害する敵に憎しみを返すのではなく、愛を返そうとしたのです。「汝の敵を愛し、汝を迫害する者のために祈れ」という態度を貫いたのです。それでサウロはキリスト教徒を憎みきることができなくなっていきました。そしてそこまでキリスト教徒を導くことができたイエスをいつしか無意識に尊敬するようになっていたのです。

画像ミケランジェロ『聖パウロの回心』パオリーナ礼拝堂

□キリスト教を憎み撲滅しようとする感情と、キリスト教徒やイエスに心打たれる感清が内心で激しく葛藤して自分のアイデンティティを保っことができなくなってしまって、真っ白になったのです。その時の感覚が「天からの光が彼の周りを照らした」という感じです。そしてイエスの声が聞こえたのです。

□もちろんこれは幻聴です。内面の良心の声とでもいうものでしょう。でも具体的に復活のイエスが「町に入れ」と指示を送っていて、後で指示どおりの事態が起こります。おそらくそういう部分は後の創作でしょうね。もしこれがサウロの創作でなく、事実そのままだとしますと、このサウロにおけるイエスの復活は、初期キリスト教団がサウロの心の変化を読み切って、大胆に仕組んだサウ口回心劇だったということになります。

□崖の上から大きな鏡を使って、サウロを驚かせ、動揺しているところへイエスの声を聞かせたわけです。サウロはイエスを知りませんから、誰の声でもいいわけです。もしそんなことができたとしたら、キリスト教徒の読心術は凄かったことになります。だってサウロは凄い意気込みで弾圧に情熱を傾けていたらしいですから、その裏を読み切るのはとても常人ではできません。
ーーーーーーーーーーーーエピローグーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーー「命のパン」における循環と共生の思想ーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーー1 梅原戯曲における「復活」ーーーーーーーーーーーーー

□市川猿之助劇団の歌舞伎を「スーパー歌舞伎」と呼びますが、それは梅原猛作 『ヤマトタケル』を上演して以来の呼び名なのです。その意味で梅原猛は「スーパー歌舞伎」の産みの親と呼んでもよいと思われます。

□既成の歌舞伎が古典芸能化して生気を失ってきたのを、大仕掛けな舞台装置を使って、歴史的な大スペクタクル劇でリフレッシュさせようとする試みです。その上梅原戯曲の特徴は、歴史上のヒーローに作者の人生を重ね合わせながら、その情念を躍動的に描いているところにあります。

□私は、『ヤマトタケル』 『オオクニヌシ』 『小栗判官』 『 ギルガメシュ』などを読みますと、そこに重要なテーマとして覆活」というテーマがあろことに気づいたのです。『ヤマトタケル』では、ヤマトタケルの魂は望郷の念やみがたく、白鳥になって大和に帰ってきます。霊が鳥の姿をとるのは霊鳥説話といって世界中に見られます。これは復活や生まれ変わりではありません。霊を実体をもった命の塊のように捉えているわけです。でも死んでも霊が鳥になって思いを遂げるという点で、復活や生まれ変わりと共通点があります。

□『オオクニヌシ』ではオオクニヌシは二度殺されますが、最初は育ての親である沼のばばあに助けられます。これは梅原が戟後最も落ち込んで死ぬことばかり考えていた院生時代に、育ての親が心配して京都にでてきて、同居して何とか立ち直らせてくれた体験が投影されているのです。オオクニヌシは二度復活し、復活する度に以前より飛躍的にパワーアップして遂に全土を支配するのです。

□小栗判官は照手姫を見初めて関東武士のしきたりを無視して、親の許しのない段階で肉体関係を持ってしまったので、照手姫の親に殺されます。でも閻魔様に復活させてもらうのですが、ひどいらい病でいざり車に乗って熊野神社まで旅をするのです。大変屈辱的な目に遭いながら、やっと熊野に到着しますが、そこでも耐えがたい屈辱をあじあわされ、遂に熱湯に飛び込んで自殺を図ります。

□この屈辱体験には梅原の軍隊体験が重なります。でも熱湯には薬師如来がいて、小栗を抱いて助けてくれるのです。そうすると薬師如来のお陰で、らい病がきれいに治っていました。 『小栗判官』でも死からの復活によって、結局精神的あるいは肉体的に強くなるということがあります。死を体験して、死に打ち勝つ、あるいは九死に一生を得て強くなるというのは、お芝居の筋書きとして、大変観衆の感動を誘います。そのへんの観客心理をよく読んで書いています。
------------------------2 死して生きる--------------------------------- 
 
□イエス・キリストの死と復活も、梅原戯曲と共通しています。イエスは大変素晴らしい説教と悪霊払いのパフオーマンスで熱狂的な民衆の支持を受けますが、いろんな事情でブームは去り、急速に支持を失います。そしてエルサレムに入城して起死回生を狙います。でも結局は失敗に終わり、十字架にかけられて、殺されてしまいます。

ころが三日目に予告通り死から復活して、弟子たちの前に現れたのです。本当に復活したのなら、すぐにでも終末になって、イエスによる審判があるはずなのですが、それが未だにないんです。ともかく生前のイエスよりも猛烈にパワーアップしたイエスが再臨して審判になると、これが凄いホロコースト(大虐殺)になるぞ、という呪われた預言が「ヨハネの黙示録」なのです。これがいかに危険なものであり、聖典から削除すべき文書であるかは、「オウム真理教事件」が如実に示しています。

(註―やすいゆたか「ほふられた仔羊ーオウム真理教と『ヨハネの黙示録』 『月刊状況と主体』一九九六年三月号(谷沢書房)所収)

□イエスは復活して天に昇ったとされ、再臨の約束は未だに果たせていませんが、イエスの復活体験が初期キリスト教団を形成させました。これがイエスの復活体験によって猛烈なパワーアップを実現し、世界布教に乗り出し、遂には四世紀にローマ帝国の支配宗教にまでなったのです。

□死と正面から立ち向かい、死から逃げないで、死を運命として受け入れながらも、死を克服して永遠の命に繋がろうとしたイエスの試みは、今日でも我々の心を激しく揺さぶります。まさしく西田哲学でいう「死して生きる」の心意気です。

(註―やすいゆたか著「西田哲学入門講座」(『月刊状況と主体』一九九八年十月号(谷沢書房)から二〇〇〇年一月号に所収)の中の一九九九年八月号〜二○○○年一月号を参照。『やすいゆたか著作集第七巻』に所収http://www42.tok2.com/home/yasuiyutaka/shoin/nishidanyuumon.pdf)。

□ただ個体的な生に固執し、個体的に生き長らえようとばかりしても、いずれは老い衰えて死ぬか、病気や事故で必ず死ぬことになっています。それより人間が本当に生きるには個体的な生命を越えて、社会的な類的な生命の中で自らを実現して生きることです。

たしかに現実には、自らの生命を輝かそうとすれば、個体的な生命を危険に晒さなければならない場合もあります。その時に自らは個体的には死ぬことになっても、自己の生命は社会や人類の中で実現し輝くことになるのです。そして自己の生命は、より大きな生命の中でその生きた部分でありつづけることができます。個体的には既に朽ち果ててしまっているとしてもです。

人がヒーローに成りうるのは、自らは個体的には死ぬことになっても、自己の生命を社会や人類の中で実現し輝かそうとすることによってのみです。何らかの意味で命懸けの覚悟がなければ、人の魂に縦揺れを起こすことはできないのです。その意味でイエスは予め十字架刑を予告し、三日目の復活まで予告して、聖都エルサレムに乗り込み、既成の神殿権力と真っ正面から対決して、一歩も引き下がろうとしませんでした。したがって十字架刑に付けられるのはある意味で自業自得です。ですからイエスがヒーローとしての評価を受けるのは、その上に復活を実現したことによってです。

しかしこの復活は、個体的な生命の復活のようにみえましたが、実際には、個体的な復活は幻想的復活に過ぎませんでしたから、イエスは天に昇ったきり未だに再臨できないのです。つまり個体的生命としての身体的な永続はできていません。しかし未だにイエスはキリストと認められ、人類のなかに普遍的な愛の根源としての生命を保っています。その意味でイエスは「死して生きている」のです。
ーーーーーーーーーーー3「命のパン」の思想ーーーーーーーーーーーーーーー

□イエスは自らを本物の食べ物、本物の飲み物として自分の肉と血を弟子たちに与え、聖霊を引き継がせました。もちろんカニバリズム的行為は継承するべきではありません。カニバリズムは殺人願望と同様に人間の根源的な衝動に属しており、宗教的カニバリズムを例外として認めれば、その形式の下で人喰いの風習が復活し、とても安心して暮らせない状態になるでしょう。

□イエスは聖霊を自分の死後引き継がせるには、自分が「命のパン」になるしかないというギリギリの選択に基づいて聖餐を行わせたのです。それは聖霊を鳩にも見えるような実体的なつきものとして、体の中に住みついたり、とりついたり、離れたりできると捉えていたからです。

□聖霊や悪霊をつきものとして捉える信仰を「つきもの信仰」と言います。そこから聖霊による悪霊払いという治療法が出てきて、イエスの奇跡の主要な形態になっていたのです。

□しかし本当に聖霊は肉体から取り出せるつきものなのでしょうか。聖霊を宿している人を食べれば、本当にその聖霊が引き継げるのでしょうか。それが問題ですね。

□イエスは「トーラーの呪い」から人々を解放する「二つの愛」に生きる生き方を考えついた時に、その発想が自分個人の能力によって考えついたのではなく、自分を越えた大いなる存在から与えられた力によって考えついたと思ったのでしょう。その力が聖霊だと思って、だからつきもののように聖霊をみなしたのでしょう。いわゆるインスピレーションのようなものです。

□元々個人の発想も社会や自然との関わり、歴史の展開の中で生じるものですから、自分では信じられないような発想がふいに出てくることがあります。それで霊が入ったと思ってしまうのです。自分一人で考えているのではなく、集団や社会や人類や自然が苦しみもがき、自分の中で考えているんだということなのです。それは決して、出し入れしたり、取り替えたり、移転させたりできるものではありません。

□イエスの「命のパン」の思想は、つきもの信仰という迷信からの発想であるにせよ、神を食べる宗教的カニバリズムになってしまいました。カニバリズムは大変危険な思想で、厳禁すべきものです。キリスト教会が「パンと赤ワインの聖餐」に変えたということはとても健全な知恵でした。

□とはいえ、カニバリズムに全く学ぶべきものがなかったとは言えません。そこには「食べる」だけではだめで、「食べられる」ということも必要だという認識が入っているのです。

□人間は食物連鎖で頂点に立ち、食べられるということを忘れてしまいました。実際には土に帰ってバクテリアに分解されたり、焼却されて空気に戻っているわけで食物連鎖の循環は存在しているのです。でも自分では、自然の外に立って、自然を自分たちの生存のための生活手段としてしか捉えていません。自分自身もその中に含まれている大きな生命としての自然は忘却されているのです。ですから、大いなる生命とは切り離された個体的生命に固執してしまいます。

□ところが個体的生命は始めも終わりもある有限な存在で数十年の寿命しかありません。これに固執しますと永遠の生命からは断絶したままです。個体的生命は他の個体的生命から生命を貰って、生きています。ですから個体的生命が生きるというのは、他の個体的生命を殺し、その命を自分の中で燃やすことによってなのです。こうしてそれぞれの個体的生命は他の個体的生命を生かすことで、自己の生命力を実現しているのです。

□牛を生かしているのは草の命です。牛の中に草の命が燃え生きているのです。その牛を食べることで、人間は生かされ、牛の命が人間の中で燃え生きるのです。このようにして全体としての命が生きているのです。元々は命は一つだったのです。それが厳しい環境の中で生きるために、多様な種や個体に分かれて、様々な条件に適応して広がっているのです。そして食べたり、食べられたりする関係を形成するのも、環境への適応です。

□元々一つのものが〈食べる・食べられる〉関係で一つに帰っているわけです。個体的生命を越えた、大いなる生命の営みなのです。永遠の生命に帰るのは、食べてばかりでは駄目です。食べられるという営みによって、始めて永遠に循環している大いなる生命に帰れるわけです。

□個体的生命である肉も血も魂も聖霊までもすべて捧げ尽くして、イエスは全身全霊で愛に生き抜いたのです。それは個体的には死であり、食べられることですが、そのことで永遠に生きる命に帰ることが出来たのです。

□イエスを食べた弟子たちが永遠の生命を生きるには、イエスに倣って身も心も捧げ尽くして生きることによってしかありません。しかし、それを短絡的に宗教的カニバリズムにしてしまえば、キリスト教は歴史から抹殺されたでしょう。

□宗教的カニバリズムは必ず世俗のカニバリズムを生み出し、社会に大きな脅威となるからです。土葬にして土に帰しても、火葬にして空気に帰しても、土も空気も大いなる生命を構成しているのですから、生命の循環に帰ることに違いはないのです。

□大切なことは自らの生命をどのように生かすかということです。献身の意義を説き、殉教の尊さを説きますと、滅私奉公の時代錯誤ではないかと思われるかもしれません。宗教にもよるでしょうが、死を賭けて自己の宗派のために戦うことを美化し、そのために宗教紛争が煽られる傾向があるようです。

□人間は、自己実現するためにも、自分の全身全霊をぶっけて、自己の限界に挑戦し、たとえそのために命までも危険に晒すことになっても、やり遂げなければならない場面があります。

□ところが個体的生命にのみ固執していますと、自分の選択や行動範囲に自ずから限界ができてしまいます。個体的生命を越えて、社会の中や地球環境の中で自己の可能性をどう実現するか、自己を全体のためにどう輝かせるかというように、価値意識を広げてゆかなければなりません。そうでないと、快楽や金銭的な利害でだけ行動することになってしまうのです。

□個体的生命を越えた社会的生命や地球的生命の中での自己を発見することで、自己実現の限界が広がります。イエスは自分の個体的生命を投げ出すことによって、全世界を手に入れるという危険極まりない賭けに出たのです。

□しかもそれはイエスの宗教的天才ならではの奇想天外な方法によってです。自分の肉と血を食べさせることによって、弟子たちに聖霊を引き継がせ、弟子たちの中に復活しようという目論見です。

□実体として聖霊が移転するなんてことはありえませんが、弟子たちの中に聖餐によって、イエスの精神が再生したことは確かです。こうしてイエスは不滅の生命を人類史の中で輝かせているわけです。

□カニバリズムの二番煎じを演じてもナンセンスですが、イエスはイエスの時代に彼の希有な宗教的感性でカニバリズムの中に、ユダヤ社会の閉塞を打破し、世界宗教への脱皮を図るきっかけを見い出したのです。それ以外に方法はなかったのかは定かではありませんが、それが追い詰められたぎりぎりの選択だったことは確かです。イエスの「死して生きる」方法だったのです。そこにわれわれは個体的生命の限界を越えて、生命の「共生と循環」に生きる先駆的な思想を学ぶべきではないでしょうか。

□西暦二千年代は、大いなる生命としての地球環境の「共生と循環」が大きなテーマです。個体的生命を越えて、この大いなる生命との合一を目指し、われわれも思想的冒険を試みる時なのかもしれません。
-----------------------------あとがき---------------------------------

□本書は社会評論社が企画する「叢書・社会思想史の窓」の第一弾として出版されました。イエスキリストが生誕して約二千年の歳月が流れました。イエスは世界史をキリスト出現以前と以後に大きく二分するほどのスーパースターだったということです。一体何がそんなにイエスがすごいところなのかということを本書では、解明したつもりです。ですからミレニアム企画としてとても相応しい内容ではないかと自負しているのです。

□本書は一九九九年に三一書房から出版しました『キリスト教とカニバリズム』の姉妹本ですが、前著はイエスの「聖餐による復活」仮説を論証するのが主要な内容でしたが、本書は『バイブルの精神分析ー新約篇』として、主に福音書の精神分析を内容にしています。個々の文章を厳密に精神分析するというよりも、「聖餐による復活」仮説が精神分析による仮説ですので、それを踏まえて福音書の内容を検討し、解説したと言った方がよいかもしれません。

□もとより精神分析による仮説は歴史的事実まで確定するだけの証拠能力はありません。このように合理的に説明できるという範囲にとどまります。しかし現在においては、これ以上にイエスの復活に関しては、歴史の原像にアプローチする方法は残されていません。聖書学者は文書の成立年代やその時代の初期キリスト教団の置かれた状況から、福音書の内容を解釈しようとしています。

□もちろんそうした解釈は大切です。しかしそれが行き過ぎて、教団の利害関係からすべて説明してしまいますと、福音書の内容はほとんど宗教的真実を反映しない偽書だということになりかねません。

□イエスの教団が旗揚げしたのは悪霊退散のパフオーマンスによってですが、この前提にあるのがイエスに聖霊が宿っているという信仰です。この聖霊の力で悪霊追放が行われたのですが、その際に福音書に書かれてあるようなことを実際にやったのです。

□ただ、それが演劇性を持っていたという指摘はだれもしませんでした。そうしますと福音書は実際はやりもしなかった悪霊追放をしたと嘘をついているのか、それとも本当に悪霊を追放したのかということになります。

□ともかく悪霊追放をしなかったのなら、イエスブームは説明できません。でもしたとしたら、本当は目に見えないはずの悪霊をどうして人前で退散できたのかということになります。私はそれを説明できるのは弟子たちに悪霊役をさせる悪霊芝居しかないと思うのです。それはしかし悪霊追放を目に見える形で示すことだと捉えていましたから、イエスたちはインチキだとは考えなかったのです。

□悪霊追放などを演出する技術は相当難しいものですから、組織的な訓練が必要ですね、それを前提してはじめて、聖餐による復活という史上最も謎に満ちたイべントの実相が見えてくるのです。「聖餐による復活」仮説で最後の聖なる一週間を解釈しますと、わりと聖書の記述に素直に沿った形で無理なく解釈できるのです。

□神がイエスを予告どおり復活させたとすれば、どうしてイエスを天に上げたまま戻さないのかが納得いくようには説明できません。「聖餐による復活」仮説ですと復活のメカニズムが一応合理的に説明できます。とはいえ、実験的に再現できませんから、証明できたことにはなりませんが。

□聖餐があったことは納得できても、イエスの復活体験が起こったことまでは、納得できない人が多いようです。しかし聖餐だけあって復活体験がなければ、初期キリスト教団の宗教的な主体的パワーが説明できませんから、カニバリズム的興味からのみキリスト教を捉えることになってしまいます。本書では「聖餐による復活」仮説が全体として納得できるように説明したつもりですが、成功しているでしょうか。

□本書は「聖餐による復活」仮説に関連する福音書の分析に重点がありましたので、キリスト教の審判思想にはあまり焦点を当てることができませんでした。私の最近の聖書への関心は、「オウム真理教」事件に刺激されて、「オウム真理教」がハルマゲドンを起こそうと図って、「ヨハネの黙示録」を利用したことから、その内容に関心を持ったことが出発点でした。

□オウム真理教が「ヨハネの黙示録」を悪用したのは、「ヨハネの黙示録」がまさしく悪用するに相応しい内容のもので、イエスが再臨した際には本物のクリスチャン以外は審判ですべてゲへナの火の池に投げ込まれることになっているのです。

□このような内容の文書をバイブルの結びの位置に置いてあるということは、とんでもないことです。キリスト教徒が愛の神イエスが、恐ろしい裁きの神として再臨し、人類の大部分にそういう裁きを下すという文書を平気で聖典から除外しないでいられる神経が疑われます。本当にイエスが愛の神というのなら、イエスを冒瀆しているヨハネの妄想の書を、聖典から即刻はずすべきです。その事に関しては別著で改めて主題的に論じることにします。

□本書の執筆にあたり、石塚正英氏編集の『社会思想史の窓』 に「バイブルの精神分析」を連載させていただいていることが機縁になりました。しかし本書はすべて新たに書き下ろしたものです。既に連載している分は後回しにしまして、新約篇を先に出すことにしたのです。

□その理由は、今年が西暦二千年の節目の年に当たり、キリスト教成立の最大の契機となったイエス復活の謎を解明することが、ミレニアム企画に相応しいと考えたからです。

□本書は、復活の謎を次の二つのことから説明しました。一つはイエスを聖餐した弟子たちが、イエスの聖霊を引き継ぎ、聖霊に憑依されたことによって、自分でも分からないうちにイエスになってしまっていた二重人格症状です。もう一つは、聖餐による神の子との合一から全能感が極端に強まり、そのせいでイエスと似た人をイエス自身の復活と思い込む倒錯が起きたことです。実際この説明でいきますと、キリスト教の最大の謎であるイエスの復活と、キリスト教会の礼拝の中心である聖餐の秘儀が最も合理的に結び付けて説明できるのです。

□本書はキリスト教を解体したり、攻撃したりするために書かれたものではありません。世界最大の宗教キリスト教の成立の謎を解明することは、物事を根源的に問うことを宿業としている哲学者の重大な関心事なのです。

□イエスが悪霊追放劇と「聖餐による復活」イべントを思いついたという私の推理は、無神論者からみれば神の存在を仮定しないでキリスト教の成立を説明したものとして、キリスト教の解体を迫るものと受け取られるでしょう。他方キリスト教徒からは、そのような奇想天外な発想によるユダヤ教の閉塞状態の打破は、イエスが天からの聖霊の声を聞いたからに違いなく、神の関与を前提せざるを得ないのではないかという受け止め方も可能なのです。

□イエスの聖餐につきましては、『フェティシズム論のブティック』(論創社刊)における石塚正英氏との対話の中で、氏のフェティシズム論の応用として出てきた共通の認識であり、石塚氏には大いに学恩を受けています。本書のプロデユースに当たりましても、親身のお世話や助言をいただき感謝しております。そして現代思想研究会ではこのテーマでの発表の度に議論が白熱して、問題意識が随分深められました。

□特に藤田友治氏には、対談を通して、聖霊の引き継ぎに関して、日本の古墳との共通性を指摘していただき、「聖餐による復活」説に広がりを与えていただきました。

□そして下里正樹氏には、欧米文明の基底を成すキリスト教の成立にカニバリズムを見いだすことは、現代文明の秘められたカニバリズム的性格を暴露する上で重大な意義があると拙論を高く評価していただいたのです。

□また室伏志畔氏には、氏の幻想史学との方法論的な共通性を見いだして、拙論の方法論的意義を論じていただきました。また独りよがりで難解な文章にならないように草稿に目を光らせてくれた同伴者の力添えがあってなんとかこなれた仕上がりになった気がします。

□社会評論社社長の松田健二氏には出版不況の過酷な状況の中で、時代の課題を的確に捉える感受性で本書の出版を決意していただき、大きな励ましと勇気を与えられました。まことに感謝の極みであります。

---------------------------------------------西暦二○〇○年四月十二日稿了
------------------------------PDF版あとがき-----------------------

 本書は出版以来十年が経過しましたが、再版されていないため限られた人にしか読まれていません。イエスが本当に食べられ、血を飲まれたことによって、イエスの肉を食べ血を飲んだ弟子たちに復活体験が生じたということを福音書の精神分析を通して、論証したものです。これは確かに著者である私でさえ仰天すべき仮説だと思いますが、決してトンデモ本ではありません。

 福音書の記述をできるだけ尊重し、フロイト的な精神分析を行なって論証しています。もしその方法に疑問や批判があれば、それをした上でトンデモ本だと断じるべきでしょう。

 それから、この本はキリスト教をけなしたり、批判したりしているのではありません。ですから、キリスト教を非難するために利用されるのは困ります。私の意図はあくまでも宗教的対話の成立させようとするところにあるのです。

 死んだイエスが復活したという信仰がキリスト教の核心ですが、キリスト教徒の皆さんはそのことを信じられるでしょうが、非キリスト教徒は信じられません。すると非キリスト教徒はキリスト教会はインチキで人を騙していると思って、悪印象を持ち、嘘つきの言う事など信じられないと言う事で、対話がなかなか成立しないのです。

 しかし弟子たちが復活したイエスを見たという体験は、ありえないことでしょうか。死んだイエスが復活することがありえないとしても、復活したイエスを見る体験はありえるのではないかということです。もしそうだとしたら、弟子たちには嘘やインチキではなく、誠実な信仰によって、イエスの復活を信じて布教していることになり、非キリスト教徒もキリスト教徒の教えから様々な素晴らしい考えを学び取る事ができるのではないでしょうか。

 そんな都合の良い事はあり得ないと頭から断定するのではなく、弟子たちがどんなイエス体験をしたのか、先ずは福音書をひもとき、そこから粉飾された部分は除いて、彼らの体験がどうだったか、精神分析してみる価値があるということです。

 確かに完全に死んだ人が甦って現われるということはありえません。でも死んだはずの父母や祖父母が生きている夢を見ることはしょっちゅうあります。夢でなくても死んだ人にそっくりな人が現われてびっくりすることがあります。

 では十字架に掛けられて絶命した筈のイエスが弟子たちの現われる可能性はないのでしょうか、それは信じられないような奇跡的なことですが、そういう凄い体験をしてしまったから、彼らは復活したイエスを見たと確信したのではないでしょうか。おそらく歴史上一回しか起こり得ないことだったかもしれませんが、福音書を精神分析すれば、それがどういう原因結果から起こったか分析することが出来るのです。

 もちろん精神分析できるから、それが事実として起こったことが完全に実証できたわけではありません。精神分析の結果として説明可能だということですね。この説明が間違っているのなら、残る可能性は、本当に神がイエスを復活させたということになるのでしょうか。他の合理的な説明は無理ですし、それこそキリスト教をインチキ宗教と決め付けるしかなくなるでしょう。

 一度読んだだけでは納得できなくても、少なくとも三遍読めば、非キリスト教徒のほとんどの人はトンデモ本ではないと思われますし、ほぼ納得されるでしょう。そしてキリスト教徒との対話を大切だと考えられると確信します。

 それで大変な作業でしたがPDF版にした次第です。

                ---------------------二〇一一年四月九日記

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