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花田清輝コミュの七〇年代の花田清輝

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「その後」の思想家としての花田はいくつかの小説や文集に業績を重ねている。
僕はここでは、いくつかの切抜きを持って彼の「左翼」批判を、つまり、愛としての批判を浮かび上がらそうと思っている。

犬死礼賛 (1970)より

かれは、瀬戸内海を、確信もなく、行ったり来たりした上で、とどのつまり射殺された。まさに典型的な犬死である。しかし、もう一度くりかえすまでもなく、その絶望にわたしは共感する。(中略)
わたしには、右の汽船をのっとった思想のない青年の絶望の深さにくらべると、近ごろ流行している旅客機を乗っ取った思想のある青年の英雄気どりなど(日本のものも外国のものも含めて)ひどく浅薄なような気がしてならないのだ。
 まず第一に、わたしには、その思想なるものが、実は思想の名に値しない、単なる大義名分であるようにおもわれる。つぎにかれらが、かれらの否定するブルジョアジーと同様、つねに人質をチラチラさせながら、取り引きを忘れないところが気にくわない。そして、さらにまた第三にみずからの絶望に徹しきらず、中途半端なところに踏みとどまって、希望ありげに振る舞っているのが、イヤらしい。

コメント(5)

1974年に逝去した花田は、彼自身が老大家扱いにしていた中野重治に死後の評価を任さざるを得なかったのを、たぶん非常に悔しがっていまだ成仏していないだろう。

「花田のレトリックは目立っていたともいえる。レトリックのためのレトリックがかけらもなかったとは言い切れぬかもしれない。けれども佐々木流に言えば、『抵抗のための武器』というところにその本質はあった。」

中野重治「緊急順不同」新日本文学 一九七四年12月号。
俳優修行を読んでいないが、随筆三国志は読んでいる。特に魯迅の魏晋文化と世相を論じたエッセイに触れた部分が印象に残っている。
これを70年代の基軸と捉えて室町小説集を俯瞰したいのだけど衣食足りていないので、しばらくおあづけ。無念。
花田は70年代に林達夫著作集(平凡社)の解説を書いている。

林が「共産主義的人間」を書いた後、彼は「ホセの告白」を書いている。

実際に著作集に入っているこれらの作品は実際の論壇史と絡み合っているのだが、この当時は灘はまだ党員だった。除名された前後、花田はサンチョ・パンザ論を書き続けるのだが、これには林は息を飲んで注目した。

MIXIにファンが少なくても、林達夫が花田清輝に履いたことを忘れてはいけない。花田には十万の味方に匹敵しただろう。

久野収は、林さんにあれだけ信用されていた花田は羨ましいとこぼしていた。
上記訂正

この当時花田はまだ党員だった・・・
吉本ブーム?で花田は晩年に至るまで「大衆社会」から誤解と損失を受けて過ごした。
しかし、僕は吉本の生きかたよりもよほど花田の思想のほうがスタイルと矜持を持っていると思うし、「自立」していると思う

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