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アクティブ・フェミニズムsコミュのフェミニズムに距離を置いている人のこと

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こんにちは♪はじめてトピ立てします。よろしくです。
今日、知人からメールがきて、このように書かれてきました。

「フェミニズムについてですが、学問的に取り組んだことはありません。難しい本を読んでもわかりませんから。ただフェミニズムを生きようとしていた人たちにはとても興味があって、いろんなところに出入りしいろんな人に出会いました。けれど、私には何かしら違和感がありました。いつもそう。右の人の中にいると自分は左だと感じるし、左の人の中にいるとやっぱ自分は右だと思う。理論だけで割り切れない、どうしても情がかってしまう。時代遅れの人間です。」

これを送ってくれた女性はITオンチでPCのメアドも持っていない、ケイタイからなんとかメールを打って書いておくってくれたものです。ですからmixiやネットの情報から離れたところにいる人ですが...

でもなぜかこの知人の感覚と案外、自分は近い所にいる気がします。私は子育て中の主婦ですが、いかにも子育て中の主婦そのものという感じの群れの中(例えば学校の保護者会とか子供会役員会とか)にいても「自分は何かみんなと違う」と思いますし、フェミニズムに気合いをいれて関わっている人たちの中に入ってみても「浮く」気がします。

つまり私はどこに行ってもマイノリティな気がします。

でも私のようにフェミに興味があるし、それなりにフェミからエネルギーをもらってきているけど、「まだフェミに対して誤解や距離がある、違和感がある」気がする人は他にも世の中にいるのでしょうか。

なんとなく、そのことに興味があってトピ立てしてます。

コメント(2)

具体的にどんなときに、違和感を感じたのかを教えてほしいです。

私はフェミニズムについてあまり知りません。
フェミニストについてもあまり知りません。

私が感じたことがあるのは・・・「あなたって、フェミニストなの?」って聞かれたことがあって、その質問に違和感を感じました。だったらどうなの?と思ったのです。私にとって女性=自分、の権利を信じることがフェミニストであることだと思っていました。つまり宗派のようなものではないのです。誰かがどこかで何かを言っていて、それをありがたく受け取るようなものではなく、所属するようなものではなく、「女として生まれた自分の、さまざまな自分らしさを肯定する。権利について心から信じる」というようなものが、フェミニズムだと思っていました。

それを、あたかも宗派を問われるように聞かれたときに、「あなたは、自分の権利を信じて生きる人なの?」とたずねられたように感じたのです。

それは逆に言えば、「二級市民として、自分の権利を知らない人なのかどうか」のチェックのようにも聞こえました。尋ねたのは男性で若い人でしたが、どうも、女性がしっかり生きる姿を好ましく思っていないようでした。

私がフェミニズムに関連して感じたことがある違和感は、たった一回、それだけですね。

他の人のケースも聞きたいです。
そして、私もまた周辺者です。日本社会の。あるいは文化領域の。王道を歩いたことはなく、だからこそ、マイノリティーの望む多様性や、自由の意味が分かる=それこそ、フェミ的?などと思ったりもしますよ。
初めて書き込みをさせていただきます。
10年前に書かれたトピックなので、みる方はいないかもしれませんが。

私の考えでは、私という存在が唯一無二である以上、人は皆、孤独なのだと思います。私と全く同じ価値観と思想を持つ人は、左右どちらの集団にもいないので、自分がマイノリティーであると感じる機会は必ずあると思います。その集団に所属する人が、自分と同じ価値観を持たない人を排除する傾向にあるのなら、どちらの集団も居心地が悪いはずです。逆に、「みんな違ってみんな良い」という人の多い集団なら居心地は悪くないかも知れません(世の中にはそんな集団もきっと存在すると思います)。

例えば、女の子は綺麗で可愛くなくてはならないと考えている人の前に、別に綺麗じゃなくても可愛くなくても構わないという考えの人が現れたら、不快で排除したくなるかも知れません。それが、社会という集団の無意識領域での共通する幻想であるなら、反発も大きいでしょう。

フェミニストの皆さんは途方もない相手に戦いを挑んでいるので、相手の思想が現実と乖離していることを指摘する時に、生じる反発に屈せず、論破する必要性があって、どうしても攻撃的になってしまうのだと思います。それに、根底には男性を憎み嫌悪する気持ちと、男に屈した弱者として生きざるを得なかった女という存在すら憎んでいる人も多いと思います。私自身、フェミニストを自認していますが、男嫌い且つ男の価値観に迎合する従順な女も嫌いです。そうなると、男は敵、女も敵で、敵だらけです。

別に常に戦っている訳ではないのですが、日常生活の中で違和感を感じる機会は多いです。
女の幸せは結婚及び出産であると信じ込んでいる人(男女問わず)は気軽に「早く結婚した方がいい」とか「何故結婚しないのか」と声をかけてきます。これに「なんで結婚する必要があるの?」と「結婚とは即ち隷属でしょ」などと返答すると、「それは違う。そんな考え方では絶対に幸せになれない」と説教されます。私の考えの誤りを正そうとの親切心です。勿論女性を奴隷扱いしない男性も存在するのでしょう(育児休暇を取る男性が2%を切るような現状では少数だと思いますが)。

フェミニズムとは既存の価値観との戦いに他ならないと思います。当然普通との思い込みが揺らぐ瞬間は確かに不快ですが、今まで疑問だった事象の答えが見えることが多々あり、私の場合、上野千鶴子さんの「ニッポンのミソジニー」を読んだ後は、突然目が開いたように、今までとは世界が違って見えました。

フェミニストが女性の権利とは関係なく、戦争反対や原発反対の思想を持ちやすいのも、権力によって虐げられ犠牲となる人々をこれ以上生み出したくない、弱者にも人権があるのだと糾弾する心を持っているからだと思います。

人種差別も男女差別も根底は同じで、今までの歴史文化が作りだした幻想を共有する社会が土台としてあり、押しつけられた役割に疑問を感じた時、区別が差別であったと認識し、真の自由を模索する作業を行っている人がフェミニストなのではないでしょうか。

だから、勿論、男性のフェミニストも存在すると思います(弱者への共感)。男だからと押しつけられた役割に疑問を感じる人もいるでしょう(この場合フェミニストとの言葉はおかしい。男性が自由に選択できない役割を押しつけられていることへの反発になり、女性の権利を主張している訳ではない)。

自らの意思で主婦を選択し夫のサポートに遣り甲斐を感じている女性は奴隷ではないし、差別されている訳でもない。女なのだから、他の生き方は許さないという社会の圧力こそが差別なのだと思います。

妻を尊敬し、妻のサポートをすることに生きがいを感じる男性がいてもいい。妻より経済力(収入)が劣っていても人としての価値が下がる訳ではない。
女に馬鹿にされたくない、女に自分より優位に立たれたくないという無意識。男をたてる女がいい女である思い込み。結婚とは、自分を主人と呼ぶ女を自由に支配する権利を得ることだとの考えを持つから、男の庇護のもとでないと生きられない、か弱い女が好ましいのであって、自分一人で生きていける経済力を持ち、堂々と文句を言うような女はおぞましい存在になるのでしょう。

女は生物として弱い(生命力はオスより上だが、ヒトのメスは体格と腕力が劣る)から、社会の中で男が保護しないと生きていけない(現実にオスに殺されるメスが後を絶たない)という幻想から、女が経済的に自立しにくい社会が形成されたのではないでしょうか。
「外で働いてもいいが、家事はおろそかにするなよ」とか言う男が理解のある旦那だった時代がほんの数十年前に存在し、現在も「共働きであるなら家事育児は平等に分担すべし」との考えを持つ私がマイノリティーであるのが日本社会の現実でしょう。

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