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夜行列車コミュの寝台特急出羽

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地味な寝台特急で定評ある出羽だけど、11年持ったのは意外である。
出羽誕生の経緯は急行鳥海からの寝台特急格上げである。
これについてはかんかんガクガクの意見もあった。
寝台特急出羽は上野〜秋田を上越線、羽越本線経由で走る列車だった。

コメント(24)

>>[001]
特急出羽は比較的長く持った背景には昼の特急いなほが新潟止まりとなったことから、庄内地区から上野へ直通するのが、この列車しかなかったからです。

急行鳥海にあった座席車を廃止して、特急格上げは事実上の大幅値上げといえます。

そうせざるを得なかったのは、急行津軽1・4号と特急北陸との絡みがあったからです。
個人的には急行「鳥海」は格上げせずに急行のままで良かったと思います。
それか全区間快速にするか、僕の想像で、往年の
「ムーンライトえちご」
を新宿~新潟間のままあるいは上野~新潟間運転で、新津で分割して秋田まで快速ないし各駅停車で羽越本線全線を往復する車両を併結しては良かったかと思います。
>>[003]
やはり急行鳥海のまんま走らせることが出来なかった背景には、当時の車両需給の問題がありました。
もう1つは上越線には、寝台特急北陸(上野〜金沢)があるからダイヤ編成上のバランスもあったといえます。
特急出羽のもう1つの位置付けは秋田方面で需要の多い特急あけぼのの救済列車であるといったことがあげられます。
鶴岡・酒田までなら全車寝台急行天の川があるからそれで間に合うという判断があったといえます。

急行津軽1・4号の特急あけぼのへの格上げ編入の上に急行津軽3・2号の20系の置き換えは、山形・新庄までなら津軽3・2号しかないからでその輸送力のバックアップの為に季節急行おが(14系座席車)を残しました。

急行八甲田は特急はくつる(2往復)の補完列車。
急行十和田は特急ゆうづる(5往復)の補完列車。
この2列車は12系座席車による運行は、寝台列車利用を敬遠した客層や途中駅での客の回転を考慮したといえます。

特急北陸と同一区間である急行能登が寝台車+座席車の編成で残存した背景には長野・富山辺りでの客の回転が考慮されていたといえます。

座席車は客の回転がないと儲からないからです。急行鳥海は上越新幹線開業で客の回転がないのがわかりきっていたからです。
急行鳥海格上げの出羽と急行津軽1・4号格上げのあけぼの1・6号は、24系24形客車が充当されB寝台二段化改造が先陣をきって行われました。

今にして考えてしまうと丁度新人類世代(昭和35年〜昭和39年)の頃だから快適に移動するのが当たり前であるといえます。

急行鳥海から特急出羽になった時の問題点をあげると急行鳥海は上野駅が21時13分発だったのが特急出羽は上野駅が23時03分と1時間50分遅くなっていた。
しかも秋田への到着時間が変わらないわけだから急行時代は新聞配達兼務していた関係等から途中駅で時間を調整しながら走っていたからである。

特急列車の問題点をあげると急行列車時代は途中駅で時間調整を利用して遅延を回復出来たのに対して、特急列車になったら停車時間が完全に切り詰められた上に何かあると遅延を回復が難しい。

それと急行列車時代は座席車も連結されていて途中駅から気軽に移動出来たのが特急列車になってから全車寝台車になったから利用するには高額な料金が掛かる上に途中駅からの乗車がしにくい。

急行能登は14系寝台車(三段式)+座席車の編成であるのに対して特急出羽は24系寝台車(登場時三段式、後に二段式)の編成である。

この両者はほぼにたような時期まで寝台列車だったのと、ほぼ似たような距離である上野〜金沢・酒田で見ると急行能登が8時間54分(金沢)なのに対して特急出羽が7時間00分(酒田)であるのは特急と急行だから一概に単純比較出来ないけど急行能登の方が時間掛かるのは、信越本線の最大の難所碓氷峠を抱えているからである。

出羽と途中まで一緒だった北陸も国鉄時代は途中で時間調整しながら走っていましたが、ジェーアールになってから出発時間を繰り下げるなどやはり出羽同様に時間が詰められてしまいました
急行八甲田&津軽が座席車オンリーで残されたのは、八甲田は全車寝台で走るはくつる、ゆうづるのバックアップであり、津軽はあけぼの、出羽のバックアップである。
>>[11]
特急鳥海に統合する際は下りが鳥海のダイヤですが上りは出羽のダイヤに変更しました。
このパターンは急行能登の時と一緒で下りが妙高で上りも時間帯を多少ずらしました。
寝台特急格上げ前の急行出羽は上野〜酒田の東北・奥羽・陸羽西線経由の上野発の唯一の夜行ディーゼル急行でも有名でしたが車両運用について昼行急行いいで・おがと共通運用が組まれていましたが、出羽が夜行急行らしかったのはこれである。
上野から出発して第一段階の山形、第二段階の新庄で車両を切り離して酒田まで行き山形・新庄までは急行津軽3・2号の補完列車で酒田界隈では寝台急行天の川の座席車の役割を時間帯からいって果たしているといえます。
もう1つ急行鳥海の寝台特急出羽への格上げの背景には東北本線関係の夜行列車のダイヤ編成上の問題から苦情が相当多かったことがあげられます。
ブルートレインのゆうづるが急行十和田のダイヤを流用していたことが原因で電車寝台特急はくつるや急行八甲田よりも所要時間が掛かっていることに対する苦情が多かった。
復刻版ダイヤである昭和53年のダイヤ改正で見ると下りは上越線で急行鳥海が寝台特急北陸の4分前を先行しているうえに上りが同じ上越線経由で長岡駅で急行能登を待避してから4分後に急行鳥海が上野駅に到着することに関しての苦情も多かったといえます。
昭和57年のダイヤ改正では特急北陸が急行能登のダイヤにずれていることから解るように急行鳥海のまんま走られるには運転計画上の問題と車両編成上の問題からして難しかったといえます。
急行出羽と寝台特急出羽はダイヤそのものからして全く別物で図書館から借用した夜行列車の記録で見ると急行出羽は上野駅を遅い方の時間に出て米沢〜新庄で比較的好都合な時間帯なのに対して寝台特急出羽は鶴岡〜羽後本荘の辺りで好都合な時間帯に組まれているのと急行出羽はディーゼル急行だから座席車オンリーなのに対して特急出羽は寝台車オンリーである。
寝台特急出羽の誕生のもう1つの背景は関西〜九州の電車寝台特急金星、明星(新大阪〜博多)、季節ブルートレイン明星(新大阪〜西鹿児島)廃止で余剰になった車両を特急はくつる増発、特急つるぎへのビリヤードによる特急日本海の二段寝台置き換えなどで余剰になった結果としての車両有効活用と増収対策と接客設備に問題がある急行列車の淘汰が生んだブルートレインだといえます。
寝台特急出羽のヘッドマークはやはり出羽三山の杉並木で旧国名は山形・秋田県の総称です。
急行出羽が気動車で残存した、もう1つの理由は寝台列車が津軽3・2号や天の川があったことに加えて、陸羽西線の昼行急行の月山・もがみ辺りとの共通運用の絡みがあったからです。
寝台特急出羽の斜陽化の始まりは、やはり山形新幹線の山形乗り入れに伴う改軌工事の為、寝台特急あけぼの(2往復)、津軽の経路変更の辺りからだといえます。
経路変更ルートはやはり乗客潮流を勘案した結果として、急行津軽1・4号の流れを汲む方のあけぼのは秋田〜弘前での利用が多いことから、上越線、羽越本線経由。
あけぼのは新庄〜秋田での利用が多いことから、陸羽東線経由。
急行津軽は山形〜秋田での利用があることから、仙山線経由。
急行津軽が客車を止めてしまったのは、山形での機関車交換の作業に手間がかかる上に、この頃の津軽自体からして座席車オンリーだから、電車化しても大勢に影響がないからである。
寝台特急出羽の廃止は1993年12月ですが、この時に同時に廃止になった列車は寝台電車特急ゆうづる、急行津軽・八甲田、昼行特急あいづといった列車ですが、これはすでに予兆がありました。
山形新幹線の関連で特急つばさの上野直通の廃止、その他に急行能登の寝台車廃止に伴う、急行妙高の戦力外通告の時だといえます。
これらJR東日本関係は、民営化によって株式上場が控えていたから、収益の良くない列車は戦力外通告にする方針があったからです。

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