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夜行列車コミュの【雑談】トピを立てるほどでもない質問・雑談トピック【質問】

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夜行列車について
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コメント(511)

>>[470]

夜行折り返しでの宿泊、懐かしいです。

自分は北海道や東北でそれを経験したことはなく、学生時代に九州の「かいもん」でよくやりました。ちょうど熊本駅で上下列車が顔を合わせる間があったんですよね。

あの頃はスマホもネットもなくて今の若い人々からは不便に思われそうだけど、そんな楽しみ方が出来て幸せな時代だったと思います。
>>[473] 夜行列車の折り返し乗車というのは周遊券利用者がよくやる技術でした。
今はそれ自体からして出来ないけど、携帯電話そのものからしてない時代だった上に逆にまだ昭和の匂いが残っていた時代だったといえます。
>>[474]
ですね。おっしゃる通りだと思います。
>>[476]

そうですね、日南も大分で折り返し出来ましたっけ?そちらは利用の機会に恵まれませんでしたが。かいもんは肥薩線や山野線の始発乗車に重宝しました。

北海道の夜行折り返しも体験してみたかったです。かの地のローカル線は殆ど乗ったことがなく廃止されてしまったので。
>>[479] 夜行列車は始発列車や最終列車に接続するのが、大きなメリットであることは間違いありません。
私自身が一般周遊券を使って旅行した時に最初に乗った列車が寝台特急北陸号である。
本当は急行能登号でいきたかったのですが寝台車満席の為にやむなくそれにしました。
二段式B寝台は浴衣とシーツがついていました。
その時に急行能登が電車化するのは思いもよりませんでした。
>>[044]
確かにボックスシートは四人掛けで顔をつきあわせると話が弾むようなシートでした。
夜行列車の歴史と年代を追って見ると日本の世代とリンクしているといえます。

夜行列車(特に急行列車)が全盛期だった頃は団塊の世代(昭和21年〜昭和25年)が青春時代の真っ只中である昭和43年の辺りである。

特急北斗星のような豪華な接客設備がもてはやされたのは国鉄分割民営化した平成元年の辺りで、やはりバブル世代(昭和40年〜昭和44年)が青春真っ只中でした。

夜行列車が急速に姿を消し始めたのは平成5年の辺りである団塊ジュニア(昭和45年〜昭和48年)の世代である。

その口火を切ったのが株式上場を控えたJR東日本の特急ゆうづる・出羽・急行八甲田・津軽・妙高・普通上諏訪夜行に対する戦力外通告であり、急行能登の寝台車廃止と電車化による運転時間帯変更とEF62型の旅客列車からの撤退である。
もう1つは夜行列車で思い出したが、豊岡から大阪ヘ夜間待って急行だいせんとか名古屋から急行ちくまや他には高校生のときに初の夜行列車で急行妙高にも乗ったことがあります。
昭和63年3月の復刻版時刻表を買ってみたら、北斗星が運転開始した時であるのと、瀬戸が瀬戸大橋を渡って高松まで延長運転を開始した時であるけど、まだ数多くの夜行列車があつたのと、一般周遊券や均一周遊券が健在だったから、その絡みで北海道がまりも、利尻、大雪、東北が八甲田、津軽、信州がアルプス、妙高、ちくま、北陸が能登、きたぐに、東海道が銀河、山陰がだいせん、四国はうわじま、九州はかいもん、日南と急行列車も多くあったし、車中泊等も出来た時代だったんだなと思い、出来れば自分で行程を組んで旅行出来たあの頃に戻ってみたいと思う反面、働いている側からすると夜行列車があると保線作業や停電作業の大変さから面倒だと思うこともある。
夜行列車のターミナル駅には独特の匂いと風情があるというのは雑誌や復刻版時刻表からも読み取ることが出来る。

東京駅は日本の玄関でそこから東海・近畿・中国・四国・九州方面のメインターミナル。
新宿駅は夏は登山、冬はスキーの特殊輸送で日本の三大アルプスを抱える甲信方面のメインターミナル。
上野駅は北の玄関でもあり千葉方面のメインターミナルでもあるという独特の匂いのする駅である。
北海道・東北・北陸・信越方面のメインターミナルである。
最も人間模様の臭い匂いがするのもやはり上野駅である。
松本典久さんの夜行列車の記憶を今日図書館で借りた。
急行ちくま(大阪〜長野)の寝台車連結は意外と新しく、昭和53年秋(1978年)だから、寝台列車の撤退が本格化したのは、やはり80年代からだといえます。
80年は急行すずらん、普通からまつの北海道勢の所からだといえます。
バブルの頃から、高速バスに対抗する為に改造された座席指定席車両といえば、特急なは・あかつきのレガートシートで、グリーン車よりもハイレベルなグレードの車両で有名で、私自身あかつきのレガートシートに乗ったことがあります。
夜行列車が健在だった頃に出来たのが、待合室や夜行急行列車の停車駅でのコンコースなどでの、新聞紙などを床に敷いたりして駅寝する方法も出来ました。
山陽本線の黄金時代の時に、寝台特急あかつき(7往復)・彗星(5往復)は、あかつきは同一区間を走る、季節急行雲仙・西海からの格上げなのに対して、彗星は同一区間を走る、季節急行べっぷ・日南からの格上げである。
集中電源式の24系や二段式寝台の24系25形はいずれも昭和48年〜昭和49年に登場している。
昭和46年度といえば、新幹線岡山開業した年度ですが、山陽本線関係で見ると、天下の東京駅からだと、特急9往復、急行7往復、普通1往復(もちろん季節列車を含めて)の計17往復なら、大阪系は、特急13往復(月光が岡山発着に変更)、急行20往復で、山陽本線が黄金時代といわれただけの内容でした。
寝台列車を含む、日本の夜行列車が撤退して行きましたが、一番影響が大きかったのは、当然だけど新幹線(高速鉄道)の他に、連絡する昼行優等列車(特急)の整備である。
国鉄運賃・料金値上げの影響による、旅客の航空機への転移が極めて大きい。
高速道路の整備により、自家用車(マイカー)、トラック輸送の他に、高速バスなどの台頭もある。
もう1つはビジネスホテル、カプセルホテル、ゲストハウス、ネットカフェなどの宿泊施設の多様化などがあげられる。
もう1つは、社会福祉問題によるバリアフリーなどの問題で、ハイデッカー車両が作れなくなった。
社会福祉問題に関していえば、二段式寝台や三段式寝台は上段や中段ともなると梯子を使って昇り降りしないとならない為に、障害者や高齢者ともなると極めて不便なことがあげられます。
そういった問題から、開放式寝台のサービスの提供が極めて難しいことも寝台列車を含む夜行列車が衰退したことがあげられます。
日本で昭和40年代まであった、地方から都会である東京・大阪への中卒者の集団就職(しらけ世代の辺りまで)や農村からの出稼ぎ労働者で、よく利用されたのが当然だけど、夜行急行列車でした。
夜行急行列車のダイヤを調べてみると、九州・山陰方面の人は大阪駅、北信越・東北・北海道方面の人は東京の上野駅がメインでした。

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