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急行列車コミュの周遊券

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周遊券は国鉄時代の時に発売し、ワイド・ミニ周遊券は周遊指定地までの往復と急行列車自由席に限り(昭和57年の辺りよりワイド周遊券に限り特急列車自由席)が乗り放題なんていう切符だったと思います。

一般周遊券は自分でコースを組んで国鉄線を201キロ利用することと、周遊指定地(特定1ヶ所、他は2ヶ所)リサイクルという条件で、一般2割引、学割3割、社線1割引という切符だった。

周遊券と急行列車は切っても切れない縁がある切符だったことは間違いないといえます。

コメント(101)

「周遊券を交換して長居する行為」は昭和50年代中盤頃に北海道のYHでよく行われていました。自分(バブル世代です)が行った昭和60年代から平成初期は「周遊券で来る人」自体がかなり減っていて(鉄道オタクと以前お話した「原理主義」的な思考の人位。ほとんどが飛行機と千歳空港駅発のJR北海道発行のフリー切符を利用)交換をやってる人は皆無でしたね。

むしろ、JR化前後に行われたローカル線の大量廃線によって「使う意味が無くなった」為に売れなくなったのが原因です。
>>[62] 私は平成時代にユースホステルに泊まりましたが聞いた所によると北海道で多かったのはワイド周遊券、ニューワイド周遊券が主力でした。
九州に関しては女性陣は高速バスや青春18きっぷでの移動が多かったといえます。
もう1つはJR北海道はワイド周遊券で特急自由席に乗るとまたお前らかみたいな態度でした。
さんざんそれをしてきたのはやはりバブル世代でした。
JR東日本の2大急行列車である八甲田・津軽の廃止は八甲田は北海道ワイド周遊券利用者しかいない上に八甲田そのものが目の上のたんこぶだからなのと津軽は出稼ぎ労働者そのものが激減したからです。
少し話はそれますが急行妙高の廃止はホームライナー程度の需要しかない上に高速バスドリーム志賀号(湯田中まで直通運転がメリット)があるのと信州ワイド周遊券絡みだと大阪・名古屋からの急行ちくまや並行する急行能登があるからです。
もう1つ周遊券崩壊は北海道だと急行大雪・まりもの特急格上げに加えて急行かいもん・日南の特急格上げもありました。
やはりその頃となると高速バスの影響が大きかったといえます。


もう1つは90年代(特に私自身の世代である団塊ジュニア世代の時)には戦力外通告される夜行急行列車が多数ありました。
この結果として周遊券利用のおまけである急行列車の自由席の利用したくても出来ない上に寝台特急利用するとなると余分な追加料金を支払わざるを得ないのだから、周遊券の売上が落ちるのは至極当然だといえます。
この結果として周遊券がなくなるのもある意味で当然だといえます。
正直、自分達バブル世代は「バイクで北海道なミツバチ族」が多く、純粋に周遊券を使うのは鉄道オタクか団塊と昭和30年代後半生まれに感化された輩(以前話した「北斗星?トワイライト?そんなもん邪道exclamation ×2八甲田かきたぐにで行くのが当然exclamation ×2」という思考の輩)がほとんどでしたね。
>>[68] それをいうのであれば北海道に限った話ではなくバイクで旅行する人は新人類世代(昭和35年以降)の人にも多かったです。
八甲田はともかく大阪からの青森に直通運転していた急行きたぐには昭和57年に新潟で打ち切られています。
ミツバチ族はライダーハウスに泊まるような人も多かったです。
周遊券の売上がピークだったのが80年代でユースホステルのピークだったのが74年ですがこの辺りは急行列車とあとは世代的なものと深く関係しているといえます。
ユースホステルの減少傾向の始まりは75年の辺りは山陽新幹線開業で東京駅から唯一九州ワイド周遊券で乗車出来る桜島・高千穂号の廃止で東京から中国・四国・九州方面は事実上のブルートレインヘの強制誘導である。
(昭和26年〜昭和30年のオイルショック世代の時)。
昭和55年〜昭和59年の特急列車格上げに伴う急行列車の昼・夜問わず大整理。
(昭和31年〜昭和39年のしらけ世代とか新人類世代の時)。
関西〜九州・東北地方は事実上の寝台特急強制誘導で寝台特急や航空機で行くのは邪道というのはこの世代では当然だけどありえない。
ユースホステルの掟はこの世代に嫌われたのがよく解る。
バブル世代の時に誕生したのが寝台特急を別にすると北海道だとミッドナイト、東日本だとムーンライト、西日本はスキー向けのジョイフルトレインを活用したムーンライトシリーズなど大概にして青春18きっぷで乗れるような列車でバブル世代の頃辺りでもユースホステルにそういった雰囲気はありました。
バブル世代の頃は豪華で割安な接客設備の普通列車がもてはやされました。
それともう1つ聞いたのはワイド周遊券を利用して現地でミニ周遊券を買う手法でした。
このことは周遊券を利用したキセル乗車の温床になることもJRは問題視したともいえます。
正攻法で旅行する手段は航空機・自動車・バイク・フェリー・高速バス位しかなく後は鉄道を組み合わせるとなると一般周遊券を作成するより他はないとはいえます。
周遊券が消えた最大の理由…JR化によって「他社発券の周遊券だと利益配分率からいって自社の
路線(特に不採算ローカル線)に乗ってくれても利益に繋がらない」という問題が発生した事。特にJR北海道にしてみればJR東日本管内で発券された周遊券で乗られても自社に入るのは雀の涙だし…正直、道内の高速バス対抗の特急格安往復切符(札幌-帯広・釧路・函館・旭川・北見・網走・稚内間)の方が遥かに利益が上がりますから(JR九州における新幹線を含む博多発の格安往復切符も同じく)。
>>[71] 周遊券に限らず売上に応じてJRの管轄の距離に応じて分配比率が決まるシステムで販売した会社が手数料を5%受け取る仕組みです。
私自身一般周遊券を作成したことがありますから解りますが私が作成した最大の会社数は東日本、東海、西日本、九州、四国にも及びました。
それだけ周遊券は利益配分そのものからして複雑だといえます。
もう1つはワイド・ミニ周遊券の場合は予め経路が決められていてその経路以外は無効という決まりの上に出発地からして決められています。
それ以外から出発する場合は追加運賃を支払わきゃならないからです。
一般周遊券は1割引で周遊指定地ヘの民鉄・バス・船などを経路に組み込んで構わないからその他にフェリー(三社)の他にバス(一社)、民鉄(二社)組み込んだことがあります。
そうなると手数が多いわ、割引しなきゃなりませんわだから旅行会社が嫌がる最大の理由です。
そうなると儲からない商売から撤退しても許されるのが小泉政権の規制緩和政策だといえます。
JRにしてみれば割引きっぷで自社線内のみで販売した方が丸々自社の利益になるからです。
周遊券で乗れる国鉄バス(但し一部の路線では適用外もありますが)夜行バスで座席指定券を買えば経路に組み込める上に割引運賃(大人1割引、学割2割引)で乗車出来るのがドリーム号(東京〜名古屋・京都・大阪)で昭和時代はそれぞれ1往復で考えかたとしては寝台急行銀河の補完の交通機関で銀河がロネ・ハネのサービスで途中での乗車がオッケーならドリーム号はハザのサービスで途中での乗降が出来ないといったもので寝台列車と夜行バスは色んな意味で客層的にも棲み分けが出来ていました。
東海道・山陽線系統に関していえば急行列車の代替は東名(東京〜名古屋)・名神(名古屋〜京都・大阪・神戸)・中国(大阪〜津山)は国鉄バスに限り周遊券や鉄道との通しきっぷで乗車出来る制度というのは時刻表に書いてありました。
周遊券があった88年の復刻版時刻表で見るとフリーきっぷを発売していた案内があるのは、東京都交通局発行の都営交通1日乗車券、京都市交通局発行の京都観光1日乗車券、大阪市交通局発行の市営交通1日乗車券の他に私が覚えている範囲では江ノ電の1日乗車券(A)、(B)位しかありませんでした。
都営交通1日乗車券とプラスになって発売されたのが国鉄(JR)の都区内・都営交通フリーきっぷで当時の国鉄の都区内区間と都営交通が乗り放題でした。
京都観光1日乗車券は京都市営地下鉄、京都市営バス(均一区間)、京都バス(嵐山・清滝・苔寺・岩倉・市原・大原の区間)が乗り放題という所にも関東と関西の文化の違いが表れていたといえます。
都区内・都営交通フリーきっぷは後に営団地下鉄とも提携を行うことで東京フリーきっぷに発展して行きます。
周遊券が全盛期の頃の80年以前は昼の急行列車は、数多くありました。
東京を例に取ると、東海道本線は静岡、伊豆急下田や東名ハイウェイバスで名古屋。
中央本線は信州松本、飯田。
信越本線は直江津。
上越線は新潟。
東北本線は盛岡。
奥羽本線は秋田。
常磐線は仙台。
総武本線は銚子。
内房線は千倉。
外房線は安房鴨川まで、直通運転の急行列車がありました。
九州の急行列車の特急全面格上げは幹線系統で行われましたが、この時から実験段階としてワイド周遊券の区間に限り、特急列車乗り放題になりました。
80年秋の特急格上げは東北本線のひばり1往復の廃止と583系使用列車の明星の一部廃止によって捻出された車両の利用であることや、もう1つの特徴としてサシ481の営業を廃止した結果として食堂車非連結の6M3Tの9両に統一されました。
北海道ワイドは、冬季20%割引で3月に三ヶ月前から発売?だったので、7月8月上旬迄冬季割引で利用出来ましたw
昨日購入した復刻版時刻表(昭和60年3月)で見ると、特定周遊指定地の赤マークがあり、特定周遊指定地は1箇所回れば、一般周遊券を発券してもらえる制度でした。
周遊券が廃止されたのは、1998年で当時の22歳が1976年だから、ブルセラ世代である、昭和51年生まれ以降の女の子にとって急行列車はない同然なわけだから、周遊券を廃止しやすかったといえます。
昭和47年3月の復刻版時刻表で、計算すると均一周遊券の値段は学割運賃だと、大人運賃の2割引程度でした。
今思うと「周遊券で急行に乗って旅行しろ!」厨の団塊とそれにオルグられた昭和30年代後半世代の抜かしている事って「憲法9条守れ!」と抜かしている輩と同じ思考形態なんですよね。

連中が生きているうちにリニアが開通して欲しいと思うのは、西の地方のユースホステルに行って「大阪までリニアで来た。凄く快適でいいよ!」と言って逆ギレ(連中、リニア反対派だったりしますので)させてやりたいからです。
>>[86] 昭和55年秋のダイヤ改正は周遊券売上低下の始まりだといえます。
(新人類世代である、昭和30年代後半が学生時代の時です)。
その時代の出来事は、九州関係の急行列車の大幅整理、四国関係の急行グリーン車の普通車指定席格下げ、北海道関係の夜行急行すずらん、夜行普通からまつ廃止などを中心とした、航空機とタイアップして札幌中心のダイヤへの切り替えでした。
特に地方の関係は本州にも当然だけど影響が出ました。
九州関係は、夜行急行列車全廃による寝台特急への強制誘導で、航空機の最終便の後に出て、航空機の初便より前に到着するようなダイヤに建て替えた。
四国関係は、大阪方面からだと、直通で行けるのがフェリーしかないです。
北海道関係は、札幌まで航空機でいってくれといわんばかりのダイヤ体系で、航空機を組み込めるニューワイド周遊券の方が主流となりました。
バブル崩壊の影響は、周遊券崩壊に直結する、93年の夜行急行のリストラ(戦力外通告)でした。
北海道のまりも、東北の八甲田・津軽、信州の妙高、北陸の能登の寝台車廃止、電車化、運転時間帯変更、九州のかいもん・日南。
関西系は、北陸のきたぐに、信州のちくま、山陰のだいせん、関東の銀河が何とか残存出来たのは、関西からの直行旅客にとってはそれしかなく、簡単にクビを切ることが出来なかったからです。
ニューワイド周遊券は、北海道・四国・九州とあり、私は九州ニューワイド周遊券を作成したことがありますが、ニューワイド周遊券は航空機やフェリーの場合は経路に組み込んでもさほど問題がないのですが、問題は鉄道で、旅行会社の方で理由をつけて、勝手に経路を指定(東海道・山陽本線経由)にされたことがあります。
急行列車全盛期だった、昭和44年頃に周遊券旅客のスタイルで有名だったのが、カニ族で、特に北海道・九州の辺りに多かった旅のスタイルで、その中心となったのは、当然だけど団塊の世代です。
カニ族は周遊券を駆使して、夜行急行列車の自由席を好んで使ったのと、後は安い宿といえばユースホステルしかなかった時代だったといえます。
その他に、許された手段は待合室での駅寝です。
ワイド周遊券で、自由周遊区間特急列車自由席乗り放題になったのは、東北・上越新幹線開業した昭和57年11月改正の時(昭和30年代後半の新人類世代の辺りが学生時代の時)で、急行列車大削減に対する救済措置の意味合いが大きかったといえます。
但し、自由周遊区間までの往復に関しては、急行列車自由席のみだったのと、もう1つは新幹線はワイド周遊券の適用範囲外で、乗るのであれば新幹線特急券を払って乗ってくれでした。
もう1つ周遊券廃止に直結したのは、1997年の北陸新幹線の長野開業でした。
この時は、碓氷峠が廃線となった他に、急行ちくま(大阪〜長野)の寝台車廃止になったことに加えて、急行能登が上越線経由に戻されたことにもあります。
そうなると、JR東日本、JR東海、JR西日本と三社が関係している信州ワイド周遊券は厳しいといわざるを得ないです。
周遊券の話とは、少しそれますが青春18きっぷ(全国普通列車乗り放題)で、バブル時代の辺りに急行列車に変わる夜行快速列車といえば、ムーンライトシリーズである。
バブル世代辺りだと、青春18きっぷを使って夜行快速列車を利用してユースホステルに宿泊するような人が多かったです。
青春18きっぷがなかった頃の、大垣夜行は東京発では、周遊券で乗車出来る数少ない列車で、南近畿ワイド周遊券や名古屋・岐阜ミニ周遊券で行くとなると、やはりこれしかないのである。
急行越前(信越本線経由)の金沢〜福井の廃止は、福井県関係のワイド・ミニ周遊券の東京発の経路指定に、その匂いがありました。
経路指定が東海道、北陸線といえば、新幹線での米原経由への誘導であることが解る位だからである。福井県が関係しているのに、急行越前の東北、高崎、信越、北陸線ルートがダメということは、普通から考えてあり得ないからである。
ミニ周遊券で、ワイド周遊券とエリアが被らないものを上げると、以下のようなきっぷである。
関東地方の水戸・奥久慈、日光・那須、東京、南房総。
中部地方の名古屋・岐阜、能登・加賀、越前・若狭湾。
近畿地方の京阪神。
中国地方の岡山・倉敷、広島・宮島、山口・秋芳洞です。
周遊券(その後身の周遊きっぷ)の廃止の影響は、特急列車の自由席の廃止にも、表れているともいえます。
周遊券があると、結局の所からして自由周遊区間の特急列車自由席がいるからです。
周遊券がなくなれば、結局の所からして、特急列車の自由席がいらなくなるからです。
それに、座って移動出来るのが当たり前の時代だからです(航空機や高速バスはこの典型だといえます)。
周遊券の廃止が1998年だから、規制緩和という時代の流れも影響していたともいえます。
規制緩和ともなれば、バス・タクシー・航空機・フェリーなどが自由化されるわけだから、鉄道にとってはかなりの影響が出るからです。
もう1つは東海道新幹線のぞみですが、元々からしてビジネス旅客を対象に走らせた列車だから、安いきっぷで乗せたくないという、JR東海の絡みもあります。
周遊券廃止の前兆の流れを作ったのがJR北海道・東日本だからです。

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