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プロレタリア文学コミュの楜沢健『だからプロレタリア文学』発売

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新進気鋭のプロレタリア文学研究者:楜沢健さんの処女批評集が出ます。

旧来のプロレタリア文学への見かたとは違う新たな視点で、プロレタリア文学へ光が当てられています。ぜひ、読んでみてください。


楜沢健『だからプロレタリア文学』 (勉誠出版)

http://www.bensey.co.jp/book/2246.html


以下は、私が、この本の書評のようなものを書いたものです。


ワーキングプアの問題などと共に、蟹工船ブーム並びにプロレタリア文学の再評価の流れが起こった。
しかし、再評価と言っても、労働文学・政治文学として評価が復活しただけであり、
その実、文学としての可能性が再評価された訳ではない。
そんな中で、新進気鋭の文芸批評家・楜沢健氏の視点は、他の多くのプロレタリア文学再評価の論評とは一線を画すものであった。

「イデオロギーを伝達するもの」として下等に評価され、見落とされてきた、プロレタリア文学の中にある<文学・表現としての可能性>を、この若い評論家は見事に救いあげている。

中でも、プロレタリア文学とは対極にあるとさえ思われていたシュールレアリスムなどの問題をも、プロレタリア文学の中に見出そうとしている姿勢は極めて斬新である。
タブローからタブローの外へと現代アートが進んだように、
文学から文学の外へという流れの中にプロレタリア文学が再規定され、そこに、個人から集団そして社会へ、必然性から偶然性へ、作家性から匿名性へという問題が提起される。
それは、葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』『淫売婦』を出会いの偶然性の問題として語り、
小林多喜二の『テガミ』を「壁小説」(現在でそれをやったら現代アートと言っても過言ではない)として語る部分に顕著である。

その視点に立った時、
今日最も過激な表現は、「芸術か、政治(社会)か」という二項対立ではなく、その両者を内包したものにならざるを得ないということに気づく。また、最も社会的な有効性を持つ表現は、主義主張ありきのものではないということも同時に感受できる。

そのような最もアヴャンギャルドな試みとしてのプロレタリア文学の可能性をこの評論集は提示している。


岡本和樹(ドキュメンタリー映像作家)

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