ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

アビダルマコミュの有と無

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
この世のこと(有為)からきれいさっぱり脱却してしまってこの世ならざる所(無為)に到達しようという志向を修行者が燃え立たせる時、

無常、苦、無我、不浄なるこの世からまるっきり違う常楽我浄の涅槃が構想され求められていると言えるのでしょうか。

それともこれらの認識は、真に解脱を得たあかつきには間違った認識、間違った理論構成であったと一大転換を迫られるのでしょうか。


皆さんと学び合い、語り合えたら嬉しいです。

コメント(4)

有為と無為や、輪廻と涅槃を峻厳に分ける思考法においては、一方を捨て他方を求めるという志向と熱情がこの思考法を支えているとはいえ、実はそれぞれを実体化してとらえてしまう世界観に行き着いてしまう。
そうなると本来のブッダの説法からはだいぶ主旨を逸脱したことになりはしないか。
おそらくこうした疑念、危機感からナーガールジュナ論師は『中論』を著されたのではないでしょうか。
>>[002]

>四句分別


「何々はaである」
「何々はaではない」
「何々はaでありaではない」
「何々はaではなくaではないでもない」
この四つの分別(単単倶非と呼ばれる)を四句分別と言い、
仏教では初期経典においてすでにこの四つの分別を否定する言い回しが見出せるそうです。
四句分別を否定する言い回しとはすなわち次のようなものです。
「真理は有」に非ず。
「真理は無」に非ず。
「真理は有かつ無」に非ず。
「真理は両者より成らざる」にも非ず。
この世のものを好きだ嫌いだと実体視して苦しみ続けるのも間違いだし、
この世のもの一切から抜けきったところの無あるいは涅槃を一つの実体のように考えてしまうのも間違いだ。
かといってこの世に執着したまま解脱が得られると考えるのも間違いだし、
この世なんて虚無であり、涅槃なんてゆうのも虚無なんだと考えるのも間違いである……

四句分別を否定するとはこういうことでしょうか。皆さんのお考えを聞かせていただけたら有難いです。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

アビダルマ 更新情報

アビダルマのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング