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アビダルマコミュの現象学的アビダルマ

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アビダルマ哲学に、すごく、浅くて申し訳ないのですが、
現象学(フェッサ−ル、ハイデッカー)の考えと、アビダルマの哲学は、
何か似ていませんか。
アビダルマも、どうも、現象学的に展開されているように感じます。

存在に対し、分析していますから。

くわしい、方々、誰か教えていただけないでしょうか。

コメント(9)

誰も答えないようなら、このコミ終わっているな。
このコミの参加者は、阿羅漢だと悟っていて、レベルの低い
私のような、愚者は、答える必要性は無いのでしょうね。
クラリコーンさん

書き込みに対する誰かからの返答は必ずしも自分の求めているスピードで載せられるとは限らないと思います。

アビダルマが結局は一つ一つのものを実体のようにとらえていることはナーガールジュナによって厳しく批判されましたが、
もし現象学が一つ一つの事物を決して自己(主観)に対峙するものとしてあらかじめ実体的に存在するものだと想定せず、主観と客観の二項関係から脱却した見方を徹底しようとするものだとしたら、
フッサールにおいてはいまだ究極の主観が実体的に想定されているものの、ハイデガーにおける欲望あるいは関心や気遣いと相関的な形で立ち現れる事物や世界という見方は、アビダルマよりもむしろナーガールジュナの徹底的な実体否定のほうに似ていると僕は思います。
アビダルマが結局、世界の構成要素たる一つ一つの事物(ダルマ)をすべてつきとめることによって、この世界は我々によって認識しうるものだと考えているのだとしたら、

フッサールは我々の世界認識における了解というものがどういう条件によって成り立つのかその成り立ち方を明らかにしようとし、

ハイデガーはさらに、現象学の師たるフッサールの内に残っている主観‐客観図式を、現象学的方法論の徹底によって払拭し、現存在(人間)の気遣いと相関する形で世界や事物は立ち現れるのであって、あらかじめ世界にしろ一つ一つの事物にしろいかなるものかを実体的に規定することなどできない、と言っているように思います。
88910さん。コメント感謝です。ハイデガーは、アビダルマの哲学より、ナーガールジュナの空の思想に近いのですか。
クラリコーンさん

仏教を西洋哲学と引き比べて理解しようという試みはとても有意義だし、合理的精神によって生きている今日の僕たちにとってなすべき課題の一つだと僕も思いますが、実はこの仕事はとても難しく、何より仏教についても西洋哲学についても、両方ともに深い知識・見識を育むことがまず必要になると思います。

したがって、上の意見も今現在の僕の学びのレベルを反映したものでしかないと思います。
>>[007]

私たちが何気なく使う「何々がある」という言葉やその認識は厳密にはどういう事態をあらわしているのかというプラトンも鋭く問うた問題を再び現代によみがえらせたハイデガーの探究は、
仏教を学ぶ者にとっても、とても関心の重なる所だと思います。
本当にあると言えるものとは何なのか。
この世のことは幻のようなことなのか。
幻とか陽炎とか影像に比喩されるこの世の事物の存在論的地位はいったいどのようなものなのか。
無なのか有なのか。

これらは仏教をつらぬいている問題群でもあると思います。

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