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日月神示 ひふみ神示 五十黙示録コミュの苦労

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ひふみ神示 第一巻「上つ巻」
第十八帖 (一八)
「今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、これで世が治まると思ふてか、あまりと申せばあまりぞ。神は今まで見て見んふりしてゐたが、これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、その積りでゐて呉れよ。神の申すこと、ちっともちがはんぞ。今の世に落ちてゐる臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでゐるのざ。早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。」
第二十帖 (二〇)
「足許から鳥が立つぞ、十理(トリ)たちてあわてても何んにもならんぞ、用意なされよ、上下にグレンと引繰り返るぞ。上の者 下に、落ちぶれた民 上になるぞ、岩戸開けるぞ」

ひふみ神示 第二巻「下つ巻」
第三十七帖 (七九)
「ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。」

ひふみ神示 第三巻「二二(ふじ)の巻」
第六帖 (八六)
「今は善の神が善の力弱いから善の臣民苦しんでゐるが、今しばらくの辛抱ぞ、悪神総がかりで善の肉体に取りかからうとしてゐるから よほどフンドシしめてかからんと負けるぞ。親や子に悪の神かかりて苦しい立場にして悪の思ふ通りにする仕組立ててゐるから気をつけて呉れよ。」

霊界物語 第一巻 霊主体従 子の巻 第三篇 天地の剖判
第二四章 神世開基ヨハ子と神息統合キリスト
思案に尽つきたる悪神は、地底における大地の霊なる金勝要神を手てに入いれる必要を感かんじてきた。これがため百方手段をつくし奸計をめぐらして、瑞の御魂を舌の剣、筆の槍はまだ愚おろか凡ゆる武器を整へ、縦横無尽に攻せめ悩め、かつ、一方には種々姿を変じ善神の仮面を被りて、厳の御魂にたいして讒訴し、瑞の御魂の排斥運動を試みた。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0124

ひふみ神示 第五巻「九二(地)つ巻」
第三十五帖 (一七二)
「人の手柄で栄耀してゐる臣民、もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、改心第一ぞ。(・・・中略・・・)とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、みそかは闇ときまってゐるであらうがな。借銭(かり)返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持よいであらうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返して呉れよ」

ひふみ神示 第六巻「ひつ九(日月)の巻」
第三十六帖 (二〇九)
「今の臣民見て褒める様な事は皆奥知れてゐるぞ。之が善である、まことの遣り方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。今の世のやり方、見れば判るであらうが、上の番頭殿 悪い政治すると思ってやってゐるのではないぞ。番頭殿を悪く申すでないぞ。よい政治しようと思ってやってゐるのぞ。よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのぞ。まつりごとせなならんぞ。わからん事も神の申す通りすれば自分ではわからんこともよくなって行くのざぞ。悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ。人裁くのは神裁くことざぞ。怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事ではまことの民ではないぞ。世が愈々のとことんとなったから、今に大神様迄 悪く申すもの出て来るぞ。産土様(うぶすなさま)何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山出てくるぞ。此の世始まってない時ざから我身我家が可愛い様では神の御用つとまらんぞ。神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなると云ふ道理判らんか。何もかも結構な事に楽にしてやるのざから、心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。子に嘘吐く親はないのざぞ。神界の事知らん臣民は色々と申して理屈の悪魔に囚はれて申すが、今度の愈々の仕組は臣民の知りた事ではないぞ。神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ。それが第一等ざぞ。此の神示は世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けんぞ。解いてよく噛み砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。」
第三十九帖 (二一二)
「喜べば喜ぶ事出来るぞ、悔やめば悔やむ事出来るぞ。先の取越苦労は要らんぞ、心くばりは要るぞと申してあろがな。神が道つけて楽にゆける様に嬉し嬉しでどんな戦も切抜ける様にしてあるのに、臣民 逃げて眼塞いで、懐手してゐるから苦しむのぞ。我れよしと云ふ悪魔と学が邪魔してゐる事にまだ気付かぬか。嬉し嬉しで暮らせるのざぞ。日本の臣民は何事も見えすく身魂授けてあるのざぞ、神の御子ざぞ。掃除すれば何事もハッキリとうつるのぞ。早よ判らねば口惜しい事出来るぞ。言葉とこの神示と心と行と時の動きと五つ揃たら誠の神の御子ぞ、神ぞ。」

ひふみ神示 第十二巻「夜明けの巻」
第十三帖 (三三三)
「今度は借銭済(な)しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦し行せなならんぞ、借銭なしでないと、お土の上には住めん事に今度はなるぞ。」

ひふみ神示 第十三巻「アメの巻」
第九帖 (三四三)
「軽い者程 上に上に上がって来るぞ、仕組通りなってゐるのざから臣民心配するでないぞ。今度 神の帳面から除かれたら永遠に世に出る事出来んのであるから、近慾に目くれて折角のお恵みはづすでないぞ、神 キつけておくぞ。人の苦しみ見てそれ見た事かと申す様な守護神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、世建替へて先の判る世と致すのぢゃぞ、三エスの神宝(かんだから)と、3S(スリーエス)の神宝とあるぞ、毒と薬でうらはらであるぞ。」

ひふみ神示 第十五巻 「一八(イハ)の巻」
第二帖 (三六七)@は渦ですが、実際は逆方向で「の」と同じ巻き方です。
「よい御用いたす身霊(みたま)ほど苦労さしてあるのぢゃ。
他から見ては、わからんなれど、苦労に苦労さして、生き変り、死に変り、鍛へに鍛へてあるのぢゃぞ。
肉体の苦労も霊の苦労も、どちらの苦労にも、まけん人民臣民でないと、
眼先のことで、グレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様なことでは、
どんな事あっても、びくともせん、ミタマでないと、御用六ヶ敷いぞ。
こんどの苦の花は真理(ふじ)に咲くのみざぞ。
不二に九(こ)の花咲くや媛(ひめ)まつれと申してあるが、
九(こ)の花、おのもおのもの心の富士にも咲くのざぞ。
九(こ)の花咲けば、此の世に出来んことないぞ。まことの@かかりぞ。
この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。
愈々の建替ざから、もとの神代よりも、も一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。
人民 苦しからうが、先楽しみに御用見事つとめ上げて下されよ。
二つづつある神様を一つにするのであるから、嘘偽(うそいつわり)ちっともならんのぢゃ。
少しでも嘘偽あったら、曇りあったら、神の国に住めんことになるのざぞ。
途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。
根本からの道でないと、今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合はん道理わかるであらうがな。」
第五帖 (三七〇)
「人民 眼の先見えんから疑ふのも無理ないなれど、ミタマ磨けばよく判るのぢゃ、ついて御座れ、手引張ってやるぞ。
誠の道行くだけではまだ足らんぞ。心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれよ、
このことわからんと神の仕組おくれると申してあろうがな、
早くなったところもあるなれど、おくれがちぢゃぞ。
苦労、苦労と申しても、悪い苦労 気の毒ざぞ、よき苦労 花咲くぞ。花咲いて実結ぶのざぞ。
人民 苦しみさえすればよい様に早合点してゐるなれど、それは大間違ひざぞ。
神の道 無理ないと、くどう申してあらうがな。此の道理よく噛み分けて下されよ。
神の国は元のキの国、外国とは、幽界とは生れが違ふのぢゃ。
神の国であるのに人民 近慾なから、渡りて来られんものが渡り来て、ワヤにいたしてしまふてゐるのに、
まだ近慾ざから近慾ばかり申してゐるから、あまりわからねば、わかる様にいたすぞ。
眼の玉 飛び出すぞ。近くは仏魔渡り来て、わからんことにされてゐるであらうがな。
五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらうが、生れ赤児の心で神示読めと申してあらうがな。」

ひふみ神示 第二巻「下つ巻」
第四帖(四六)
「今度の五十九の身魂は御苦労の身魂ぞ。人のようせん辛抱さして、生き変り死に変り修行さして置いた昔からの因縁の身魂のみざから、みごと御用つとめ上げて呉れよ。教会作るでないぞ、信者作るでないぞ、無理に引張るでないぞ。この仕組 知らさなならず、知らしてならんし神もなかなかに苦しいぞ、世の元からの仕組ざから、いよいよ岩戸開く時来たぞ。」

ひふみ神示 第二十巻「ん目(ウメ)の巻」
第十四帖 (四四一)
「世界の人民 皆泥海の中に住んでゐるのぢゃぞ、元の水流して清めてやらねばならんなり、泥水を泥水と知らずに喜んでゐるので始末に困るぞ、清い水に住めん魚は誠の魚ではないのぢゃぞ。つらい役は因縁のミタマに致さすぞ。心得なされるがよいぞ。」

ひふみ神示 第二十四巻「黄金(こがね)の巻」
第七十二帖 (五八三)
「世界の人民 皆改心せよと申すのぞ。どんなめぐりある金でも持って居ればよいやうに思うて御座るなれど、めぐりある金はめぐりそのものと判らんか。(・・・中略・・・)そなたは何万年の原因から生れ出た結果であるぞ。不足申すでないぞ。」
第七十六帖 (五八七)
「真理を知って、よくならなかったら、よく省みよ。よくなるのがマコトであるぞ。悪くなったら心せねばならん。善人が苦しむことあるぞ。よく考へて見い。長い目で見てよくしようとするのが神の心ぞ。目の前のおかげでなく、永遠の立場から、よくなるおかげがマコトのおかげ。神徳は重いから腰ふらつかんやうにして下されよ。その代り貫きて下されたら、永遠(トワ)にしぼまん九の花となるぞ。二二(フジ)に、九(ク)の花どっと咲くぞ。拍手は清めであるが、神様との約束固めでもあるぞ。約束たがへるでないぞ。」
第八十帖 (五九一)
「いくら信仰しても借銭なくなる迄は苦しまねばならん。途中でへこたれんやうに、生命がけで信仰せねば借銭なし六ヶ敷いぞ。途中で変る紫陽花(アジサイ)では、御用六ヶ敷いぞ。」

ひふみ神示 第二十七巻「春の巻」
第五十九帖(七一六)
「一足飛びには行かん。一歩々々と申してあろう。一度に神様を知りたいと申してもさうは行かん。一年生からぢゃ。出直し出直し。子供に大学のことは判らん。十貫の荷物はかつげん道理。進むには、それ相当の苦労と努力いるぞ。あぐらかいて、ふところ手してゐては出来ん。時もいるぞ。金もいるぞ。汗もいるぞ。血もいるぞ。涙もいるぞ。よいもの程 値が高い。今を元とし自分をもととして善ぢゃ悪ぢゃと申してはならん。よき人民 苦しみ、悪い人民 楽している。神も仏もないのぢゃと申してゐるが、それは人民の近目ぞ。一方的の見方ぞ。長い目で見よと申してあろうが。永遠のことわり わきまへよと申してあろうが。支払い窓は金くれるところ、預け口は金とるところ。同じ銀行でも部分的には、逆さのことしてゐるでないか。全体と永遠を見ねば ものごとは判らんぞ。よく心得よ。」

ひふみ神示 補巻「月光の巻」
第四十四帖 (八三一)
「この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、それは大難を小難にし、又めぐりが一時に出て来て、その借銭済しをさせられてゐるのぢゃ。借りたものは返さねばならん道理ぢゃ。損もよい、病気もよいぞと申してあろうが。此処の道理もわきまへず理屈申してゐるが、そんな人民の機嫌とりする暇はなくなったから、早う神心になって下されよ。そなたは祈りが足らんぞ。祈りと申すのは心でゐのり願ふことでないそ。実行せねばならん。地上人は物としての行動をしなければならんぞ。口と心と行と三つ揃はねばと申してあること、忘れたか。」


五十黙示録 第七巻「五葉の巻」
第六帖 (一二〇)
「高く昇らねば遠くは見えん、目の先ばかり見ているから行きつまるのぢゃ、道には落し穴もあるぞ、心得て、仕事に仕へまつれよ。岩戸はひらかれてゐるのに何してゐるのぞ、光がさしてゐるのに何故背を向けてゐるのぞ、十の仕事して八しか報酬ないことあるぞ、この場合二は神にあづけてあると思へよ、神の帳面あやまりなし、利子がついて返って来るぞ、まことのおかげはおそいと申してあろうがな。」

アルタイ山に運ばれた神人は、極悪の神人(かみ)ばかりにして、極善の神人は天教、地教両山に、極悪者はアルタイ山に救はれたりける。
 平素利己主義を持し、甘い汁を吸うた悪者どもは、全身残らず甘くなつてをると見えて、蟻が喜よろこびて集るに反して、世界のために苦き経験を嘗めたる神人は、身体苦く、一匹も蟻は集り得ざるなり。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0616
霊界物語 第一六章 大洪水(二)〔二六六〕

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