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2024年04月21日18:32

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京都、団栗橋界隈。

19歳で最初に就職したのは先斗町の料亭だった。
それほど老舗でも大きくもなかったが、鰹節けずらさせられるくらい味にはこだわっていたので今から思うと最初に入った店が厳しかったのは人生にとっては◎だった。

その店に、豆腐や湯葉を配達しに来る店があって、別々な店から配達されるのだが、、
平湯場を作って残ったどろどろの代物、生湯葉というのだが、
それがとんでも美味しくて、それを手の平にちょっと乗せるくらいの量で
わさび醤油で一品が、八百円だったかで。でもそれが余ると
塊にして蒸して、それを椀だね、にする、で、
それでも余ると、まかないで食べられる。そこまでになってても
旨いのだ。、まあ、湯葉ってのは、普通の京都の家でも食べてる人は
そんなにいなくて、料理屋に行ったほうがメニューとして置いてるけども
観光客用みたいなもので。
でも、美味しい店の湯葉は美味しくて、湯葉の刺身と言われて。

で、豆腐をその店に配達してくれて、自転車だったかで
痩せた男がやってくる、その店のメニューで、がんもどき、
関西では飛竜頭という、豆腐の中に野菜やキクラゲ、銀杏を入れての揚げ豆腐を
その豆腐屋で作ってもらう、その材料を、
店が終わった後、
先斗町の真ん中付近にある店から店の寮に帰る前に
夜、四条通を北に下がり、団栗橋の近くを歩いて行くと
高瀬川だったと思う、すこしうら寂しい別の小さな細い橋を渡って豆腐屋がある、
昔の町内にある自転車屋くらいの店で、夜は真っ暗だが表の戸が開いていて、
そこに材料を持って行って、「××です、明日は何十個お願いします」
と伝えるのだが、
その仕事場の奥に四畳半の部屋があって、
お爺さんお婆さんが炬燵の中でテレビを見てる、
で、伝えて帰るのだが、そこのテレビでやってたのが
教育テレビの映画番組で、スミス都に帰る、か素晴らしき哉、人生!
のジェームススチュワート主演の白黒映画だったのも思い出す。
そこから、阪急四条駅に行き、西京極駅の店の寮に帰って。
、、当時、夕刊が駅に落ちていて、オウム真理教が酷いことしてる
という時代だった。
私は当時新聞読むのが好きだったので、朝その寮から店に来るとき
七時半ごろに、西京極駅で新聞を買うのだが、そんな板前初めてじゃと
言われたり。

で、何十年か経って、たまたまテレビ見てたら
京都の美味しい豆腐屋さんって、おおきくなっていて
その店に自転車で配達してたやせ男が社長になってて
驚いたり。
そんなこんなの若い体験。

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