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2024年01月10日07:51

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「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」

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でに上映回数がかなり減っている『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を劇場で観た。「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメ映画を劇場で観るのは初めての経験だ。調べてみると、本作はTVアニメ第6期(2018〜2020年)をベースに、その前日談として制作されたものらしい。私がTVで観ていたアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」は年代的に第1期(1968〜1969年)第2期(1971〜1972年)で、子どもがまだ小さかった第3期(1985〜1988年)が最後だろう。もともと、アニメ放映前の「おどろおどろしい漫画」時代から鬼太郎を知っているせいか、アニメシリーズも時代を経て、回を重ねるごとに慣れ親しんだ「ゲゲゲの鬼太郎」からどんどん変貌してしまったと感じる。

 物語は、廃刊の瀬戸際に追い込まれた雑誌の最終号を飾るため、記者の山田が大スクープを追って、深夜、人里離れた山奥の廃村「哭倉(なぐら)村」にやって来るところからはじまる。鬼太郎達に遭遇した山田は彼らから「この先は人間が立ち入って良い場所ではない」と忠告されるのも聞かず、深い森に入って行き、巨大なたて穴に転落してしまう。落ちた洞窟の先はまるで廃病院のように多くのベッドや医療器具が散乱する不気味な場所だった。

 昭和31年。日本の政財界に大きな影響力をもつ龍賀家の当主・龍賀時貞が死ぬ。龍賀一族が経営する「龍賀製薬」から万能血液製剤「M」を仕入れている帝国血液銀行の幹部たちは、次の当主が誰になるかによっては社業に大きな影響が出るのは避けられず、動揺を隠せない。しかし、次期当主の動向を調べようにも龍賀家は秘密が多く、その本拠地の場所を知る者はなかった。そんな時、帝国血液銀行の幹部を目指す野心家の水木は「龍賀家は哭倉村にあると聞いています。今から夜行列車に乗れば、明日の昼には着けます」と情報収集の役を買って出る。水木は「龍賀製薬」の担当で、社長の龍賀克典に可愛がられていたのだ。龍賀克典は当主・時貞の長女・乙女の婿だが、長男・時麿は病弱で人前に滅多に姿を見せないことから「すでに死んでいるかも知れない」との噂があり、長女の婿である克典が当主となる可能性があった。「なんとしても、克典氏に当主になってもらうのだ」と帝国血液銀行幹部から命じられ、水木は夜行列車に乗って哭倉村を目指す。その車中で、彼は見知らぬ男から「あなたには死相が出ていますよ。後ろに死者たちの霊がたくさんついています」と不気味な指摘を受ける。水木がふりかえると、謎の男はすでに消えていた。哭倉村では、いかなる運命が水木を待ち構えているのか・・・。




正直に言おう。
本作はかなりの話題作らしいが、
違和感が酷過ぎて、
物語に全くのめり込めなかった。


 自分が知っている「ゲゲゲの鬼太郎」とはあまりに違い過ぎる。登場人物はみなスタイルが良すぎて、鬼太郎はまだしも、ねこ娘は完全に七頭身のモデル体型だ。美形で、猫目ですらない。原作者を思わせる「水木」が格好良すぎるのも違和感である。回想に登場する陸軍の将兵達も身長が高く、南方のジャングルで玉砕目前なのに軍服や装備がきれいすぎて悲壮感がないのも気になった。どうして、昭和期の日本人をあんなにカッコよく描写する必要があるのか、首を傾げざるをえない。ちびで眼鏡で出っ歯でガニマタの日本人や兵隊がいても良いではないか。それでこそ、水木しげるの描く「あの時代の日本の姿」だと思う。

 『犬神家の一族』や『八つ墓村』を思わせる田舎の旧家一族の雰囲気はそれなりに面白かったものの、肝心の物語の展開にはなぜか既視感を覚えるばかり。物語の中核である、龍賀一族に隠された「秘密」はあまりにもおぞましく、気分が悪くなった。おそらく、PG12となったのは血しぶきが飛び、人体が無惨に損壊される残酷描写ではなく、「龍賀一族に隠された、おぞましい秘密=近親相姦」部分に違いない。台詞だけでさすがに直接的な描写はないものの、万が一、子どもに「どういう意味」と質問されても、親たちはとても説明できないよ。


 川井憲次の素晴らしいエンディング曲。懐かしさと深い哀しみに充ちた、この曲を聴いていると、もう一度『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観てみたくなるから不思議だ。
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