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2019年12月18日15:57

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ファンタジーにおける一夫多妻ってどうなのって話を

セッションに伴ってちょっと考える機会があったけど
それは日記の一番最後のほうに。

ひとまずはセッション日記。
土曜は央華封神、悪太郎氏GM。央華やっててリアル時間がゲーム時間よりたつの珍しいなの巻。
日曜はBoA3、アンクィス氏GM。双子だと思った?異母兄弟でしたの巻。


央華、ゲーム内で数か月〜数年たつのは珍しくないゲームなのですが
リアル時間で前回やってから10か月たっちゃったので
なかなか
復習しておくところからなのでしたが
必然的に勝つ個人的には
大切に思っている人に次々そっぽを向かれ・道を違え・言葉も交わせぬまま死に別れる展開に精神をすっかり参らせているところに
尊敬する師伯にまで、独りぼっちであったことを今生に近い別れ際に揶揄されて
精神矢衾状態でムリクリ笑顔を保ってるみたいな
TRPG歴を考えても数度あったかどうかの精神状態になっていたので
冷却期間を置けたのだから、その辺考え直すのと
せっかくレアな精神体験をさせてもらってるんだから、きちんとキャラクターの修行という意味も込めてそこを掘っていこうという気持ちを
まあ、半々くらいでもってやっていきます。



今回は、いくつか展開は見えたのですが、大きな戦闘自体のなかった準備回。
途中で師伯によってもたらされた、「各々108年間まで時間を過ごしていい異空間」と、通常自分たちがルールブックに従って作れる以上のオリジナル仙宝の数々が提示されましたもので、
それをみんなで選んでいるうちにすっかり時間が過ぎちゃったこともありましたので…


この「異空間」が入ったツボの保管場所が、洞府の畑の中で、ひときわ違和感を感じる、
私が使役獣として「自立稼働可能な畑」を作成している敷地の地下。

前回(10か月前)、「”お前はこの洞府に最後までなじまず、一人で畑いじりをしていた”」というセリフが、
ここにつながる風水的な遠回しのヒントであったということだそうで、
他に日数的に優先しなければならない事件や事態が増えていく中だったこともあり、
別の超えらい仙人様に指摘されるまでそちらになんかヒントがあるという意識は到底もててはいませんでした。

このヒントを残すためにチョイスしたワードが、私の精神をどん底に叩き落すワードであることを師伯はどう思われるのか……。
もちろん、クリアのために「解釈」をチョイスしていくのが一般的なTRPGプレイヤーとしてのスキルではありますから、「なあんだただのクリア用のヒントだったのか」で切り替えてもいいんですが、
「師匠と弟子の関係」をそこで重視しないで、ゲームクリア用のワードとしてのみ師匠の言葉を受け取っていくというのも、央華としてはなんだか片手落ち。
精神への影響をそうも「後回し」にするのなら夜桜たまも辞表出すわよ(センシティブな話題)……。



その他、
起きた、起こせた流れ。

・前回いろいろ相談に乗ってくれたえらい神様方が、
思っていたより偉いことをのちのプレイヤーの学習で理解できた(普通に太公望と武成王黄飛虎が封神された後の役職だった!!!)ので、あらためて演義時代のことも含めてアドバイスを伺いに行き、
央華、裏央華問わず、「複数の伝承・伝説が入り混じって」現状があるのであり、とりわけ太公望と申公豹については、あまたの世界線に散らばり偏在した状態であることを、申公豹は逆に利用すらして、「この世界の」仙界を破壊しようとしている、という仕組みを聞けたり、
強力な自動武器などをいただく(大事にしよう……)

・裏央華の影響を受けた仏界が、歴史に沿わぬ仙界への侵攻をしている、
というのが仙界の破壊に直結する問題なのだが、
申公豹の弟子たちがこれを促進するため、PCの身内の邪仙さんを人質にとって、
「来世の三蔵法師」と「別世界との関係を断ち切る剣」の二つをこちらに要求してくる

・向こうにとっても、三蔵法師は「押さえておく」のが必要なのであり、この人物が害されることは想定されていない。
いい加減、仙界だの仏界だのの「流れ」に巻き込まれる無辜の命の多くが受ける被害を看過できなくなり始めた師の一人が、仙道としての「短絡的な人道性を解決する」道ではなく、善悪の中庸を能動的に行い「解決を早める」、中庸道とでもいうべき道を己に課しはじめ、
その手始めとして、「大きな脅威を強力にストップさせるために現世の三蔵を殺害する」ことを、弟子である私に提案してくる。
誰もこっちを向いてくれない中、忘れず私に声をかけてくれたことはうれしいけど、ホントにホントにうれしいけど、その提案が「今度はお前が、今まで得てきたものにそっぽを向け」なのはちょっと……容れられない……
申公豹の弟子たちが人質交換のために設けた日数、「3日」を期限として、俺を止めてみろなんておっしゃるので、「止めて見せます」なんて叫んでしまうけど……

・申公豹の弟子たちが居を構えているのは、九尾狐玄女……妲己の住まう洞府で、そもそも行くだけでも危険がいっぱい。
一人前後で潜入して、ワープ装置を放り込んで攻め込む?
妲己の開いてるトーナメントに潜り込んで何らかの権利を勝ち取る?
太公望様がたのご助言でいただいた、「陸圧」様を呼び出す符でもって五分の対話をする?

・夜に閉ざされた夜魔の拠点である山岳が修羅たちに完全に占拠されており、思い切り戦力増強しようとしていて、
改めての潜入偵察を行ったところ、すごい強そうな巨大ロボを作成している現場を見つけてしまい、
この進行を止めることは、戦局に強力に影響するはずなので、今のうちにたたいておきたいというか、今のうちじゃないとたたけない。この数日内にいつでもできるが、早いほどいい。

というところ。

個人的には、因縁ぶかい永続的狂気に侵されてしまった亡霊を癒すことのできる丹が作れるようになってきたので
これを処方しに行ってあげたいというのもやることリストには加わっていますが……



ひとまず、これらを整理して、今回はおしまい。

基本的には巨大ロボから攻略しつつ、三日という猶予の中で申公豹の弟子たちとの状態を解決しつつ、
中庸同をいこうとされている師叔との関係を解決しつつ、
仙と天の喧嘩にアプローチできる場所を探しつつ……。






日曜のBoAはこの一年たいそう忙しかったようであるアンクィスさんの
リアルセッションGM復帰一戦目。
身内で行っているBoA3に何度か飛び入り参加してもらった彼のPCの、
よく似た双子っぽいPCをお持ちなのですが、
そのお母さん「たち」をめぐる出生の秘密に関係する歴史に挑んでいきます。



さかのぼることいつもの時代から15〜16年前、
とある双子の、互いを誰より大事に思いあう姉妹が、
彼女たちの命を救った一人の騎士に、ともに思慕の念を抱いてしまうのだけれど、
その肝心の騎士は、二人からの愛をしりながら、かたくなにそれを受け入れようとしない。
思いと願いが募る地に、
「女性の願いをかなえる魔剣」ゼクシード、なるものの活動が散見され、事件は混迷極めていく……



というようなお話。
GM本人それほど複雑なお話じゃないということで、
実際休憩はさみながらゆっくり5時間くらいで解決できたシナリオではあるのですが、


この話の「では、なぜそうなるのか?」の裏事情部分に
GMはオチを用意してくることでリハビリを行ってきています。


姉妹の一方は、その無垢さで出会う誰もをいやすものの、自身で何かをするのが苦手な娘。
今一方は、快活に活動をするのだけれど、双子の姉に少しばかり過保護な、しかし「自分の幸せ」を考え始めた娘。


彼女たちを助け、彼女たちに惹かれながら、
しかしその言葉を袖にしつつけている騎士は……


シナリオ終盤に至り、とうとうその心情を吐露します。

彼は「百合の間に挟まる男性キャラが許せない族」。
尊い姉妹百合を破壊する要因にまさか自分がなろうとは夢にも思っていなかったと……



しかし、それを許さないのが、「女性の夢をかなえる」魔剣ゼクシード。

彼がかなえる夢とは、
「女性の結婚願望」。愛のためであれ、地位のためであれ、
その「結婚したい」夢をかなえ、
彼女たちが「一人の人間として」培ってきた力や記憶を代償にもらうことで、「家庭に入るただの女」にしてしまうという……


だっ誰が作ったねんこの剣!



この剣は、「ステロタイプな男性優位の家庭を女性側からのアプローチを言質として」強制的に作成するムーブをするので、
今回の恋物語には明らかに悲劇を持ち込んできます。
剣なんかなくても条件次第ではドロドロしますが、

今回は、本来女性側が怒るだろう、男性側の二股状態を、
おそらく女性側のほうは「男性関係を理由として姉妹の中が壊れる」ことを絶対に良しとしないし、
なんなら仲良く共有したって何とも思わん娘たちのようだし、
むしろ二股状態になるのを男性側のほうが極端に恐れているという事例なので、


あとは、世間体とどう戦うか以外では、
むしろ「ステロタイプな家庭」は御用がないというありさまで……。



より積極的なアプローチをする妹さんのほうの願いを先に一晩「かなえる」ことで、
既成事実というか騎士のほうには逃げ場がなくなってしまうのですが、

本や画面の中の女性と違って、「生身の女性の幸せ」は、文字通り生もの。
遠くから見て尊みを感じているだけでは、守り切れるものではない。

彼女たちの関係を守りたいのであればこそ、意を決してそこに飛び込まねばならない日も来る……!



PCとしては
砂糖を吐くか犬も食わないかの、かなり個人的で当人たちがやっていけばいい色恋の話に巻き込まれて辟易するムーブをする人、
魔剣や騎士と同じく尊みを溢れさせながら解釈違いに対してメスを入れ続ける人、
魔剣をじっくり調査しつつ、陰謀の中にある時には己のモチベーション(おそらく性癖含む)を潜ませておく必要があるなどアドバイスをしっかりする人と
かかわり方も三様でしたが


多くの人にいろいろ言われながら、
騎士が最後にした決断は……






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中世ヨーロッパ風ファンタジーにおける
なろう的ハーレム概念はどの程度時代的整合性を持つのか、
いい機会なんで「重婚」の歴史をある程度調べたんですが、


男性一人に対して複数人の女性が結婚する形状というのは、やっぱりまずイスラム圏のイメージがあります。
一番顕著なのがハーレムという単語のようではありますが、
まあ、王族に限らず一般人でも4人までは妻をとっていいというような形状はなかなか特徴的ではあります。

次いで、「大奥」みたいなワードを考えるに、実は古い日本文化のほうがその辺はおおらかっぽいです。
「おめかけさん」という単語は戦後までありましたし、それ込みで家庭を作ってしまえているお金持ちは実際結構いたことでしょう。だからこそ女性の人権活動に火も付くのです。なかったのならつかない。

その他、「側室」という単語は中華文化圏でしょうか。


キリスト圏ではどうかっていうと、基本的にはやっぱり駄目です。
「なぜだめなのか?」を追求していくとだいぶ面白い流れになったのでここは後述しますが、
基本的に「一夫一婦制」を古い時代から推しています。

王族についてはそれでも、血をつなげることを含めて複数の女性と関係する必要性はありましたし、
「公妾」という名で、生涯のパートナーとして活躍した「二人目以降の奥さん」もいくらかはいたようです。

結婚というのが「個人と個人」ではなく「一族と一族」の結びつきである以上、
恋愛感情は2の次でいいわけで、
二人の関係も「職務上のパートナー」であればいいわけで、
こういう世界であると「結婚」という行為自体が「新部署発足」といったほうがイメージが近いものであり、
じゃあ恋情愛情はどこで解決しようかって言ったときに「愛人」とかそういうワードが出てくるわけで、

つまり愛する女性と愛し合うためにすることは「結婚」ではなかった、みたいなね、
ところまで透けて見えてきます。


いわゆる宮廷恋愛の手引書みたいな本で
やっと「思いのままの恋愛」「ただし、”思い”による恋愛だから、肉体関係はNG」という
旦那持ちのご婦人と、そこんちに使える騎士みたいな間柄で行われる「心の恋愛を忠誠という形で解決する」恋物語が出てくる(ので、なんなら女性のほうがむしろ複数の相手への恋に積極的で、男性には一人の貴婦人に尽くしてほしいという恋愛像)わけですが、

つまり、これは、当時社会義務的に行われてた結婚に対するアンチテーゼとして出てきた
「恋愛の理想像」というわけで、

「だから、ギリギリそういう恋愛まで許されていた」というよりは、


それが流行った背景に、「現実がこうだから、創作の世界にはこれを求めた」という構造も一応考えたいところです。

例えば、
今以上に娼婦の仕事が(良し悪し含め)一般的で、
「愛を語りに行く相手」はそうしたところにいたと言ってしまえる関係はあったでしょうし、
芸術文化(とりわけ舞台系)の裏側に、「パトロン」という飼い主が必要だったことは明白で、
「舞台の上から観客に恋をさせる」ことが生業のものであるなら、それは「結婚」よりはるかに「恋」にできる男女感情であり、
活動を続けるためには芸術家たちもそうしたパトロンたちと「恋に落ちる」必要もあったし、
まあ、そうしたところから「引退」するにあたって「お屋敷をもらって」暮らすようなことだって不思議じゃあないわけで。

貴族の位をまだもらえない、いわゆる「中流」と言われる証人の次女筋だのといったあたりだって、
えらい貴族に「愛してもらえる」のなら、強いコネになります。
たとえ「奥さん」でなかったとしても。


というわけで、
ここまで、「結婚」という言葉がなくても、
恋愛生活(今とは当然姿が全然違いますが)として
「複数の男女が関係を持ち、子供を残す」可能性は、
法治性と性差人権問題意識が現在と違う時代にあって、やはりある程度増大するという感じはするわけです。

つまり、「重婚」はなくても、「複数の異性と内縁の夫婦関係にあって子供まで残す」のハードルは低い。
のではないかと。






じゃあなんでキリスト教圏で重婚が禁止なのかとチェックしていくんですが、

これローマ法なんです。キリスト教関係ない。(じつは聖書的には産めよ増やせよしか言ってない)


ローマ法で厳格に一夫一婦制が定められ、
そんな中でユダヤ教→キリスト教がはやっていく中で、
キリスト教のほうがローマの法におもねったようなんですね。

ので成立と変遷を考えるとキリスト教関係ないは言い過ぎかもしれませんが、

とにかくローマの国政法です。


この成立が、実に合理的な軍事法でして、


「一夫一婦制にしないと、より魅力的な人間が異性を独り占めしすぎて、人間が増えない」んだそうで。

生産にしろ軍隊編成にしろ、
一夫多妻の国は「人間が増えないから弱い」んだって!!


そう、「一部の権力者、魅力的な人」が異性を囲ってしまうと、
人間の増え方が「ネズミ算式」にならないんですね。


近親婚問題で血が弱くなるということもあるのかもしれませんが、

「消耗品としての人間を増やす」という一番原始的な生産業を「特権階級の仕事」にしてしまうとマズイというのはちょっと目からうろこでした。



あえて歴史問題の一環として人権を後回しにしたかきかたをしますが、
「子供を産む機械」である立場は、古来男女関係なく存在し、
そのために、特に女性という貴重な生産資源が、
すべての底辺職員である男性に行き渡るように配置された。

……どうも一夫一婦制の走りはこれのようですね。
あくまで走り、ですけど……


してみると。

女性の子供を「産まねばならなかった」立場からの脱却というのは、

「好きな相手と恋愛を、結婚をする権利」の取得というのは、


「結婚したくもない相手と結婚しない権利」であり、「子供作りたくない相手と作らない権利」であって、



あるいは、それは男性にとっても同じことが言えるのでしょうが、

一人のモテモテの人間が複数人とつがうというのは、「奪い合わなくてもみんなが惚れた相手と自由に恋愛する権利」であり、

法律や慣習は、「モテ底辺の人間でも結婚し、子供を産まねばならない」ことを求めるために作られてきている


ということもできてしまうかもしれません。

こういっちゃえば、近代国家が少子化していくことにつなげてしまえそう。

「自由な恋愛がしたい」権利より、「したくない恋愛をしないでいい」権利こそが、
個人の権利を追求する社会において求められているのでは。
みたいな。



重ねて言いますが、現在の一夫一婦制は、発足時とは役割が変わっているはずです。
どちらにしろ、「結婚相手という資産を独占所有する権利」という意味であることには変わりないでしょうが、
一夫多妻、一妻多夫とは違って、所有ヒエラルキーを平等にするというのが現在の趣旨であることでしょう。
ですから、これを破ると「人間の平等性を犯す価値観を持つもの」として認識されるのです。


しかしそして、
それがフィクション、とりわけふわふわと「中世ヨーロッパ風ファンタジー」なんていう時代になるのであれば、
その倫理観はどこに依拠するものになるでしょう?


慣習は、「結婚させようとする」ので、個人の権利は、「それを嫌がる」権利になる。
「自由恋愛」の置き所は、その時々、主張する人次第で、都合のいい形の解釈がチョイスされる。
オモシロイ。
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