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2019年08月24日21:40

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環境と生命

NHKのBSプレミアムで放送しているコズミックフロントNEXTで酸素誕生の話をやっていて、本日ビデオを見いました。「選」になっていたので再放送のようですが、最近見始めた枠なので初見でした。内容は、南極で発見された湖の底の環境が地球上に酸素が誕生した当時の状況と酷似しているという話で、同様の内容はNHK総合「ダーウィンが来た」のコケボウズの回でやっていて、時間が長い分詳しく、その中で記憶に残ったのは酸素の役割の説明です。酸素誕生以前の地球では、生命は熱水噴出孔や火山の周辺と言った「地球のエネルギー」が得られるところに限定的に存在していて、そこから離れた場所は死の世界であり、地球全体に降り注ぐ太陽のエネルギーを活用する光合成と言う革命によって地球全体に生命が拡大することが出来た、というものでした。

現在は大気中、海水中に酸素があるのが当たり前なので、生きてゆくのに酸素が大切、と言うことは感じても、それが生命のエネルギー源を改革した結果だなどとは考えません。燃料と言えば、工業的には石油、石炭とか、声明で言えば有機物、ざっくり言えば炭素がエネルギー源と言う感覚ですが、実際にはそれを酸素と結びつけてエネルギーを取り出せるわけで、そうでなければ熱水噴出孔付近の生命のようにイオウと鉄を結び付けてエネルギーを得るとか、まったく別の方法を選択しなければなりません。

実際には、有機物(石油、石炭のもとの形でもある)も光合成の産物であり、現在私たちが目にするほぼすべての生物は光合成を通じて太陽光で生きているし、化石燃料を燃やしてエネルギーとして使えるのも化石になっていない酸素が大気中にあってこそで、それも太陽光の産物、と言うことです。今でも身の回りにも嫌気性細菌などがいるように、もともと酸素は生物にとって有害で、酸素を撒き散らして増殖するシアノバクテリアは発生当初、正に環境破壊の元凶とも言える生物でした。それが今では、生態系を支える環境を作った功労者になっているわけで、歴史は後から見たら勝者の歴史になるという最大の事例かもしれません。

そう考えると、ゴジラのような核エネルギーで活動するという生命の形態も案外あっておかしくないと思えてきます。まあ、それはもちろん、太陽光を光合成で活用する現在の生態系が滅んだ(滅びはせずとも辺境に追いやられた)後で繁栄する形態であって、人類の次、と言ったことはあり得ませんから、人間としては現在の環境を維持する努力を続ける他に道はないでしょう。
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