mixiユーザー(id:787023)

2019年03月27日02:11

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「どろろ」

ぽつぽつとしか見てないんだけど、なんかつまらないな。
見た目とかはアップデートしててイイかなと思ったんだけど、おはなしがサッパリ面白くならない。なぜなのか?

「どろろ」って設定が最高にカッコいいおはなしのひとつだと思ってんだけど、思いついた手塚本人の漫画をはじめ、アニメ化も映画化も設定のカッコよさを扱いきれてないと思ってるんだけどどうか?
映画がいちばんマシだったかもしれんなとか思ってるくらいだからな。

新作アニメはおはなしの軸がどこにあるんだかイマイチ見えない気がしてる。
元の漫画はなんだかんだで「戦争よくない!」っていうのがテーマだと思うんだけど、時代が時代だけにフワッとした概念としての戦争・もしくは殺し合いとしての戦争についての話で、それが時代劇のなかのいくさに託されても違和感は無かったと思う。
今回のアニメはやっぱり原作厨がやかましいからなのか、おはなし自体はかなり原作に準拠してると思うんだけど、戦争観が全くアップデートされてなくてダサいと思う。

ほんで例の“ばんもん”
意味的には「ベルリンの壁」なのに見た目は「羅生門」イメージていう、「境界線になっとらんやないか」的なモヤモヤがあるわけだけど。
もうどう考えても今の時代に“戦争と壁”と言ったら“移民問題”なので、ここを原作準拠の古い戦争観のままやってしまう鈍感さ…ですかね。

さらに新作アニメではこの戦争観をディティールまで描いてしまうので、フワッとやっとけば気にならなかったところがかえって頓珍漢な印象になってしまってない?
醍醐景光は自国の安寧のために鬼神と取引したちゅうことですが、そのわりにどこの村人も貧乏で不幸そうだしそもそも取引したはずの化け物に苦しめられてたりしてな。
どういう取引だったんだ?なんかエエことあったんか?これ
だから景光が野望ドライブで天下を狙ってるとかだと収まりがいいんだけど、ここはなぜか治世のひとにアップデートされてて「人の上に立つ者として我が子を差し出して何が悪い」くらいのことを言ってしまってだな。
なんかそういうふうに政治を持ち出されてくると「百鬼丸ひとりで国が安寧ならしょうがないか」くらいの気持ちになるじゃん、いまどきは。

まあ小林靖子だからな。
このひとキャラでおはなしを書く人だから。
基本ちっさいはなししかやらないからな。
「百鬼丸かわいそう〜(><)」とおもって見てればいいということなのでしょう
だから百鬼丸は右も左もわかんない赤ちゃんの状態で登場して、どろろにサポートされてだんだん人間になって、百鬼丸が人の世の哀しさを知っていく話なんだよね。
オンナ向けかっ!カッコ悪いっちゅうねん!

なんか時期的にも、百鬼丸のアクションにパラスポーツ絡めたりとか、どろろには性自認・性差別の問題を絡めたりとか、いろいろできると思うのにそういうの興味ないんだよね。
そもそも「体の部位を取り戻すために部位の数だけ化け物を倒さないといけない」っていう妖怪退治のギミックそのものにも興味ないからな、この女は。

贅沢にも二期目があるということですが、こんな調子で大丈夫なのか?
手塚プロは「ブッダ」とか「アトムザビギニング」とか、あと「テヅコミ」の迷走ぶりとか
ここ最近の目利きの悪さ、半端ないよな

https://dororo-anime.com
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