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2017年02月06日16:37

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タイムマシン

みなさんは、タイムマシンがあったら、と考えたことはありますか。

最近、学生たちに「タイムマシン」をテーマに作文を書かせました。
未来でも過去でも、想像力を翼に変えてどこへでも自由に飛んでいってほしい、と願って。

ところがその結果、飛んでいった学生はたった二人だけでした。一人はジュラ紀に二匹の恐竜が戦っている所を目の当たりにし、戦いの中で片方の恐竜は自信過剰が原因で相手からの逆襲に遭い、その結果怪我を負い逃げてゆきました。その戦いから、作者は生存競争の厳しさをひしひしと体感していました。もう一人は、遥か未来で人類の生み出したハイテクノロジーな世界を体験し、目がくらむ思いをしたそうです。そして現代に戻り、山積みにされた環境問題について討論していました。ともに山あり谷ありの物語となっていて、とても素晴らしい作文です。

しかし、その他の学生の作文には、大変驚かされました。自分が出したテーマが良くなかったせいで、学生たちは想像力を働かせることが出来なかったのだろうか、とも思いました。
なぜなら、あまりにも現実的だったからです。
彼らの一番の願いは、タイムマシンを利用して過去に戻り、犯した間違いをなかったことにしたい、というものでした。例えば先生に失礼な事をした、試合で失敗した、或いは友達と喧嘩した、などです。
彼らの心の中には、こんなにも多くの後悔があったのです。
タイムマシンで当時に戻って、あの時の間違いを直し、または償いたい、という気持ちでいっぱいでした。
それらの作文に赤ペンを入れる時、私は悩みました。
この現象は、一体どう見たらよいのだろうか。

そして、ある学生の作文を見て、私は気づきました。
彼らは作文を書くことで、ストレスを発散していたのです。

その学生の作文には、こう書いてありました。
もしタイムマシンがあったら、子供の頃に戻って、その時に家で何が起こったのか知りたい、とありました。
母親が家を出て行った時、彼女はあまりにも幼く、知りたくても何も分からなかったのです。
大きくなってある程度の物事が理解できるようになった今、タイムマシンに乗って当時に戻り、ただその時に何が起こったのか、真実を知りたいというものでした。
恨みからではなく、ただ少しの悔いと、好奇心、そして気遣いの気持ちが綴ってありました。

次の授業の時、私は学生に、自身の感情を文にして表す「自感」と、読む人の心を動かす「共感」があるということについて話しました。
ある人は、文学は苦悶の象徴と言いますが、ある人は文を書くことは自身に救いを与える事だと言います。一種の癒し、と言った方がいいかもしれません。

もし、自分の書いた文章で多くの人の共感を得られたら、それはとてもいいことだな、と思います。

(愛的培養皿より)

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