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2016年06月20日16:26

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お題36『ホタル舟』 タイトル『導灯の環』

 ほう ほう ほたる こい
 あっちのみずは にがいぞ
 こっちのみずは あまいぞ
 ほう ほう ほたる こい

「えーこちらに見えますのが、蛍の里と呼ばれる名所です。この橋の下にいる蛍はほとんどがゲンジホタルで、なんと蛍の産卵を見ることができるんですよ」
 将平の声を背で感じながら俺は舟を漕ぐ。ここからは見せ場に入るためオールを止めなければならない。
 ……ここは見極めが大事だ。
 俺は蛍の感覚だけで前に進む。川の幅が狭く少しでも誤れば、陸に乗り上げてしまう。慎重に暗闇の中で舟の焦点を合わせていく。両端の蛍が導灯(どうとう)のように道を切り開いてくれている。
「なんとこの舟の上で結婚した酔狂な奴がいるんですよ、全くけしからんですね……まあ、私のことですが」
 司会である将平がおどけると、乗舟客がわっと盛り上がる。商売をする上では有難いことなのだが、俺にとっては面白くない。彼とは腐れ縁で嫌っているからだ。
「きっと蛍とホテルを勘違いしていたんでしょうね。……まあ、そんなことはさておき、あちらに見えます弱い光が雌の蛍です。大変弱い光ですので、気をつけて見て下さいね。老眼の方は……諦めて雄の光を引き続きお楽しみ下さい」
 乗舟客は将平のいう通り目を凝らす。俺も彼も今年で六十歳になるので雄の光自体、ぼんやりとしか見えていない。客の反応を伺いそれで対応するのがやっとである。
 ……後、もうひと踏ん張りだ。
 俺はオールを掴み直し気合を入れた。俺の舟漕ぎ人生も今日で終わりだ。今日の蛍舟は二十日目で最終日、今日を持って俺達の引退が決まっているのだ。
「よー見えん。本当におるんか? 将平」
「いますよ、豊田さん。心が濁っていると、見えない可能性がありますが」
 彼のボケに乗舟客が再び盛り上がる。最終便は蛍が少ないため、地元客で埋まっているのだ。だからこそ彼は容赦なく切り捨てるが、それが返って観光客の笑いまで誘う。
 ……やっぱり気に食わないな。
 俺は苛立ちながらも焦点の合わない蛍を見た。早く帰って一杯やりたいというのが本音だ。さすがにこの年になると体中にガタがきて、座っているだけで腰が硬直する。
 ……長かったが、ようやくこいつとの関係が終わる。
 俺はにこやかに微笑んでいる将平を見る。俺と彼には本業がありこれは副業だ。俺は百姓を営み彼は役所勤めである。5月後半から6月後半まで蛍の産卵時期の間だけ俺達は蛍舟を出している。いつ辞めてもよかったのだが、彼への対抗心から辞め時を失い、還暦を迎えるまできてしまった。
 ……もうこいつとも40年以上の付き合いか。
 俺は舟に腰を下ろしたまま再び将平を眺めた。俺達は16の頃に出会い、ある一人の女を巡って争った。その彼女は結局彼の嫁となり、俺達はほぼ絶縁関係にあったのだが、彼が蛍舟を企画したために再び手を取り合ったのだ。
「さあ、ここからは少しだけ目を閉じて下さいね。実はこの通りにあるのは蛍だけではないんですよ。皆さん、目を閉じて匂いを嗅いで見て下さい」
 彼の言葉を合図に乗舟客は目を閉じ鼻をひきつかせる。俺は目を開けたまま初夏の風の香りを吸い込む。目を閉じなくてもあの夏の光景が頭に浮かぶ。
 ……瑠璃(るり)、今年も蛍に導かれて帰ってきてるのか。
 俺は目の前にある一本の木を見て心の中で彼女に問う。
 ……どうして、お前は俺のことが好きだといって将平と一緒になったのだ?
 俺はゲンジホタルで、ヘイケホタルの会話はわからない。モールス信号のように俺にはわからない暗号で何を伝え合っていたのだろう。答えは永遠に行方不明だ。
 ……瑠璃。
 姿の見えない彼女に再び告げる。
 俺の心は、お前が将平と結婚してから、暗闇の中でずっと止まっているよ――。









 
「ねえ源太郎(げんたろう)、見て。テイカカズラの花が咲いているよ。いい匂いだね」
「ああ、今年ももう夏が来るな」
 俺が答えると、瑠璃は冷えたジャスミンティーを口に含んで頷いた。
「飲む?」
 俺は彼女から水筒の蓋を受け取り反対側で飲んだ。
「ああ、冷たくて美味いな」
「そうでしょ。将ちゃんも卓君もこれは好きみたいね」
 瑠璃が笑顔を見せると、冷えた体が急激に熱を取り戻す。彼女から目を背けて穏やかな川の流れを見る。
「ふん、将平は邪道だよ。砂糖が入った麦茶は好きになれない」
「そう? 私はどっちも好きだけど」
 俺はこの山口県豊田市で長男として生まれ、実家を継ぐことを小さい頃から意識させられていた。両親の願いはともかく元気な嫁と息子ができることだった。
 俺の家はこの村の地主で、皆俺のいうことには逆らわなかった。唯一、対等に付き合うことができたのは瑠璃と友人の卓だけだった。俺達は中高一貫のエスカレーター式の学校へ入りハウス栽培のように緩く何不自由なく成長していった。
「俺は地元に残るけど、お前はどうするんだよ」
「私は一度外に出ようかなって思ってるよ」
「将平(しょうへい)と一緒にか?」
 俺が尋ねると、瑠璃は首を振った。
「違うよ。将ちゃんもここに残るみたい」
「……そうか」
 俺は安心したが、素直な態度を出せず近くにあった石を蹴るだけに留まった。
 退屈な高校生活を一片させたのは転校生の玉木将平だった。彼は両親の転勤でこの村に来たためか礼儀を知らず俺達はぶつかり合った。だが彼が瑠璃を好きだと知った時、俺自身も彼女に惚れていることに気づき、俺達は秘密を共有する友人となり仲を深めていった。
 要するにどちらもガキだったのだ。
「瑠璃はどこに行くんだ?」
「薬学部がある大学ならどこでもいいよ。将来独身でも安泰だし」
 ……お前を独身でいさせるわけないじゃないか。
 俺は心の中で呟いた。少なくともこの狭い村で二人の男に好かれているのだ。人の多い都会に行けば、その数はさらに増えるだろう。
「……薬局勤めならこの村にも帰ってこれるしね」
「じゃあ最初からここにいればいい」
「それじゃ嫌なの」瑠璃は意地悪そうな顔で微笑んだ。「何も知らずにこの村だけで生活するには長いからね。希望は……南の島かな」

 ホウ ホウ ホタル コイ
 アッチノミズハ ニガイゾ
 コッチノミズハ アマイゾ
 ホウ ホウ ホタル コイ
 
「はい、皆さん、香りを味わうことはできましたか?」
 将平が手を叩くと、乗舟客は目を開け、俺は現実に巻き戻された。彼女の柔らかい歌声がすっと香りと共に抜けていく。
「この匂いはテイカカズラです。いい香りだったでしょう」
 テイカカズラ、ジャスミンの香りがする常緑樹だ。瑠璃はこの香りがするジャスミンティーが好きだった。俺達は蛍がいる少し濁った川を眺めながらこれを飲み、沖縄の青い海を想像していた。
 卓もこれが好きだったが、将平だけは甘いものでなければうけつけなかった。今の俺はどちらも好きだ。
「私の妻もこの木の匂いが好きで、よくここにきました」
 将平は瑠璃を懐かしむようにいう。
 不意にテイカカズラの影が彼女の姿を映し出す。浴衣姿の瑠璃が、制服姿の瑠璃が、日焼けした瑠璃が、花嫁姿の瑠璃が、一瞬に浮かんでは泡のように消えていく。そこに残ったのは淡い光を放つ数匹の蛍だけだった。
 ……瑠璃、お前は将平を選んで幸せだったのか。
 風に吹かれて気持ちよさそうなテイカカズラに問う。俺と将平の間にわだかまりはない。ただ彼女が亡くなる前にいった言葉が今でも俺の胸に釘を残している。
「実は先日、ここに鹿の死骸があったんです」将平は笑いながら続ける。「皆さんのように目を閉じて貰って、香りを嗅いで貰うとそこには獣の腐った匂いがしてですね……ええ、その後は誰も蛍の話などしませんでした」
 客が再び笑いの渦に埋もれる。その死骸処理を喜んでしたのは後ろに座っている湯川卓(ゆかわ すぐる)だ。彼は昆虫学者で蛍だけでなく様々な分野に渡って研究している。動物の死骸など彼にとってはお宝なのだろう。
「ここにいる蛍はほぼゲンジホタルで、寿命は蝉と同じように一週間くらいといわれています。非常に短いですね」
 将平が解説すると、卓が席を立ち声を上げた。
「厳密にいえば蝉は一週間じゃないがな。あれは餌がなくて餓死しているだけだ」
「余計なこといわないで下さい、お客様」将平が慌てて彼に突っ込む。「すいませんね、彼は昔からの友人でして……空気が読めないんです」
「ついでにいえば上空を飛んでいる蛍は死ぬ間際のものだ、人間の年齢にすれば還暦を迎えている独身の蛍だよ」
「それ、僕が今からいうセリフだから。せっかく最後に取っておいたのに台無しだよ、卓」
 将平が突っ込むと、再び客は笑った。
 彼らが言い合っていると、一匹の点滅が違う蛍が見えた。ヘイケホタルだ。
「お、珍しいですね。皆さん、あれがヘイケホタルです。ゲンジホタルとは光の放ち方が違うでしょう? ゲンジは二秒に一度、ヘイケは毎秒毎です」
 ゲンジホタルの光が合図するように消えた後、一匹の蛍だけじじじ、と点滅を続けている。
「将ちゃんのようだな、一人だけ賑やかだ」卓が再び声を上げる。「皆さん、今年で蛍舟は25周年になります。初代が司会の玉木将平とそこにいる船頭・佐伯(さえき)源太郎さんです。彼らは今日でこの舟を降りるのです。よければお二人に拍手を与えてやってはくれませんか」
 彼の言葉と共に舟に乗っている全員が声を上げながら拍手をする。俺は恥ずかしくて背を向けたまま頭を下げる。
「ありがとうございます、空気が読めない所はお客様にもそっくりですけどね」将平も礼をしながら負けじと声を上げる。「ここでそんなセリフをいわれたら、司会として仕事ができないでしょう。正直やりにくいです」
 客の笑いが漏れ、穏やかな舟が少しだけ揺れる。
 ……お前達、どっちもヘイケホタルだよ。
 俺は彼らをちらりと見て心の中で呟く。
 将平は蛍舟を運行するにあたって、この田舎で重要な酒盛りをせず有志連合を立ち上げ蛍舟を成功させた。もちろん俺の家の力もあったが、彼の魅力に皆、村の命運を掛けたのだ。そこにはヘイケホタルのように、自分達にはない光を見出していたのだろう。
 卓に至っては、蛍の生態を綴った蛍ミュージアムを立ち上げ、蛍舟に貢献していることはいうまでもない。
「お、凄い。皆さん、見て下さい。カップルの誕生ですよ」
 先ほどの一匹のヘイケホタルが葉の上にいる雌に近づき、お互いに光を放ち始めた。まるで愛の言葉を囁きあっているようだ。この現場は俺達でも中々見る機会がない。
 卓も気を利かせてかそれとも夢中になっているのか、蛍の雑学をいわずにただ眺めていた。
 ……瑠璃、ここにいるのか。
 ヘイケホタルがお互いを意識して光を呼応し合う。その姿を見て俺はまた胸を焦がしていく。
 お前はまた、将平の所にいってしまうのか――。

「……源太郎、ごめんね」
「謝らなくていい、俺はお前達を祝福するって決めたんだ」
 彼女の土産である青色の陶器に入った泡盛(あわもり)を俺はちびちびと舐める。癖が強く頭が熱くなっていくが、今は冷静でいなければならない。
「どうして? 怒っていいんだよ、私は思わせぶりな態度を取って……結局将ちゃんを選んだんだから」
 ……今でも思わせぶりな態度を取っているよ、お前は。
 夜の川で二人で酒を飲んでいて、俺にどうしろというのだ。体の熱が膨張し彼女の肩に手が伸びそうになる。だがそれはできない。
 ジャスミンティーで乾杯していたあの頃にはもう、戻れない――。
「関係ないよ、俺はお前が好きだ。だから祝福するって決めた。お前が離婚して他の男と付き合うようになったとしても、祝福する。お前の幸せが一番だから」
「そ、そんな……ひどいよ。怒って欲しかったのに……。……私も源太郎のことが好きだったのに」
 彼女の瞳に灯りが点き、再び消えていく。ヘイケホタルのように点滅し続ける彼女の心に俺はついていけない。
 それが救難信号だとしても、俺は彼女の隣にはいれない。その資格があるのは将平だけだ。
「……それでも俺はお前達を祝福する。お前が決めた道を俺は応援するって決めたんだ」

 ほう ほう 蛍 来い
 あっちの水は 苦いぞ
 こっちの水は 甘いぞ
 ほう ほう 蛍 来い

 ……瑠璃、ここにいるのか。
 俺はヘイケホタルのカップルをじっと眺めながら歌詞を口ずさむ。彼らは淡い穏やかな灯りを点け、彼らにしかわからない言語で会話をする。
 ……どうして、お前は俺のことが好きだといって将平と一緒になったのだ。
 俺はゲンジホタルで、お前達の会話はわからない。モールス信号のように俺にはわからない暗号で何を伝え合っていたのだろう。答えは永遠に行方不明だ。
 ……瑠璃。今でもお前の考えていることがわからないよ。
 心の中で葉に留まるヘイケホタルに問う。だがもちろん答えはなく舟は進み彼らから離れていく。
「皆さん、最後にいいものがみれましたね。もうすぐゴールにつきますよ」
 将平は空咳をして続けた。
「ここで最後になりますが、皆さんに一つだけお伝えしたいことがあります。蛍の光は穏やかで皆さんに温もりだけでなく、悲しみを拭うといわれています。楽しみ方は人それぞれです。それでもここで産卵された子供達はまた来年、皆さんにおかえりといって迎えてくれます。僕達も来年からは裏方として支えていきますので、よかったらまた遊びに来て下さい」
 拍手を受け、俺達は再び礼をした。
 ……案外、あっけないな。
 俺は舟を止めて客を誘導し今日が最後になることに戸惑いを感じていた。
 ここまで来れば何かわかる、そう思っていた部分があった。だが最後までやり遂げても、俺の心は変わらなかった。将平が何を考えているのかも、瑠璃が何を考えているのかも、全くわからない。
 ……やっぱりヘイケホタルは気にくわない。
 最後の客を送り届けると、卓だけ頭を下げていないのが目に入った。彼の心も未だ読めないでいる。将平よりも長い年月、付き合っているが本心はわからない。
 ……やはり俺はゲンジホタルなのだ。
 同じ集団にいても、違う光を放つだけで孤独感を覚える。俺はいくつになっても、大切な友人達と分かり合うことができない。
 ……もう止めよう、今日で終わりなのだから。
 蛍舟に関わった時間が長すぎて、俺はきちんと現実が見れていないのだ。ここでこの世界から離れれば、もうこんな思いはしなくてすむ。
 ……さようなら、瑠璃。
 お前の気持ちをわからず、離れる俺を許してくれ。
 暗闇のまま終わる俺を、どうか――。
 
 舟の片付けをした後、卓が缶ビールを持ってやってきた。
「お疲れ、源太郎」
「ああ」
「長かったようで短かったな。あっという間だったよ」
「お前がそれをいうか、卓。俺は大変だったよ」
 竹やぶの笹が風で揺れてさらさらと音を立てていく。テイカカズラの匂いもここまでは来ない。
「しかし将ちゃんは最後まで酒を飲まずにやりきったな。偉いよ」
「あいつは酒が嫌いなだけだろう? 単に飲めないからじゃないのか。今までの会合でも一滴も飲まなかったじゃないか」
「……まだ気づいてなかったんだな。それとも冗談でいっているのか、源太郎?」
 俺達が二人で酒盛りを始めると、将平がビール片手にやってきた。
「長い間、お疲れさん、源ちゃん」
「どうした? お前、酒飲めないんじゃ」
「僕は今、やっと成人したのさ」
 そういって将平は缶を傾けて一気に飲み干す。還暦を迎えた奴が今頃何をいっているのだ。
「やっぱり美味いね、飲み慣れなくても爽快だよ。30年以上飲んでいなくても舌は覚えているもんだね」
「どうして今まで飲まなかったんだ?」
 俺が尋ねると、将平はばつが悪そうに頭を掻いた。
「ああ、そりゃ司会なんかしてたら喉が枯れるだろう。だから酒を飲まなかっただけだよ」
「そんな嘘じゃもう騙せないだろう、将ちゃん」卓が川を眺めながらいう。「オレ達はここまで来たんだ、もういっていいんじゃないか?」
「……何をだよ」
「じゃあ空気の読めないオレがいおう」卓は立ち上がって俺を見た。「源太郎、どうして瑠璃ちゃんがお前と付き合わなかったかまだわからなかったのか? 迷惑掛けられないっていう意味だ。お前は地主の息子だったからな」
「体が弱くて子供が産めないからか? 俺はそんなこと関係なかったね。あいつのためなら村を出る覚悟だってあった」
 瑠璃がいればそれでよかった。俺にとっての光は彼女だけだったからだ。彼女の心が理解できなくても、届かなくても、諦められずにいた。
 だから俺は今までここにいた。彼女の願った南の島を想像しながらこの地元に残ったのだ。
「そういうと思ったから、瑠璃ちゃんもお前とは結婚できなかったんだろう……本当にお前は年を取っても変わらないな」
「ああ、俺は変わらないよ。死ぬまでこの性格だ」
 変えられない、と思った。瑠璃が信念を貫いたのなら、俺だってそれを変えることはできない。それが失礼にあたるような気がして、俺は今でもあの時と同じ思いを抱き続けている。
「瑠璃は源太郎のことが一番好きだったよ、結婚した僕がいうんだから間違いない」将平は俺を見たままいう。「だから僕は瑠璃と約束したんだ。源太郎が結婚しなかった場合、酒に溺れるだろうから、あんたが守ってやるのよって。僕まで溺れたら舟が転覆しちまうからな」
 瑠璃と一緒に飲んだ泡盛を思い出し、それがジャスミンティーに変わっていく。あの頃の俺達は皆、同じものを飲み、同じものを食べ、兄弟のように付き合っていた。
 一体、いつから道を外れていると思い込むようになったのだろう。
「だから源ちゃんが舟を降りるまで酒を飲まないことにしたんだよ、君の気持ちを無駄にしたくなかったから」
「何だよ、それ……お前はそれでよかったのかよ。瑠璃がお前のことを一番じゃなくてもいいと思って結婚したのか?」
「ああ、それでもいいと思ったから、一緒になった。悪い?」
 いくら睨んでも、彼の瞳の色は変わらない。強い意志を宿したその光の奥には彼女がいる。
「将平……やっぱり、お前気にくわねえわ」俺は彼に向かっていった。「決めた。俺はまだ舟に乗る、絶対に降りない。俺が舟を降りるまで酒を飲まないというのなら、最後まで飲ませない」
「何をいってるの、源ちゃん。もう蛍なんて見えてない癖に」
「蛍が見えなくても、俺にはカズラの香りがある」
 カズラの花があればそれでいい。その香りを味わうことができるのであれば、俺はいつまでも舟に乗れる気がする。体中が痛くても、体が、心が、あの香りを欲しているのだ。
 俺の暗闇はまだここで終われないといっている。
「くくく、将ちゃん、またお預けだな」卓は将平を見ていう。「60を超える蛍だって飛んでいるんだ、オレ達も最後まで足掻くしかないだろう」
「今更何をいってんだよ。卓まで」将平は溜息をつきながら俺達を見る。「さっきのヘイケのカップルを見て心が移り変わったの? 僕はゲンジだから、このまま集団で穏やかに暮らしたいね」
「気が合うじゃないか、俺も同じように考えていた」
「冗談が過ぎるぞ、お前達」卓が冷静に答える。「オレから見たらお前達こそヘイケだよ。一人の女に執着して、その結果、この村に新たな観光施設を作ったんだ。オレだけがゲンジだと思っていたのに」
「「それは絶対にない」」
 俺達は息を揃えていった後、再び笑い合った。そういえば瑠璃のことが好きだといった話の時にも、こんな光景があったのだ。
 ……なんだよ、そういうことかよ。
 俺は一人で将平と出会った頃を思い出し、納得していた。俺達の友情はこの年になっても変わっていなかったのだ。あの青春時代の気持ちがジャスミンティーによって再び蘇る。
 結局、俺達は皆、暗闇の中で繋がっていたのだ。光ではなく、あのテイカカズラの香りによって。
 俺が捜し求めていた瑠璃は毎年、あそこにちゃんと存在していたのだ。
「光るなら、二人の方がいい」卓が俺達を見てゆっくりと告げる。「灯台は二つないと役割を果たせないからな。お前達がいれば瑠璃ちゃんだってまた来年も帰ってこれるさ」
 一つではなく、二つの光があるから暗闇の中をまっすぐに進むことができる。道を外れないためには導灯が必要だ。
 だけど光は二つだけじゃない。
「「お前もだよ、卓」」
 俺と将平は声を合わせていう。
 二つでも線となり道を作ることができるが、三つになれば円となり、環(わ)ができるのだ。俺達は三人で一緒だ、そこにはゲンジもヘイケも関係なく故郷のために一丸となっているからこそ、繋がり合える。
「来年はジャスミンティーで乾杯しよう」俺は缶を飲み干して二人に近づけた。「あの頃に戻るためにはビールじゃ駄目だ。水筒に入ったジャスミンティーじゃなきゃ戻れない」
「そうだな」卓が俺の空っぽの缶に自分のものを合わせる。「オレ達は年を取りすぎた。足掻くなら高い所まで飛ぼう。将平はお子様だから砂糖ありじゃないと駄目だよな?」
「僕だって無糖が飲めるようになったよ……」将平は溜息をつきながらいう。「……はあ、結局こうなるのか。また来年も若者が育たんじゃないか……はぁ」
 彼のぼやきに俺達は笑い合った。
 ……瑠璃、俺はまだ光れるかな。
 来年こそはお前にちゃんと会える気がする。そのためにはまた舟に乗れるように体を整えなければならない。酒を飲んで過ごす暗闇はもう必要ない。
 俺に必要なのはジャスミンティーだ。
 ……俺はまだ、光りたい。お前に会いたいから。
 船頭として舟に乗る者、全員が思い出に浸れるように頑張りたい。導灯の環として、永遠に答えの出ない暗闇の中でも、瑠璃色の光を探し続けよう。
 暗闇に光が灯れば、それは魂となり、俺達を動かす光になるのだから――。





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