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2016年05月07日10:15

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軍艦史(59)

1960年代には、蒸気推進+鉄装甲の艦建造ラッシュが訪れた。近代海軍の幕開けと言
って良い時期である。この時期に起こった大きな戦争と言えば、アメリカの南北戦争であ
る。南北戦争は陸戦メインと思われているが、船の戦いも結構起きている。

北部の州と南部の州の対立は、主に貿易を中心とした経済面での対立だ。北部は工業が主
産業、南部は農業である。南部の経済は奴隷制度によって成り立っている。リンカーンは
この奴隷制度を廃止しようとした。そこで南部の州は合衆国から脱退、新たにアメリカ連
合国を建国。そのアメリカ連合国に、アメリカ合衆国が侵攻した侵略戦争である。

アメリカ大陸の河川は、日本の河川と違ってかなり大きな船でも航行できる。南北戦争で
は軍艦が重要な役割を果たした。というよりも勝敗を分けた決定的な役割を果たした。ま
ず補給物資の運送、艦砲射撃による敵砲台や要塞の破壊、陸戦部隊の支援などである。

もちろん敵艦の集結地である港を襲撃して、破壊占領してしまえば、戦局は決定的に有利
になる。そんなわけで南北戦争では、かなり熾烈な海戦が行われた。当時北部は人口比で
南部の4倍あった。武器兵器製造に必要となる工業力も北部が圧倒していた。

そうした中、南部が頼りとしたのは、イギリスなどの外国からの輸入、支援である。そこ
で北軍は南部の主要な港を封鎖する作戦に出た。海上封鎖作戦である。当然南部側は抵抗
する。そんなわけで南北戦争ではかなり熾烈な水上戦闘が繰り広げられている。

最初の激突は、1861年5月7日バージニア州グロスターポイントでの、北軍砲艦ヤン
キーと、南軍の沿岸砲との砲撃戦だった。南北両軍ともに使用した大砲は32ポンド砲で
あったと言われる。砲弾重量が32ポンド=14.5Kgである。1863年の薩英戦争
で、薩摩藩が撃った天保山砲台の沿岸砲は80ポンド砲だったから、随分と可愛い。

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