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2024年04月28日11:30

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読書レビュー キング『ペット・セマタリー』

 スティーブン・キングの長編小説『ペット・セマタリー』を読んだ。

 文庫で上下分冊。

 電子書籍で読んだんだけどね。

 高校卒業後の浪人時代、原書で読んだ記憶がおぼろにある。

 そのあたりについては、別の日記で書いた通り。

 いやぁ、面白かったね。

 こんなに面白い小説だったんだ。
 
 原書で読んだときは、たぶん英語で読む勉強中だったこともあり、ぜんぜん読み取れていなかっただろうな。シドニー・シェルダンよりも、キングの方がわかりづらかったという記憶もあるくらいだし。

 本書。このところ、小説はあまり読んでおらず、読みかけても途中でとまっていることが多かった。

 それなのに、本書『ペット・セマタリー』の場合は、続きが気になって巻をおくにあたわなかった。ちょっと仕事関連の本を読まないといけないんだけど、と思いつつ、こちらを読んでいた。最近ではなかったことだ。

 すごい力だなぁ。

 自分なりに感想をまとめておこう。

 まずは上巻。

 キングは、書きすぎるくらいコッテリと書くイメージがある。

 だから、長くなるんだよね。しかも、物語の筋とは関係なディティールを微細に書いていく。読む前には、その長さ、厚さがハードルになって、なかなか本を手に取れなかったりするんだけどさ。いざ読み始めてみると、本書についてはその長さを長いと感じさせなかった。

 とある町に引っ越してきた医師ルイスの家族。家のそばにはトラックの行きかうハイウェイがある。ルイスが買った家のそばに、ペット霊園があり、トラックにはねられたペットたちが眠っている。

 そのペット霊園のそばに、インディアンの聖地がある。その場所には秘密があり、ペットを埋めるとそのペットが生きて帰ってくるという。

 飼っていた猫が死んでしまったとき、隣に住むおじいさん、チャドがその秘密を教えてくれるんだ。

 促されるままルイスがわけもわからず猫を埋めると、死んだはずの猫チャーチは帰ってくる。

 帰ってきたチャーチはしかし、ひどく臭くなっていて、以前の愛らしさ、魅力はなく、しかもネズミや鳥を狩るなど狂暴なしぐさもふえていた。

 そのあたりのあらすじは、わかっていた。前に読んでいるわけだしね。

 ただその筋をたどるのに、文庫で400ページくらい。その長さを感じさせないのが、なんというかキング凄いなぁ、と思った。

 饒舌は冗長ではないんだね。

 面白かったし、途中でやめるのが難しい。

 長いからなぁと敬遠していたのが、もったいなく感じられるくらいに。

 そのあと、ルイスの子どもが・・・というのは知っているんだけど、上巻ではそこまでいかなかった。

 わかっていつつ、日常の家族のやりとりが楽しく、それだけにあとで待っている不穏な展開が気持ちをゆすぶるところもある。

 たんに日常を丁寧に描かれているわけじゃなく、ところどころ不穏な展開を予想させるエピソードもあってさ。そのあたりの塩梅も、物語に引き込むうまさだと思う。

 そして下巻。

 いまさらですが、展開にふれるので、この小説を読もうと思っている人は、あまり読まない方がいいです。

 いいですか?

 ではいきます。

 下巻の冒頭で、すでに子どもはトラックにはねられて亡くなっているところから始まる。

 その後、そのときの様子が微に入り細にわたり描写されるにしても、結末がわかっているぶん、ある種のあきらめと共に、悲劇に向かうハードルを下げてくれるような気がした。

 そしてこの下巻の半分くらいは、猫のチャーチを生き返らせたように、子どもをペット霊園に埋めに行くのかというルイスの葛藤に費やされる。

 子どもの葬儀の場面。

 ルイスの迷い。

 隣人でペット霊園のことを教えてくれたチャドから、人間を埋めたらどうなったかという悲劇についてのエピソード。

 すごいなと思ったのは、これらの悲劇が、悪意ある形のない存在に導かれたものなんじゃないか、と思わせるようになるあたり。同時に、その存在の意思はあくまで結果から類推させられるだけで、実際の描写はなかったことだ。

 小説やドラマほどじゃなくてもさ。悪いことが続いたり、うまくいかないことがあると、どっかで誰かが陰謀を巡らせてるんじゃないか、なんて思いたくなるものだ。

 ふだんは安全運転のトラックの運転手が急にアクセルを全開にしないではいられなくなったり、過去の逸話を知っていて霊園の秘密を葬るべきと思っていたチャドが、ルイスにそれを伝えたくなったり、あるいはすぐに転ぶようなごく幼い子どもが親もおいつけないくらいの速度でトラックに向かって突っ走ったり、ありえない不幸の連鎖は誰かの意思によるものだったのだろうとは思わないではいられない。

 それでも、その誰かが「イッヒッヒ、うまくひっかかったぜ」なんていう場面はどこにもない。

 そのあたりの描かないことで、物語に類推させる奥深さを感じせる。

 一方で、クライマックスからの破局はある意味、これでもかというほどに書き込まれててさ。

 いやぁなんとも、すごかったね。

 もともとこの話を読み始めたときに、古典的な恐怖小説の『猿の手』が思い出されることはあった。この物語の中でも、語られる場面があるし。

 『猿の手』は短編であり、語られなかった空白に、恐怖をかきたてるうまさがあると思う。だから、あの作品は古典として残っているのだ。

 そこを下手に書き込んで行ったら、興ざめで、多少うわぁとなったとしても、長くは残らないと思う。

 そこを本書『ペット・セマタリー』では、下手な書き込みどころか、濃厚な書き込みで圧倒してくれた。

 うわぁ、ここまで行っちゃうんだ、と。

 なまじ、主人公のルイスやチャド、その家族に感情移入していただけに、その後の悲劇が自分のことのように迫ってくる。

 あぁ、そうか。

 だからこその、前半のあれほどの日常の描き込みがあったのだろうな。それでこそ、そこまで出てくる人物に感情移入できたのだ。

 その反動で、いっしょに狂気の世界に落ちていくような感覚があった。

 いやぁすごかったね。

 下巻を読みながら、この物語は子どもが帰ってくるかどうかではなく、そこに至る葛藤と、その結果を描くことを主眼に置いているんだろうな、と気づいた。

 それと同時に、頭に浮かんだイメージがあってさ。

 昔、原書で読んだとき、最後の数行で子どもが帰ってきて

「Dad・・・」
と、言ってたような記憶が出てきたんだよね。

 物語の後半はルイスが子どもを生き返らせるかどうかの葛藤と、それをとどめようとするチャドや、わけを知らされないなかで不安を感じ、夫を助けようとする妻の物語になっていくという印象だった。

 下巻を読んでいる途中で、おぼろな記憶がよみがえり、物語の結末は、子どもが帰ってくるところで終ったんだっけ?という気がし始めたんだよね。

 30年近く前の記憶だから、記憶ちがいもあるだろうと思いながらね。

 そして最後まで読み・・・。

 記憶のとおりではなかった。

 でも、自分がそのように結末を記憶した気持ちはわかる。

 狂気の行きつくところまで行きついた、ある種の余韻の残る結末だった。

 最近、小説ってあまり読んでなかったんだけど、こういう体験は小説ならではの愉しみだった。

 2024年度上半期ベストの読書体験かな。

 
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