妻に薦められて、大前研一著
『50代からの選択』
を読んだ。
大前研一の著作は、けっこう読んでいるんだけど、本書ははじめてだ。
妻がMBAをとったBBT大学院の学長であり、妻はずいぶん心酔している様子。
たしかに本読んでも面白いんだけどね。
本書が書かれたのは、今から20年近く前。初版は2008年になっていた。
当時の俺は、30代。
本書で言われている、大前氏にまさにそっぽを向いた世代といえるかもしれない。
大前研一が都知事選に出た当時、俺は東京都民だっけ?住民票はうつしてなかったかもしれないし、単純に当時は選挙に興味がなかったから、投票に行った記憶もない。あるいは、ぎりぎりこちらにもどってきたところか、横浜市民だったのかもしれない。
50代で大前氏はマッキンゼーを辞めて、都知事選に出た。
そしていじわるばあさん青島幸男に大敗した。
その当時のことを振り返るくだりがあった。
「
ちょっと待てよ、オレは、この世界が苦手なんだよ。愛をつぐなって、なぜ別れになる?冗談じゃない、なぜ別れるのかオレは理屈を聞きたい。と。こう考えてしまう大前研一は浅はかだった。
「都政から隠しごとをなくします」は都民の心に響く。でも、「都政は経営だ。経営のプロに任せろ」は大和言葉じゃない、心に響かない。なんだか妙に納得してしまった。
」
負けたあと、旧友の加山雄三氏から、大前さん、もっと大和言葉でしゃべんなきゃダメだよ、と言われたとか。
「
日本に戻ってから、なんとずっと僕を応援してくれた加山雄三さんから、オーストラリアで僕が感じたのと同じことを指摘されてしまう。「『平成維新』だなんて、わけのわからないことをいうな。「いい国つくろうよ、君といる国が一番幸せだ』と、こういう感覚で『いい国つくろう』と言ってりゃいいんだ」
」
それまでの大前氏は論理の人だったのだろう。
負けたことによって、理屈や論理じゃ人は動かないということに気がついだ。
「こうすれば、皆さんの生活はもっとよくなりますよ」
と言っても、誰もふりむかない。
「いっしょにがんばりましょう」
といった相手についていく。
自分は、大和言葉でしゃべっていなかったのだ、ということに気づいた。でも、それは自分の自然言語の中にはない言葉なのだ。
このくだりが、今の俺に妙にしみる。
俺はよく、理屈っぽいとか、どこか他人事ですよね、というように言われるんだよね。
shu-1さんは、どこでもカウンセラーなんですよ、とも(苦笑)。
いや、カウンセラーとして仕事してるんじゃないんだけど、とは思っていたけどさ。
シャインさんたちは、まさにカウンセラーではなく、いっしょにやってくれるリーダーを求めているということなんだろうなぁ。
俺が、理屈がちになってしまうのは、もはやどうしようもないところもあるんだろうけどさ。
大和言葉かぁ。
すぐに大和言葉が話せるわけではないだろうけど。
言葉を覚える努力はしていかないとな、と思うところ。
まぁゆったりかまえながら、ね。でないと、どうしても理屈っぽくなるから。
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